帰国/旅の終わりに
 日本を発って9ヶ月半。駆け足、表面的ではあるけれど48カ国の国々を巡った。以前の旅行と合わせると計約一年半で66カ国を巡った事になる。世界には193の国があるので、単純計算して世界の1/3を眺めた事になる。


その中にはたった一日しか滞在しなかった国もあるし、それらの国々を理解したとは決して言えない。研究室時代に研究していたベトナムでさえ理解からはほど遠い。母国の日本ですらそうだろう。


 道中、様々な国の人と出会い、語り合った。もちろん様々な発見もあるし、心から人に触れ合った。本当に楽しかったし、本当にいい旅だったと言いきれる。この9ヶ月半の全ての日を鮮明に思い出せる。一日として忘れられる日はない。
 しかし、どんなに楽しくても旅は所詮「旅」でしかない。自分探しの旅なんて聞かれることもあるけれど何も変わらない。30歳近くなって人が劇的に変わることはない。僕は僕のままだ。また、建築と都市計画の道をしっかり歩んでいきたい。


 忘れることの出来ない多くの思い出と各国で出来た友達がこの旅で僕が得た財産だ。また、世界を眺めていく中でいくつかの視点を得られることが出来た。それから少々の知識。当たり前のことばかりのような気もするが某美禄として思いつくものを列挙しておきたい。


「国土と人口」
 国を知るときにはまず国土(気候、面積、天然資源、農地、対他国位置、港etc)と人口(人口、人口比率、民族構成、人口増加率etc)の2つに着目する。この2つはその国の歴史理解や現状分析、これからの問題点を読みとくのに実に役立つ。
 この組み合わせでまず考えられる事は国民が飢える事なく食べていける国かどうかだ。気候は農業に適しているか、人口に対する農地面積はどうか。人口増加に対する農業対策は万全か。これが達成できていない国は本質的に安定を欠く。土台が落ち着かないままに戦略的な国家運営を強いられるからだ
 今日の世界恐慌で資源に頼らない経済のもろさが改めて露呈した。アイルランドなどがいい例だ。資源等のない国は資本主義経済の中で流通を回す側、資本を集める方向に立ち回る。アイルランドは漁業などが中心のEU内の最貧国の一つであったが株等の資金を集める事によって金持ち国家になった。しかし、今では恐慌による煽りを120%受ける事になる。

 資源のない国は国家の運営方針を明確に定める必要がある。国民を食べさせられるけれども、資源のない国は工業国になる、貿易の中心地になる等の選択が求められる。資源のない国ほど他国との関係もより重視しなくてはならない。これはアラブ世界で国家ごとの違いが顕著だった。UAEやオマーン等の産油国とヨルダンやエジプトでは政策がまるっきり異なる。
 国家運営は国が世界のどこに位置するかによって立ち振る舞いが異なる。どの地域に国が属しているか、ハミルトンの「文明の衝突」ではないが地理的な文化圏も関与してくる。

 実際に国の土地を見て、国土と人口の将来統計資料をちょっと片手に置くだけで世界が見えてくる。現状だけを見て考えるよりもずっと見えてくる。日本の国土は約38万k㎡。タイの3分の2ほど。人口は1億2千万人で世界の人口の1/50ほどを抱えている。けれども世界の人口が100億へと到達するとき日本の人口は7000万人ほどになっている。比率は1/140ほどになり、日本人は世界人口に対してマイノリティになる。
 温暖で多様な気候帯をもち、土壌も優れている日本の国土は世界でも最も恵まれた環境の一つ。そんな国が50年後マイノリティの国民(日本人)に占有されている状況となる。このとき世界の人口密度は過密しているのに対してだ。これは世界にどのように映るだろうか。


【普遍化する世界】
 言うまでもなく近年の世界の変化はめまぐるしい。モノもどんどん流通する。人も街も景色がどんどん変わってきている。中国など3年行かなければすっかり変容している。美しい街や土着文化が残っていると言われた村も世界中同じようになってきている。どんな奥地の民族でも民族衣装の下にはアニメやプロレスラーの写真がプリントされたTシャツを着ていたりする時代。世界は確実につまらなくなっている。しかし、それを意識する事が大事だ。その上で自らの文化を真剣に考える事だ。


【染み付いた慣習】
 街が新しく建て替えられ、大量にモノが入れ替わっていく一方で人の慣習はなかなか変わらない。例えば、衣装は変わっても食べ物は変わらない。目に見えるものが先に変わっていく。人の慣習は姿/形が変わっても残り続ける。そこにズレがあるときはそこから考えていけばいい。ズレが完全になくなる前に姿/形を土地に合うように変化させる事が出来る。世界にはそれがまだ間に合うところがあるのだ。


【文化と形式化】
 慣習というのは人の体に染み付いたものだ。その慣習は土地、風土によって生み出されたものだ。すべてのものは風土から生まれる。建築も宗教もだ。それが度のかのタイミングで形式化(ないし様式化)されると風土に関係なく伝播していってしまう。それが過去においても、現代に置いても世界を普遍化させている。いい意味でも悪い意味でもだ。


【故郷】
 人の望郷心も最後まで残る。そこに住んでいる人は郷土愛といってもいい。土地に対する思いはなにも経済的な理由からくるものだけではない。人の心。自分がその土地の人間であることを切望する表れとしか言いようがない。人は土地を離れない。引っ越しは実はごく一部の人間のためである。
 人が土地に固執するが故に争っていることも多い。例えばパレスチナ。ここで彼らの思いを聞いて歩いた。あの状況でも自分の土地を愛している。自らの土地と信じているからだ。これまで住んだ事がない子供世代でも土地に執着しているのは驚きだった。そもそもイスラエルは自らの土地と狂信するユダヤ人の望郷心が湾曲した形で示した結果だ。人は本質的に土地に寄り添い、故郷にしがみつく生き物なのかもしれない。


【共通知】
 人類は突き詰めていくとアフリカのたった一人の女性に行き着くらしい。人類はたった一人の人間だった。人は共通知を持っている。各地の文化財や遺跡を見る中で人間は60億人という種族全体で一つの生物なのかと考えこむこともあった。ある文化と遠く離れた土地に同じような文化があったりする。人は頭の奥深くに遠い記憶を共有していると僕は信じる。人は同じ環境下では同じような構築の意思を持ち、霊的(と思える場所)に宗教施設を構築している。土着の文化を知れば知るほど、人間が共通の何かによって動かされているような気がしてくる。科学の発展の中で、この共通知を意識しなくなっている。共通知は私達の中にもある。それに意識を傾ける事で自分の中にある「人の本質」に近づけるのではないか。自分は意識の底で世界の人間と繋がっている。旅こそが、その深い意識の片鱗に近づくことができる手段のように思う。


【宗教対立ではなく経済問題】
 世界の動乱は宗教ではなく経済格差が生み出している。世界の全ての人が豊かでお腹いっぱい食べられていれば戦争など起こらない。限りある富を巡って圧力を掛け合い、不平等が起こり、テロや戦争が起こる。イスラム原理主義もその母体となるイスラム貧困層の不満がなくなれば支持基盤を失う。狂気的な一部の集団は残るとしても、本質的には自然と消滅する。
 イスラエルですらパレスチナ人とユダヤ人の収入が全く同じであったならば状況は大きく変わっているだろう。


【根深い民族問題】
 国家はNATIONと書く。一方でNATIONとは民族をも意味する。つまり国=民族であると日本語では書く。しかし、文化情報共同体である民族が必ずしも一つの統治機構を持ち得るとは限らない。しかし、これにヤルタ会議で示された1民族1国家の考え方が国と民族を同一化させようとうする。実際には不可避である統治機構作りによって限られた土地を民族間で奪い合う事になる。そしてこの問題を非常に根深い。民族間が重ねてきた憎しみの歴史があるからだ。民族など意味はないと日本人は単純に考えてしまうが、それは逆に日本が単一民族国家という特殊な国であることを意識する必要がある。パレスチナ、コソボ、クルド人、セルビア、、、宗教対立よりも民族対立の方が感情に基づくものだ。民族問題など関係のなさそうな国でさえ、貿易の量が減ってしまったり中立国の会社が入る事で流通していることがある。民族問題とは少し異なるが、日本人がアジアでどのように考えられてきたか意識して立ち振る舞う必要がある。


【日本人の特質性】
 日本人の文化が生活、慣習だけなくほぼ単一民族であるがゆえに国の在り方まで強く影響している事も自覚する必要がある。日本人の特質から派生したものとして「制度疲弊」がある。制度だけが固く立ち上がってしまって、意味のない重荷を日本人全体が背負われている。最近の簡単な事例で言えば駐車違反。まったく取り締まる事の必要のない場所でも捕まえるということがある。駐車禁止以外の解決策も考えずにだ。
 また対人疲弊も日本の特質からくる。村的社会、他人との付き合いの中でよけいな仕事をしている状況も脱せてない。会社同士の関係でも、一方が無料奉仕させられるような状況は特殊だと言っていい。例えばある事業者が複数他社に声をかけて仕事をさせる、争わせて一社を選ぶというのは、局所的には成功するが他の多くの労働者がただ働きするというのは、日本全体の国力低下であると理解しなければならない。日本は世界でも最も優秀な国ではあるが、労働効率は世界最低でもある。



 知識は自らの体験によって本物の知になる。仏陀は説法の中で知は3段階あるという。聞いた「知」、教わった「知」、そして体験した「知」だ。世界はなにもテレビや本の中にある訳ではない。うっすらとでも世界を眺めて旅をするというだけでも世界の捉え方は本物になる。(と思う)


 これからは日本で少しでもこの「知」を生かしたい。自分の中に残っている旅の感覚も役に立てたい。帰国時ですら日本に「帰る」というより日本に「行く」という感覚だった。今、日本が新鮮だ。そして日本の都市のいいところ悪いところを旅立ち前よりも見る事が出来る気がする。都市計画に関わるものとして世界と比較しながら考える事が出来るのは(直接役に立たなくても)面白い。自分の仕事がもっともっと楽しく、好きになりそうだ。


今日も世界のあちこちで人が毎日を生きている。

アンデス山脈でリャマを追う子供、

広場で太極拳をいそしむ中国のおばちゃん、

パレスチナ解放を目指して戦う戦士、

嘆きの壁の前で頭を振り続けるユダヤ人、

オープンテラスでワインを楽しむイタリア人、

ゴミを拾い集めるブラジルのストリートチルドレン、

砂漠の空の下で眠る遊牧民、

みんな今日を生きている。一生懸命に毎日を。

僕も彼らを感じながら一生懸命生きたい。同じ空の下、繋がっているのだ。



世界は今日も動いている。
GJスケッチ後ろ姿
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[2008/11/15 19:45] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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