イタリア日誌21-「イタリア語について」
 現在、イタリア語を急速に勉強中。厳しい言い方をすれば 日本語と同じくマイノリティ化している言語をわざわざ学ばないといけないのはちょっと辛い。20年後世界の人口は83億人、その時日本は1億1500万人、イタリアは5900万人だ。ということはイタリア語を話せるのは世界の人口に対して1%にも満たない。クラスでもイタリア語を学ぶ人間はほぼ英語を話せるというのに 何も苦労して勉強する必要なんてないだろうとも思うのも当然だ。
 

 僕の場合は これから一緒にチームを組むイタリア人達が英語を話せないからという理由でイタリア語を勉強するわけだが、イタリアにいるのだからもっともっとイタリアを知りたいという気持ちが強い。イタリアを知るにはイタリア語を話せなければ始まらない。


 言語は言語だけ取り出せる訳ではなくて、言語は文化の一環、その基礎をなしている。言語を知らずしてその国の文化を知ることはできないし、言語を変えてしまえば、文化の魂と言える部分との関係が切り離されて宙に浮いてしまう。イタリアはヨーロッパの文化の原点から繋がっている言語であるため、絵画、音楽、宗教を学ぶものにとって、イタリア語はどうしても避けて通れない。
 

 言語と文化が一体化しているというのは、言語はその言語圏の人々が求める情報や感情を表現するように作られていることを第一に指す。イヌイットは「雪」という言葉を50以上の言葉で表現するように、それぞれの国々が重要視しているものが異なる。日本であれば、「様」や「さん」に代表されるように自分と相手の上下関係を指し示す言葉が多く、裏を返せば上下関係を強く求める文化と言える。表裏一体なだけではなく、日常で求められる行為が言語化されることで制度化され、言語と文化は相乗的な効果を持つ関係といえる。韓国なら親戚関連の言葉が非常に多いし、最近話したポーランド人が言うには「酔う」と言う言葉と「下ネタ」の数に関してはポーランドは他の国の追随を許さないとのことだ。(彼はこれを自慢していいんだろうか?)


 さて、


イタリア語を学ぶ外国人が文句を言いたくなるのは、なぜ動詞も名詞も形容詞も単数、複数系、男性、女性によって変化するのか。分からないのが「もの」にも、男性と女性がある。テーブルは男で、椅子は女性。なぜ男女に分けるのだろうか。

勉強するときには、「本」は男で「雑誌」は女と、そういうものなのだと割り切って覚えろと教えられるが、

言語には文化的な背景があるということを前提にすれば
そこにはイタリア人が男女の区別をつけねばならない文化的な理由があったはずだ。


なぜ、そんなにイタリア人は、男と女を分けねばならなかったのだろう。


例えば、イタリアはカトリック総本山があるように宗教的な要素が強い。神がアダムとイブとして男と女を別々に生み出したのと同じように、それぞれに正しい形で生み出された「モノ」であり、神によってそれらは分別されなければならない。神と悪魔、善と悪、是-否,の二項対立で考える宗教的な思想が根底にあった。そのために、男女の区別を付けねばならなかった。などと推測できたりしないだろうか。


 もしくは、やっぱりイタリア人ジョーク的に言えば、男女の関係に非常に執着していて、常に女性のことを考えてばかりいるので、ものにも男とか女とか付けたりしたんじゃないか。例えば女性がよく見る「鏡」は「男性」名詞。これは女性が見とれるのは「男性!」なんて考えてみたり、当時は男尊が強かったのか座る「椅子」は女性だったり、、、と、

もしくは、大体において美しさを含むモノや変化の或るものは大体女性名詞の様な気がする。luna(月)もそうだし、椅子も美しい椅子がたくさんあるし、

と、、

男性女性名詞の起源を考えてみるのも面白い。
(今の日本だったら、女性に尻に敷かれるので、椅子は男性名詞になるのかな?)


 言葉は文化。文化が分かれば言葉も理解できる。教科書には決して書かれていないイタリアのなぜ?がきっといつか理解出来ると期待したい。








(補足)
イタリア語の起源。
「イタリアの社会」早稲田大学出版部1999年 によれば 960年にあるラテン語でかかれた「カプアの判決文」の中に地方語のまま挿入された証言の言葉が記録に残る初期イタリア語とすれば、イタリア語には1000年の歴史があるそうだ。一方、「統一イタリア言語史」(1963年)の著者でもあるデ•マウロ教授は、統一当時(150年前)にイタリア語のはなせる人は全体の2.5%(1951年においても10~18%)に過ぎなかったと推測している。当時およそ75%を占めたと言われる方言しかはなせない人が100年後の1961年には約8%まで減った。社会的変動、徴兵制度、マスメディアの発達などが言語の統一をおおいにを押し進める結果となった。その普及率がいちじるしく増加したのは過去数十年においてであり、方言の使用率もこれにともない急激に減っている。
1999年では方言を全く使わずイタリア語だけを話すイタリア人は全人口の41.8%に達し。これを少しうわまわる43.8%の人は場合に応じてイタリア語と方言を使い分けているという。


※フランス語に関してhttp://hirokijourney.blog35.fc2.com/blog-entry-150.html
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[2011/09/12 08:40] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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