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未来の共同体を考える-1
ポスト・グローバリズムの世界、あるいは「縮みゆく共同体」を読んで

 世界は人の移動と同化の連続でありましたが、その度に大きな悲劇がありました。現代が過去よりも優れているので有れば、現在もその発展の途上であり、「その悲劇も同じように私たちは受けねばならない」ということになります。

ただし、悲劇を甘んじて耐え、多くの人種が混ざりあい、人が自由に行き来する究極の資本主義が成り立った後に、私たちはもっと素晴らしい世界を教授できるのでしょうか?

これが問題点だと思います。

 アフリカや中国が先進諸国と同じような教育レベルに立たない限り、同じルールで生活も商売も行うことが出来ません。世界的に白人がマイノリティになりうる中、それこそ世界がアパルトヘイト後の南アフリカの状況の様になりかねません。それも彼らは日本や白人至上主義が彼らを長年搾取し続けたのだと教育され続けています。アフリカの独立時のように、統治のたがが外れたとたん、治安が保たれなくなった結果、経済活動を麻痺させ、世界を疲弊させるように思います。
 
人は身の危険があった場合、効率的には働けませんし、他人に心を許せません。
 私たちが仲間だと思える範囲はどのくらいでしょうか。家族、親戚、同民族、宗教? また、その範囲から外部の人間を排除しうる根拠をどこに求めればいいのでしょうか? そもそも方法はあるのでしょうか?

 現在、住んでいるイタリアでは既に戦後60年代から発展よりも地域コミュニティを大事にすることを選んだ。イタリアはユーロ経済圏の劣等生になりつつあるが、それは地域を大事にするが故に、ユーロ経済圏の前提である人の移動を拒んだことにもあるように思います。

一方、経済が破綻する理由として、南のアフリカ大陸から無条件で難民のように押し寄せる移民のせいもあります。イタリアの街では夕方、駅前や講演には多くのアフリカ人やアラブ人がたむろしています。
 また、中国人への嫌悪もひどいものがあります。3日前ローマで中国人が射殺された。経済学的に言えば、閉じることは世界を逆行させますが、人はそれを越えて自分の縄張りを守る動物的な本能があるように思います。

 イタリア的な地方分権•郷土重視思考 に加え 土地への同化政策の義務づけは必要になるでしょう。簡単なところでは、一定程度のローカル言語がしゃべれないのであれば滞在許可証を発行しない、地域の会合(かつては教会が担っていた)などに参加の義務づけ等です。

 日本でも、排他主義に傾いてきているように思います。気持ちも分かりますが、思考を停止させる危険な思想だと思います。一方で無条件に受け入れるというのも不可能だと認識しているので、問題はその手法を、倫理的に、経済的に、心理学的にどう線引きするかだと思います。


そう考えると問題となっているTPPや日本の農業も経済学に従って解くよりも 縄張り論=「まち」学、まちづくり論こそ重要になってくるでしょう。自分たちがどのような街に住みたいか、どんな生活がしたいか、どんな隣人に囲まれたいか、これを考えて行くところにこそ落ち着くように思います。

 どのような形がふさわしいのか、答えは一つではありませんが、考えるヒントとなるものを探っていきたい。
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