「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」門田隆将
 震災から1週間の情報の錯綜ぶりを思い出すと、いかにメディア、書き手が、情報を自分の捉えたように、思い込みで悪く言えば、歪めて書いているのかが分かる一冊。あのときは情報すら世の中に存在していなかった。 絶望的な状況の中で、各関係者がどのように未曾有の危機に対して、挑んだのか、1人称の視点で描かれている。

を読んで、まず震災から2日後に内田樹氏のブログに書かれていた「未曾有の災害のときに」の項目を思い出した
http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php

一部、抜粋すると
「いまはオールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、無能力をなじったりすることは控えるべきだ。彼らは今もこれからもその公的立場上、救援活動と復興活動の主体とならなければならない。不眠不休の激務にあたっている人々は物心両面での支援を必要としている。モラルサポートを惜しむべきときではない。」

「私たちは私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべきだろう。」

と書かれている、しかし、それに対して、如何にマスコミは、とにかく非難に徹したのだろうか。そして、僕らも、現場で頑張っている人間に想いも寄せずに、東電は能無し、無能、逃げ出しているという言葉のみを信じてはいなかったか。
(管首相も情報がない中で、全力を尽くしたのは認めるが、結果、邪魔をするばかりで無能さを呈したのだが)

 得た情報をただ読むだけ、避難するだけは簡単だ。しかし、私たちは与えられた情報から、そこで私たちと同様に家族を持ち、感情も、自分よりも優れた知性も持っている人間が見えない所で苦しみ、頑張っている事を想像すべきなのだ。それができないと、遠い世界でアフリカの子供達が飢餓でなくなっていても、単なる死者の数字の羅列のみを数えることになる。僕らに求められているのは、血が通った想像力だ。

マスコミのミスリードで最近も朝日新聞の特集記事がある。朝日新聞では、多くの東電職員が吉田所長の命令に背いて、第二センター(二F)に逃げたと書かれていたが、これには門田氏も強く抗議している。

一つ、「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」から抜粋する。

「この後、私たちは、また中操にいくんですけど、もう覚悟を決めた人間ですから、行くのはどうということはなかったです。それより、こいつまで殺しちゃうのか、と心配しなくちゃいけない人間はみんないなくなって”死んでもいい人間”だけになりましたから。悲壮感っていうよりも、どこか爽やかな感じがありました」

 これが現地での戦い抜いた人間の率直な感想だった。そして、最低限の人数を残した上で最後は吉田は各人に任せたとが管理者であった伊沢が述懐している。そして、一度、避難した人間も次の日にはまた再び危険な現場に戻って来ていた。
 
 朝日新聞はなぜ、人目を奪うためだけに、情報を意図的にミスリードしているのか。そして、我々はそれを、なぜ、盲目的に信じてしまうのか自戒を込めて問いたい。
 すでに自己調査委によって、詳細な報告書も出ているが、それを読んで語る人はどれだけいるのか。

 このノンフェクション作品は、まず、読み手を緊迫した当時の福島の現場に連れて行ってくれる読む価値のある作品だった。是非、お勧めしたい。

[2014/06/18 23:23] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ブラズーガとロバート・ブール・マルクス
2014年のworld cup 公式級ブラズーガはリオデジャネイロやコパカバーナの舗装をデザインした ブラジル人ランドスケープアーキテクトのBurle Marx 氏にインスパイアされたものだ。Burleのデザインは、もはやブラジルのデザインのアイデンティティになっている!

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[2014/06/15 21:28] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
書評【世界遺産 ユネスコ事務局長は訴える」松浦晃一郎
■世界遺産の政治的利用の内情が垣間見られる一冊

 著者の松浦晃一郎氏は日本人初のユネスコ事務局長であり、無形世界遺産を推進し、これを設立した人としても知られている。この松浦氏が世界遺産についての基礎知識を解説し、自分の体験談を記述している本。ただ、文章は練られておらず、図は自分が行った場所の写真が貼られている程度で、分かりやすい図もなく、教科書的な役割としては落第点の本。ユネスコ事務局長時代に原稿を書いているため、時間が余り掛けられていないのだろう。ある意味、仕方がない。

 この本で注目したいのは松浦氏が描く、界遺産を通じた政治的な判断や駆け引きである。世界遺産が学術的な文化財保存の論理よりも、政治的な判断が優先されることを直接は言わないまでも、実際はそうであることの内情を示している。
 世界遺産取得は政治的なゲームである。作業指針やノミネーションや世界遺産委員会、ICOMOSなどその基礎となるルールブックがあるという程度である。このルールを、守るではなく、参考にしつつ、全ては政治的に決定される。あくまで、世界遺産が存在することで世界が少しは、より「良い」方向に進むのであれば、ユネスコは世界遺産というツールを活用しようということだ。世界遺産を学べば、色んな所に矛盾点があることが分かる。しかし、そんな矛盾を考えること自体が無意味である。
 世界遺産に対して、文化的な価値の大小や論理性を求めること自体が無意味であることが読み取れる一冊。
[2014/06/11 21:10] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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