イタリア日誌34「RADICOFANI」
ORCIA渓谷の南側にある小さな街。街の頂上には砦があり、ここからは渓谷の全景が見渡せる。
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街の中から砦を見る


もちろん、この砦も世界遺産に含まれる。渓谷は丘が連なるが険しいというほどでもないので、攻め込まれやすい地形でもある。その為、城の作り方は多少堅固となり、まちと一体となって砦が建設されるというよりも非常時に村人が逃げ込めるように、街との関係も切り離して建設されることもあるのだろう。
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砦からの眺め



 また、現代と違って飛行機も無ければ、大砲も銃もない時代だった。こういった中世からの都市や街を眺める為にはその当時の軍事体制や火気の技術、移動方法、帯同食料等をきちんと勉強しないとその都市の成り立ちや作り方を知ることが出来ない。城の展示から当時どのような武器が使われていたのか等を知ることは都市計画者にとって非常に楽しい行為。
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 radicofaniのように防衛と都市の形態を切り離せないのは日本の城下町も同じで、通常城下町では街へ続く旧街道が遠くからはまっすぐ天守閣へ向かっているけれど、適当に近づいたところで幾重にも曲がっている。これは防衛的な理由からで、敵を発見しやすく、街の中に入ったら渋滞して一気に攻め込めず、近くの壁から相手を弓や銃器で攻められるようにするためだ。
 イエメンの山岳都市では例えば、Shibam &Kawkabanでは商業都市と防衛都市と分割して街を運営している。崖の上の防衛都市が敵を発見し、商業都市の人間と入れ替わって崖を降りて戦う。

 イタリアは日本と同じく農業国家であり、かつ、各地に国家が分散していた。領主制度より、各地に分散型都市を作っていたが、独自防衛が必要なくなり、交通の手段も社会体制も変わった現代において、この都市形態のままで良いのかは再考の余地がありそうだ。ドイツやオーストラリアでは農業地であっても住居は集約され、街にインフラが集まっている。それと比べるとイタリアは牧歌的ではあるけれど、或る側面で非効率と言える。
 
 昔ながらのわが町に住んでいて、、、、という愛着はあっても、ご先祖様はその当時の生活に起因して、その土地に移り街をつくった。世界を一旦まっさらな状態としてとらえて、人口60億人をどうやって住まわせるかゼロベースで考えるシムシティのようなゲームがあったとしたら、どの様に人を配置するか。仮定の話は意味が無いかもしれないが、そのある側面からの理想的な世界と比較することは出来るかもしれない。誰が好き好んでドバイの様な都市に800Mを超えるビルを建てるのか。
 


訪れた日にはテントが張られ、忠誠の騎士達の生活や戦い等を再現したお祭りが行われていた。
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 広場では騎士同士の戦いなどが演じられるのだけれども、なにか、こう、牧歌的で地域の住民のお祭りという感じがした。ステージが用意されて、椅子に座って鑑賞するっていうものではなく、演じる人も、見に来る人も一体となって楽しむ。まさに地元のお祭り。
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日本だと世界遺産のお祭りとなれば、行政主体で大々的に行ってしまうものだが、ローカルな人たちの手によって、遺跡を凍結させない、自分の生活の中に或る遺跡として使われるほうが僕はいいと思う。何でもかんでもルール決めして規制するのではなく、活用し、自らが楽しむこと。こんな簡単なことを日本のお役所は忘れがちなので、こういった感性は僕ら生活者の中から発信していければと思う。
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[2011/10/04 13:48] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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