イタリア日誌-18「フランスとイタリア女性の出生率の違い考察」
同じカトリックでもイタリアとフランスの出生率が異なるのはなぜか。背策の違いや文化的背景等、多数原因が考えられるが、あえて生態学的な側面から、人口密度と出生率との関係が原因である、と論じてみたい。

仮説:
人間は動物と同じように過密状態で子供を産むにはストレスがたまり、出産が抑制されているのではないか。
フランスは農業国で広々しているのに対して、イタリアはフランスと同じような人口を抱えつつも国土が長靴ぐらいの広さしかない。つまりフランスとイタリアでは人口密度が2倍ほど大きく異なる。

つまり、
人口密度がフランスとイタリアの出生率に差を生んでいるのではないか。


まずは過密状態における生物の出産率と個体数の増大の相関をみてみたい。

この学問は個体群生態学と呼ばれる学術部門で、既に多くの論文が提出され、下図に示すだけではない相関性の曲線が提示されている。

logistic population growth

logi.jpg

(ecol.zool.kyoto-u.ac.jp/homepage/sota/ecology2_2011_1.pdf)より


これらの図を見ると種族の個体数が増大すれば、一定の数に収束したり、個体数を減らすために同族で殺しあったり、突然個体数が一気に減るような事象が指摘されている。

この個体数の増大減少を生み出す原因として、ストレス説と血縁行動説の二つがあるとされる。
ストレス説は種内競争の激化からストレスが発生しメスの産卵が抑制される、もしくはオスが積極的にメスにアプローチしなくなることを指す。これらを人間に当てはめれば、合コンでうまく発言できないことや自信をもてない容姿などによって、モテモテ街道から脱落せざるを得なくなった男女がニート化するということと現象などが挙げられる。
 
 血縁行動説は低密度時には問題なくとも、高密度時においては成熟した後もメス間の社会関係によって発情できず、交尾に至らないことがある。人間で言えば女性同士による争いや、女性がボーイズラブ(美少年の男性同士性行為を行う漫画、通称BL)を楽しむ現象(ヤオイ化現象)などが挙げられる。※ヤオイ系=ボーイズラブの漫画を愛好する女子を指す、池袋にはBL系の漫画を取り扱う書店が多く集まる通り、通称ヤオイ通りがある。

専門的には交尾後の繁殖阻害要因にはオース効果と呼ばれ、繁殖完了における最後の関門は子殺しでブルース効果との関連で注目されている。


 人間に当てはめた時に一般的に問題視(ないし珍妙視)されるような若年層の例となるのは、近年は生物学的に異常行動に出やすい環境にあることを考慮すれば納得できる部分もある。




さて、生物的に密度と個体数の相関性が述べられているのに対して、上記にみるような、人口密度と出生率の相関性は一般論化されていないように思う。


では、実際のところ相関性はあるのだろうか?
まずはネットで簡単に手に入る資料で仮説的に出生率と人口密度と比較してみたい。


フランスは
国土面積:632,759km²(43位)
人口:65,447,374人(20位)(2010年)
人口密度:115人/km


それに対してイタリアは
国土面積:301,230km²(69位)

人口: 59,870,000人(23位)(2008年)
人口密度:193人/km²


ほう! 
フランスの方が人口密度が低いのだから、フランスがイタリアより出生率が高いのは、こういう理由だったのか!


すごい!仮説があたっている!


これはノーベル賞級発見だ!




と、




結論づけるにはちょっと軽率だ。




他の国も見てみよう。




世界の人口密度のリストで主なものを載せる。(人口/国土面積/人口密度)
1位 マカオ 537,000人/29.2km2/18,424人/km2
2位 モナコ 32,812/ 2.02km2/ 16,244
3位 シンガポール 4,736,000/ 699km2/ 6,773

34位 日本 127,156,000 人/ 377,915km2/ 336人/km²
59位 イタリア 59,870,000 人/301,318 km2/ 199人/km²
92位 フランス 62,342,000人/551,500 km2/ 113人/km²


これと
国の合計特殊出生率順リストと比較してみると

人口密度が最高だったマカオが、逆に出生率は最低という見事に求めていた数値が出た。


196位 マカオ(中華人民共和国)0.95

上記の例と比較してみても法則は当てはまる。
138位 フランス 1.89
179 位 イタリア1.38
190 位 日本 1.27

当然すべては一致する訳ではないが、大体の予想があたっているようだ。
イタリアを基準に196か国中どれぐらいこの法則に当てはまるか調べてみよう。
(正確な数は誰か調べて!眺めてみると約90%ぐらいだろうか)人口抑制など国の政策的な部分もあるが、それでも相関していると言っていいだろう。


アフリカ大陸と南アメリカ大陸の形がパズルのように組み合わさるのと考えた子供のアイディアが最後は世界はひとつの大陸だったと証明されたように、まだ実証されていないけれども、出生率と人口密度の相関性は何か証明すべきものがあるように思う。



私は学者さんではないので、この仮説を学会に発表とか実証する前に、もう一段階話を発展させて身近な実践論に置き換えてみよう。


つまり、


 子供が欲しいと思っているご夫婦は田舎に行って、のんびり子づくりをすればきっとうまくいくはずと仮説がたつ。
毎日、満員電車に乗って通勤していては、人間の生物的な部分によって繁殖を抑制されてしまうのだ。


と、


衰退になやむ田舎の行政・観光協会と不妊治療の病院を説得し、新しい宿泊サービスを提供すれば、きっと新しい滞在型観光業態ができるだろう。



もちろん、企業も産休とか育児休暇だけがあればよいのではなく、ハネムーンに加えて、定期的な子作り休暇制度を用意するべきだと提言したいのだ。
(具体的に言えば、生理休暇を体調を悪い時期ではなく、排卵時に取れるようにする。)



お願いしますよ、少子化担当大臣様
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[2011/07/30 03:15] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
イタリア日誌-17「イタリア流の会議」
 日本で大人数(40人くらいで)会議を行えば、目標を明確にした上で、若手が5、6人でパワーポイント等による素案を作って会議に臨む。会議が始まる時点では内容はほぼ固まっていて、それに対して会議の出席者から意見を述べてもらうということが一般的ではないだろうか。40人の意見が平等に反映されたものではないが、合意形成をするのには役立つ。

一方、イタリアではどうか。
 40人ぐらい会議を行うとき、可能な限りそれぞれ一人一人の行っている内容を聞き出し、話してもらい、テーマについて話し合う。そこにはパワーポイントも資料もほとんどない。昼食を挟んでスプマンテ(発泡性白ワイン)でも飲んだ後、もう一度時間まで話続ける。私が出席した会議は4つのグループに分かれての討論ではあったが、本当によく話すものだと、結論を出すことなく話していく。
 そして時間が来たら、

では、次回は場所を変えて話を続けましょう!との結論だ。



 この会議は特殊な部類ではあったとは思うが、日本ではこの方式はあまり考えられないだろう。日本では先に書いたように「目的」を定め、少数に案を固め、それを多数が無関心ながらも承認するという合意形成をはかるという手法が一般的ではないか。

それに対して、イタリアでは明確な「目標」を定めず、出席した人間がどんな人間かによって目標を設定する。実に出席者本位の手法といえるのではないだろうか。


要するに各国の会議を決定づける要因として、



日本では「整理された書類」が重要とされ、

イタリアでは「感情に訴える人格」が求められる。

アメリカならば「論理的かつ適切なフレーズ」が重要であろうし、

中国なら「大きな声」(笑)、もとい「配慮と器の大きさ」


が決定の大きな要因となるだろう。
なんて。
[2011/07/26 21:24] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌16-「コンビネーション」
 初めて生ハムメロンを食べたとき、これを生み出した奴は僕は天才だと思っていた。

しかし、なかなか日本ではこの味には有りつけない。塩気のあるプロシュートと、濃厚に熟した甘みのあるメロンとが組み合わないとこの味はだせない。日本ではこの2つを揃えるのは至難の業だ。有名デパートであっても時期も選ばないといけないし、ハムも種類を知らないと手にはいらないだろう。今回、イタリアで新しく感動したのが、メロンのプロセッコポンチ、要するにメロンを切ったものをシャンパンに1時間ほど浸けただけ。しかしうまい。シャンパンがしみ込んだメロンは、甘く、しかし、プロセッコのさらっと、かつキリッっとした強さを内に秘める。
この2つは濃厚×濃厚と濃厚(サッパリでも可)×サッパリと組み合わせ方は違うけれど、やはり、食事は組み合わせ(マリアージュ)が大事だと思わせてくれる。

s_女心と生ハムメロン

The 生ハムメロン


イタリア料理といっても地方地方によっても食も変わる。当然味付けも変わる。けれど味は常にコンビネーションで成り立っているというのが面白い。たとえば、山岳都市のペルージャでは塩が貴重品なので、パンに塩気がなく、それだけ食べてもお世辞にもおいしくない。一方でこの地方の生ハムなどは非常に塩気が強く、この塩気のないパンと併せて食べると、これはこれでおいしい。


 デパートでトスカーナ地方(例えばペルージャ)のハムだけ食すと「味が濃いなぁ、あまりおいしくないなぁ」なんて思うかもしれない。けれど、それは誤解だ。繰り返すが食材の組み合わせが大事なのだ。

 トスカーナ地方の赤ワインはイタリアのワイン中でもコクがあって、おいしいことで有名だ。これと先ほどの味の濃い生ハムにあわせると、トスカーナ地方のワインがこの生ハムの真の力を引きだし、力強さとまろやかさを兼ね備えた奇跡の一品に変える。組み合わせってのは、うまく出来ているものだ。その土地の料理は単品ではなくて、その土地のメニューに併せて食すことで初めてその真価が分かる。日本だって、刺身に醤油、日本酒。などなど日本の組み合わせを考えるでしょ。(山にウィスキーにチョコレートとか)

s_ferrara.jpg

写真はフェラーラ地方でのみ食す、パサパサ淡白味のくるくるの形をしたパン。
(こちらでは、濃い口スープが郷土料理なのでそれと合わせるのだろう)



 5年前ぐらいに酒好きな故に唎酒師という日本酒の資格の試験を受けたのだが、この試験では料理の相性を重きにおかれる。どの品種とか銘柄とかという蘊蓄とかより、なによりも今飲んでいる日本酒がどんな料理にあうのか適切に表現することが求められる。これはどの料理にもいえることで、自分の記憶から何と併せたらおいしいか常に考えることが重要だ。


 以前、イタリア人の友人に、「今日は約束通り世界で一番おいしいイタリア料理を食べさせてあげる予定だから、今日は好きなものを頼んで、食べてくれよ!」なんてごちそうになったことがある。


私「本当かい?でも、イタリア語もわからないし、難しいなぁ、何を選べばいいんだい?特にこのお店でおいしいとか、郷土料理ってどんなの?」

イタリア人「そうか、それなら」『パチンッ』(指を鳴らす)ウェイター!ちょっと料理を紹介してくれないかい?」

ウェイター「そうですね、シニョーリ、それでしたら、こちらのはこれこれ、こちらはこれこれで、とてもおいしゅうございますよ」

私「そうですか、どれもおいしそうだなぁ。では、アンティパストはこれで、プリモがこれで、セグンドがこれで」


ウェイター「かしこまりました」


イタリア人「ノン、ノン、rocky 。。。それは食べ合わせが悪いよ。だめだだめだ!それは認められない。これはこちらと、あれだとこちらにあわせないと、カメリエーラ(ウェイター)、交換してくれまえ」


私「、、、、、、、、(あれ?好きなものを頼めっていってなかったっけ?)







ようするに
まぁ、どの国だって食べるにあたっての流儀とか組み合わせがあるのだ。


日本人だって、刺身にソースをかける外国人とか、うなぎに梅干しとか、変な組み合わせで食べだす外国人がいたら思わず止めてしまうでしょ。それと同じだ。



 食べ合わせには、こんな面倒なことも多いけれど、それはなによりその土地のおいしい食べ方を得るため。奇跡的な組み合わせを得るためだ。
楽しみじゃないか!魅惑のイタリア料理!




もし、イタリアでいいものを食べたいと思うなら、お店の人に地元の料理でオリジナルコースをつくってもらおう。値段はちょっと高くなるかもしれないけれども、何も言わなくても、必ず満足する組み合わせで出てくるはずだ。
[2011/07/19 01:15] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌15-「席料と空間と」
イタリアというかヨーロッパでは席料なるものが取られる。いいお店にいけばいくほどこれは高くなる。旅行者的な視点で言えば、なんだーっ!て文句も言いたくなるけれど、建築家的視点にたれば、料理だけでなくいい空間にはお金を払う。という考えは、それはそれで賛成すべきかもなんて思ったりもする。お店内部もそうだが、やっぱり気持ちのいいオープンテラスで飲んだり食べたりすれば料理はきっとおいしくなる。まぁ、席料が含まれているおかげでチップを払わないですむんだけど。


 オープンテラスの時のルールだが、店を背にして外側眺めるのが基本だ。
オープンテラス


歩道や広場に背中を向けてはいけない。3人以上で飲むとしても、広場の方を向いて飲んでもらいたい。というのは、広場側を向いて素晴らしい景色のおかげでコーヒーがおいしく感じられるけれど、一方でコーヒーを飲む人も公園側に楽しんでいる姿をみせなければ、公園からの景観が閉じられてしまうからだ。つまり、オープンテラスというのは、街の景観への参加型配置といえる。

 オープンテラスでは、歩道が狭いところであれば、道路の駐車場スペースを利用。飛び地の拡張型だ。
オープンテラス02

他にも、ウィンドウショッピングの拡張で、ボックスだけを歩道においたタイプも見つかった。道のそんなつかいかたも面白い。


[2011/07/15 16:27] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌-14「イタリアに、なぜ 鳩が多いのか考察」
イタリアには本当に鳩が多い。広場でも駅でもどこでもこれでもかというぐらい鳩が歩いている。イタリア人に聞けば、「それが普通だから」なんてイケズな答えが返ってくる。
もう少し考えてみようよ。

1、 気温と湿度
2、 アプリティーボがこぼれてくるなど、鳩のえさが多いから?
3、 ヨーロッパだと幸せの鳥として見なされるから?
4、 頭を動かさないと歩けない鳩は手を動かさないとしゃべれないイタリア人へのオマージュ?

それにしても多い。
いやいや、だってさ、
そして、時たま「空からグッドラック」降ってくる。
肩にポトッと、頭にベチョッと、車にダンダカ。こんなにも降ってくる。
遺跡だって真っ白になってしまうぐらい。
少し手を打たないのだろうか。

もちろん、駅にも境界にも鳩除けの針がいたるところにある。でもさ、でもだよ、駆除しないの?

イタリア人曰く、そんなの自然じゃないでしょ!殺すわけにもいかないしって!
ブルガリア人が大量に移住して、鳩を食べるような習慣がつけば、鳩も少なくなるのかしら?
[2011/07/14 16:25] | 日本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌13-「イタリア人はいつからイタリア人か」
第二次大戦のとき捕虜となったイタリア人兵士は、手足を縄できつく縛られ、酷い拷問を受けたという。


アメリカ兵「さて、突撃部隊はいったいどこに潜んでやがるんだ!吐け!ボカ!スカ!」


イタリア兵「•••••••••••(沈黙)」


アメリカ兵「まだ口を割らないってのか強情なやつめ、これでどうだ!バコ!バキ!」


イタリア兵「•••••••••(沈黙)」


アメリカ兵「はぁはぁ、なんて強情な奴なんだ、分かったお前は何もしらないっていうのか。ショウガねぇ、縄をほどいてやるからとっとと消えな!」


するり、縄をほどく。


イタリア兵「いてーよー!痛ぇーよ!なんだっていうんだよ!突撃部隊なら40km先に潜んでいるよ!説明させたいんだったら、縄をほどけよ!


アメリカ兵「な、な、な、、、、なんで拷問を受ける前に話さないんだ!」


イギリス兵「そ、そうだ!イタリア人は手を動かさないと話せないんだ!同じヨーロッパなのに忘れてたぜ!」





•••なんてことがあったかどうかは知らないけれども、

イタリア人は本当に多くのジェスチャーをおこなう。まるで鳩が頭を前後に動かさないと前に歩けないのと同じように、マグロが泳いでないと死んでしまうように。イタリア人は手を動かさないと機能停止してしまう。



「考える、よって我あり」ではなく「ジェスチャーする、よって我あり」がイタリア人。

友達の家で、わずか二歳過ぎの子供が、大人のイタリア人のように大きく手を動かしてマンマに感動をアピールしていた。少なくても二歳の段階からイタリア人はイタリア人になるようだ。


私もイタリア•ジェスチャー学校に通って、手の動きを覚えなければ。
イタリアでは手は口ほどにモノを語る。


~Amicizia italiani e piccioni ~

Perché in Italia ci sono molti piccioni?
E 'perché gli italiani nutrono simpatia per I picciononi.
Questa simpatia si è siviluppata nella seconda guerra mondaiale.

I soldati italiani eraro parigionieri dei soldali americani e inglesi.
Le sue mani e piedi sonostatt legati con la corda, Poteva non si muovere gli arti.

Il soldato americano: "Beh, un oereo distaccato sta in agguato da qualche parte? Avamti, Parla!!"

“Doga! Bachi!”(battere rumore)

Il soldato italiano "• • • • • • • • • • • (silenzio)"

Il soldato americano, " Non parlate ancora? Che musone!!!Sputa l’osso!!!

“Doga! Bachi!(battere rumore)

iI soldato italianio"• • • • • • • • • (silenzio)"

il Soldato americano, "Uh Huh, Che musone!! io so che tu non sai che cosa dire. Ti Lasciaro libera!"

slega la corda.

iI soldato italianio "ahi ahi i soldati si sono noscoshi 50km lontano! Se vuoi are sapere informazioni, devi slegare la corda prima! “!

il soldato Americano ', no,,,, non si parla di fronte a tortura perché "

Soldato inglese "la sua, lo so! Ho dimenticoho! Gli italiani non possono poulare senza muovere le mani. l
No, lo So che si tratti davvero.

Gli Italiani usanosempre un gesto come i piccioni che non possono comminare senza muovere la testa

Sì.

Pertanto, ghi italiani sentono simpatia per i piccioni.
[2011/07/13 16:24] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌-12「蓮舫とイタリア人」
おしゃれにシャツを着こなすイタリア人は、襟を立たせていたりする。

そんなイタリアには

「おしゃれをしっかりしなさい。」


という意味の慣用句があるという。


「襟を立たせ!」


ってね。









※襟を正せ、ではなく 襟を立たせ。
要するにシャレです。念のため
[2011/07/12 16:21] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌-10【イタリア人はなぜ美しいか/イタリア女性の悲哀】
 以前の項目でイタリア人女性の悲劇のことを書いたが、とにもかくにもイタリア女性は美しい。まちなかでどうも美しい女性が多いので、日本と出生率が違うのかとか、郊外と都心との年齢層の差がハッキリ分かれているために都心部に若い人が多いのか等、いろいろ考察していたのだが、それは単純に僕が女性ばかり見ているだけだと指摘を受けた。



 実際のところ、イタリアの出生率桁外れに低く、1995年の段階の1.19を最低値として、2007年では1.34に回復している。南イタリアの方が出生率が高いがあるが、北イタリアで出生率が上昇し、南イタリアでは今でも減少している。先の出産奨励的な社会的プレッシャーの割には意外と少ない数字であると思われるだろう。(これに関しての考察は後にする)日本が1.27であるから、統計を見て見ると、日本とイタリアの出生率が逆転していることが分かる。このデータを見る限りは、若い女性が目につくのが出生率によるものではないことが分かる。
出生率

 

 では、若い女性が多く見られるのは、出生率の問題だけではなく、人口ピラミッドによる若年層の割合に起因するのではないか。これが日本よりも高ければ(私は決してロリコンではないはずなので)20歳以上(つまり1991年生まれ以前)を対象として、日本の割合よりも高ければ、私が若い女性にばかり目がいっているという主張を跳ね返すことが出来るはずだ。(ほんとか?!)


人口ピラミッドデータ。(イタリア語)
だめだ!
これだと、たしかに高齢者を除く20歳以上の割合が日本よりも高いことが導きだせるが、書いてある数字上18~64歳までしかパーセンテージが分からない。私だってそんなに女性のストライクゾーンは広くないので、日本よりも若い女の子が目につく理由が年齢別の割合によるかどうかが分からない。
(どちらかというと、友人の指摘の方が正しいという結果が導きだされてしまう。)

 しかし、このデータをよく見ると日本とイタリアのもう一つの共通の問題点である高齢化の問題点が浮き上がってくる。主要国の65歳以上人口割合で、2010年→2050年の予想をみると、
日本:23.13→39.56
イタリア:20.59→31.85
日本が上回っているものの、非常に高い数字だ。(国立社会保障•人口問題研究所資料)
 少子化と高齢者の寿命が延びると想定される今後、日本と同じように大きな問題が絡んでくるだろう。

 
 高齢者の問題には年金の問題やケアの問題が大きく挙げられる。
イタリアは日本と同じく非常に優遇された高齢者補助がなされていた。しかし、知っての通り近年のイタリアの経済状態から考えるとその保障を維持できるわけもなく、1992年には年金開始時期が男性65才女性60歳へと変更された。今後も高齢者に対しては厳しい条件が突きつけられることになろう。

 
 社会的な保障はなにも国家的なところで全て補おうとイタリア政府も考えてはいない。極端にいえば、お金がない中でイタリア政府が導きだしたのは「高齢者のケアは家族でやってね」という答えだ。




 イタリアにはカンパニリズモ(campanilismo)愛郷心、クリエンテリズモ(clientelismo(引き立て)という言葉がよく主張されるようにイタリアはよくも悪くも家族中心主義、内輪主義だ。マンマミーア、とお母さんにべったり、昼には家に帰ってご飯、いつだって家族への愛を示し、家族間は常に仲が良い。しかし、それが社会保障まで家族単位で考えられてしまうと、そこから外れた人間は保障を得ることが難しくなってしまう。また、女性は孫や高齢者の介護などを一手に引き受け、遊びにもいけず、ひたすら家事に追われる姿がある。この問題を考察したい。


 女性の悲劇を語ると、出産を奨励され聖母のように子供を見守ることを求められるので、どうしても職場から離れずを得ず、家族から離れて自立するのが難しい状況に陥らされる。そして、社会的な抑圧から、親の介護をみるのも女性の役割となってしまう。一方で南イタリアの街のおっちゃん達を見る限り、男性の役割としては女性ほどの役割を潜在的な欲求として求められていないとようだ。年金で朝からバールにたむろして、そして、昼寝して夕方5、6人の中まで外にたむろする。ナポリでもどこでもおっちゃん達はサッカー観戦に明け暮れている。女性は街の生活の為に決起して、マフィアだろうが国家だろうが抗議する肝っ玉母ちゃんのイメージが強い。イタリアの男性って一体なんなんだと、考えさせられる。


 であるから、離婚率(2006年)はヨーロッパ圏内で著しく低い。日本と比べても1/2の以下の数値だ。ただし、これはカトリックの戒律によるだけではなく、国家的な社会保障戦略の上で女性が家族から離れるのが難しい状況をつくりだしているのだろう。
離婚率




 つまり、イタリア人女性が美しいというのは、この厳しい社会体制の中で離婚しなくてもすみ、家族のことも家計のこともしっかりできる、素晴らしい男性を捕まえるための魅力である。、動物的にいえばフェロモンとか、毛繕いなようなものか。このようにフェミニストの方々だけでなくとも、多くの女性のお叱りを受ける考察結果になるが、イタリア人の女性の美しさは国家的な抑圧の下で作り出されていると思うと、イタリア人女性の美しさにちょっぴり哀愁を感じてしまうのだ。




 なんて、イタリア人女性に話したら、




「そんなことないわよ。恋愛は自由よ。ロミオとジュリエットを知っているでしょ?」




なんて、いわれてしまう。



繰り返すけれど、この考察は決して私が悪いのではなくて、
イタリアワインがそう考えさせるのだ。
[2011/07/11 15:54] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌-09 【おすすめのカクテル spritz】
 イタリアのワインの中でプロセッコという発泡性のあるワインがある。プロセッコというぶどうの品種を使用した白の発泡ワインをいう。(イタリア人にこんな説明を聞かれたら憤慨するだろうけど、シャンパンのイタリア版と思ってもらった方が分かりやすいかも。)
アプリティーボシャンパン



その中でも熟成が遅く、少し苦みのある後味の、ドライなスパークリングワインのスプマンテがある。このスプマンテとカンパリorアペロ(aperol)を2 :1ぐらいと氷とレモンスライス(店による)を入れたら「スプリッツ」(Spritz)の出来上がり。店によってはソーダ水を足すところもある。このスプリットはフェラーラではよく飲まれるらしく、実際に、バーで飲まれている飲み物の7割ぐらいはスプリッツだった。(ベネチアでもよく飲まれている)
スプリッツ
※campari より Aperolの方が僕は好き。



 これを飲むときにはもちろんつまみも欲しい。もともとアペルティーボ(aperitivo)とは食前酒の意味をさすけれれど、一般的に夕方の17:30~19:30ぐらいまで、バーではアぺリティーボ(Aperitivo)を購入した人が自由につまめる食べ物が置かれている。19:30前では殆どのレストランは営業していないので、ちょっと飲んで食べて友達と待ち会わせるには最適なシステム。普通アペリティーボでもしようか、と言えば、食事の前におつまみしながら一杯カクテルを飲もう!ってこと。

 僕が好きなバーでは、このアプリティーボが非常に充実している。オリーブやハム、クラッカーやポテチ、セロリやら果物。アプリティーボをお皿にとってお酒と一緒に夕暮れを楽しめば、夜は本来サラダぐらいの軽い食事だっていい。元々イタリアはお昼をしっかり食べて、夜はアぺリティーボと+αという程度も良いのだ。
アプリティーボ


 フェラーラでの夕暮れ時におすすめのバーとしては、お城の裏手のOsteriaがおすすめ。(写真は全てここで撮っています)ロケーションも景色もいいのに一杯3ユーロ程度で、かつアぺリティーボが充実している。特に好きなのは黒オリーブが入ったリゾット。これに生ハムを加えれば、それだけで幸せな気分になれる。

夕方も夜もきちんと食べて暮らしていたら必ず太るな。これは。
[2011/07/10 15:51] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
イタリア日誌8【ペルージャ Perugia】

トスカーナはイタリアのハートだ。以前イタリア人の友人が話してくれた。シエナやアッシジなどの小規模都市に観光に行く人も多いけれども、是非ペルージャにも足を運んでもらいたい。都市への知的好奇心を誘ってくれる素晴らしい山岳都市だ。

ペルージャ山岳とし

 ペルージャは防衛のために小高い山の上に造られている。歩いて街に入ろうと思えば、当然、上り坂で苦労しなければならない。もちろん防衛の必要がなくなってからは、高低差を解消やショートカットのための建物が造られたりした。
ペルージャ街並


s_IMAG0545.jpg
この階段を通り抜けると上の街へと繋がっていける。


他にもたとえば、建物は25mほどの高さで下の道と城壁の上を繋ぐ。内部は市場として利用され、交通を集めることによって商業も成り立たせるという仕組みがあったりする。


 現代の車社会の中では、街の人々が当たり前のように車を使うようになったので、一時は広場でもどこでも環境が悪くなり、渋滞も起こっていた。狭く曲がりくねった道では、車の運行は困難だった。そのためまず90年代に街の主要交通としてエスカレーターを設置した。山の中腹から、何度もエスカレーターを乗り継いで山の上の中心へと人を運んだ。
s_IMAG0551.jpg



 これでも足りなくなると、山の中腹に巨大な駐車場を設けた。この駐車場の無料にして、山の上への車の交通量を減らした。バスのシステムも簡易化し、主要なポイント同士を結んだ。
ペルージャ駐車場

建物の間に見えるのが駐車場



 しかし、これでも多くの人々を運ぶには運送量が足りなかった。

 3年前、ミニメトロを開発した。52人乗りのキャビンを1分毎運行させた。スキーのリ フトのように回転往復していく仕組みだ。このシステムだと修理もしやすいし、交通の状況による調節もしやすい。計画の立案者及び元市長さんに司令室を案内してもらったが、全てがオートで運行され、ジャン•ヌーベル設計のキャビンが効率よく継ぎ目なく動いていく様は圧巻だった。

ペルージャミニメトロ
最終の駅では、回転して向きが変わる。トラムとは違って、この方式だとより多くのユニットを動かすことが出来る。

室内の様子。ジャンヌーベルなので、ピカピカつやのある赤色に塗られている。
フラクニール




山岳都市というか垂直移動都市(パルパライソ、ポルト他)の体験の中では最もレベルの高い交通手段が成立していた。
 日本で在れば、新築される建物のEV等を公開して街の高低差を解消させることも有効なのだろうが、イタリアでは新築は難しいわけで公共交通機関を新たに設けることになる。「中世の街と最新の設備」この組み合わせが実にいい。

駅の終点にはエスカレーターとエレベーターが併設され、駅から簡中心まで単にアクセスできるようになっている。見事。
ペルージャエスカレーター

ペルージャエレベータ
[2011/07/09 15:51] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌7-【Bologna 赤カーテンと省エネ】

 ボローニャの建物の色は赤色が基本。おそらく平地のため石材が取るのが難しいためか石材ではなくレンガ造りが多く、その土が赤色であることに由来しているようだ。

 ボローニャ色2

人間面白いもので、この赤色が見慣れて、当然の色だと無意識だが体が認識すると、と赤を自然と使うようになるのだろうか。ボローニャではカーテンの色も赤が基本だ。

赤いカーテン



この色使いは建物と相性がとてもいい。このカーテンが赤だと分かるのは、そう、当然窓の外側にカーテンが在るから。窓の内側にも白いカーテンを付けてはいるものも多いが、まずは日差しの強いイタリアでは、窓の外側にカーテンをする方が熱効率にいいのだ。日本のように窓の内側にカーテンをすると、窓のガラスを通って光が入り、カーテンが暖められて結果として部屋も暑くなってしまう。日本では湿気や雨が多いので外部カーテンという同じ方式は取れないが、今後の日本の省エネを考えると、雨戸や網戸を日差し除けになるように改造していく余地が在るのではないかな。

 太陽エネルギーから発電をしていきましょうとソーラーパネル設置の話があるけれど、やはり太陽エネルギーから生み出されるのは熱だ。全体の電気消費に対する冷房電力の割合は3%に満たないけれど、給湯や暖房にその6割使っている。電気消費を減らすには、どうやって太陽熱を暖房や給湯につかえるかを考えなくてはならない。設計も同じこと、どのように熱を居住者に還元できるようにしていくのか考えなくてはいけない。

 特に寒さの厳しい北欧でガラス建築がエコロジーであるといわれるのは、太陽光の熱エネルギーを享受できる所にある。暑さと湿気の厳しい日本で適当ではないけれど、電力消費のみを考えるならば、この熱エネルギーをいかに還元するかが設計にも問われているのだと考えている。
[2011/07/09 15:39] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌4【夏の広場では何かが起こってる】
 ヨーロッパの夏の広場は常に何かが起こっている。夏場は特に涼しくなった夜8時以降にイベントが集中する。ボローニャの中央広場では夜の映画上映が2週間毎日開かれていた。日本でいえば東京都庁前の広場で500人ぐらいの席を設けた映画鑑賞会を開催するようなもの。こう考えると、日本の街ってまだまだ楽しくできる余地があると思う。

広場の映画


 ペルージャでは2週間続けての夏のジャズ大会がおこなわれるし、フェラーラでは音楽の演奏を8時半から夜中の12時まで開催されていた。ペルージャのジャズは有名だけれども、他の町でも当たり前のように広場でイベントが行われている。それも土日だけではない。火曜日でも夜にはNPOによるイベントが行われている。海外の国を助けるための社会的なイベント。街の公共空間の使い方がきちんと意識されている。
s_ferrara_fistival.jpg
※ちなみにドウモ(教会)の壁に張られているのは、元の壁の写真をスクリーンに転写したもの。




 日本では市民に使えるように造られた公開空地の前にガードマンが立って使わせなくしているなんて馬鹿げた話が実際にあるけれど、イタリアでは逆だ。イタリアの”皆で楽しむ”という、共通の意識はどの街をも魅力的にしている。
[2011/07/07 00:14] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌6-Emilia regiona
クリエイティブシティに関する会議の会場が、偶然にエミリア•リッジョーナの教育を紹介するエキシビジョンセンターで行われた。ここでの教育方法は世界で最も優れているとアメリカのニュースウィークでも紹介されている。日本でも現在、渋谷のワタリウム美術館で教育方法を紹介する展示会が行われており、日本でも注目されている。友人も小竹向原にまちの保育園という、エミリア リッジョーナの教育手法を取り入れた保育園を建設していて、おおまかな情報を得ていたのだが、まさか自分がエミリア リッジョーナを見学することになろうとは思わなかった。

 この保育園は元々、市の保育園として始まったものだが、現在では半分公共半分私立のセクターとなって外部からの協力や資金も受けながら運営されている。この教育方法の優れている点は子供の感性を引き出すように教育していることにある。先生は日本のように一般的な保育士が毎日絵本を読み聞かせたり、公園で遊ばせる、歌をみんなで歌うなどのクラスをターゲットと授業ではなくて、美術や音楽、工作など多岐にわたる専門性をもった先生が、それらの専門性を取り入れて一人一人の感性を引き出す授業を行っている点にある。
 たとえば、カメラを子供に持たせてまちに出て、国旗の色(赤、緑、白)を探しながら、写真を撮っていく、これらを結びつけて大きな国旗を作ってまちに飾る、などの答えのない自分で発見するような授業を行っている。
s_エミリオレジーア1
s_エミリオレッジーナ
 これらの作成された旗は街のいたるところのレストランに飾られている。




それも驚くべきことに、これらが一過性のイベントで終わるのではなく、毎日、毎週学校の先生によってオリジナルのプログラムが作られていることだ。
(詳しくはホームページもしくは佐藤学著の驚くべき学びの世界~レッジョ・エミリアの幼児教育に詳しく書かれているので参照されたい。)



写真:先生が新たな教育の道具を常に考えている。


 プログラムの例として光を題材にした教材とその空間を丁寧に紹介してもらった。ここでは例えば7つの色の照明が用意されている場所を用意して、自分の影が常に黒ではないことを子供自身に発見させたり、蛍光塗料が塗られた板を使ってペンライトの光によって壁に文字が書けることを発見させたり、ライトテーブルの上に色の着いた半透明のプラスチックを置いて色がどのように混ざるのかを発見させる教材など様々な感覚を豊かなする空間が用意されていた。これらは単純な仕掛けだが、奥が深い。先生はどうしてこういう事象が起こるかという答えを始めから教えるのではなく、子供の好奇心をくすぐりながら自分で、ないし子供同士でわくわくしながら考えて謎を解き明かさせるようにしているとのことだ。


 日本であれば科学館等の施設内でこういう授業があるから別に対したことないではないか、というかもしれないけれども、その機会は少ない。この感性の授業は人数は少なくして自主性を促し、ゆっくりと子供を誘導してあげる先生が必要だ。この幼稚園のシステムでは半年に一回とかではなく手を変え品を替え、毎日、発見に満ちた生活を子供達に提供している。

 これらのプログラム(というか仕組み)は是非、日本の先生も取り入れてほしい。一番良いのは創造性のある先生を雇用した保育園を日本につくることだ。しかし、テレビ番組を子供達に見続けさせているような保育所が多いと言われる日本では、実際に創造性のある授業を出来る人は少ないのだと思う。ましてや保育園にいる先生全員となると、それだけの先生は集められないだろう。(※後日、まちの保育園に行きましたが、それが出来ている。理想があれば若い世代はどんどん世界を変えていける)

 日本の教育のシステムや先生はすぐには変えられないし変わらない。それでも、現状の日本に少しでもエミリア•レジーナの良いところを取り入れるためには、
(1) 文部省か市町村の教育委員会は市立/私立問わず、全ての先生に授業に外部の人間(たとえば絵の先生や音楽家や子供教育を専門とする方)を特別講師として呼ぶことを認め、そのための予算を確保すること。(それが出来ないなら、どこかの財団がやればいい。当初はそこまでお金は掛からないはず)

(2) 新しい教育のために必要となる小道具を個人で用意することが難しいのであれば、それを貸し出せるようにする、もしくは廃材を利用して教育材料をつくれるようなスタジオを用意等して教育者に便宜を図ること。

(3) 道具だけでなく、感性教育に必要な空間(例えば暗室やブラックライトの部屋)が必要であればトラックなどによる移動式教室や空き家を利用した教育スペースをまちの教育のリーダー(別に先生でなくてもよい)の要望にそって提供すること。これらを上手に使いながら、感性や好奇心を一番鍛えるのにいい時期に適切な教育ができる。(現場に必要な教材は、現場で一生懸命活動する人につくってもらうのが一番いい)
 

 加えて、自分の子供に本当によい教育を提供したいのであれば、現状の日本では先生方々に任せきるのではなく、地域の人たちが知恵と時間を出し合って、新しい教育システムを作り出すしかない。



 前述した小竹向原の「まちの保育園」だけではなく、新しい教育方法色々な動きが見えてきている。他にも北欧の教育手法やドイツのルドルフシュタイナーハウス(日本では高田馬場にある)などの教育手法を自分の子供に受けさせてあげたいと感じる。理想の保育園を自分自身で建設することは出来ないにしても、そのために、少し身の回りの環境を整える動きをしていきたい。最近PTAのお父さん会が興隆しているらしいが、同じことを思う人が10人いれば、単純計算でこのような機会を交代交代で10回子供達に提供できるのだから。まずは、お父さんのそれぞれの特技を使った教育や、自然の中での体験などエミリアの考え方を使った教育方法は日本でもすぐに実現出来ると信じている。

[2011/07/05 20:14] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌5【イタリアでのランニング、走る意味についてなんとやら】

 ボローニャでは早朝からランニング。日本であまり走っていなかったのは決して僕が怠けていたのではなくて、街が走る気分にさせてくれなかっただけだ。
 街を、朝、走る、これから動き出す街。清掃車もいない。
 すこしずつ市場が用意を始める。新鮮な光と、ひんやりした空気。街が鼓動を始めている。

 フェラーラでは早朝か19時半頃から城壁沿いを走る。日の傾き加減によって街の西側と東側のどちらを走るかを決める。街の人々は犬を連れて走ったり、緑の絨毯の上で歓談したり、剣道のトレーニングをしたりする。街とランニングコースのその近さが素晴らしい。




 日本はなぜそんな空間がないかって?ないならなぜつくらないかって?

 それは単純に言うと、心地よい空間に対する欲求が薄い、と言わざるえないと思う。これは決して日本人の感受性という問題ではなくて、自分自身が美しいという風景を獲得する欲のようなものが若干少ないのではないだろうか。

 人間は街を作り出すけれど、その街に長くいると、自分の中に街の遺伝子を持つようになる。西洋人が東洋の国に行ってもどうしても自分の国と同じような空間を作らないと落ち着かないのもその性だ。(上海でも、マラガでもジョホールバルでもどこでも西洋人による西洋風の建物があるでしょう)。日本人だってそうだ、ブラジルまで行ってもなんとかして、日本と少しでも近い空間を獲得しようとする。明治時代の和洋折衷もそうだ。西洋を真似したいけれども、自分の中にある日本的美意識の遺伝子がどうも完全なる西洋を具現化させてくれないのだ。


 これは当たり前のことだと思う。だからこそ設計や都市計画者はより良い空間を作るために、常により良い空間の中にいるべきなのだ。

 自分の街がもしも美しくないと思うのならば、市や県の都市計画の担当者の机や仕事場が「どよ~~ん」としているせいのかもしれない。正直言って、たいていの市役所の職場のあの色も光も創造性もない空間ある。彼らの職場空間が心地良くなくては、市民に対して心地よい空間を計画してはもらえなのではないか。

 もしも市役所が快適だと、「市の職員は、人民に尽くせー!税金を払っている市民よりいい職場(空間)で働けるなんて何事だー!海外のいい空間の見学なんて何事だー」なんて、おばちゃん達のお叱りを受けるかも知れない。

 けれど、いい仕事をしてもらうために、つまりより良いランニングコースを整備してもらうために、役所の人にも、もう少しいい空間で働いてもらいたいと思うのは僕だけだろうか。

 いつまでも夜にならない夕暮れのランニング。ついつい、そんなことを考える。


s_IMAG0568.jpg

※カメラから写真の取り込みがうまくいかないのでそのうち写真をアップ
[2011/07/02 07:23] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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