べトナム日誌-4「修復によって失われる遺跡」

歴史もなにもかも、すっからかんに失われていく遺跡がある。
例えば、フエの院朝時代の初代皇帝のザーロン帝廟がそうだ。

 ここでの修復作業は歴史家の監督もなく、地元の作業員によって進められている。補修工事も雑であるし、そもそも作業員はプロなのか、第一修復する必要があったのだろうか。修復された遺跡には時間の流れの欠片もなくなった。なぜ、なんの目的で、修復という名の下に貴重な遺跡を台無しにしてしまうのか。オリジナルが壊されれば史実もわからなくなってしまう。そのままの状態でよいのに、なぜ修復するのか。もし修復するとしてもオリジナル部分を残す、再建するとしても丁寧に研究してつくらないとディズニーランドになってしまう。こんなハリボテを誰が見たいと思うのか。本当に悲しい。修復は工事からのキックバックを得る目的で、中枢にいる人間が工事事業を無理矢理作り出しているのではないか。ユネスコも世界遺産のリストから剥奪すると脅して、管理しないとだめだろう。まったく監視の手が行き届いていない。


この華標柱を見てほしい。以前は半壊してはいたが、落ち着いて植物も生えていたような情緒或る石柱だった。今では、新しく建設されてこんな色に塗りたくられた。この色も形も当時と同じか定かではないのだ。
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下手な化粧のように修復されてしまったザーロン帝廟
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まだ、修復の魔の手が入っていない隣接する第二妃の廟。こちらの方が美しいと感じないだろうか。
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廟から山の軸を眺める
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別の場所、この軸線上に造られた 母のための廟から眺める
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 分かりやすい例として、アンコールワットの遺跡がペンキで塗りたくられたら、、、、どう思うだろうか?アンコールワット周辺の遺跡を見たことがある人なら、そんな遺跡を見たいとは思わないだろう。

 地元の住民は表層がきれいに整っていないと恥ずかしい、壊れていると考えるのだろうか?海外からの観光客なら、普通は歴史的な趣きがある方を選択するはずだ。この現地人と観光客の感覚の違いは、現地に必ず伝えていかねばならない。

 一方で、フエの王宮の北側に再建された王族の子供達のための図書室は数ヶ月前からカフェとして使われている。
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王宮側から建物を眺めたもの



当時と比べて世俗化した使い方であったため、共産党の幹部からも「遺跡を豚肉と勘違いするな!」との批判の声もあがったほどと聞いた。しかし、このカフェは実に繁盛している。

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夜のテラスの様子



カフェだけは遺跡内に入らずとも外からアクセスできるように設定され、観光客よりも地元のカップルや家族連れなどに楽しく利用されている。日本の場合だとどうか。丁寧に歴史的な背景をふまえて、材料や工法にこだわって再建してしまうと、再建した建物時代が文化財指定されてしまい、その後の建物利用が厳しく制限されてしまう。コンクリートで造った偽物なら、自由に市民に公開できて親しんでもらうことが出来る。市民のことを考えると単純に本物思考で再建すればよいということでもなさそうだ。それに古いもの=美しいというのは、主観であろう。



では、保存、修復、再建の選択は何をもって決定すればよいのか?



ベルサイユ宮殿が汚いままでよいか、金閣寺の金泊が禿げたままでよいのか。いやいや、それは違う。
では、すべての建物を当時のままの姿に戻すべきか。いやいや、それも違う。
では、すべての建物を放っておいていいというのか! いやいや、これも違う。


僕の意見は「当時の設計者何を考えて作ったのか、その時代にこそ生まれた哲学はなにか」を尊重することこそが遺跡を適切に次世代に繋ぐことなにだと考えている。

 歴史的な形態がこうだったから、その形のままに再建するということでもない。使い方を現代にあわせて変えたっていい。当時のようには利用されないのならば、無理に修復する必要もない。先ほどの華標柱も2本並んで建って初めて廟内の魂が救われるという意味性があったとする。それならば1本の柱を壊れたままに保存しておくのではなくて、2本建てることを前提にどうデザインしていけばよいかという選択していけばよい。もしくは、山との軸と結ぶ見え方が必要であった場合、遺跡を修復するよりも、遺跡から山の軸が見えるように木を刈ることを先に行うほうが重要だ。


 加えて建物だけではなく、周囲の環境をどのように復元していくかも鍵となる。遺跡は周囲のランドスケープも含めて計画されていることが多い。フエの帝廟でも治水を行いながら、それ自身が治水機能を果たすように造られている。自然と一体となるよう計画されている遺跡を、自然と切り離して存続させても意味が無い。ましてやフエは街全体が風水思想によって成り立っている。王宮や廟のみを復元、修復するだけではなく、全体の環境システムこそを保存•再生していかねばならない。


 当時の「哲学」を保存するという判断基準をもって考えたとき、これから修復の作業はどのように進めるべきなのか、今一度考えてほしい。


決して遺跡修復が地元の役人の懐にお金を入れるための工事であってはならない。
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[2011/08/08 10:02] | ベトナム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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