金正日が亡くなった
金正日がなくなったか。世界のパワーバランス的には北朝鮮は独立を保っているのが良いのかもしれないが、5年以内に北朝鮮が崩壊に向かい、それを吸収しようとする中国と、(統計データ的には)吸収したくないけど民族問題として取られたくない韓国やらアメリカやらの干渉がどう動くのか。まぁ、基本内政問題なので、人道的な援助はするけれども日本人としては基本無干渉すべきなのでしょうが。んーん、激動ですね。

フセインもビンラディンもいなくなり、金正日も亡くなった。世界には分かりやすい悪役がいなくなった。悪者がいなくなって単純に平和になったと考えるのではなくて、ロシアが崩壊して東西冷戦の構図がなくなったように、世界の問題はもっともっと複雑化して分かりにくくなった。何が世界を操っているのか、僕らはもっともっと世界の動きの内側を見ていかないといけないだろう。


いずれにしろ5年以内に起こる動乱後は北朝鮮の2300万人を韓国だけでは面倒見きれないので、中国と日本が協力することになると思います。動乱後の5年ぐらいは、日本国内には「なんで日本が協力しないといけないんだと!」と 不満が出るでしょうが、戦争のリスクが減ると思って温かい目で見守って欲しいと思います。北朝鮮が破れかぶれの戦争を起こしてしまったらその後の、日本や世界の人の北朝鮮国民への感情が心配です。


 以前、中国漁船拿捕のデモの時ににも書いたけれども、排他主義は恐ろしい。多分、北朝鮮難民を許すなとか、海上自衛隊を強化せよといった文面がネット上を飾ると思う。5年以内に起こる内戦後は5年ほどは大動乱があるだろうし、難民による日本での犯罪も起こりうるだろう。けれども、現在ある戦争のリスクや核爆弾が打ち込まれるリスクと比べたらよっぽどマシではないか。僕らの生きている世界は 「悪い世界」か、「それよりはちょっとマシな世界しかない」。そうおおらかに考えれば、難民を一定の管理と法制度に則って受け入れた方がマシだろう。それも仕方なくではなく、暖かく迎えることが国益に叶う。運の良いことに(?)、日本には朝鮮語を話せる2世3世の先住者がいて、日本社会に迎え入れる土壌があるのだ。


『動乱期の国民感情は100年残る。』それが「敵意」となるか、「感謝の気持ち」となるか。僕らの子供達、100年後の日本人の敵を僕らが作ることはない。


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[2011/12/19 19:40] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌47-「Urban center」

 イタリアの各都市にはUrban Centerと呼ばれる都市プロジェクトの紹介センターがあります。このUrban Center(アーバンセンター)はイタリアだけでなく、世界各地の都市にあるのですが、イタリア語発音では「ウルバン チェンテル」になります(笑)。英語でもイタリア語でもない発音になるぐらいなら、イタリア語で良いのにと思います。実際にUrban Centerの名前は一定しておらず、イタリア語でURBAN LABORATORIOとか※※と呼称したりしていますし、その活動範囲も構成も各都市で異なります。

 ただ、各コミューンが都市計画の現状を市民に紹介するという目的は大体同じですので、そこに行けば誰でも都市の最新情報を手に入れることが出来ます。運営は都市計画家が行ってはいますが、多くの都市では完全に都市計画課と一体化しているのではなく市の広報の別働隊と考えた方がいいかもしれません。


 
イタリアのUrban Center一覧サイト
※イタリア語



これから各都市のUrban Centerを巡礼していきますが、まず、
実際にボローニャのUrban Centerを見学させてもらいましたのでご紹介!


ボローニャのアーバンセンターは街の中心、ど真ん中。ネプチューン像の近くのSala Borsa(サラボルサ)と言う建物の中に入っています。

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左奥に見えるのがサラボルサ

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入り口





この建物は自体10年前に用途転用して図書館として利用しており、アーバンセンターも4年前の発足時にこの建物内の3階に入りました。図書館とは思えないほど、開放的で素敵な建物です。

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喫茶店も併設されています。

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こんな古い壁とコンピューターが同時にあるというのもイタリアらしいですね。
それに、写真を飾ったりギャラリーにもなっていたりと、美的センス抜群です。



元々Sarsa Borsaは10年前には行政の庶務室とレストランとして利用されており、その前はなんとバスケットボール競技場、その前は株式マーケット、その前は動物達を売買する場所でもあったとの事です。(案内所の方と警察官から聞いたため要確認)
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バスケットをしていますね。バレーボールの大会も行われていました。



 この建物Sala Borsa(お塩の取引場)という名前で、建物の前には海の神様ネプチューンの像が有ります。ボローニャはイタリアの内陸ど真ん中に有り、海とは全く関係ありません。しかし、なにか不思議なので、何人ものイタリア人に聞いているのですが、僕の推察に答えられる人はまだ見つかりません。


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さて、アーバンセンターの内部です。


現在進行中のプロジェクトが公開されています。
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入り口には(職員ではなく外部雇用との事ですが)インフォメーションの方が滞在しており、また、小さなアーバンセンターのオフィスも構えられています。政策を作り、市民への広報も一体化されています。


アーバンセンターでは全てのプロジェクトがきれいにレイアウト展示されています。
(WEBページでも見ることが出来ます。)

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 日本だと役所の仕事はデザイン性に欠けます。役所仕事的な部分や日本では無難に流した方が問題が少ない事はあるのでしょうが、より良い未来の都市を作る為の紹介が魅力的でなかったら、未来に夢なんか持てません。まず、市民が知りたくなるような広報をすべきだと思っています。

 ただ、日本の都市計画の学生は建築学科出身の中でもデザインが不得意で都市計画の道を進む傾向が強いと言えます。また、実務の中でも、文面が重視され、その都市のためのロゴマークを考えたりコンセプトをビジュアル化することを軽視する傾向が有ります。3ページで済む報告書の内容を、昔の資料を再録したり、他の都市で使ったものを使い回して100ページ以上にしないと、プロの仕事としてみてもらえない(がち)と言う悲しい現実があります。仕事を進める過程の上でも、役所ではカラーコピーが使えないので、一般的に白黒コピーに2、3度耐えられるようなデザインが求められるのも影響しているでしょう。


 一昔と違い皆がネットを利用し、i-padなどのタブレットによりペーパーレスで情報を閲覧出来る時代になりました。もっと、カラーやレイアウト、動画など現実的に視覚的に訴えかけるプレゼンテーションがより重視されてくるはずです。


各アーバンセンターではこの建物内のみならず、街の各所を使って都市計画の紹介をしています。中心部から車を排除する社会実験など多くの試みも主導しています。シンポジウムなども開催し、都市政策研究、開発、展開と広報。市民と共有しながら進めようとしています。

 日本でも街の未来への変化を常に知ることが出来るアーバンセンターの様な仕組みを是非取り入れてもらいたいと思っています。もちろん今でも都市によっては作られているところが有りますが、形だけを導入するのではなく、市民により良く知ってもらう為に、ビジュアル的に訴えられる様にならなくてはいけないでしょう。




 本来簡単なことですが言葉で書くより、日本で改善していくには非常に難しいです。デザインが出来ない人は出来ないし、今、責任のある立場のある人がデザインを理解出来ない限り、新しい人に任せることも出来ないからです。


 極端すぎるかもしれませんが、閉鎖的な社会の中では手を動かせる30代40代が、上の人たちにシッカリ説明して、仕事を実行させてもらわないと新しいステップには進まないのかもしれませんね。




おまけ。
 イタリア人はルパン三世が大好き!他のアニメと違って市民権を得ているように思います。宮崎駿さんが監督したことも地位を高めている印象を受けます。ルパンはフランスじゃなくてイタリア人の国籍を持ってる感じに思われているのでしょうか。僕もルパン三世が好きだったので嬉しい限り。

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[2011/12/12 20:15] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
都市コラム:21世紀の共同体
 人間は時代と共に「住む」単位をどんどん小さくしていると書きました。大部族から部族、大家族から核家族、個人、そしてこの個人が家庭や職場や学校、サークル、ネット等に所属しています。つまり個人がさらに分割されているというような状況といっていいと思っています。


 個人の人間像とは、まず自分という本体があって別々の場所に訪問し、体験を自分に付加していく「足し算的」に考えるのではなくて、「自分」というものは存在せず、完全に分解されている「割り算式」に考える必要があるのではないかと考えています。一個の人間とはそれぞれの職場や所属している中で知り合った人間からの評価を持って再び形成されうる。既に人間は20~30人の大家族から小さくなって、一人という単位以下に分解された過程を辿ったと見ています。


 今、ソーシャルな動きをみると、何か個人として動いている以上の大きな思想のうねりを感じています


 100億人になろうとする世界の中では、既に人間は寄生している地球と同じぐらいの力を持ってしまったので、このままでは地球が保たないと理解しているわけです。人間の集合体として、一体の生き物として役割をこなさなければならないと気づいていると思います。この時に自分が所属する組織•共同体の為に働くだけでなく、短期間でも意識的にソーシャルな活動することによって、分解された個人が大きなうねりを作って行くのだと思っています。


これらを繋ぐSNS技術も次々と出来ています。
 僕はこの形のない所属、連帯感が21世紀を動かす共同体となりうると感じています。
[2011/12/09 22:00] | 日本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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