イタリア国内の世界遺産のマネジメントプランの基礎的研究とその展望
****レポートではあるが何処にも掲載しないためBlogに****

1.研究の目的
1-1 研究の背景と目的

ユネスコ世界遺産委員会(以下、委員会)は世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(ユネスコ1972)によって設置され、その目的である“顕著な普遍的価値の文化遺産及び自然遺産の保護に参加する”世界遺産リスト(以下、リスト)を作成している。現在(2013年6月)、リストの中には160の異なる国に属する981の遺産(759の文化遺産、193の自然遺産、29の混合遺産)が登録されている。マネジメントプラン(管理計画)(1)は2002年のブダペスト宣言(2)の中で資産(property)の効果的な保全の必要性の認識がなされ、この結果、新たな登録推薦資産には管理体制の記載が求められることとなった。その後、マネジメントプランの設置に関する項目が2005年の世界遺産の作業指針(3)(以下、作業指針)に結実された。また、作業指針(II.F 保護管理の項目)によればマネジメントプランに必要な項目として、
•立法措置、規制措置、契約による保護措置
•効果的な保護のための境界線の設定
•緩衝地帯
•管理体制
•持続可能な利用 を挙げている。
このマネジメントプランの理論はこれまで多くの研究(4)によって培われてきたものであり、建造物の保護保全などの管理領域の範囲を超えて、広い範囲と体制による管理計画が求められている。2002年から(緊急登録が求められる遺産を除き)新たに審査されるサイトに対しては管理体制の記載が必要になった。しかし、2002年以前から登録されていた世界遺産に対しては、委員会から設置の勧告がなされているが、義務的な設置には至っていないのが課題である。この理由故に2003年以降に登録された世界遺産に比較して、それ以前の世界遺産ではマネジメントプランの設置比率に差がある。また、マネジメントプランが策定されていても、その内容についての検証が十分されておらず、内容が効果的ではないものには改訂の必要がある。
本稿ではイタリアの世界遺産におけるマネジメントプラン設置状況と課題を掴むとともに、我が国にも適用可能なマネジメントプランの策定や改訂に置ける留意点を示すことを目的とする。

1-2 研究の方法と対象
イタリア国内のマネジメントプラン関しては、世界遺産の都市であるフェッラーラに2012年11月〜2013年2月に掛けて3ヶ月滞在し、現地取得文献の翻訳とケーススタディ(主にアッシジ、フェッラーラ、アルベルベッロ)、現地マネジメントプラン関係者へのインタビュー(5)を研究の方法と対象とした。これに加えwebサイト上に公開されているユネスコ世界遺産委員会の資料、またヨーロッパ内での比較対象としてイギリス・エジンバラ等を主な参考とした。

1-3 世界遺産におけるマネジメントプランの背景
世界遺産におけるマネジメントプランは遺跡や建造物単体の保護・保全に限らず、その地域に含まれる環境•経済•文化の統合されたシステムの価値を認めて、その一体となった価値の保存が重要であるという当時の考え方を強く反映したものである。このアプローチへの大きな変換点となったのが1992年の16回委員会にてその重要性を示された文化的風景の概念であろう。文化的景観とは“人間と自然との相互作用の表れ”であり、認知される景観を人による行為を含めて保護していくという考え方に由来している。文化的景観は1992年のリオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議(地球サミット)」でも強く提唱された持続可能な発展(sustainable development)(6)の概念を反映している。持続可能な発展のためには社会、環境、経済の3つの側面からの検討が必要とされた。文化的景観の保全にも上述の3つの側面からのアプローチが求められている。文化的景観は持続可能な土地利用の具体的な技術を反映しており、この伝統的な土地利用の存続は地域の生物多様性を維持する上でも役立つ。
文化的景観への意識が高まる中、必要とされる管理は建築単体への保護施策から持続可能な保全•発展に変化した。世界遺産を含む人の営みや環境を適切に管理する必要性から、様々な利害関係者を巻き込んで管理していくことが前提となった。

2.イタリアの世界遺産の状況
約7,400kmの海岸線、約2,000の考古学地区、約4,500の聖地や修道院, 約100,000の教会。約45,000の城と庭園, 約30,000歴史的居住地、約20,000の歴史的中心市街地, 約3,200の美術館, 約16,000の図書館 (7) 。そして49の世界遺産。これがイタリアでの資産の基本となる数字である。イタリアに存在している世界遺産の数は一つの国としては最多であり、いかにイタリアが資産に恵まれているかが読み取れる。イタリアにある49つの世界遺産のうち自然遺産は4つのみと、ほぼ文化遺産が占めている。なお複合遺産は存在しない。イタリアの世界遺産の登録の傾向を探るため、国内計49サイトの世界遺産登録基準を合算し、分析する。

表1 イタリア世界遺産登録基準の合算値
gassan.png



文化遺産の基準は(ii)が33サイト(67%)、(iv)が36サイト(73%)に代表されるように高い頻度で登録されている。文化遺産は「記念物(Monument)」、「建造物群(Groups of buildings)「遺跡(Sites)」(8)の3種に分けられるが、イタリアの文化遺産の70%以上が「遺跡」として登録されている。つまり、イタリアは単一の記念物や建造物群のみで登録されているのではなく、広い保護区域をもち、農地と一体となった歴史的景観などの複合的な要素を含んでいる傾向がある。また、一般住民の住宅も数多く含まれる歴史的都市が23サイトも登録されている点も特徴的である。この歴史的市街地をどのように維持•発展•制御するかがイタリアにおける大きな課題であり続け、これまで都市計画分野を中心に取り組みが多くなされてきた。


3.イタリア国内の世界遺産におけるマネジメントプラン
3-1 マネジメントプラン策定状況

イタリア国内の世界遺産の文化•自然遺産を管轄する文化省(9)にはイタリア国内の世界遺産の数をさらに増やすだけではなく、各遺産に対して、より質の高い管理システムを設置することが求められた。
イタリアにおいては2004年の文化省によって”世界遺産におけるマネジメントプラン策定と管理体制策定のための指針(10)”が作成された。これを受けて、海外の良事例(主にアングロサクソン諸国)と国内の先行的設置サイト(オルチャ渓谷やノート渓谷のバロック都市群等)での経験を基に、コンサルタントのErnst & Young が加わって2005年にマネジメントプランと管理体制策定の為のモデル教本(11)が作成された。この中では詳細にマネジメントプランの論理的、及び方法論的アプローチが示されており、遺跡としての価値の定義すること、長期的な持続可能な開発目標の決定すること、それらの中短期的に達成する為に必要な計画やプログラムを普遍的価値観の上に土地管理の統合システムとして確立することを述べている。また、実施を達成するための適切な管理体制を評価する為の指標を設置することも示されている。



イタリアモデル-04
図1マネジメントプランの実施までの手順
(2005年作成モデルより、筆者翻訳)

また文化省は2006年に法n.77/2006“ユネスコの保護下に置かれたリストに登録されている世界遺産の文化的、景観的と環境的な目的のためのイタリアの世界遺産の保護と利用の特別措置”を公布した。これにより、イタリアの景観法であるウルバーニ法典(n. 42 /2004)(12)に基づき、イタリア国内の全世界遺産にマネジメントプランの策定が義務づけられた。各世界遺産の管理責任者は法に従い、マネジメント策定作業を行うこととなった。

3-2 作成時における国からのサポート
国からのサポートとして2004年と2006年のマネジメントの作成モデルが作られた。これに加えて、始めの3年間は調査や策定のためのサポートと補助金についても法n.77/2006に記載されている。2006年から2008年にかけて129件のプロジェクトに対して総額10,074,000ユーロの補助金が捻出され、その半分はマネジメントプラン策定のプロセスの為に使用された。法77/2006に記載されている補助金の期限を考慮すると、文化省は当初概ね3年を目処にマネジメントプラン策定を求めたと言えるだろう。


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図2 イタリアにおけるマネジメント作成の流れ
(UPM webサイトの説明書きより筆者作成)


3-3 イタリアに置けるマネジメントプランの設置状況と課題
本来、法n.77/2006に従えば既に全ての世界遺産でマネジメントプランの策定がなされているはずである。しかしながら、マネジメントプランの内容が多分野に渡り、2006年の文化省は提供した策定モデルの水準に合わせた策定どころか、策定自体も各世界遺産管理者にとって困難であった。フェッラーラ大学のフランチェスコ•バディア氏による策定状況調査(13)によれば、2012年3月当時のイタリア国内の世界遺産47サイトのうちマネジメントプランを策定できているのは25サイト(53%)のみという結果であった。未策定の22サイトのうち16サイトは全く(または、ほぼ)手がついていない状態であり、6のサイトが進行中との調査結果であった。
登録時が2002年の前後で区別して考えてみると調査結果は2002年より前にリストに登録されていた35サイトのうち21サイト(60%)がマネジメントプランを策定出来ていない。
イタリアではマネジメントプランの策定が遅れている現状が明らかとなり、また、マネジメントプランは有効性の観点からはその水準は他国(例えばドイツ・イギリス)に比べて必ずしも高くない。
以下に、策定が義務付けられているマネジメントプランの策定が遅れている、または有効性に欠けている原因として考えられるものを列記する。

1. 多分野を統合して計画を構成し、分析、指針、行動計画(Action plan)を策定するのは膨大な作業量であったこと。
2. イギリスやドイツなどアングロサクソン諸国と比較して、これまでマネジメントプランという形での策定経験がイタリアには不足していたこと。
3. 専門家が十分に揃うローマのような大都市がある一方、専門家の少ない田舎町も同様に世界遺産の管理者として登録している。つまり、サイトによって管理者(管理機関)の能力•経験レベルに違いがあること。
4. 地域内の多くの関係者(県、市、公園管理者、管理団体、土地/建物所有者等)と共に策定する必要があり、管理権限が多岐(複数のコムーネ(14)や県など)に渡る場合は特に難しいこと。結果的に自然遺産以外で保護区域が広範囲に渡るサイトは特に作成が遅れている。
5. イタリア特有の官僚的な遅延。作業フローが体系化されておらず、文化省と各世界遺産との連携不足、失敗の理由や責任の所在を明らかにしない等、イタリアの構造的な欠陥による。
6. 各世界遺産サイト管理者が組織として十分に機能しておらず、業務が共有化されていなかったこと。作業経験が各世界遺産の管理担当者個人に集中し、担当者が異動してしまうと対応出来なくなる可能性がある。
7. 歴史文化財が多いイタリアでは世界遺産のマネジメントプランでなくても、国内法によって保護がなされており、発展途上国のような保護の緊急性がなかったこと。

また、策定されているマネジメントプランの課題として、主に次の課題が挙げられる。

1. 統合的な計画のための多分野恊働の不足
実際の策定実務を行った専門家に建築家が多く、専門性に偏りがあった。建築家が85%の割合で策定作業に参画しているのにも関わらず、経済の専門家は約半数に留まっている。また、半数以上の事例で建築家が策定責任者として選ばれている(15)。少数で策定する事例も多く、多分野を包括した専門的な調査と意見の反映が出来ているとは言い切れず、策定体制自体に課題を残している。

2. 広域•多行政地区の連携不足
複数の自治体に保護区域がまたがる場合、マネジメントプラン策定の遅れ、未策定が多い。つまり、自治体間で連携して策定することが難しいことが分かる。行政区を越えて、関係者が世界遺産の価値をどのように活用するかをより協力するための体制が必要である。

3. 効果的な行動計画の未策定
マネジメントプラン策定は済んでいても、既存の法規をただ収集して羅列しただけのような資料集となっているもの(例えばフェッラーラ)も散見される。

4. 監視システムの不足
効果的な監視とフィードバックを行う為には、実際に計画が達成出来ているかどうかを判断する監視システムが必要である。マネジメントプランが策定されている25サイトのうち12サイトしか監視システムが記載されていない。

5. 結果を判断する監視指標の不備
監視システムが記載されている12サイトの中でも、行動計画実施後の結果を判断する指標が出来ているものはたった2サイトであった。このように、行動計画の効果を検証し、フィードバックする為の指標が不足している。

3-4 管理責任者をサポートする仕組み
 各サイトの管理責任者をサポートする仕組みとしてUNESCOイタリア世界遺産協会(16)がある。UNESCOイタリア世界遺産協会は元々1995年のヴィツェンツァにて設立のコンセプトが生まれた。1997年にアルベルベッロやフェッラーラ市(17)を含む7コムーネによって立ち上げられ、2000年に正式に文化省によって認められた。現在では全ての世界遺産サイトと推薦サイトも参加している。協会設立当時にフェッラーラの世界遺産の責任者であった関係(18)から、フェッラーラ市は協会の秘書室としての役割を担っている。
この協会の設立には各管理者が抱える問題が背景にあった。フランスにあるユネスコ本部との連絡にはローマにある文化省を通す必要があったが、イタリア特有の官僚制度のために連絡が希望通りに機能していなかった。そのため、文化省を介さずに各サイト自らが主体的に行動出来るようにサイト主体の協会を設立した。文化省は協会の一員として記載されているが、建前上のみの関与である (19)。
協会設立後、各サイトは協会を通して世界遺産センターや他国のサイトに直接連絡出来るようになった。また、協会の取り組みにより、イタリアの世界遺産サイトと登録を目指している立候補サイトは条件が近似している最低2サイトと協定を結んでおり、提携サイト同士で情報交換や共通する課題について取り組んでいる。加えて、2012年末からヨーロッパの他の国のサイトと姉妹サイト協定を結ぶプログラムを開始しており、例えば、2012年2月時点でフェッラーラはハンガリーのプラハと協定を結んでいる (20) 。この協定は情報交換だけでなく、EUのプログラムからの資金を捻出する為でもあるという。
その他の活動内容としてSITIという機関誌を発行している。また、2012年に法n.77/2006に基づき“都市と世界遺産サイトの管理と価値向上の為の指針(21)”を作成している。

FERRARA組織体系-04
図3 UNESCO世界遺産イタリア協会の関係図

協会設立の目的はサイト同士、特に担当者同士の連携の向上である。小さな単位での連携を意図しているため、協会への参加の基本単位は州や県ではなくコムーネである。協会の在り方も個人と個人の関係を重視するイタリアらしい思考法から成立したと言えよう。一方、この手法では全て個人の担当者にサイト管理の情報が集中し、組織に情報やネットワークが残されず、担当者が退職すると突然機能しなくなるという恐れがある。筆者が滞在した世界遺産都市フェッラーラでも、実際にこの問題が発生している。

4.新たなマネジメントプランへ
イタリア国内に限らず、より効果的なマネジメントプランを策定、改訂するための留意点をこの章で示す。

4-1マネジメントプランの基本形式
マネジメントプランの記載内容はサイトごとに異なるが、マネジメントプランの骨子は大きく3つに分けられる。
1)基本情報(核遺産に関わる普遍的な価値や定義、関係者、経済・環境•社会的側面に関する基礎データ)
2)分析(基礎情報を統合的アプローチ(integrate approach)によって分析する。SWOT分析等が一般的に使われる)
3)ガイドライン(ヴィジョンを立て、それを実行する為の戦略を打ち出す。この中で具体的に行うものを行動計画として、項目ごとに目的・活動内容・対象エリア・実行期間・費用などをまとめる。)
これに加えて監視の為の指標を加え、監視システムによって検証し行動計画にフィードバックする。基本情報など経年によって大きく変化しない箇所も多いが、行動計画は2〜3年程度での改訂が推奨される。

4-2 マネジメントプラン作成の留意点
マネジメントプランに関する参考文献とケーススタディから、マネジメントプランの策定プロセスに置ける留意点を記す。
•マネジメントプランの記載は万人が読みやすい形式に
歴史等の全情報をマネジメントプランの中に含めると読解に苦労するだけで、多くの関係者が参照出来ないものになる可能性がある。可能な限りマネジメントプランは技術的に簡潔にまとめる事が重要である (22) 。

•策定及び管理責任者を明確にする。
バッファゾーンも含め遺産の保護区域に多数の組織が関係する場合、管理責任の所在は明確にしながらも、関係者の協力を得て適切な組織を構成する必要がある。

•遺産に関係する事柄を多角的に評価する(分析)
計画を作成する前に、適切に、丁寧に、多様な視点(経済、環境、地域、社会、文化、歴史、観光、等)から地域の資源やその影響を特定し、その価値を統合的に評価する。統合的アプローチ(Integrated Approach)と呼ばれる手法を利用する。

•遺産単体の保存ではなく、地域の価値を高める計画
管理者は単に世界遺産単体の保全のみを考えるのではなく、遺産を核として地域の持続的な開発と成長を促進させ、地域コミュニティが自らの資産の価値を理解し、社会的結束を高めるように考えていくべきである。遺産を含む地域の価値が高まることで遺産の価値を適切に保てる。

•多次元の視点の併用考察
策定者は建築家や都市計画家のみで計画策定を行うのではなく、様々な専門家や異なる立場の人間を策定段階に加えることが重要である。

•具体的な行動計画の記載
テーマや対象エリアを決めて長期、中短期に置ける計画を、誰が、いつ、どのようにすれば実現出来るか、いくら予算が必要かと言うように具体的に、かつ簡潔に行動計画に記載することが求められる。行動計画を一つ一つ手順ごとに分解して、スケジュールを組むようにすれば、実行に取りかかりやすい。

•効果的な判断指標の設定
 現在と目標を比較出来る具体的な数値や割合を示す判断指標を行動計画と併記し、実施後の監視とその成果の判断に役立てる。

•年次報告の体制づくり
実施指標やマネジメントの責任の観点から報告書類が求められる。行動計画の実施後に適切な監視、年次報告、フィードバックができるように管理体制まで含めて、マネジメントプランを政策することが重要である。

•数年で更新される行動計画
一度きりの計画策定のみで終わるのではなく、管理責任者が適切にフィードバックと更新を行う事を前提とする。そのためマネジメントプランは年代と共に変化しにくい現状把握の部分と、多くの関係者が何度も確認する行動計画を切り分けておき、更新をしやすくすることも重要である。

表2 マネジメントプラン策定と規制改訂までのプロセスと
サイト管理責任者と行政各課の関与量のイメージ

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(◎深く関与する、○関与する、△少々関与する)


イタリアに於いて歴史的都市を実質的に保護しているのは都市計画法である。歴史市街地の個別建築の開発指定(RUE(23), medalita d’intervento等)が実質的に都市の開発を制御している。マネジメントプランに記載される基本情報内には関係規則や政策が含まれる。行動計画はマネジメント策定責任者である管理者ではなく、実質的には現地行政内の各課によって執行される。監視システムによっては規則自体の変更が望まれる場合がある。担当課がフィードバックを行いやすく必要があるため、計画策定時に深く関わる必要がある。これは2005年のイタリアの策定モデルにも記載されている。
マネジメントプランには実質的な法的強制力はない。マネジメントプランは戦略でしかなく、どのようにローカルの実質的な法規に反映させるかが重要である。いわば反映させるプロセスとしてのマネジメントプランとしての認識が正しいだろう。(表5)
また、行動計画の担当者を記載する場合はA市などの組織単位の記載にとどまり、責任の所在が分かりにくいケースが多々見られる。可能な限り担当部署や個人名を記載する事で責任が明確になる。

教育と交流の促進
内部教育、他地域との交流が向上の基礎となる。教育と交流の対象は計画策定者や地域の責任者のみならず、地域の利害関係者や周辺住民も含まれる。イタリアユネスコ世界遺産協会の取り組みのように国内サイト間での交流、また海外との姉妹サイト関係を結ぶことは重要である。サイト間で情報や技術、挑戦を共有することで各サイトはキャパシティビルディング(24)される。

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図4 マネジメントプランの構成と、より効果的マネジメントプランを作るための国内外の機関、行政各課及び地域内の行動計画との関係性

5.まとめ
本論ではイタリア国内のマネジメントプランの設置状況の概況と課題を掴んだ。イタリアではマネジメントプラン策定の為の法律やモデルも整備されたが、実際には多くのサイトで適切なマネジメントプランを策定されているとは言いがたく、更新する必要がある。具体的な行動計画や不足する監視指標の追記、実行可能な予算の確保などマネジメントプランへの課題は多い。また、実施とフィードバックが担保できる関係行政各課との調整も求められる。
マネジメントプランは世界遺産に限らず、文化財を中心とした地域計画に応用が可能であろう。本論で述べたような策定の流れや留意点が多くの地域計画に役立つことを期待する。



<参考文献>
1)Anna Leask and Alan Fyall, (2006). Managing World Heritage Sites, Elsevier
2)Associazione Beni Italiani Patrimonio Mondiale Unesco.(2012),Linee guida per la gestione e valorizzazione delle città e siti Italiani Patrimonio Mondiale UNESCO
3)Birgitta Ringbeck, (2008), Management Plans for World Heritage Sites A practical guide
4)Claudio Ricci.(2009),Tesoro Italiano turismo e“grantour” dei siti UNESCO, Siti ottobre-decembre 2009 numero Quattro, Associazione Citta e Siti Italiani Patrimonio Mondiale
5)CULTURAL AND NATURAL HERITAGE. (2005), Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention, World Heritage Centre, WHC. 05/2, 2 February.
6)European Landscape Convention. (2000), Explanatory Report
7)Francesco Badia. (2012), Monitoraggio e controllo della gestione dei siti UNESCO.Il piano di gestione come opportunità mancata?,Tafter Journal Esperienze e strumenti per cultura e territorio
8)Francesco Badia. (2012), Contents and Aims of Management Plans for World Heritage Sites
9)Francesco Bandrin and Ron Van Oers. (2012), The Historic Urban Landscape Managing Heritage in an Urban Century,Wiley-Blackwell
10)Ken Taylor and Jane L. Lennon, (2012). Managing cultural landscapes, Routledge
11)Leverington, F., M. Hockings, H. Pavese, K.L. Costa and J. Courrau (2008) Management effectiveness in protected areas global study. Supplementary Report no. 1: Overview of approaches and methodologies
12)Masaru Miyawaki. (2009), A Study on New Code,”Urbani Code”, for Landscape Planning and Landscape Assessment in Italy –The Study of Definitions,Authorities,Planning,Assessment for the Landscape Based on the Urbani Code modified in 2008’,Journal of the City Planning Institute of Japan No 44-3.
13)Mechtild Rössler. (2000), World Heritage Cultural Landscapes:http://www.georgewright.org/171rossler.pdf
14)MIBAC, MINISTERO PER I BENI E LE ATTIVITÀ CULTURALI. (2004), Il modello del piano di gestione dei beni culturali iscritti alla lista patrimonio dell’umanità. Linee guida, Paestum,25 e 26 maggio
15)MIBAC and Ernst &Young Financial Advisor S.p.A. (2005), Progetto di definizione di un modello per la realizzazione dei Piani di Gestione dei siti UNESCO,
16)Philips Adrian, (2002),Management Guidelines for IUCN Category V Protected Areas, Protected Landscapes/Seascapes, Cardiff University, IUCN, Cambridge.
17)Osservatorio dei siti UNESCO italiani.(2010), intitolato “Studio preliminare delle principali metodologie di osservatori già realizzati in Italia o all’estero su tematiche analoghe a quelle del PatrimonioMondiale” (Osservatorio 2009-2010).
18)Ron VAN OERS. (2010), UNESCO’s Historic Urban Landscape Initiative (HUL), convention ppt
19)STAFF UNESCO DEL COMUNE DI FERRARA. (a cura di) (2009), Piano di gestione. VolumeI fondamenti, Sate, Ferrara.
20)UNESCO. (1972), Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage, AD.O.P.ted by the General Conference at its seventeenth session, Paris, 16 November.
21)UNESCO. (2002), Budapest declaration on World Heritage, World Heritage Committee.
22)UNESCO. (2002), Cultural Landscapes:the Challenges of Conservation, World Heritage 2002 Shared Legacy, Common Responsibility Associated Workshops
23)UNESCO. (2009), World Heritage Papers Series No. 26: Cultural Landscapes, A Handbook for Conservation and Management
24)UNESCO. (2012), Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention

<補注>
(1)日本国の文化省のHPにて”マネジメントプラン(management plan)”を”管理計画”として訳している。マネジメントプランの意味合いとしては運営計画や経営計画という表現の方が実態に近いため、本論ではマネジメントプランのまま論述する。
(2)BUDAPEST DECLARATION ON WORLD HERITAGE
(3)2005年度版の作業指針において、“各登録推薦資産には、資産の顕著な普遍的価値をどのように保全すべきか(参加型手法を用いることが望ましい)について明示した適切なマネジメントプランの策定又は管理体制の設置を行うこと”(108項)と記載されている。最新は2012年度版である。以降『作業方針』は2012年度版を指す。
(4)古くはthe most important management scholars (Drucker, 1954), with particularreference to the typical elements of planning and control systems (Anthnoy, 1965).等
(5)インタビューの対象は主に世界遺産のマネジメントプランの研究とコンサルタントを行っているフランチェスコ・バディア氏、フェッラーラ市都市計画公私建物の査定官ロベルタ・フサーリ氏,フェッラーラ大学経済学部のジィアンフランコ・フランツ氏である。
(6)持続可能な開発とは環境影響を最小限にとどめながら開発に到達するための方法である。「環境と開発に関する世界委員会」が1987年に公表した報告書「Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念で「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことを言うとされている。
(7)文献4による
(8)世界遺産作業指針 第45項第1条
(9)Ministero per I Beni e le Attività Culturali = MiBAC
(10)文献14
(11)文献15
(12)文献12に詳しい
(13)文献7による
(14) コムーネとはイタリアの自治体の最小単位(基礎自治体)
(15)文献8による
(16)Associazione Beni Italiani Patrimonio Mondiale UNESCO
(17)フェッラーラ市(Comune di Ferrara)とフェッラーラ県(Provincia di Ferrra)の二つが混同するため、二つを分けて記載している。
(18)現在の管理責任者はフェッラーラ県である。
(19)(20)ロベルタ・フサーリ氏とのインタビューによる。
(21)文献2
(22)ドイツのマネジメントプランモデル(文献3)に詳しい。
(22)RUE= regolamento urbanistico edilizio(都市建築法)
(23)キャパシティビルディングとは世界遺産の資源や運営組織が自助能力を高められるよう、その能力を引き出し、強化し、維持するためのプロセスと説明出来る。

[2013/06/28 01:19] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
読書メモ「商店街は何故滅びるのか」
「商店街は何故滅びるのか」新雅史 

社会学者がきちんと研究の上で書いている本なので読み応えがある。社会学者なので当然解決方法や実践には言及していないが、商店街が生まれた背景(必要性)プロセス、地域社会での役割、そして、それが衰退したメカニズムを事細かに描いている。

下記、抜粋
‘商店街は伝統的な存在ではない。現存する多くの商店街は20世紀になって人為的に作られたものだからである““設立時期が「昭和20年以前」である商店街は僅か6%であり、多くの商店街は戦後以降の形成である”
“当時の日本社会は零細規模の商売を営む人々を増やさない事、そして、零細小売りの人々を貧困化させない事が課題となった、こおうした課題を克服する中で生まれたのが「商店街」という理念であった。
“商店街の担い手は「近代家族」であったため、事業の継続性という店で大きな限界があった。”(家族経営、跡継ぎ問題)
“商店街」という理念には、個々の小売り業者を専門化し、それを地域ごとに束ねる事で高い消費空間を提供しようという明確な目的があった。また、その空間に娯楽性を付与することで、コミュニティのひとびとがそこに気軽に集まりうる空間に仕立てようとする意図もあった。それは、商店街という空間をとおして、新しい公共性の基盤をつくりあげる試みだった。
“1959年に成立したのが小売り商売調整と区別措置法(商調法)
“中内(ダイエー創業者)によれば当時の商店街は国家による保護だけでなく、製造業とのあいだの依存関係によって維持されていた。
“クロヨン。サラリーマンは課税対象となる所得の9割までガラス張り、(中略)商店主など事業所得者の場合は6割、農家に至っては4割”“ここでサラリーマン層は「社会的弱者」と位置づけられた。*1970年代
“こんんびには 全国の小売店主の業態転換によって初期の発展が支えられた。”“理由は跡継ぎ問題だった”
オイルショック後“「(企業福祉と家族福祉を基軸とした)日本型福祉社会論(家族頼み、大企業本位、男性本位)」と「企業中心主義」の主張へと帰結する”
“85年の年金改革では男性サラリーマンと専業主婦に優遇措置が与えられたのである。
“主婦パートがサービス産業・小売産業に流れ込む事によって、そこ後の若者のアルバイトの時給は、主婦パートと同じ低水準に抑えられる事となった。
“1978年に大店法を改正する。大型店舗に対する規制を中型店鋪にまで広げるという規制の強化。”
“バブル崩壊以降(アメリカとの貿易摩擦解消のために始まった)財政投融資という制度こそ、商店街を根底から掘り崩し、地方を弱体化させた元凶である”
“小売規制を緩和する事で、小売に関わるアクターを増やし、消費者の利益となるような消費空間を実現しようとした。しかし、それは零細小売商の体力を奪う事になった。”当時の零細小売商が規制緩和にていこうできず、その代替措置としての公的資金に頼ったことだった。(麻薬づけ)“
“商店街の消費空間は住宅街からの徒歩圏内に形成されたい田。しかし1980年代に大きく変化した”(バイパス等)
“アクセス道路の整備だけでなく道路周辺の土地の整備が進んだ。これらは大規模な住宅団地あるいは工業用地として整備された。しかし、バブル後の日本企業にはそれらを購入するほどの体力なくなった。地方の自治体は、苦肉の策として塩漬けされた工業用地・住宅用地を商業用地に変更することを迫られた”
 “バブル以降の公的資金の投入は、零細小売商の力を弱めると友に、彼らをとりまく外部環境を変化させたのである。”
“スーパーマーケットを経営していた大規模小売資本はそれまでの出店戦略を根本から変更させた(1)大店法に掛からない小型店の出店を増やす。(2)フランチャイズチェーンを展開する。(3)大店法が掛からない地域で郊外型大型店を出店する”
“フランチャイズチェーンという形態がコンビニで広がったのは小売商業調整特別設置法”による。この規制によれば大規模な小売り資本が食品を販売するには、近隣の商業者の承諾を得る必要があった。そのため、大規模小売資本がコンビニを直接出展しようにもあまりに労力がかかるため、自力で多店鋪展開を諦めコンビニの店主を募ったという訳である。
“1970年代からスーパーマーケットを経営していた大規模小売資本は、「価格破壊」によって零細小売商を駆逐するという戦略から零細小売商そのものをスーパーマーケットの論理に染め上げるという戦略へと方向転換していった。”
“小売り規制の最大の問題は零細小売店主個人に対して強い権益を与えた事であった。“コンビニ本部も既得権益をもった小売業者(酒、タバコ)にターゲットを絞っていた。”
“商店街は専門店が一つの街区に並ぶ事で百貨店に対抗した。いわゆる「横の百貨店」である。だが、コンビニという「万屋」が登場する事によってタバコ屋・酒屋などの古い専門店はその存在意義を奪われた”
筆者は崩壊の理由を2つ挙げている「商店街が恥知らずの圧力集団になったこと」「行政官庁による免許付与は専門性とは全く関係性なく行われた事。小売店は家族系遺影が前提であったため、免許などの権益は親族のあいだで移譲された。
[2013/06/21 02:30] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
読書メモ-「地域再生の罠」
「地域再生の罠」 久繁 哲之介

商店街再生系の本を最近買って読み始めるようになったが、その中では良本の類。商店街再生に関わる根本的な事が書かれている。

この本には事例集ではないが、扱っている商店街は、地方都市(県庁所在地)程度の規模を見ているので、完全な地方の田舎町には合致しにくい例も多い。商店街の再生本は商店街の規模分類も始めに定義してもらえると、当事者(読み手)としては助かるだろう。商店街の規模が違うと、あまり当事者が実感を持って読めない。

この著者はハッキリ意見を書いてくれているのでありがたい。抜粋すると
・ “アンケートの8割は結論が事前に決まっている。”
(よく行政もアンケートをとっているが、ほとんど意味をなさない物も多く、かつ、異なる部署で多数行っている。労力の割に提案に繋がっていない。)
・ “失敗には目を向けない、責も問わない”
・ “箱物の撤退・建設に冷静な対応を”
・ “成功事例の安易な模倣が地方を衰退させる”
・ “なぜ、まちづくりや地域再生の情報は「うそ」ばかり流布され続けるのか。”
・ “本来は競争で淘汰されるべき小売店が生き残っている。”
・ “「どの商店街を残すか?」、「残すと決めて商店街を、それぞれどのように支援するか?」つまり、「選択と集中」が求められるのである。商店街はまちの顔だから全てを支援しようとする懐古論にもとづいた現行施策では、逆に商店街の衰退、もしくは消滅をさらに加速させるだけだろう。”
・ “イベントにおいて大切なのは、主催者も遊ぶこと。”
・ “私益よりも公益”

アイディアも少し述べられており、例えば
・ “駐車場などの未利用地は、テニスコートやバスケコートに。”
・ “戦略的赤字施設”

など。商店街の再生は個別事例ではあるが、アプローチとして納得できる内容が書かれている。
[2013/06/19 01:49] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
商店街再生に想う-1
s-商店街

先日、宮崎県日南市油津の商店街の再生計画について考える機会を頂いた。


現地に5日間程滞在し、提案を寝る。この商店街を含む中心市街地は中心市街地活性化基本計画の事業が通り、多額の予算が降りた。商店街に対する事業の一つは、新しく商店街にテナントを4年で20軒入れること。
現段階で、何も手を施さなければ、この商店街に出店者は現れてこないだろう。実際のところ、これまでの空き店舗対策事業や商工会議所のチャレンジショップ制度によって、6年間で27店舗ほど入ったそうだが、結局2店舗ぐらいしか残らなかった。しかも、出店時に改修費の1/2補助や家賃補助、出店3年後の成功報酬30万円などを付けた結果であり、その補助期間が終われば出て行った。言いづらいことだが、現在の商店街は補助なしでは出店する魅力のない場所になっている。

地方都市の商店街はどこでも試練の時期を迎えている。それは個々の営業努力や行政の努力などだけでは解決出来ない課題をはらんでいる。大型店舗の出店や交通の発達、インターネット販売など過去にはなかった状況となり、つ戦後に生まれ育った商店街という形態自体、もう、時代背景に合致していないのかもしれない。もちろん私は街の健全な中心市街地の重要さを知っているし、ヨーロッパの中心市街地は再生したことを思えば、私は再生は可能であるという立場だ。しかし、「かつて」の商店街のように商業だけで賑わいを持つ事は現代日本ではすぐには実現できないだろう。商店街は過渡期であり、同じものを再生するのではなく、新たな商店街の形態を生み出す事を求められていると言える。

 次に、油津商店街ではテナントミックスサポートマネージャー(以下TMSM)という商店街再生の請負人と市が委託契約を交わす。何故、商店街を公費を使って再生させねばならないのか?このように市民から問われることになろうが、事実は異なる。単に個々の商店を守るだけなら、商店主にその分のお金を分けて払えば良いだけだ。しかし、それをしない。ということは、TMSMには商店街の商店のためだけに働くのではなく、もっと大きなこと、市民/地域全体のために働くために税金を使うことになる。

"地域のための商店街"。これが次世代の商店街の鍵になるだろう。

(part-2に続く)
[2013/06/12 20:04] | 日本 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
一級建築士の地位
自分でも何を言っているのかよく分からないが、起こったことをありのまま書くぜよ。

戸籍を新宿区役所に取りに行ったんだ。住民票と戸籍の取れる場所が違うのがは面倒の不満の話はおいておく。受付窓口で取得には本人証明の提示を求められたので、財布に入っていた一級建築士の免許を出したんだ。しかし、窓口の方曰く、上司の判断でも一級建築士免許は認められないんだそうだ。もちろん、カードには顔写真付きだ。でもさ、、区役所窓口には本人証明になるリストを掲示していて、宅建の免許や電気工事技師の免状なら証明として認めてくれるんだそうだ。一体、何でだろう?

  試験合格と共に、六万円の登録免許税って訳わからない納税をしたし、海外の例を見ても、それなりに信頼して貰える資格だとおもうのだが日本では違うのだろうか。受付の方も宅建より難しいのにとフォローを入れてくれた。しかし、自分含めて、建築士事務所協会も建築家協会もなにかあぐらをかいていたところがあるのだろうか。もっと社会に認知して貰えるように働きかけていかなきゃいけない。


 
[2013/06/07 14:55] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
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