上海日誌66-「もしも明日 日本が無くなったら」
もしも明日、日本が消滅したら
仕事は言葉は住むところは、

うん。なんとかなりそうだ。



もしも明日、一文無しになったら。

うん。なんとかなるだろう。



もしも明日、無人島で目覚めたら

うん。何とかするだろう。



 グローバルな世界になって自分一人の人間が裸一つでも食べていけるか、集団の中ではなく個人でも大丈夫か、それが問われているように思う。かわぐちかいじの漫画「太陽の黙示録」のように地震で崩壊しなくても、近年の日本の状況を見ると、そんな気もしないでもない。借金によって日本が破綻して、急に失業率が50%ぐらいになってしまったらどうするか。「ま、仕方ない、働くのは別に日本でなくてもいいんだし」と思えないといけないんじゃないか。

貯金だってアルゼンチンのデフォルトを考えれば吹き飛んだっておかしくない、超インフレが起こって日本円なんて紙屑になる可能性にだってあるんだし、日本が無くなったら日本語だって意味のない世界が来る。

今、日本人でどれだけの人が日本を離れて暮らしていけるのだろう。日本の高度成長時代、商社マンが世界を駆けた。その前向きな熱が日本にあるだろうか。いまは留学生の枠すら余っているという。韓国、中国であれば考えられないことだ。

その一方でこれから日本が経済的にどんどん落ち込んでいって、社会的な不満が次々と出てくるだろう。現在、尖閣諸島で中国に対して怒りをあらわにしている日本人も多いがそれは将来の不安の表れかもしれない。本当に前を向いている時代ならそんなことは対して気にも留めない。自分の生活が生涯安定している人もそうだろう。
ただ、中国やアメリカへの今のような外交を続けていると将来に不安と不満をためた日本人が過激な、、(ファシスト的な)大衆運動に行ってしまうんじゃないだろうか。いま、日本人は中国の過激なデモをテレビで見ているけれども、それは20年後の日本の姿になるかもしれない。

僕らの世代は国境を飛び越え、グローバリズムを飛び越え、すでに世界は極端にいえばただの土地だし、僕らの共有の庭なのだ。プロジェクトごとに世界中から人が集まりチームを作る。海外でプロジェクトをしていればそんな風にも思う。この感覚はきっと僕らの世代のスタンダードじゃないんだろうか。

そんなことを思えば一国に対して憂いても仕方がないような気もするのだ。もう僕らは一介の国の村人でいられず、飽和する世界をどのように運営していくか、という世代なのだから。
 
関連記事
[2010/10/29 02:25] | 上海日誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
<<上海日誌-67「国のかたちの一側面」 | ホーム | 上海日誌-65「エクスポの終り、袖の下」>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://hirokijourney.blog35.fc2.com/tb.php/431-eb4c7ded
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |