イタリア日誌-39「パーティを開こう」
 先日、共同体における(一般社会と書いてもいいし、人間形成と書いてもいいのですが)パーティの重要性について考える機会を頂きました。もちろん、僕の場合は日本でも上海でもパーティを開くので余り関係ないのですが、イタリアでは事あるごとに、家にお客さんを招いてパーティ(夕食)を開きます。庭があれば外でワインやプロシュート等簡単なもので済ませたり、メロンのプロセッコ浸け(これは日本でも作りたいが高くつきます) など、簡単だけれども家で作ると美味しいものを用意して会話を楽しみます。


 実際にパーティを開くとなると、いろいろなことが起こります。事前に準備が必要だし、何人来るのか、誰が飲むのか、どれぐらい飲むか、好き嫌いはあるか、宗教的な問題はあるか、会話のネタはなにかと、常に相手のことを思いやっての思考の連続です。イレギュラーなことは起こりますし、外的な要因も働きます。ホストは色々なことを考えオーガナイズして、お客さんに最高の時間を過ごしてもらいたいと思います。もちろん、パーティの参加者の一員である自分が最も楽しむことが重要ですね。

 ただ、準備は大変です。結婚式を開いたことのある経験がある方は分かるかもしれません。本当に細部まで用意しなくてはならず、こんなにも配慮しなくてはならないことがあるのだと。おそらく、結婚式を挙げた人は招待状の返信を遅れて出すことは、まずありません。それほど準備の大変さを知っているからです。

 「何故、会社面接のときに全ての人にリーダーシップ経験を求めるのか
というブログ記事がありました。趣旨は一つのチーム、お祭り、なにかのプロジェクトの時にチーム全員にリーダーとしての経験があれば、お互いにプロジェクトを動かす為にどのように自分が機能すればよいか、自分で判断し、行動出来るからチームはリーダーの経験を持った人間を求められるということです。

会社にリーダーと言えば難しいですが、イベントの仕切りが出来る人という意味に置き換えることも出来ると思います。宴会の仕切りが出来る能力は、勉強ができるとは違う共同体に取って重要な能力です。
 特にこれを感じたのは震災直後のボランティアセンターでのことです。本来、人にどんどん指示を行うべきボランティアセンター職員が全く機能していませんでした。非常時の指示が行き届かない状態で、本来指示をする人間が指示待ち人間になっている状態がありました。つまり、職員が人を取り仕切ったことのない人だったのです。言い方は悪いと思いますが、例えるなら市役所にいるパートの案内おばちゃんでした。(4月のブログ参照)

 非常時にコレでは困りました。このような非常時に活躍したのがNPOでした。彼らは医療チームや山岳パトロール等に非常時に的確な判断が出来る人だったり、音楽のパーティをオーガナイズするなど大多数の人間を誘導する能力に長けている人達でした。(以前のブログ参照)もちろん、普通は山岳パトロールに入ったり、音楽パーティを主催するのは難しいと思いますが、自宅でパーティを開くことは(きっと)出来ます。夕食でもいいし、誕生日パーティだったりでもいいんです。少々面倒ですがが、きっと楽しいことがありますよね。世界中を旅しても酒や車のない国はあっても、パーティのない国はありませんでした。当然ですね(笑)
 

 結論を大げさに書けば、パーティは「なんらかの共同体の形成(維持)の為に必要な行為だけではなく、共同体(社会)に取って必要な能力を持つ人間を育てる場」でもあると言えるかもしれません。

友人の言葉を借りれば
“パーティとは「人間を人間たらしめている何か」であることを疑っていません。 「ホモ・ルーデンス(人間とは遊ぶヒトである)」という語とのアナロジーからしても。”です。
 ま、難しいこと書けばそうなのですが、上に書いたことは全部パーティを開く口実ですね(笑)



 それでは、よい夜を!

 ボナセーラ!





※ホモ・ルーデンスはオランダの歴史家ホイジンガ(ハイツィンハ)による言葉
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[2011/10/21 22:12] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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