原発被災高齢者の故郷への早期帰還は、放射線量関係なく進めても良いのではないか。
 オリンピックが2020年に東京で開催されることが決まった。

しかし、福島の人々の気持ちは複雑だ。東京の為に福島の復興が遅れるのではないかとか、復興資金や建設要員が回ってこないのではという不安、オリンピックでの安全をアピールするために根拠なく安全と言われても堪らないという疑心、実際の収束を期待をするのではなく責任を後で追求するために安倍首相の安全という言質を取ったという気持ち、このように、原発被災者はオリンピックが日本で開催するのを祝福したいけれども素直に喜べない、そしてそれを大きく声を出して言えない苦渋の気持ちがある。

 本当に機嫌内に放射能を取り去ってもらおう、原発に近い海岸沿いの「浜通り」を聖火ランナーに走らせよう、安倍首相には責任とって そこを走ってもらわおうと、という声もある。けれど、実際には放射能物質が7年後に消え去ることは、まずあり得ない。
 また、放射能物質があったにしろ、放射能による健康被害が実際出るのか、出ないのか、出るにしろ程度の問題として捉えることもあろうが、、子どもの安全を第一に考えるのであれば最低30年程は従前地に住むべきではなく、子ども世代は安全を第一に考えて決して立ち入らせないというのが基本的な方針であるべきだろう。

 実際に帰還への基本的方針を策定しても、元となる線量の安全基準が揺らいでいるから問題は根深い。現在の避難区域だけが危ないのか、避難している先すら危ないのか。多くの人は、政府も専門家も信じられず、かといってwebに流れる自称「真実」の放射能の恐怖を煽る情報を信じている人も少ないだろう。何が正しいのか、サッパリ分からない。ちゃんと放射能の恐ろしさを勉強をしようと、根拠の曖昧なweb情報を信じる人もいる。震災直後の最も危険な2週間を避難対象地区にいた人でも、たかだかレントゲン検査一回分の被爆量であったりするのに、既に奇形の子どもが生まれた、甲状腺癌になったと報告する人もいる。もちろん、僕には科学的なことは分からない。けれど、被害の状況を小さく見せたい人の心理も、大きく見せたい人の心理もわかる。


 どんな困難が待ち構えていたとしても、被災地の方々には地元に戻りたい気持ちを持つ人がいる。避難先での生活再建(連携復興まちづくり)は可能性があるし、その重要性は分かるけれど、自分としては、とにかく故郷に戻りたいのだ。このまま普通に考えるならば帰還までには30年は掛かる。しかし、70才となる方々にとって、その期間はとても待てるものではない。とにかく戻りたいと言う。当たり前だし、高齢者の方は全員その思いをもっている。もちろん、従前住んでいた家に戻りたいけれども、そこまでは全員が望んでいない。故郷のなかの線量の比較的少ない場所に集団で済み、本格帰還の為の前線基地としての復興の拠点をつくりたいのだという。仮設住宅で漫然と死んで行くよりも、彼らにとって希望のある行動を取りたいのだという。

 故郷での放射線量が問題になること承知の上だ。本格復興を果たす未来の世代のために、戻れるのか、戻りたいときに戻れるような環境整備するのが自分の仕事だと被災高齢者の方々は考えている。線量が問題であれば、自分たちを実験台にしてほしいという、住みながらその被験体になると申し出てくれている。

 この思いに僕らは上辺だけ正しい 偽善的な判断で「NO」と言えるのか。

 震災直後、多くの引退された技術者が福島第一をコントロールするための決死隊になると、放射能被爆を恐れずに取り組むことを宣言してくれた。しかし、東電は彼らを雇用しなかった。いまも、放射能の専門家ではない人間を含む、下請けの下請けが仕事をこなしている。現在でも作業は危険ないのだろうが、本当に放射能汚染を少しでも早く止めたかったら、命を賭してでも肝心なことを実行せねばならない時もある。汚染の出所を防ぐのが早ければ早い程、将来に渡っての放射能の拡散が著しく減らすことができる。しかし、安全とか人道的とかいう偽善から、その申し出を断った。

 勇気と狭義心ある老人の意志も汲まず、守るべき子どもへの対策も十分ではない。放射能の影響は全年代一定ではない。一定ではないなら、政策も対応も一律にすべきではない。

 被災避難高齢者達が地元で一生を終えたいという気持ちは尊厳死の考え方で考えたい。原発被災者を好きなところで死なせてあげたい。避難指示区域に帰還して、被災者が集まって住むにせよ、公的サービスは多少は必要だ。そのための予算が掛かるというのなら、本来、避難先で必要となる資金を代替えで渡せばいいだけだだろう。
 補償補償というけれど、原発避難民10万人にそれぞれ1億円を補償費としても渡しても、たかだか総額10兆円だ。そんな金はないって声もあるだろうけれど、今後の国土強靭化に200兆円使おうとしているんだからお金は捻出できるはずだ。それに逆説的だが、3.11から原発を稼働しないために燃料費で既に10兆円程の余計に日本から支出が出ている。また、社会保障の予算が毎年36兆円で、毎年1兆円以上の増加。たかだか10兆円と書いておく。配分が難しいとか、他の国民の声から手続きが行えないというのはあるだろうが、出来ることが前提になる。

 原発からの復興において、強制移転による補償が問題となるのは、戻りたいという気持ちより、戻れる、戻れないを曖昧にしていること。強制移転が前提であれば、都市計画道路を掛ける時に土地を買い取るように、きちんと買い取ればいいだけの話。強制的に移転させるいうことを、政府も住民も覚悟を決めなければ避難先で復興など出来ない。これが正論ではある一方、
 ただ、戻れないと決めたとしても、戻りたいという高齢被災者がいる。当然50才以下の住民は安全のため、帰還させない必要があるだろうが、避難先の土地に馴染めない高齢者の帰還まで禁止すべきなのか、僕にはわからない。

 おそらく都市計画としての政策として、住民帰還を許すことは間違っているだろう。ただ、気持ちとして高齢被災者が望むなら、地元に戻って生活してほしいし、その手助けがしたい。

逆説的ではあるが、畑も友人もいない仮設住宅で体を動かさずに体が鈍り、弱っていくぐらいなら、原発被災地での方が自分らしく元気に暮らせる。

復興への希望があれば、生活に張りもでる。

弱って、特養に入らなければならなくなるくらいなら、元気で生きてダメになったら避難先で助け合って生きてもらえばいい。世界各国の製薬会社は、彼らを放射能の被験体として使い、そしてその分、人体実験としての給料を彼らに払うようにすればいい。


死にたいところで死ぬ権利が人間にはあると信じたい。
それでいいはずだ、と声をあげたくなるようにな原発避難者の思いがある。


まとまっていないが、思うところを記しておいた。
[2013/09/18 09:40] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
浪江町から避難民の生活再建をめざして
福島の二本松行われた波江町との合同復興ワークショップ。
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二本松市は危険区域である波江町から約2500人を受け入れている。1つの市に2つの町があるとしたら分かりやすいだろうか。被災以前から二本松市の中心市街地は徐々に元気を失いつつあった。既に未利用建物や空き地も多く見られた。

浪江町からの避難者は自分達の故郷に当然帰りたいが、線量が落ち着かないことには安全な帰還は難しい。帰還の問題はあるが、さしあたり仮設住宅や借り上げ仮設から安定した住まいに移り、生活を再建していく必要がある。浪江町からの避難者は災害復興住宅や生活支援施設、加えてその建設のために土地を必要としている。何もしなければ県営住宅となるため、市街地とも関係ない県の空き地をワザワザ税金を使って造成して、かつ、生活支援施設(商店やサービス施設等)のない場所に災害復興公営住宅を建設しなければならない。早急に進めるには、必要なことではあるが、これはナンセンスだ。

 浪江の支援施設の建設をきっかけにして、二本松市の活力も生み出すことは出来ないか。そして、浪江の人々が本当の故郷に戻る時には、今回、共同で建てた施設は二本松市民に残る。中心市街地に市民が中心となって必要な機能を入れながら、市民によって運営していく。今在る町を前提とした上で、そこに小さく手を加えながらコミュニティの力によって再生していく。福島だろうが、石巻だろうが、どの地方中心市街地でも手法は同じだ。中心市街地に活力を取り戻す為の市民事業。それを二本松と浪江がwin-winの関係で実現する為は国に任せるのではなく、市民の手で事業スキームを組んで行っていく必要がある。

印象だけれども、一緒にやる意義みたいなものを二本松•浪江両者が感じ取って頂いたように思う。


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[2013/09/16 21:07] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
シールを剥がそう
車に乗ってて気になるのは、前を走る車に見えるこのシール。
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排ガス基準を満たしているという趣旨だが購入後もつけておく必要はない。買った服にクールビズのシールを貼って歩いているようなものだろう。でも、おそらく半分近くの車がシールを付けっ放しだ。車のデザイナーが命をかける一方、使い手の無関心。街並みにで起こっている問題と根っこは一緒。

もちろん、カメラについている機能表示のシールも!
[2013/09/16 17:00] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[オリンピック経済波及効果]なんて言葉を使わんでくれ!
オリンピック開催地が東京に決まって本当に嬉しい。正直、国民の意志によって、東京が立候補したわけでもないけれど、日本に決まってくれるとやはり嬉しい。

 その嬉しさを表現するのに、どうも新聞もテレビも、町の人たちの声も、「経済波及効果」を謳う。どうもおかしいと思う。確かに既に誘致に何百億円と税金を使い、オリンピックの会場整備に5000億とかかることに対し、免罪符のようにオリンピックで3兆円の経済波及効果があるなんて書く。正直、高々3兆円だと思う。原発を使わなくなったことで毎年3兆円ほど燃料費高くなっているわけだし、国土強靭化計画なんてのは初案200兆円などと書かれている。だからこそ、高々3兆円。この経済効果をもってして、オリンピックを誘致出来たことを喜ぶというのは、日本人の思考回路自体が、残念ながらワーカホリックと言われる、悲しい変化を遂げてしまったのではないかと思う。

 1964年の東京オリンピックでは戦後の焼け野原から復興を果たし、世界的な平和イベントを世界の皆さんを呼んで開催することができるという世界への報告と、そして、復興をしたんだと言う日本人全員への気持ちを高揚させるものだった。そして、そこで活躍したスポーツマン、関係者は日本全国で更新を育て、今のスポーツでの活躍が生まれるようになった。

 そもそも、IOCがこのように世界各都市を競わせて選ぶというのも基本的に反対だ。確かに都市間で争うことで会場整備のクオリティが上がり、世界の関心を集めることができ、スポンサーからの運営資金も手に入ることだろう。けれども、立候補都市への負担が大きいこと、IOCが汚職の温床になることや、スポーツが政治の材料に使われている側面もあり、基本的に問題だと考えている。各大陸で持ち回りで、ある一定の基準を満たした都市が責任をもって開催するのが本筋だろうと考えている。

話を戻す。

東京オリンピック開催に対する経済効果という言葉は忘れよう。

オリンピックの機会を通じて、どう、世界に日本のことを知ってもらえるか? 国際交流こそ世界平和への道であるし、軍事力よりもよっぽど効果的だ。敢えて、費用対効果が良いと書いてもいい。オリンピックという夢に向かって、日本人の多くの選手が頑張ること、ボランティアやスポーツクラブなどの社会基盤が整うこと。

オリンピックは日本にとって純粋に「お祭り」でいい。温かく人を迎え、人と人を結び、楽しむ。
経済効果なんて言葉で、
オリンピックというお祭りを汚されたくない。
[2013/09/09 14:37] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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