スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 | page top
上海日誌-27「顔を立てるのか、建築を建てるのか」
 全ての設計という訳ではないが、中国の設計は本当に穴だらけ、整理というものがされていない。予算や仕上げの質、ターゲット等が明確ではないまま、夢見がちなまま進む。しかし、最後に建築を作るとなれば当然現実を見ざるを得ない。まったく整理をされていない仕上げ、構造、予算管理。おまけに設備を先に抑えていないものだから、後から後から必要なものが出てくる。しかも、あれこれ多種多様な要望が一元化されないまま具現化されてくる。
 3、4日図面を見ないと、訳の分からないものが次々と生まれてくる。こうして中国の建築は緻密からかけ離れて乱雑、大雑把になっていく。

 関わっている建築もその段階を迎えている。コントロールは難しい。なぜこうなったかを把握するので一苦労、こうすれば出来るのは分かっていても、最終図面を書くのは設計院、クライアントの予算によっても変わるし、施工段階でも大丈夫か、、、そう考えると半ば悟ったように簡単にしておいた方が無難とすら考えてしまう。もしくは以前に書いたように、何が変わっても雰囲気が変わらない「カレー粉」のデザインをしておくかだ。

 このように後から問題が起こる理由は決定的な経験不足は当然として、各会議ごとの整理(ほぼ口伝)や計画段階でのスキーム作成不足に加えて中国的な考え方にも起因する部分があると私は思う。

それは「人の顔を立てる」という慣習だ。

 中国では何か相手から要望が出た場合、全てを断ると後々人間関係にこじれが出る。中国では人間関係が日本より重要視される国だから絶対に全てをNOとは言わない。どこかで相手の顔を立てるのだ。中国でいつも頭に来る値引き交渉の仕組みも、はじめから最低金額を出しておいて、相手から安くしてくれと言われても1元も安くできないのは相手のメンツを潰すことになるのだ。だからこそ、最低価格よりはじめから値段を高く設定しておいて、相手の安くしてくれという要望に応える余地を残しておく訳だ。(面倒な事だ)

 建築をつくるにもその考え方が入る。様々な提案やらアイディアがいろんな人から出てくる。しかし、それらの考えが矛盾する事も多々ある。しかし、これらに対して、いちいち全てに顔を立てようというのだから困ってしまう。ダメなものはダメと理論的に整頓すればいいのだが、そうもいかない慣習が根底にある。これでは統合された考えをもった建築など到底創れない。加えて相手(例えばクライアント)の意見が間違っている可能性があると知りつつも、とりあえずその場しのぎで相手の意見を反映させることもある。そうなると後々設備に負担がかかったり、法的に問題が出てきたりするのだ。一言、説明すればいいのに、みんな幸せになれるだろうにと思っても慣習なのだ。
 
 また、プレゼンテーションに対するクライアントの反応の見極めも難しい。相手は決して直接的に、そして具体的には評価を言わない。日本でもクライアントが具体的にどんな空間を作ればいいかを教えてくれる訳ではない。考えるのは当然建築家の仕事だ。しかし、何を求めているのか、何が気に入らないか、気に入っているのかさっぱり推測できない場合が多い。相手に信頼してもらえれば、自分が作ったものは全て「正」になるのだが、中途半端な場合はさっぱり分からない。

 いい建築を創るにはどうすればいいのか、格闘の日々。設計の勉強というより、中国を勉強させてもらっている気がする。いい経験をさせてもらっている。今、中国のど真ん中にいる。
関連記事
[2009/09/02 01:10] | 上海日誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
<<上海日誌-28「世界で最も共産主義の似合わないこの国で。」 | ホーム | 上海日誌-26「一年前のこの日、僕は確かにここにいた。」>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://hirokijourney.blog35.fc2.com/tb.php/374-8ecf4474
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。