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宮崎駿監督の功罪
 ジブリの建物模型展を観に東京建物園へ。原画の素晴らしさ、立体を理解して描いている宮崎駿監督の創造力に感動。だけど、宮崎監督曰く、子供にはジブリ作品を観るのは年一回ぐらいでいいそうだ。やっぱり、本物の経験をするのが一番ということだ。子供に求められると、めんどくさくなってディズニーのDVDをつい見せちゃうので反省してしまった。

 本人はマチュピチュを見て「ラピュタみたいだ」なんていう逆転現象が起きてる。日本人は宮崎作品を見て日本の原風景を覚える。日本人の原風景が宮崎作品に塗りつぶされていく。宮崎駿監督は日本の原風景を大事にしたい、守りたいと思っているだろうけれど、宮崎監督がそのイマジネーションを発揮すればするほど、日本人の記憶の中の原風景は失われていくパラドックスが起こっている。

 展覧会では、宮崎駿作品の建築的なデザインの出所(場所等)を解説してくれているのはありがたい。見る方としては、この感覚が必要なんだよね。ドブロブニクに行って「魔女の宅急便みたいだ」というのではなく、魔女の宅急便をみて、「これは地中海の沿岸の建築様式となぜか北国の木造様式が混在している不思議な都市空間だなぁ」と思うのが普通の感覚だろう。

 この展覧会では建築史家の藤森照信先生が絶妙な視点で解説をしてくれている。この解説は見事。展覧会の書籍も購入してしまった。
 宮崎駿監督の映画にはノスタルジーがある。見た事のない景色だけれども、懐かしさを感じる宮崎監督の絵に対してこんな解説をされていた。
”人間は毎日、無意識に寝る前と起きたときの目に映るもので「変わっていない」ことを確認して、ときどき古いもの、まわりの変わらない者を見る事で「自分が自分である」という確認作業をしている、というのが僕の考えなんです。自分の自分というのものの時間的な連続性を建物や風景で無意識に確認している。そしてアイデンティティ、つまり「自分が自分である」ということを確認できているから人間は生きていられるんです。だから僕らが宮崎さんの映画を見て懐かしいと感じるのは、そこに、自分たちのいる社会の連続性を感じてほっとするから何だと思います。
 懐かしさは人間の心の安定のためには不可欠なものです。一番変わりにくい安定しているのが自然です。だから、国家が崩壊して社会が激変しても、故郷の山や川が変わらずにあれば人間は生きていける。次に変わらないのは町並みでその次が建物。建物というのは人の暮らしを雨風や外的から守るための実用の器だと考えられていますが、それ以上に「人間の記憶の器」なんです。自分の家はアイデンティティのよりどころになっている。”


 これは藤森さんが主題として書いた事ではないが、「文化財を守ることは何か」という問いに、単にアイデンティティを保つためというような短すぎる言葉ではなく、実直に、でも非常に分かりやすく説明してくれているようでもある。

 ただ、やはりこの藤森さんの言葉を聞いて、どうしても宮崎駿監督の功罪を考えてしまう。宮崎映画は日本人の懐かしい記憶を呼び起こし、日本の良さを感じさせてくれた一方で、「日本人の記憶」=アイデンティティを宮崎映画によって塗り替えてしまった。

 日本に今なお残るものよりも、宮崎監督の創造力によってつくった映画の風景こそが日本人の記憶=アイデンティティになってしまったことは、宮崎監督も望んでいなかったことなのではないだろうか。



 
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[2015/02/09 23:10] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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