イタリア日誌-17「イタリア流の会議」
 日本で大人数(40人くらいで)会議を行えば、目標を明確にした上で、若手が5、6人でパワーポイント等による素案を作って会議に臨む。会議が始まる時点では内容はほぼ固まっていて、それに対して会議の出席者から意見を述べてもらうということが一般的ではないだろうか。40人の意見が平等に反映されたものではないが、合意形成をするのには役立つ。

一方、イタリアではどうか。
 40人ぐらい会議を行うとき、可能な限りそれぞれ一人一人の行っている内容を聞き出し、話してもらい、テーマについて話し合う。そこにはパワーポイントも資料もほとんどない。昼食を挟んでスプマンテ(発泡性白ワイン)でも飲んだ後、もう一度時間まで話続ける。私が出席した会議は4つのグループに分かれての討論ではあったが、本当によく話すものだと、結論を出すことなく話していく。
 そして時間が来たら、

では、次回は場所を変えて話を続けましょう!との結論だ。



 この会議は特殊な部類ではあったとは思うが、日本ではこの方式はあまり考えられないだろう。日本では先に書いたように「目的」を定め、少数に案を固め、それを多数が無関心ながらも承認するという合意形成をはかるという手法が一般的ではないか。

それに対して、イタリアでは明確な「目標」を定めず、出席した人間がどんな人間かによって目標を設定する。実に出席者本位の手法といえるのではないだろうか。


要するに各国の会議を決定づける要因として、



日本では「整理された書類」が重要とされ、

イタリアでは「感情に訴える人格」が求められる。

アメリカならば「論理的かつ適切なフレーズ」が重要であろうし、

中国なら「大きな声」(笑)、もとい「配慮と器の大きさ」


が決定の大きな要因となるだろう。
なんて。
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[2011/07/26 21:24] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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