[080421] Brasilia
 ブラジリアはブラジルを代表する2人の建築家オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタによって計画された歴史を持たない首都だ。この都市を空から眺めると鳥が羽を広げているような形態をしている。ブラジリアはまだ年月を重ねていないにも関わらず世界遺産に登録されている。ブラジリアを訪れることは今回のブラジル旅行の目的の一つだった。

 ブラジリアは近代都市計画理論、つまりスーパーブロックは近隣住区論、ゾーニングシステムなど当時革新的な理論をつぎ込んで作られた計画都市である。このような計画都市では他にル・コルビジェの手によるインド・チャンディガールが有名だ。しかし、近代都市計画理論はジェーン・ジェイコブス「アメリカ大都市の生と死」の著書に代表されるように80年代以降徹底的に批判された。チャンディガールは確かにインドの密度や身体感覚、生活水準等により理論通りの街と評価をすることが難しい。しかし、ブラジリアはいくつかの評論家が批判するよりも機能しているように思えた。


ゾーニングはされていても全ての建築をコントロールできるわけではない。そのため、都市空間の密度は高くはない。しかし、バスステーションを中心とした交通システムやブラジルの車所有率のことを考慮すれば生活するのには十分である。それにブラジリアは首都機能を第一の目的としている。ここには都市臭さや人間臭さはあまりない。その生活密度を強く考慮する必要はない。


 
 朝からドン・ボスコ寺院や幾つかの建築。中心部の国会議事堂(Palacio do Congresso National、カテドラル・メトロポリターナ(Catedral Metropolitana)などを精力的にみて回る。それぞれの建築の精度は決して高くない。ただ、都市スケールで捕らえたとき、直感に実に響くのである。オスカー・ニーマイヤーは心に映った形をそのまま建築にしているように思える。彼は彫刻家のような建築家だ。そしてその形態の持つ意味も機能も納得させられてしまう。ぐぅの音も出ない。

 特に感心させられたのは建築を作るときの地形の操作である。カテドラル・メトロポリターナは周囲を水盤で囲み、エントランスは少し離れたところにスロープを設けている。国会議事堂も周囲を掘り下げ一階部分を地階に配している。都市全体の地形もよく考えられている。国会議事堂のある三権広場周辺を最も低い位置に配し、東西に貫く公園からの都市景観軸を作っている。

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 本日はたまたまブラジリア建設48周年で大きなお祭りがあった。なぜ48周年という中途半端な時期に祝うのかというと、BRASILIAの真ん中にあるAとSを4,8と読み替えるとBR48ILIAと読めるというシャレからきている。もし、こんな大きな祭りを毎年しているとしたらブラジルという国を手放しで褒めるしかない。

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 どれだけ大きなお祭りかというと、国会議事堂や教会のある中心部の都市公園に音楽ステージは10つぐらい設置される。FUJI ROCK(日本で夏に行われる音楽の祭典)のような感じだ。あちこちでJazzやロック、テクノ、サンバetc様々な音楽や踊りが奏でられる。加えて航空ショーやサッカー、バレーや気球、果ては戦車まで出るので軽くFUJI ROCKの規模を超える。スポンサーがつくにしろ、一体どんな国家予算の使い方なのだろうか。

素晴らしいお金の使い方である。



 日本の場合、行政がやるお祝いなど伝統音楽やら地元の小学校のステージなど清く正しい祭事にしようとする。これでは若者は心から楽しめないだろう。これではお祭りが本当に盛り上がるわけはない。若い人がなんだかんだいっても最も活力があるはずだ。若い人と取り込むことによって強い活力が生まれる。お祭りがそもそも清く正しいわけがない。

 その分こちらでは子供へのアトラクションも含めて、全て飲み込んでいる。屋台もけちけち硬いこと言わず、一般の人がお祭りを楽しみながら家から用意してきたと思われるコーラや食べ物をあちらこちらで売っている。どんな形にしろお祭りに参加する人が増えるほど、祭りは盛り上がるものだ。

 もう一つ書きたいことがある。こういった祝日で都市内に何十万という人が集まれる空間があるということは素晴らしいことだ。万が一日本がワールドカップで優勝しても集まるべき場所は存在しないのではないだろうか思っても東京の中心、皇居も基本的に閉鎖されている。

 去年、浦和がアジアチャンピオンズリーグで優勝したとき私は狂喜した。とにかく、浦和レッズサポーターが集まる酒場「力」に向かった。そこは上から下からビールが掛けられる騒ぎだったが、ふと思えばそこはあくまで小さな商店通りである。さいたま市が何か市民に提供しているような場所ではない。せめて市役所前に巨大モニターが設置されて、そこに行けば楽しめるというような環境を作って欲しかった。自分の街を寂しく思った。
 このエピソードで何がいいたいかというと、都市空間には人が集まるべき場所が常にあることが大事だと思うのです。
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[2008/04/21 08:14] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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