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[080419] Buenos Aires
 またしてもスケッチブックがなくなっていることに気づく。「人のスケッチブックを盗んでどうするんだ。」と思うが、そんなことはない。自分がどこかで忘れたか落としたのだ。なくしたのはこれまた、ぎっしりと詰め込んだ水彩用スケッチブックだった。描き終わりかけだったので痛い。これで南米での1ヶ月にわたる旅行のスケッチをほぼ全て失くした。スケッチを自分の思い出=記憶とするならば、自分の旅行の思い出を消去されたと同じことになる。しかし、僕は不思議とあまり喪失感を感じていない。僕にとってスケッチしたものが記憶媒体そのものではなくて、スケッチすること自体が記憶をするための儀式だからだ。スケッチされたもの=スケッチブックは記憶を呼び起こしやすくはするが、スケッチをすることによって既に体の中に風景や音が染み込んでいるのだ。とすれば、スケッチブックがなくなったことによって人に見せられないし、自分でも読み返すことはできないが大した問題ではないのだ。と妙な説明を自分にして慰める。

しかし、あぁ、残念だ。せめて写真に残して置けばよかった。

どんなに自分を納得させようとしても失くすには惜しい、ということで一縷の望みをかけて再びクシェット邸のあるラ・プラタへ。たぶん写真を撮ったときに置き忘れたのだ。
置き忘れたと思われる場所では見つからなかった。誰かに拾われたのだろう。確信を持って言えるが拾ってすぐに捨てられるような代物ではない。それなりの質と量がある。おもしろがって誰かが家に持って帰ったのだと思う。住所も書いていないので戻ってくることはない。
 ただ、こんな風に考えればちょっとは気が救われる。拾った人が15歳くらいの少年だったとする。彼は旅の日付と様々な町や氷河、山々のスケッチを見て「いつか旅をしてみたい」とか思うかも知れない。彼が旅をする中で成長したり、誰かと出会ったり、もしかしたら建築に興味を持つかもしれない。僕が失くした偶然によって、スケッチブックが少年の世界をなんらかの形で広げるのだ。もしかしたらビールのスケッチによって「飲んだくれ」になるかもしれないが。

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 ブエノスアイレスには紹介すべきレコレータ墓地やカミニートなどの場所があるが4年前に全て回っている。私は人の名前などすぐに忘れてしまうが建築空間に関しては記憶が良いらしい。街歩くと4年前に行ったレストランや以前と同じ落書きなども発見することが出来た。そのため一縷の望みをかけて昼の時間をスケッチブック探索に使うことが出来た。2日間通常の観光地に結局どこにも行っていない。

夜は世界的にも有名な地元チーム・ボカジュニアーズのサッカー試合観戦。一番安い席を購入しスタジアムへ。ボカを応援する地元民がいるバックスタンドだ。
バックスタンド通路に入って思うのは、まず「臭い」ということ。ハーフタイムにトイレに行くのがめんどくさいので階段がある通路で用を足す人間が多いのだ。階段は小便の流れる滝となる。その臭いが残っているのである。
日本でサッカー観戦していると、攻撃システムの話やオフサイドなどを独り言で語る解説おじさんがいる。アルゼンチンでは解説おじさんはいない。皆、聞くに堪えない単純な単語を吐いている。大体が「馬鹿!」とか「F×××」とスペイン語で叫んでいる。少し長くなっても「お前の母ちゃんでべそ」等の罵り言葉であろう。

サッカーの内容はというと体同士のぶつかりが実に激しい。日本ではファウルになりそうなものがファウルにならない。高校のときの先生がJリーグの審判をしていた。南米でも笛を吹いたことがあるそうで授業中にその話をしてくれた。南米ではなかなかファウルを取ってくれないので選手はタックルを受けて転んでよいか倒れる前に審判にアイコンタクトを取るそうだ。
選手「倒れてもいいか、ファウルとってくれるよな」
審判「わかった。ファウルを取る。安心して倒れろ」
そういう会話が一瞬のうちに交わされてるようだ。なかなか選手は大変である。

 再び観客を見ると実に激しい。歌を歌い、叫び、跳ねる。全員が跳ねるのでスタジアムが一種の生き物のように動く。ただ、建築に携わる私としてはちょっと怖くなったりする。というのも、以前スタジアムがこの飛び跳ねのせいで崩壊したことがあるからだ。物体には全て固有周期がある。その周期が観客のジャンプの周期と合致して共鳴してしまうと、恐ろしいモーメント力が端部に発生してしまう。構造は大丈夫なのだろうか。
 
応援は確かにすごいが、わがホームタウンチーム浦和レッズサポーターも負けてはいない。スタジアム全体ということを考えれば、浦和の方がすごいかもしれない。ただサッカー評論家の金子さんがコラムに書いていたように、勝っていても負けていても応援をし続けているのはサッカーを見るより応援が主になっている感はある。
(※浦和レッズのホームゲームを見ていない方は是非スタジアムに来てみて欲しいと思います。ただ、応援して本当に楽しくなるにはそのチームが本当に好きならないといけません。歌を大声で歌えないと気持ちよくないですし、回りの人と一体となって初めてトランス状態のような心地の良い感覚を得られるからです。)

 ボカが得点するとスタジアムは歓喜に包まれる。歓びの声がこだまする。人は喜ぶと回りに感化させる気を発するのだと思う。この歓びの波動が全て人々から発せられ体が身震いするほどの共感を得る。これはさすがにスタジアムならではだ。

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試合はボカが一度は追い付かれつつも、追加点で勝利。最後の方はボカの応援歌が一層激しくなっていた。思えばサッカースタジアムというのは現代におけるコロッセオのようなものかもしれない。ボカが弱いチームをやっつける。3万人を前にした公開処刑だ。政治状況も悪い中、人々の関心をそらす格好の道具なのかもしれない。

試合が終わった後は気持ち良く、力の限り相手チームサポーターを罵る。まず放送できない汚い言葉を発する。罵る姿、仕草にも間違いなくモザイクが必要。ボカのサポーターがいる立ち見席では、試合後30分以上外には出られない。なぜなら相手サポーターがいたら間違いなく乱闘になるからだ。30分勝利に酔いしれ、残り5分ぐらいは外に出られないことへの不満の叫びを警官に向けて発している。

今日のボカサポーターが飲むビールは最高に旨いだろう。もちろん僕のも旨かった。
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[2008/04/19 12:42] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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