支援ハブ都市が再生する地域圏
近代以降薄れつつあった地域圏が再び顕在化されつつある。

海沿いの国道45号線が断絶されたこともあり、旧街道による沿岸と内陸の結びつきが強化されている。奥州街道(東北道)上に位置する内陸都市(一関、奥州、北上、花巻、盛岡、二戸 等)がハブとなり沿岸被災地を支援する体制が出来ている。例えば一関は陸前高田や気仙沼を支援し、花巻は山田・大槌・釜石を支援するという具合である。これを支援クラスターないし地域圏と呼ぶことができるだろう。

岩手の街道

『いわての街道』
http://www.bunka.pref.iwate.jp/seikatsu/kaidou/main.html


 沿岸地域での加工場は壊滅的な被害にあった。例えば山田、大槌、釜石の支援ハブ都市である花巻に空き家等を使って生鮮魚介類の加工場を設営し、大きな「市場」と東北道による大量「物流」とを併せて実現する動きが出て内発的に生まれてきている。この方式が実現すれば内陸花巻にも雇用が生まれ、沿岸部の被災者も一時避難しながら内陸部で働くことが可能になるとも試算している。

 この考え方は震災はきっかけであるが必然でもあったと思う。「動力」の変革による時代の転換期を意味する。過去を振り返ってみると四国瀬戸内海では多くの漁民が家船(えぶね)に寝泊まりしながら暮らしていた。明治期には学校制度が進んだこととエンジンの発達により陸地への定住が行われた。住む場所と働く場所が分化されたのである。これは定住を持たない漁民にとっての大転換であった。漁業には「漁場」と「加工場」と「市場」と「物流」が必要であるが、これを現代のトラックによる物流の発展によって内陸部でも漁業を支えられる体制が出来うる。

 また漁業加工品の販売も市民ネットワークの中で10年続けて買ってもらうサポーター制度などの資金的な支援の仕組みも出来つつあり、地方の漁村一つでは構築できない仕組みが内陸部のサポートによっても実現できるのである。若者や漁村地区ではその方式に直に触れることによって経験を自分の中に蓄積することができる。ニュースには載ってこない草の根のネットワークによる地域再生がいま芽生えてきている。人は経験することでしか、成長できない生き物なのだと思う。その機会を地域がつくってくれる。


 将来的には少しずつ避難民も沿岸に戻り加工場も徐々に沿岸に戻ることも考えられる。地域圏の産業連携などによって培われた人と人との関係は将来にわたって残り、地域を支えることになるだろう。実際、これまでもこの地域圏内では婚姻関係も多く見られたが、今まで以上に強い結びつきになり人々が流動的に住まう新しい生活スタイルが出来上がってくるだろう。

 今でも県外ボランティアを受け入れようとしない場所のある、どちらかというと人見知りの東北地方では人の顔が見える支援こそが重要である。そのコミュニティの中に入り潤滑油となる人と生活のスタイルが必要なはずである。なによりも人が地域の一員として生きていく仕組みが求められている。

 各地域にはこれらの街だけでなく、道路もしっかり通っていないような沿岸に多くの集落が残る。これらも地域園の一員として迎え入れ、取りこぼしのないように地域圏に加えていく。小さな集落の加工場や流通のネットワークが内陸に集約されることで、生活がいっそう豊かになることもあるだろう。


 また、各都市には対口支援も行われ、地域圏を飛び越して遠くの都市と直接的に繋がっていく仕組みもある。見えないところで日本の国家再編が行われつつある。


下記は雑記メモ

地域支援クラスター
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[2011/04/12 16:46] | 日本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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