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季刊まちづくり32号震災特集 刊行

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たぶん、日本唯一のまちづくり雑誌の 季刊まちづくりの最新刊 32号 震災特集 が出ました!私も寄稿しており、合計9ページに関わっています。震災復興を着実にどう組み立てていくか、なかなか本筋の議論がなく、予算の取り合いに陥っているようではありますが、この本の中では目指すべき道筋が描かれていると思います。
 コアとなる考えは5月の中旬に考えた内容で、現実がどんどん本の内容より先に進み、読む価値がなくなるのではと心配していました。しかし、現場は相当停滞しており、まだまだ参考にしていただける所もあるかと思います。

是非ご一読を!
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[2011/08/26 00:42] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ラオス日誌-3「ラオスの多難な過去と未来」


 ラオスでは漢字の看板を良く見かける。要は、中国によるラオスの植民地化が進められている。中国からラオスを縦断する鉄道の計画も一旦止まりつつも進められているし、中国からの道路も整備されつつある。テレビをつければどのチャンネルよりも、中国のテレビ番組が何チャンネルも映り、中国見解のニュースや中国語や漢字がラオス人を自然と中国化していく。ラオス人も中国の浸食に抗議を行っているし、反感をもっている。しかし、流通、交通、情報、文化、言語をどんどん抑えられたら身動き取れなくなる。物静かなラオス人が、中国化したら、、、、、と思うと悲しい限りだ。


 元々ラオスは北部、中部、南部と異なる歴史を持っており、現在も約50の主要な部族と150ぐらいの少数民族がそれに加わる。非常に細かなパッチワークのモザイク。ラオスの国土は古来からシャムやチャンパ王国など分割されて統治されていた。現在のラオスという国はフランスやイギリスによる植民地時代の便宜上の分割によるものと言えなくはない。ラオスは1975年独立したがその後も多難だった。そもそもフランスは20世紀以前には山岳の多いラオスは経済発展が見込めないとし、鉄道網も道路もなにも都市基盤を残さず、ただそこには搾取があるのみだった。戦時中に日本軍が一度フランスからラオスを開放して独立を果たすが、自由を謳うのも束の間、戦後にすぐにフランスによって再占領されてしまう。再び行われたフランスの奴隷制度のような占領から、開放のためフランス軍と戦い、独立を勝ち取る。しかし、共産主義化を恐れたアメリカが介入し、爆撃などの無差別な虐殺を行う。べトナム戦争の陰に隠れてしまっているが、ラオス中にその傷跡は未だに残る。多数の地雷が現在も地元民を苦しめているし、当時アメリカ軍に雇われたモン族の掃討作戦(要は逮捕か殺戮)は21世紀の未だにべトナム•ラオス軍によって行われている。



 経済発展といっても何かラオスで特別なことが行われているのではない。現在も国家の80%が他国からの寄付によってまかなわれている。ただし、近年になって資源鉱山が見つかったため、これらの輸出国になることは間違いない。また、ラオスはメコン川によって蔵水力の宝庫であり,開発可能な水力は30,000MWを超えると推定されている。今までに開発されたのはほんの1―2%である。そのポテンシャルが近隣諸国から将来の電力不足に当てにされ,「インドシナ半島のバッテリー」と言われる。そのために各隣国が虎視眈々とラオスを狙っている。
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写真は乾季時なので水が少ないが、雨期には洪水しそうなほど水量が上がる。


 ラオスはヨーロッパにおけるスイスと同じく、山岳国であり、そして強国同士の緩衝地帯でもある。もしラオスが無ければ、東南アジア各地で今も紛争が続いている可能性もある。スイスと同じく、国語はあっても言語もバラバラで、それぞれの場所は強国に近いエリアの言葉に近くなる。政治体制を見れば、ラオスは共産党で、政治的にはべトナムの弟分であり、共産党員になるにはべトナムで半年間の政治教育を受けねばならないという制度がある。

 大学での留学は近年では2/3がタイへ行くと聞いた。べトナムよりもタイの方が多いのは驚き。タイ、、べトナム、、中国の順とのことだ。大学教育においての言語は75年までフランス語で行われ 91年までロシア、それからはラオス語で行われている。しかし、ラオス語は前述したようにそもそもラオ族の言語で50%にも満たない。多様な民族への教育のために漢字が簡潔に、そして韓国語も漢字を無くしたようにラオス語も簡略化して体系化した。ただ、それが韓国のそれよりも格段に簡単にしすぎた。



 ラオス語は75年以前はタイ語にほぼ同じような言語だった。日本語だったらカタカナによってアメリカの言葉や難しい論を取り入れることも出来るように、タイ語でも外国の言葉を取り入れられる、だが、簡単にしすぎてしまったラオス語には概念を説明したり、取り入れたりすることが出来ない。造語がなくなってしまった。経済用語でいう「市場」は、おばちゃん達が売る場所と言う意味以外に何も付加できない言語ということなそうだ。



 となると、教育内容が進歩できない。ラオスは完全なる言文一致をめざした。聞き取る力はあるけれど、読み取る力がない。そして、問題なのは1975年まで様々な言語で話していたのを急速に言文一致にしてしまった。普通にしゃべっている通りに書くと、地域ごとに発音が違うので、ラオス語の表記が違ってくる。標準語があっても標準語が成立していない。ラオス語と英語の辞書が成立していないとのことだ。中国ではそれを解決するためにテレビにはすべて字幕が付き、毎日教育されているのだが、ラオスでは自国の番組がほとんどないし、ほとんど誰も見ていないとのことだ。



 少数民族の立場から見れば、ラオス語という言葉で自分の文化を奪われ、共産主義によって慣習を奪われ、今度は当初の教育はフランス語、今では英語を覚えなくてはならず、商売の面では中国語が強くなるし、娯楽テレビや音楽に関してはラオス語よりもタイ語が流れる。どこにラオスのハートを見つければよいのか。
 正直言って、ラオス語を勉強する必要が本当にあるのだろうか。フィンランドの北部では既にフィンランド語を教育用語とせずに英語で教育されている。現地語と文化を残す必要はあるが、少なくとも文化的背景を同じとしない部族はラオス語を勉強する必要はないだろう。ラオス語教育は僕に言わせれれば国家のエゴだ。



 このように国家として難しい側面を抱えている、一方ラオスの強みもある。
それは基本的に自給自足ができるということだ。暖かく、水があり、山に行けば食料が豊富にあり、自ら食べ物をつくり、家畜を飼い、鉄など使用しなくても家を造ることが出来る。だから飢えることがとりあえず無い。これが、ラオスのおっとりとした性格を生んでいるに違いない。ラオスの舵取りとしては、まず、この環境をいかに担保していくかが基本条件になるだろう。決して、原発に動いてはいけない、他の国よりも必要性が少なく、かつ、万が一のときは犠牲が大きいからだ。
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このような食事を山の中でも山菜をその場で切って造ることが出来る。食器も竹でつくり、すべて現地調達





 環境の担保のためには人口増加の抑制、急激な都市化をさけること、海外からの援助は都市に集中して投下するのではなく各集落に分散型に投下し、かつ、援助は環境の保全(水質、土壌保全、焼き畑に変わる生業の送出、歴史的技術をつかった治水 等)のみに絞る。一方で、鉱山開発とメコン流域の開発は東南アジアとの連携で行う。中国と繋がって開発するのではなく、文化や考え方の近い東南アジア圏での繋がりを強くすべきだろう。拡大するなら大乗仏教圏の国々を結びついたほうがよいだろう。
 いずれにしろ中国がアジア圏における商業を握るであろうから、その流れには乗りつつも、取り込まれない仕組みを構築すべきと思われる。



 この鉱山開発と電気の開発利益を決して誰かの懐に収まるようにせず、貧富の差を生まないように制御できれば、自然環境と最先端の技術が組合わさった新しい国の形が出来るかもしれない。
このようにすれば、ラオスは3週遅れのトップランナーとなりうる。しかし、もしも、現代的な技術や西洋的なものだけを追い求めるのならば、3週遅れ、かつ途中でリタイアしてしまうランナーとなるかもしれない。



 べトナム戦争はイデオロギーの戦いだったが、中東戦争は資源の争いだった。東シナ海、べトナム領土における海底資源が見つかったことで、現在急速に雲行きが怪しくなっている。べトナムでは毎週のように中国への抗議でもが行われ、いっぽうで中国は空母を展開しようとしている。これにアメリカが絡んでくると、、望みたくはないが、戦争が起こりうるかもしれない。
 

 そのとき、ラオスはわずか3日で占領されうるだろう。中国が出資してつくった、中国からの高速道路を軍用に利用したならばそれは可能だ。



 なんて、ラオス人に話してみたら、

「まぁいいから、酒でも飲めやぁ」
なんて言われるだろう。


きっと、彼らの中では未来は彼らの人柄と同じく、いつでも明るく、温かい。



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現地のお酒「ラオ•ラーオ」濃い米焼酎に水を足しながらストローで飲む。村人の家の持ち回りで夕方から、1集落で週に2、3回は開かれる。村々を訪ねると、まず、はじめに飲め招き入れられる。理由などない。すてきな国なのだ


[2011/08/13 17:07] | ラオス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ラオス日誌-2「歴史的保全地区における社会的還元」
開発利益の社会的還元という概念がある。

http://www.itej.or.jp/archive/shiten/200905_00.pdfの言葉を借りれば(一部改訂)
港湾、道路、空港など、交通におけるインフラ施設を交通社会資本と呼ぶ。この交通社会資本の整備によって「外部効果」が発生することは良く知られている。すなわち、交通社会資本には、その施設を利用し、対価を支払う人だけでなく、周辺の地価や土地用途も変化させる可能性がある。

 鉄道整備のケースを取り上げてみよう。鉄道が整備されれば、その利用者は目的地への移動時間が短縮することによって便益を得る。一方、鉄道の整備によって沿線の価値が向上すれば、地価も上昇する。この沿線に住んでいる人は、もし土地を売却するとすれば、開発以前より高い価格で売却することができる。これは自分たちが何らかの経済活動を行った結果もたらされた便益ではなく、他者の経済活動によって獲得した「たなぼたの便益(Windfall gain)」である。

 そのような便益は、何らかの形で交通社会資本の整備資金に還元し(「開発利益の還元」)、
適正な所得分配が達成される必要があろう。


 東急や西武などの私鉄は地価が上がることを前提として、鉄道を整備し、土地を開発し、不動産事業と一体となって経営がなされてきた。しかし、そのような企業的な努力とは関係なく、たとえば国民の税金によって造られた鉄道駅の近くに「たまたま」そこに住んでいたという、本人の努力とも関係なく手に入れたお金は、本来国民のために還元されるべきである。決して、働きもしない人間になぜ「棚ぼた」がもたらされるのか。アメリカではそれを社会的に還元する。つまり、「棚ぼた」分の土地の価格ではなく、開発以前の地価でしか当人が取引できないようにするとか、開発利益について税を課徴することが行われている。


 ラオスのルアンプラバン(Luang Prabang)を考えてみよう。現在、急速に観光客が増え、そして、歴史的街並として世界遺産登録されている街にホテルや民宿が乱立している。これにより、街の中にてんざいするお寺のお坊さんが行う托鉢にきちんと参加できる人間がすくなくなり、文化的な体系も壊れてきている。もやは托鉢はデズニーのパレードであり、観光客は僧侶を動物に餌を与えるかのように供物を渡し、渡しざまにフラッシュをたたく。
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 こう街が急速に開発されるのもラオスでは公務員が一ヶ月働いても6000円も給料がもらえないという背景がある。西洋人や日本人の外国人が落とすお金の量が彼らにとって半端無い金額だからだ。だから、その外国人からの収入を奪い合うようにして、街が壊れていく。

 しかし、考えてみてほしい。観光客がルアンパバーンに来るのは、決してホテルに泊まるためでもなく、街に構える旅行代理店に行きたい訳でもない。ルアンパバーンの街並と宗教と密接に結びついた文化というか精神性を楽しみに訪れるのだ。
 現地住民は生活に必死だとはいえ、けっしてお金儲けのために街を壊してはならない。それでも、まだ住民が経営しているなら分かる。けれども、外国人がその街の土地を買いあさり地元にも還元せず、歴史的遺産や文化、街並を商売道具にしているのが許せない。
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だからこそ、はじめの開発利益の社会的還元の話に戻りたい。


 歴史的な街並に住んでいる人も、地価が上がったのも決して自分の努力ではなくて、世界遺産になるほどの遺跡があったり、観光局ががんばって宣伝したからである。住んでいる人はなんの努力をしたのか。外国人から、高く土地を買うからと声をかけられて土地を売却してお金を受け取る。もしも、「開発利益の社会的還元」ノ考え方を応用して、「歴史的街並の保全の利益」みたいな考えをつくり、売却しても5年前ぐらいと同じ金額でしか売れないとしたらどうか。加えて厳しいレジュレーションや土地の分割の禁止、外国資本に対する制約 等等を入れれば少しは、外国人による無節操な開発は減るのではないだろうか。

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なお、お前も写真を撮っているじゃないか!という怒りの突っ込みはもっともですが、ご遠慮いただいております。(笑)
[2011/08/13 00:44] | ラオス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌19-「旅にまつわる言喭」
「かわいい子には、、、



えーと、、、




「かわいい子には旅をさせろ」でしょ?






Non,Non,違う、違う






「かわいい子には声をかけろ」だ!







と、イタリア人が言っていた。
[2011/08/12 22:30] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
べトナム日誌-4「修復によって失われる遺跡」

歴史もなにもかも、すっからかんに失われていく遺跡がある。
例えば、フエの院朝時代の初代皇帝のザーロン帝廟がそうだ。

 ここでの修復作業は歴史家の監督もなく、地元の作業員によって進められている。補修工事も雑であるし、そもそも作業員はプロなのか、第一修復する必要があったのだろうか。修復された遺跡には時間の流れの欠片もなくなった。なぜ、なんの目的で、修復という名の下に貴重な遺跡を台無しにしてしまうのか。オリジナルが壊されれば史実もわからなくなってしまう。そのままの状態でよいのに、なぜ修復するのか。もし修復するとしてもオリジナル部分を残す、再建するとしても丁寧に研究してつくらないとディズニーランドになってしまう。こんなハリボテを誰が見たいと思うのか。本当に悲しい。修復は工事からのキックバックを得る目的で、中枢にいる人間が工事事業を無理矢理作り出しているのではないか。ユネスコも世界遺産のリストから剥奪すると脅して、管理しないとだめだろう。まったく監視の手が行き届いていない。


この華標柱を見てほしい。以前は半壊してはいたが、落ち着いて植物も生えていたような情緒或る石柱だった。今では、新しく建設されてこんな色に塗りたくられた。この色も形も当時と同じか定かではないのだ。
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下手な化粧のように修復されてしまったザーロン帝廟
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まだ、修復の魔の手が入っていない隣接する第二妃の廟。こちらの方が美しいと感じないだろうか。
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廟から山の軸を眺める
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別の場所、この軸線上に造られた 母のための廟から眺める
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 分かりやすい例として、アンコールワットの遺跡がペンキで塗りたくられたら、、、、どう思うだろうか?アンコールワット周辺の遺跡を見たことがある人なら、そんな遺跡を見たいとは思わないだろう。

 地元の住民は表層がきれいに整っていないと恥ずかしい、壊れていると考えるのだろうか?海外からの観光客なら、普通は歴史的な趣きがある方を選択するはずだ。この現地人と観光客の感覚の違いは、現地に必ず伝えていかねばならない。

 一方で、フエの王宮の北側に再建された王族の子供達のための図書室は数ヶ月前からカフェとして使われている。
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王宮側から建物を眺めたもの



当時と比べて世俗化した使い方であったため、共産党の幹部からも「遺跡を豚肉と勘違いするな!」との批判の声もあがったほどと聞いた。しかし、このカフェは実に繁盛している。

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夜のテラスの様子



カフェだけは遺跡内に入らずとも外からアクセスできるように設定され、観光客よりも地元のカップルや家族連れなどに楽しく利用されている。日本の場合だとどうか。丁寧に歴史的な背景をふまえて、材料や工法にこだわって再建してしまうと、再建した建物時代が文化財指定されてしまい、その後の建物利用が厳しく制限されてしまう。コンクリートで造った偽物なら、自由に市民に公開できて親しんでもらうことが出来る。市民のことを考えると単純に本物思考で再建すればよいということでもなさそうだ。それに古いもの=美しいというのは、主観であろう。



では、保存、修復、再建の選択は何をもって決定すればよいのか?



ベルサイユ宮殿が汚いままでよいか、金閣寺の金泊が禿げたままでよいのか。いやいや、それは違う。
では、すべての建物を当時のままの姿に戻すべきか。いやいや、それも違う。
では、すべての建物を放っておいていいというのか! いやいや、これも違う。


僕の意見は「当時の設計者何を考えて作ったのか、その時代にこそ生まれた哲学はなにか」を尊重することこそが遺跡を適切に次世代に繋ぐことなにだと考えている。

 歴史的な形態がこうだったから、その形のままに再建するということでもない。使い方を現代にあわせて変えたっていい。当時のようには利用されないのならば、無理に修復する必要もない。先ほどの華標柱も2本並んで建って初めて廟内の魂が救われるという意味性があったとする。それならば1本の柱を壊れたままに保存しておくのではなくて、2本建てることを前提にどうデザインしていけばよいかという選択していけばよい。もしくは、山との軸と結ぶ見え方が必要であった場合、遺跡を修復するよりも、遺跡から山の軸が見えるように木を刈ることを先に行うほうが重要だ。


 加えて建物だけではなく、周囲の環境をどのように復元していくかも鍵となる。遺跡は周囲のランドスケープも含めて計画されていることが多い。フエの帝廟でも治水を行いながら、それ自身が治水機能を果たすように造られている。自然と一体となるよう計画されている遺跡を、自然と切り離して存続させても意味が無い。ましてやフエは街全体が風水思想によって成り立っている。王宮や廟のみを復元、修復するだけではなく、全体の環境システムこそを保存•再生していかねばならない。


 当時の「哲学」を保存するという判断基準をもって考えたとき、これから修復の作業はどのように進めるべきなのか、今一度考えてほしい。


決して遺跡修復が地元の役人の懐にお金を入れるための工事であってはならない。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

[2011/08/08 10:02] | ベトナム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
べトナム日誌3-「韓流のゴリ押し」と呼ばれる報道について。
 どうも日本は自らのことを全面に出すのは苦手らしい。日本人の誇るべき恥の文化からなのか、発言もプレゼンも一歩引いてしまう。その点、中国や韓国は流石な部分がある。

 ベトナムも一党独裁主義であるため、具体的には書けないけれど、見れば見るほど汚職の問題などが浮き上がってくる。一方で、政府高官に賄賂を渡さなければ、外部の人間はなかなか仕事を受注できないなど必然的ともいえる状況が一般化している。中国や韓国であれば、アジア圏でのビジネス手法である賄賂制度にのっとって進める。自国や自社のためになる案件は袖の下を通して政府官僚から受注されることも多かった。日本は高い技術を持ちつつも、現地派遣の課長レベルの判断では賄賂をすぐに渡せないので、(誇るべきだけれども)、日本は仕事が受注できないという構図になる。


 しかし、汚職にまみれた現場では、下請けへの手抜き工事や目的をはっきりしない事業などによって、海外援助の為に集められた血税が現地の人のためにならないことがある。それに役人が変わるなど風向きが少し変われば、事業自体がストップしてしまう。一方、日本の場合であれば、どんなにお金にならない工事でもそれを忠実に遂行するため日本への信頼は非常に高い。



 ただ、どうして、賄賂はまだしも、現地にとってためにならない事業が実行されてしまうのか?極端に言ってしまえば、海外協力援助のお金は 現地の人々の生活への寄与だけが目的ではなく、援助する国側のイメージを良く対象国に植え付けること、自分の国への味方を増やすことが目的だからだ。


だからこそ、丁寧に調査して行う仕事などよりも、簡単な目に見える偉大な成果が求められ、その結果として自国の旗を援助国に立てる。



 例えばSAMSUNの出資によってCG映像が王宮内で流されていた。このCG作成チームは一部だけ調査しただけではあるが、全体を網羅する大規模な範囲でのCGを作成し、一番重要な王宮内建物で映像を流している。観光客も歴史について詳しく知ることが出来る一方、正しいかどうか分からないCGが上映され、この写真のようにSAMSUNのパネルが景観のノイズになっている。

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 歴史的真実性と景観を重要視する立場からは悲しい限りだが、このような出資者の広告は韓国だけでなく、他の国も当然行っている。国家戦略的に日本よりも格段に優れている。

 日本の旗や企業は海外でほとんど見ることがない。相当な量と金額を援助しているはずだが、いったいどこにお金は消えているのだろうと思う。他の国の国旗はよく見るのにだ。近年の透明性の問題から、ODAの出資した事業でも外国の企業が元請け、日本の企業が下請けで入るとか国家戦略的には意味をなさない入札の実態も多い。
日本のお金が日本のためにも、現地のためにもなっていない場合もある。

 この間、日本に滞在していたとき、セブンイレブンのイメージキャラクターとして東方神起や少女時代を採用しているポスターをみた。

韓国のアイドルを採用することは、日本企業が日本の芸能人を育てないのは国策としてもったいないのでは?なんてはじめは思っていた。


 しかし、セブンイレブンは既にアジア圏を中心に数多く展開している国際企業だ。そういう意味では少女時代のイメージキャラクター採用は適切な選択だろう。アジアMTVでの彼らの非常に人気はものすごい。日本のアイドルでMTVでヘビーローテーションで流されている人がいるのか。安室奈美恵さんなら大丈夫だけれども、広告にはグループの方が使いやすい。男性はと言えばSMAPが思いつくが広告費用が高すぎる。そんなこんなを考えだすと日本企業が韓国アイドルを使うのも分からなくもない。韓国のアイドルの露出回数のゴリ押しを指摘する人が現在多くいるけれども、要するに日本が戦略を見誤っているだけだろう。国内でAKBの露出戦略を国内で練るよりは、アジアでのMTVやspaceチャンネルなどへの日本の楽曲の露出を高める方が日本の広告代理店としての役割は果たせるのではないだろうか。



 おば樣方の心をつかんだヨン様とか韓流四天王をはじめ、日本人の多くの若者が持つ韓国への心象を大幅に改善したKARAや少女時代を思えば、日本もきちんとメディア戦略をもっともっとねるべきだろう。極端ではなく、中国での安室奈美恵さんやスマップのコンサートは日本が国家として支援してもいいぐらいだと思っている。国粋主義者でもなんでもなく、なでしこJapanの活躍を応援するのと同じ感覚で応援している。



 前回、文章を抜粋記載したように、日本は文明的に独立しすぎている国家だ。日本は日本を応援してくれるサポーターを世界中につくっていかなければ困難時に立ち向かえないし協力も得られない。他国と文明が違うからこそ、若い世代から生まれてくる日本独自の文化を輸出することで世界中に仲間を作っていければよい。



日本流の殻に閉じこもるのではなくて、日本がどう自らの国をより良くアピールしていけるか、様々なレベルで取り組んでいきたい。もちろん、日本だけが良ければいいのではなく、世界が良くなればよいという立場で。

[2011/08/06 23:46] | ベトナム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本文明の独自性(特異性)
サミュエル・P・ハンティントン
「文明の衝突と21世紀の日本」より 抜粋

■日本の特異性
 第一に、文化と文明の観点からすると、日本は孤立した国家である。日本が特異なのは、日本文明が日本という国と一致していることである。日本には、他の国には存在する国外離散者さえ存在しない。ディアスポラとは祖国を離れて、移住しているが、もとの共同体の感覚を持ち続け祖国と文化的な接触を維持している人々のことである。国と文明の独自性の結果として、日本んは他のどんな国とも文明的に密接な関係をもっていない。共通の文化を分け合っている国々は、高いレベルで信頼しあい、信仰を深め、よりたやすく協力しあい、必要な場合には互いに支援を与えあう。

 第二に日本が特徴的なのは最初に近代化に成功した最も重要な非西欧の国家でありながら西欧化しなかったという点である。(中略)アメリカと日本は議論の余地はあるが、世界の主要な社会のうちでも最も近代的である。アメリカはまた日本にとって最良の友であり、唯一の同盟国である。しかしこの2国の文化は全く異なっている。個人主義と集団主義、平等主義と階級制、自由と権威、契約と血族関係、罪と恥、権利と義務、普遍主義と排他主義、競争と強調、異質性と同質性といったもののの間の差異としてあげられてきた。
 (中略)アメリカがヨーロッパの同盟国のあいだで築いているような、打ち解けた、思いやりのある親しいものであったことはないし、これからもそういう関係が築けるとは考えにくい。
 
 第三に、日本の近代化が革命的な大激動を経験せずに成し遂げられたことだ。(中略)日本は伝統的な文化の統一性を維持しながら、高度に近代的な社会を築いたのである。

 第四に他の国との間に文化的な繋がりがないことから、日本にとっては難題が生じ、また機会がもたらされている。日本は何らかの危機に見舞われた場合、日本に文化的なアイデンティティを感じるという理由で、他の国が結集して支援してくれることを当てにできない。一方で他の社会と文化的なつながりがないために、他のいかなる国にたいしても文化的な共通性に基づいて支援する責任がなく、従って、自国の独自の権益を思うがままに追求できる。ほとんどの文明は家族のようなものだ。それを構成する国々はその中では互いに争っても部外者に対しては団結する。日本は、家族をもたない文明である。つまり、日本は他の社会に家族的な義理をもっていないし、他の社会はアメリカを含めて、日本にたいして家族的な義務を負っていないのである。


 不幸な事実は日本が東アジアのほとんどの国から信頼されていないこと、そして中国を含めてその多くから恐れられていることだ。それこそが中国がアメリカと日本が手を結ぶ現在のかたちの同盟を進んで認めている一つの理由である。もし、この同盟が弱まれば、日本の軍事力の増大、日本の技術の優位性、すなわち日本の核兵器に直面するようになることだ。

* ****
新興勢力にたいして他の国家がとる戦略は二つある。「均衡」か「追随」であり、日本は1世紀前に世界の舞台に現れて以来、一貫して勢力のある大国と同盟を結んできた。「追随」である。第一次世界大戦前にはイギリスと、1920^30年代にはファシズム諸国と、第二次世界大戦後はアメリカと。となれば、中国の台頭で今度は中国と提携する可能性が高い。
* *
日本と中国の文化の違いと相互不信は、ドイツとフランスのそれよりもはるかに大きい。現在も謝罪すべきかをめぐってなおも論争が続いている事実がそれを端的に示している。(中略)東アジアの将来の平和と幸福は、日本と中国が共に生き、ともに進む道を見つけることにかかっているのである。

■アメリカと中国の紛争
 アジアの多数の国に広がっている儒教的特徴で、それが重視するのは権威、階級、個人の権利や利害の軽視、合意の重要さ、対決をさけること、「メンツを保つこと」、そして一般に国家が社会に優先し、社会は個人に優先することなどである。それに加えて、自分たちの社会の発展を数百年、数千年の単位で考え、長期的な利益を最大にすることを優先する傾向がある。このような態度はアメリカ人が最も重視する信念とは全く対照的である。

 アメリカ人は自由、平等、民主主義、個人主義などを最も重視する。また、彼らの傾向としては、政府を信用せず、権威に抵抗し、抑制と均衡を助長し、競争を奨励し、人権を尊重し、過去を忘れ、未来を見つめず、現在の利益の追求に全力をあげる。紛争の根本にあるのは、社会と文化の基本的な違いである。
[2011/08/06 19:20] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ベトナム日誌-2「遺跡保存とAR」
AR=拡張現実
英語の Augmented Reality (英語発音: /ɔːgˈmentid riˈæləti/ オーグメンティドゥ・リアラティ)の日本語訳であるため、それを日本語発音した「オーグメンテッド・リアリティ」や、省略形のARも用いられる。また、拡張現実感(かくちょうげんじつかん)とも言う。

拡張現実(かくちょうげんじつ)とは、現実環境にコンピュータを用いて情報を付加提示する技術、および情報を付加提示された環境そのものを指す言葉。
(Wikipedia より)

この言葉が有名になったのは、
劇場版ヱヴァンゲリヲン破のDVD・ブルーレイ販売をローソンでおこなった記念キャンペーンでのことだ。
ローソンエヴァンゲリオンARアプリを入れたiPhone越し箱根の山を見ることで、そこにある筈のない80メートルの等身大エヴァンゲリオンが現れるというイベントが開催され、大好評の中終了した。



画像:【レポート】実物大エヴァンゲリオン初号機はこうして出現した -ARエヴァ開発秘話-1画像:【レポート】実物大エヴァンゲリオン初号機はこうして出現した -ARエヴァ開発秘話
エヴァ3


実際のイベントの様子(何も無い小学校跡地、iphoneをかざす場所によってエヴァの見え方も変わる)
http://journal.mycom.co.jp/photo/articles/2010/05/27/arevahiwa/images/006l.jpgより


存在しない場所にiPhoneをかざせば、そこには或るはずのない物体や建物が見えるという技術は、今後、より一層一般化するだろう。当然AR技術はipadでも実現できる。文書書籍とタブレット型コンピューターの急増を考えれば、2,3年後には多くの人がARを見るためのツールを持ち歩くようになっているかもしれない。





で、 本題。







このAR技術を歴史遺産の保存に役立てられないだろうか。




既に滅びてしまった、壊れてかけている遺跡を 世界中で数多くみてきた。実際この朽ちた遺跡群が過ごした悠久の時間の流れに想いを馳せるために世界中を飛び回ったのかもしれない。1000年前の2000年前の市井の人々の生活、遺跡を苦労してつくった人々のことを想いながら、そこでゆっくりと昼寝でもして時間を過ごすのが旅の至極の時間だった。


 逆にしっかりとした研究もないままに、再建されてしまった建物をみると非常に悲しい想いをさせられる。テーマパークのように、そこには時間の流れの欠片もなく、ただ、作られてしまった建物。例えばきれいサッパリと修復されたメキシコのティオティワカン。これをみたときは、存在自体がおもちゃのように見えた。



「再建するのが悪いのか!?」との反論もあるだろう。
「遺跡は壊れたままで放っておいてよいのかと?」




遺跡を修復するにあたっては大きく2つの考え方がある。

「オリジナルに忠実に直す」と「オリジナルと区別をつけて直す」

 前者は、歴史や当時の工法を研究し、できるだけ同じ材料、工法で修復して、当時の美しさを再現する目的で使われる。再建とは異なるが、結果的には似た印象を受ける。
 後者はヨーロッパの修復時によく使われる手法だ。完全にオリジナルが修復できないならば、もしくは、昔には必要なかった機能を加えざるを得ないときには、修復した部分と歴史あるオリジナルと区別が分かるように修復する。そうしないと何十何百年後に、どの部分がオリジナルの設計なのか分からなくなってしまう。迂闊に修復すると来場者に間違った印象、歴史を植え付けることになりかねないからだ。区別をつけるという修復例で言えば、古い城に階段を付ける必要が生じた場合、あえてガラスや鉄で設計する例もある。


 僕も前者(同じ材料、同じ工法など歴史的な史実にそって修復すること)に決して反対するわけではない。けれども、僕にはどうも一方で完全に新しくなった建物に本当の魅力を感じられない。特に、発展途上国(中国やベトナム等)における偽装的な再建など、目に余るものがある。木造だった柱はコンクリートで作られ、屋根も色彩も歴史的に史実になのかも分からない。
 世界遺産のベトナム•フエの王宮の中には、存在すらしていなかった建物(日よけのための建物)が当時のスタイルを真似て建築されてしまっていた。みていて悲しくなるほどだ。

s_RIMG0081.jpg
(写真手前の空地に当時の重要な建物が建立されていた。こちらは長期にわたる研究の上での再建を試みられている。日よけなど、すこし外れた位置にテフロン製のテントとフォグ(水の霧)と扇風機を組み合わせたものを配置するなどすれば事足りただろうに、、、、)


 荒廃した悠久の歴史を感じさせつつも、当時の豪華絢爛ぶりは如何様なものだったのか観光客に伝えるにはどうしたらいいか。



これこそに AR技術を使いたい。



 写真のように崩れかけ基礎しか残っていない遺跡がある。
s_RIMG0122.jpg




ここにI-padをかざすと、その画面には当時の遺跡の姿が見えてくるというのはどうか。先ほどの王宮建築を当時のように再建するとした場合多くの調査、研究と時間が必要。この研究•調査の期間が行われている間はとりあえずARをつくっておいて市民や観光客に公開するということができるのではないだろうか。多くの遺跡をすべて修復再建するにはお金も足りないだろうけれども、ARならコストはかなり抑えられる。

 このような考えを東大の研究室が奈良の平城京(現在、跡地は更地)でも使用しようと試みたようだが、ニュースで推測するかぎり、まだ一般には公開されていないようだ。






このAR技術、遺跡の保護や観光イベントに使われるように必ずなっていくだろう。一過性の遊びの企画だけでなく、じっくり遺跡保存の為に使ってほしい。
[2011/08/01 10:31] | ベトナム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ベトナム日誌-1「変わる街」
 5年ぶりのベトナム。残っていた10万VND(ベトナムドン)札や1万VND札は使えなくなってきた。レストランで、出してみると、

「これは古くて使えない」



と言われつつも、あれよあれよと次々ウェイターが集まって、

「その古いお金と、自分の新しい1万VND札と交換してくれ」


と、あっという間に1万VND札はなくなった。


ちょっとした浦島太郎。


しかし、ハノイは変わらない。開発新区に行ったり、工場地帯は大きく異なるのだろうが、旧市街ではベトナムの三角帽子をかぶっている人が少なくなったなぁとか、車が増えたなぁという程度の違いでまだまだ大きな変化は見当たらない。以前に書いたけれども、時代の変化は女性のファッションから変わっていって、テクノロジーによる加速し、最後に都市形態が変化する。


  しかし、ハノイはまだ“変わっていなかった”という印象はどこからきているのだろうか。既に美しい町家が残っていたハノイではなく、ショップハウスや土産物屋が乱立して“変わってしまった”ハノイから変わっていなかったというのだろうか。

 おそらく、僕がみていたハノイのは活力に満ちあふれていたけれど、ハノイの最も美しい状態だったとは既に言いがたい状況だったと思う。


 10年ぶりのフエ(Hue)はどうだろう。


 僕が修士論文の時になんとか文化価値として残そうとした船上生活者は見事なまでにクリアランスされていた。無力感というか、フエがフエでなくなった気がした。街に鮮やかさがなくなってしまったようだ。



 (以前の写真)10年前
hue船上生活
hue_boat.jpg
hue船上生活者2







s_RIMG0107.jpg
(現在の状況)

世界で最も多くの船上生活者が暮らしていた、フエはルクセンブルグの無償援助によって良くも悪くも刷新されてしまし。今では船上生活者など見かけない。




笛で失われかけている景色は、なにも船上生活者だけじゃない。
なんとか今、食い止めないと、それも現代に調和した形で以前の遺構•環境システムを取り戻さなければ、無味乾燥な世界に取り込まれてしまう。
[2011/08/01 01:19] | ベトナム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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