[080613]Assisi → Perugia → Firenze 
 チリで一緒にトレッキングをしたイタリア人が「トスカーナ地方はイタリアのハートだ。」と語っていたが、確かに美しい。

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 アッシジの本物の石の街並みを見てしまうと、イタリア風テーマパークショッピングセンターや~風ショッピングモールがいかに恥ずかしいことかと分かる。もちろん、日本だからといって純和風ショッピングモールを作ればよいというわけではない。いかに丁寧に保存するかが重要なのだが、それはもはや日本に存在しない。極端に言えば日本ではデザインが目指すアイデンティティを失っているのだ。
 日本だけがこんな「~風」を目指すかといえば、そんなことはない。アメリカもやっているし、他の国もそうだろう。ただ、これらの新しい~風街並みはあくまで作為的に作られたものだ。人は行ったことのない「~の国の」イメージの世界に生きることになる。知らず知らずに、本物だった世界が偽モノによって刷りかえられていく。
 マチュピチュを見て日本人が「ラピュタみたいだ!」と叫ぶことを「逆転現象」と呼んでいる。人の知ってる世界は、一体どこまでが偽のイメージで作り上げられたものなのだろうか。自分にあるイメージ世界をどれだけ正せるか、この旅のテーマだ。

 周辺には平地が広がっているが、丘陵地にのみ街並みがある。城砦としての都市の成り立ちを考えると、丘陵地にこの街並みが作られた理由が理解できる。しかし、最早その理由は存在しない。
日本は山城から平城に移り替わったときも都市のそれとは連動しなかった。山城の頃は武士といっても殆んど農民として暮らしていて、いざ戦というときだけ城に集まったためだろう。(資料がないので不確かですが)
 もはや丘陵地に住む必要がなくなっても、その街を愛し続けて都市を永らえさせたのではないだろうか。もし、日本に丘陵地に過去から続く街並みが残っていたらどうだろうか。ストックにならない木造住宅だったいうことも大きな理由だが、日本では丘陵地に敢えて住み続けないのではないだろうか。


 ペルージャはアッシジよりも規模の大きな町だがなかなか見ごたえがある街並みだった。旧市街にいくまでにきつい山を登らなければならないが、所々にエスカレータ-が設置されている。これは歩行者にはありがたい。
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 フィレンツェに来ると驚かされる。実にイタリアの都市は多様だ。かつて国が一つではなく多数の小国に別れていたとは言えこれほどまで違うとは。階高も素材も様式も街の骨格も異なる。楽しませてくれる。

それにしてもオランダは強い。
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