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上海日誌-46「国が違えば習慣も違う」
人間は持って生まれたバックグラウンドからは離れられない。旅に出て、見て、自分の中の日本に縛られた価値観から離れようとしても難しいのだ。逆にそれを前提として考えないと他国への見解を間違えるのではないだろうか。

 日本と欧米など違いが大きくはっきりしているものは大丈夫なのだけど、アジアと日本は基本が似ている分、本質的な価値観すら国ごとに違っている事に気付かないもの。

 例えばこういうこと。

日本は陶磁器の茶碗と木の箸を使うが、韓国ではステンレス製の茶碗と箸を用いる。日本人としてみれば、ステンレス製の箸はどうも口当たりが悪く、手に持った感触も冷たくどうも味気なく感じてしまう。しかし、韓国人にとってはキラキラと輝く韓国の食器は品よく見える。韓国ではかつて上流階級では真鍮の食器を使い、一般庶民は陶磁器を使うのが普通だった。そのため、庶民にはそれがあこがれであった。戦後に経済的な余裕が在る家庭から新中性の食器をそろえるようになったが値がたかいために、一般には普及しなかった。それが、40
年ほど前にステンレス製の食器が発売されると一気に全国に普及した。 日本では金属の茶碗と言えば犬のお皿のような物だが、韓国では陶器の食器こそ犬の食器だ。
 靴の置き方も、日本では靴を脱いだら外に向けて置いたりするものだが、韓国では早く出て行けの意味にもなってしまう。
 言葉の問題は深刻だ。韓国では受動態の表現が少ない。そうなると「させて頂く」なんて表現は決して使える事もなく、韓国の人にとっては非常に卑屈な表現に聞こえる。日本人がこれを例えば韓国語で受動態的表現を使おうとすれば、なんと卑屈な人間だろうと思われる。もちろん韓国人が日本でどうも傲慢なように感じ取られているのも、彼らに単純に表現するバックグランドがないだけなのだ。気持ちなど関係なく表現方法だけの違いであるのにも関わらず、日本人は特に表面的な礼儀や言葉尻をつかむので、あれこれと感情のいざこざが起こる。


 もちろん中国もそうだ。些細な事の習慣の違い、教育の違い、違いは在るのだ。たとえば日本は社会的なネットワークの一員ということで手助けや便宜がはかられるが、中国では伝統的には血縁共同体を単位とした生活であるから、その他で他人と信頼関係をつくるにはより強い情の結びつきが必要になる。日本の場合はより緩やかな血縁主義というか地域共同体、非血縁を含んで営まれてきた。だからことさら強い情感で結びつかなくても、相手を信頼できないということにはならない。


 つい言葉が完全に通じるような人がいると、日本人のように接してしまうこともある。その分、バックグラウンドの違いがある事に気付かずに、自分の解釈で相手を判断してしまう事がある。相手に悪気もなにもないにも関わらずだ。常に物事を相対化し、可能な限り自分の常識を取り外して考えなければならん。それは日本にいても海外にいても同じだろう。

 
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[2010/02/04 04:03] | 上海日誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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