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イタリア日誌-3【イタリアの女性の悲劇】
「うちの娘に手を出した奴はぶっ殺してしてやる!」


なんて、イタリアのゴッドファーザーは怒鳴っていたのかもしれない。
けれど、そんな危険をものともせず、いつだって、どこだって、イタリア男性からの女性へのアプローチは情熱的だ。


もし、その逆に、女性が男性に声をかけたならば(他の国だってそんな国はあまりないと思うけど、というか、そんな国があったらいいと思うのだけれども)、イタリアの女性像から大きくかけ離れてしまうのではないだろうか。これをアンフェアといっていいのか分からないけれど、女性からのアプローチはどうもイタリアの事情にそぐわないようだ。

 というのもイタリアの主要宗教はキリスト教の中でもカトリックであって、比率は国民の約9割に達する(wikipediaより)。カトリックはプロテスタントに比べると家族像に対しな厳格なイメージを持っている。ごく最近の1970年まで一般国民の離婚が国家法として認められていなかったし、妊娠の中絶も同年まで違法であった。もちろん、結婚しながら別居している状態も多かったのであろうが、イタリアは宗教国家(といっていいかな)として、現代的な個人主義の時代の要望と体制が剥離する状態であったということは否めない。


 僕が問題としたいのは、イタリアの女性の理想的モデルとして聖母マリアが圧倒的な象徴的権威を確立してしまったことだ。聖母マリアは旦那さんと性的な関係を結んでいないのにも関わらず、処女懐胎してイエスを身ごもったとされている。人間的な感覚で率直に言えば「そんなことあるわけないだろ」ということなのだが、この無理難題が、というか人類の法則から外れている理(ことわり)がイタリア人女性に社会的な抑圧として押し付けられている。


つまり、性を否定的な価値とする見方を押し付けられながら、普段に出産奨励的な社会的プレッシャーを受けざるを得なくなったという意味において、イタリア人女性の最大の歴史的悲劇であったとも言えるのでないか。


 もちろん、イタリア人女性にそんなことを真面目に聞いてみても、
「最近は違うのよ。イタリアだって自由よ。」
なんて言われてしまうので、僕の推察は常に外れる。予想が外れるのならついでにイタリア人女性からアプローチがあってもいいものだと思うのだが、それもない。


 イタリア人女性はなぜ美しいか、というのは置いておいて、今日もワインがおいしい。ワインを書きながら文章を書くとどうも情熱的な文章になるのは、きっと男性の性ではなくて、イタリアワインのせいなのだ。

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[2011/06/29 22:42] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
【旅コラム】世界の見方

 このブログでは出来るだけ、僕が何をしたとか、ガイドブックに書いているようなこの城はこういう歴史があって、、、というのはあまり書かないようにしている。というのもそれはどうせすぐに忘れられることだし、専門書を読めばそれでよいと思うからだ。


 僕が主題として国土や地形による大きく国民性や民族性を描いているのは、やはり人間が外的な用件によって形作られているからだ。イタリア人は、、こういう種類の人たちだというようにガイドブックに書かれたり、体験記に書いているのを見かけるけれども本当はそこが重要な点ではないのだと思う。本来イタリア人を構成している要素は何かを考えていかないといけないのだと思う。それを丁寧に推測することで、世界のあり方が分かってくるのではないかな。なぜなら、イタリア人はこういう人たち、中国人はこういう人たちというようにステレオタイプに型を嵌めたら、そこからは何も発展しないように思うのだ。


少し話を変えて、人間の性質について、語ってみたい。
 僕らが誰々さんのことを語るときに、彼も人間であり、動物的な本能を持っているということをつい忘れてしまう。

 例えば僕は赤ちゃんにはとても人気があるのだけれども、それは僕が特別なのではなくて、僕は基本的なルールを守って赤ちゃんに接するようにしているからだ。赤ん坊に近づくときは、相手が信頼するお母さんと仲良く話しているところを見せて、自分は赤ちゃんを含む仲間に属する動物で、君の敵ではないことを認識させる。赤ちゃんに近づくときは、相手の目線より下から相手を威嚇しないようにゆっくりゆっくりと動く。赤ちゃんのテリトリーである80~90cmあたりのところで止まり、警戒させないようにする。赤ちゃんに触れるときも相手がいやがらないところを触るとかが大事で、犬の毛を逆立ててなでたら嫌がられるのと同じように、子供だって毛の生える方向に沿ってなでてあげることで相手に安心感を与える。そして、相手に自分の匂いを覚えさせる。


これらは、ごくごく基本的なルールだと思う。子供は人間がより動物に近いプリミティブな状態なのだから効果は強くでる。もちろん大人であっても、薄まりながらも同じような本能を持っている。


 「女性を3分で口説く方法」なんて本がベストセラーになっているとニュースで見たが、相手の対人方向や机と椅子の位置やらそんな所を工夫するようにも書かれていると思う。女性だから、、女性に対してはと考えるのではなくて、人間は結局のところ動物なのだから、その本能に逆らうことなく接するべきということが書かれているはずだ。(分かりませんが)。多くの人の虚栄心や、人の悪口を言うのも、少しでも猿山の序列を高めるためだと思えば、○○さんの性格が悪いというのではなくて、そういう風に造られているのだと、大局を眺めるしかないのだと思う。

 
さて、国民性の話に戻る。

人間や国民性は個別解答が用意されている。特別解を求めるのではなくて、おそらく、人間って大きくこういうものだと大局を見ることが大事なのではないかと思う。国民性は地形や歴史などから造られているのだと、単純に決めつけるのではなくて、目に見えない要素を見極めようとすることが大事なのではないか。

 地形や歴史、食事に服装、本質を見極めるための視点をいくつも持てば、それだけ世界はもっともっと味わい深いものに鳴るのだと思う。旅行時に、街がきれいだねぇ、人がこうこう人達だった、と話を終わらせるのではなくて、それがなぜ引き起こされたのか常に考えていきたい。
[2011/06/29 22:21] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
イタリア日誌2【イタリアのスローライフ】
イタリアではエレベーターに「▷|◁(閉める)」のボタンがついていない。
s_hirokiエレベーター



なんというスローライフか。ドイツにも「閉める」のボタンがないという、1、2秒を争うことなく、ゆっくりとドアはしまる。これに慣れればよいけれど、どうも日本人の僕の体は数字のボタンより前に、閉めるのボタンを探してしまう。ドイツの事例

一方で、人が挟まれたときに自動で開いてくれる機能がついていない。挟まれたら挟まれっぱなし、だれかが開くボタンを押さないと開きやしない。


 スローライフと言えば、先日震災復興に関する国際会議に参加させて頂いた。町の歴史あるオペラハウスを貸し切り、市民も200人ほど呼ぶと聞いていたので緊張もしていたのだが、開始時刻になろうというのに来場者が1、2人しかいない。あれ、どうしたのかと不安に思っていると、国際会議の司会が開始時刻の直前に


「さてコーヒーでも飲みにいく?」


と言い出す。


「あれ、もうすぐ始まる時間でしょ」


となんて僕が答えると、


「大丈夫。イタリアンタイムだからさ。開始時刻がまぁ16時って言っても16時15分かもしれないし、16時30分かもしれないよ。」


と返される。ああ、なんと言うスローライフ。


 開場してもみんな思い思いに友人と語り合いやっと30分遅れで、だいたい主催者の顔見知りがそろったなぁというところで会議が始まった。こんな国では焦ることがバカらしい。会議終了時刻も各々が好きに話し終わったところが終了時間だ。


 その国にはその国の時間の流れ方があって、その流れに合わせるのが最もスマートで、心地よい。イタリア時間に時計を合わせたい。
[2011/06/28 21:55] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
文明の衝突 サミュエル・P・ハンティントン
本当に名著だ。15年以上経っても、未だに彼が書いた通りのシナリオで動いている。

***文明の衝突***
ハンティントンはまず文化が国際政治においても重大な役割を果たしていることを指摘した。特に冷戦後において文化の多極化が進み、政治的な影響すら及ぼした。なぜなら文化とは人間が社会の中で自らのアイデンティティを定義する決定的な基盤であり、そのため利益だけでなく自らのアイデンティティのために政治を利用することがあるためである。伝統的な国民国家は健在であるが、しかし行動は従来のように権力や利益だけでなく文化によっても方向付けられうるものである。そこで現在の諸国家を七つまたは八つの主要文明によって区分することがハンティントンにより提案された
***


少し、彼の著書からの抜粋をしてみたい。

最も重要な孤立国は日本である。
日本の独特な文化を共有する国は他にない。他国に移民した日本人はその国で重要な意味をもつほど人口が多くないし、かといって移民先の国の文化にどうかすることもない(たとえば日系アメリカ人がそうだ)。日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のある宗教(キリスト教やイスラム教)やイデオロギー(自由主義や共産主義)をともなわないという事実からであり、そのような宗教やイデオロギーをもたないために、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化的な関係を築くことが出来ないのである。


神の復讐
 無神論者の方向には世界は進まなかった。
グローバルな宗教復興をもたらした最も顕著で重要な、そして最も強力な要因は、まさしく宗教に死をもたらすとされていたものにほかならない。すなわち、20世紀後半の世界に巻き起こった社会、経済、文化の近代化の嵐である。これにより、長い間確立されていたアイデンティティの基盤と権威の体制が崩壊した。人々は農村部から都市へと流入し、故郷との絆を断って、新しい仕事についたり、職を失ったりした。彼らは見知らぬ多くの人々と接触するようになり、新しい人間関係のなかに置かれた。彼らはアイデンティティの新しい根拠、新しい安定した社会、新しい道徳律の体系を求め、そこにみずからの存在意義と目的とを見つけようとしたのである。宗教は、主流の宗派であれ、原理主義であれ、これらの欲求を満たしてくれた。

 成長著しい国をみると宗教の興隆が見える。祖先崇拝、シャーマニズムといった古い習慣や信仰だけではもはや完全な満足は与えられなくなった。人間の存在意義、我々がなぜここにいるのかといった疑問にたいし、より高いレベルの答えを求める動きがある。

人間は理性のみによって生きていくものではない。彼らは自己の利益を追求するうえで、計算し、合理的な行動をとる前に、まず自身を定義づけなければならない。

* ***

さて、僕らは自分たちの狭量さをもっと理解して、自分たちが他の国の人から見たら異常なコミュニティを作ることを理解することが重要だと思う。ただし、決して西洋のようになることや、グローバリズムに染まることはないと思う。現代で使われているグローバリズム=西洋文明化であれば全く意味のない議論。

 文化的背景のもとに、これから生まれつつある新しい自由主義との潮流をいかに組み合わせるか。今後、文明の上にその、地球市民的な意識の流れ、どこの文明グループに属さないノマドが生まれてくるはずだ。それが世界の時代、思想、歴史の流れを決定づける鍵になるのではないか。まだ、名前はない。見えないけれども、動き出している。見えない力が重い空気のように迫っているのを感じる。それは、明るい希望だ。おそらく彼らは気づいていない。だが、8つの文明の上に、ゆっくり流れる気流がある。それが形になるときに、世界の構図は変わるはずだ。



さて、とりあえず今後台頭する中国の覇権主義に対して、ある程度寛容さを持ちつつ、新しいアジア圏域を一緒につくっていけるか。日本の舵取り、世界の融合に向けて、何が出来うるか、一人一人考えていかないとな。
[2011/06/19 23:31] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
【イタリア日誌-01】イタリアと中国と日本
塩野七生さんの イタリアだより で紹介されている内容にこんな記述があった

かつての大統領エイナウディは『無駄な説教』と題した書物のなかで、
あなた方の説くことは、イタリア人には無駄なので聞き入れられないとしても、それはあなた方のせいではないのです。神様のせいなのです。

ある時、世界の国々を作っていた神様に天使の一人がこう聞いたのでそうです。

「神様、イタリアばかりこんなに美しい自然と温暖な気候に創られては、ほかの国々との釣り合いが取れず、不公平ではありませんか」

神様は答えました。

「心配することはないんだよ。イタリア人を入れておいたから大丈夫だ」



まぁ、イタリアだけではなく、ラテンな国はそんなところだ。でも、僕はラテンな人の突き抜けた陽気が好きだ。



さて、続きを書いてみる。



「神様、中国ばかりこんな峻険な自然と厳しい気候に創られては、他の国々と釣り合いが取れず、不公平ではありませんか」

神様は答えました。

「心配することはないんだよ。たくましい中国人を入れておいたから大丈夫だ



さて、日本はどうだろう?

「神様、日本ばかりこんな美しい自然と温暖な気候に創られては、他の国々との釣り合いが取れず不公平ではありませんか」

神様は答えました。


「心配することはないんだよ。日本人を入れておいたから大丈夫だ。勝手に自滅してくれるさ
[2011/06/16 11:46] | イタリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
企画書 「MountScape -屋根プロジェクト ~ネパール山岳地方の景観と住まいの共生を目指して~」
 「MountScape」(マウントスケープ)はこのプロジェクトのための造語です。山岳地帯には山岳地帯にふさわしい景観(Landscape)があります。観光立国であるスイスは高水準の文化生活を送りつつも頑に昔ながらの住居形式を守っています。それはスイス人の気質によるところもありますが、古くからの住居形式が最も美しいということを住民皆が知っているからです。そして、その美しさこそが多くの観光客を世界中から呼び寄せている事を知っています。

mountscape1.jpg


 同じように観光立国であるネパールはその国家収入の内60%以上が観光によるものだと算出されています。しかし、国をあげて外貨を得る事に関心はあっても、住民の一人一人が観光立国としてのネパールを考える事は少ない。美しい街並と美しい山の景色があってこそ人はネパールに魅了されるのだという意識が少ない。


mountscape3.jpg





 エベレスト街道に登るとそれを強く感じます。街道沿いには山の景観にそぐわない青いトタン屋根が増えてきています。世界各地でトタン屋根が貧困層の住宅になくてはならない材料になりつつあるのは事実だ。トタンは簡単に施工して雨を防げ、万が一お金に困ったらトタン屋根を転売することも出来るからだ。便利である一方、寒暖差に弱く、観光客が望む風景を壊している、そして何よりも彼らが持っていた文化的景観を失ってしまいます。
 


 ここで提案させて頂きたいのは住民と協力して実現する山岳地帯の修景手法です。



1、トタンの屋根の色を景観色に。
 自然界には本来青い色というものはほとんど存在しません。環境色学の知見から、風景の色は地元の土の色が基本と言われます。青が風景の中で異色となり、山岳風景を壊します。まずは環境色の調査を行い、環境色を設定します。そして予算のさほどかからない屋根の色の変更から山岳景観との調和を目指します。

mountscape4.jpg
↑緑や茶色の自然色と青色が調和していません。




2、山岳風景に調和した代替え材料を。
 石材、断熱の為のゴムシート、L型フレームを組み合わせて風景と調和した屋根をつくります。この手法は地域によって材料が変わります。低地であれば木片瓦、南米の山岳地であれば藁を表層に置き景観に調和した屋根をつくります。
mountscape6.jpg
↑元来の現地素材を使った屋根こそが風景に調和します。これに現代的な機能を追加することが重要です。


mountscape2.jpg
↑石材の屋根



ネパール本来のMountScapeを取り戻すことが長期的な視点で重要です。
ネパール都市部のまちづくりも兼ね、現地への専門家の派遣が重要です。また住宅の屋根が対象のため、住民との協力が欠かせないため、現地カウンターパートとの先行的な実施が必要です。

 世界一美しい山々がいつまでも美しいMountscapeであるために。
[2011/06/16 01:28] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ミヤギハギ

辿りゆく 復興への 遠き道 萩の花は 幾たび咲きし



*桜に想うのだろうか、の花に想うのだろうか、雪に想うのだろうか。


[2011/06/15 16:34] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
仮設住宅はもういらない。
仮設住宅は次の4つ種類
1、プレハブ協会が3万7000戸。
2、公募の地元企業(木造仮設等)7000戸
3、ハウスメーカー関連3万準備
4、民間の賃貸を仮設住宅として認める「みなし仮設」・・・18,194戸(6/6現在)

見なし仮設以外は最終的には解体するものだ。

問題点を列挙しておく
○ プレハブ協会の仮設
は公的であり、敷地が校庭や公園等を占領している問題。コミュニティが心配。孤独死の問題があり環境改善をしていく必要がある。いまでも仮設に入ると食料の援助がなくなるため仮設に入ることを拒んでいる人もいる。徐々に減築していく必要があるが、その制度がまだ整っていない。

○ ハウスメーカー
要請されたが、必要なくなったと要請分は判断。今は建設に二の足を踏んでいるが、結局仮設と本設との部材の規格が違うので転用が難しい。作ってしまった部材の行き場がない。

○ 公募の地元企業
 仮設よりも本設で行う必要があろう。住田町などは素晴らしい。今回というよりも今後のシステムの構築に役立てる

○ 見なし仮設
資源の有効活用とも言える。しかし、地域内で数は限られており、これを認めていることで特に若い人が仙台などの中心市に転出してしまう。コミュニティの断絶ともなりかねない。

→仮設住宅新規建設を止める。ないし緩める。
生活のニーズを把握してそれに対応する。それぞれの人々は仮設住宅資金としての補助金を受け取ることができる。インフラや嵩あげ含めその分を国のお金を使わなければ、その土地に投資してもよいはず(事実三陸沖津波の時はそのように嵩あげなどの国の方針にそってお金を使わず、そのお金を住民に回した)

 仮設住宅の分の資金を本設に回し、もしくは中心市街地の再建と共に住宅を作っていく。特に高齢者と自立世帯とは状況が異なるので、一様の援助(たとえばプレハブ仮設)ではなく、グループホーム+食事のケア等を考えた持てる資金を集めて使うことも出来るだろう。

とりあえず、仮設はもういらない。と書くと語弊があるが、今のまま進むと阪神で起きた問題が何倍にもなって必ず起きる。

(まだ、書きなぐり状態なので時間を見て整理します。)
[2011/06/13 07:33] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
3.11を機にした復興まちづくり曼荼羅図
震災を機に日本のまちづくりのあり方が変わって来るのではないだろうか。
まちは無関心であれば、荒廃し、
良くしたいという意思があれば活き活きとしてくる。
20年後の未来は子供の頃に夢見たような形ではないけれど、
きっと生活に満足できる形で生み出されると思うのだ。
いい意味で成熟したサスティナブルな日本に。

復興曼荼羅図
[2011/06/10 15:26] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
カタルーニャ 国際賞 村上春樹さんの核と原発に関するスピーチ
村上春樹さんのカタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.htmlより

****

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。

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そうだ、僕ら自身が「非現実的な夢想家」であらねば。
ガンジーの言う「自分自身が世界を変える力」となるために

スピーチの出だしが実にうまい。政治的に難しいことも小説家としての立場から世界に立ち向かっている。アンダーグランドをきっかけとし1Q84から本当に春樹さんの世界に対する態度が変わった。
イスラエル村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳)
イスラエルの壁と卵と現地で対話して思うこと(旅より)

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最近、人気マンガのOne pieceでは魚人族の迫害と他部族とのわがたまりが描かれている。
お互いの部族のことを知らないからこそ迫害や争いが生まれるとの趣旨を述べていた。
日本の首相は決して影響力は高くない。現在、最も世界に影響にあるコンテンツはマンガだ。アニメを含め何億人もそれを見ている。戦うことのただしさに悩む主人公たちが出てくるのは日本人の書くマンガとゲームぐらいだろう。脱線するが小説もマンガも文学の力で世の中をいい方へ変えようという意思がはっきり見える。言葉の力、humanity, 夢想家どれも物語の書き手が持っている武器だ。

少しうれしくなって今日は帰れる。


[2011/06/10 10:11] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
復興区画整備事業-石巻市復興計画案メモ3
■被害甚大地区を取り込む再生

 関東大震災では3400haが対象地区になったように、区画整理事業は施行開始時から震災と共に確立されていったといえる。当時、区画整理事業の対象となった地域のインフラが未整理であり、高度経済成長時代においては減歩しても、土地の価値が上がり、国も土地買収の負担なしでインフラ整備を進めることができた。つまり区画整理事業は純粋な事業効果よりも社会全体のインフレーションに伴う地価上昇に依存していた。

 区画整理事業以外に一般的な開発手法としてある第一種市街地再開発事業はどうか。組合による権利変換手続きにより従前建物、土地所有者等の権利を再開発ビルの床に関する権利(保留床)に原則として等価で変換する手法である。現在適用されている再開発地区のほとんどが駅前の一等地であることからも分かるように、こちらも立地条件による価値や人口の増加、経済的な理由に支えられている事業であるといえる。石巻中心市街地の地価は大幅な下落がみられ、平成21年における駅前の地価は平成9年時の約1/4に下落している状況を鑑みると区画整理に適しているとは言えない。

 区画整理事業は現地換地、等価交換が原則である。飛び地換地も行われるが基本的には小規模の区画内での換地であった。地震被害によって建物が全壊し、まっさらな状態から再建を計らねばならないときも同様に、従前の区画内で事業を行えばよかった。しかし、本震災においては津波によって家屋が流失し、今後も災害の危険区域として従前敷地に住み続けることは難しいとされた地区がある。石巻市で言えば建築基準法84条によって建築制限されている地区(門脇、南浜町 等)である。そして、人口減少が前提で右肩下がりの経済状況において、かつ東北の広範囲に渡って被害が状態では既存のような金銭投下による復興手法ではない、新たな手法が求められる。

 家屋の流失はまぬがれても、倒壊や1階全てが浸水するなど、中心市街地の被害も大きかった。しかし、衰退化していた地区をそのまま復旧しても、十年後には空き家になる、商店が廃業するなどが想定される。一時的ではない、持続するまちづくりを考慮して復興事業を行う必要が在る。
 そのため、まず従前敷地のみならず街全体を視野に入れた区画整理事業の超拡大解釈を前提とする。
 家屋流失被災世帯のみならず、石巻市民全員が組合員とも事業者ともなる『復興まちづくり会社』を設立し、まちの活力を最大限に引き出す『○○○○型区画整理事業』というべき新たな事業を提案したい。
 この事業は道路に挟まれた区画で計画決定されるのではなく、もっと大きな範囲、街全体での換地や人の流動を促す。街全体のまちづくりの目標像を持ち、石巻市に活力をもって住み続けたいという人々がまちの人、資源、活力の配分を最適化し、まちを編集•統合して地域を再生するプロセスそのものである。

 このプロセスは大小様々な市民事業の集合によって形づくられる。このプロセスは同時多発的に大小様々な市民事業の集合によって形づくられる。復興市民事業が連鎖し、活性化しながら再生していく。そんな復興像を描きたい。


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核となる提案はただいま作成中。
[2011/06/09 20:09] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
石巻市中心市街地の震災復興メモ
中心市街地に焦点を当て、エリアごとに想定される市民事業を列挙し、それらが連鎖して活性化する復興像を描きだしてみたい。

復興市民事業が連鎖し、活性化しながら再生していく

■街の目標像
 まちの長期の目標像を仮に「歩いて買い物に行ける商住一体になった賑わいのある街」と設定する。この目標像の達成出来るよう現況を再編していく必要がある。

○まちに住まう 高密度に住まう。
 石巻中心市街地には駐車場や空き家が数多く見られる。中心市街地52haに対して駐車場は○○haと虫食い状態で存在している。その多くが十分に活用されているとは言い切れない。空き家も○○時点の住宅地図から調べると○○軒あった。被災後は空き家が増えており、これらを有効活用することで特に甚大な被害を受けた門脇や浜町の住民への住まいの受け皿となりえる。

 中心市街地の容積率は500%と設定されており、理論的には被災者住民の従前住宅を集約したとしても十分吸収できる。被災者を従前地から離れた車がなければ生活できない郊外地域に移転させる必要があるだろうか
 今回のような1000年周期の津波が来たときには被害は免れない地域ではあるが中心市街地は商業地や市民サービスが近く利便性が高い。校外地区のように車がなければ住めないという地区ではなく高低差もないため高齢者に取って住みやすい場所である。まちなか集約居住こそが復興の本筋だろう。

○賑わいを生む商店街の可能性
 まちに賑わいを生むのは商店街が元気であることだ。商店街が復旧するまでの間、商業を続けられる工夫が必要だ。また、震災を機に商店をたたむ人もいるだろうが、逆に新たに開業してみたい人もいる。自営やテナント、土地の所有有無等含めて商店主個人個人の意思や状況も整理しながら、商店街に空き店舗を残さない仕組みを考えていかなければならない。街に人が戻れば、お客さんも増えるが、現実的には商店街の集約も必要だろう。
 災害危険地域(84条建築制限区域)によって住宅設置の制限がかかっている地域は必然的に集約せねばならない。商業店舗も年々減っているため、商業が○○年時に比べ約2割減すると想定する。駅から中瀬までの道と寿町商店街の北側中心側半分ぐらいのエリアで集約するように住民の合意の元、誘導していかねばならない。

■エリアごとの特徴•可能性
 仲町通りエリアは容積率が高く、建て替え時に集合住宅などやシルバーハウジングなどの高層建築の可能性があり、駅前から中瀬に向かうメインストリートとしての核がもとめられる。寿町商店街は昔からの市街地であり昔ながらの商店主や歩きたくなるような通り抜けがあるなど低層高密度の町並みが期待される。中瀬は萬画館のある街の中心であり、被災を機に公的に整備することが期待される。(別項目)

■ 商店街の再生と被害甚大地の人々の住宅の創出
街の目標像に向う市民事業を想定してみたい。
<まちなか居住の実現>
① 復興まちづくり会社を事業主としたコーポラティブハウス
 例えば震災前には老朽化しても資金がなく、個別建て替えは難しかった住宅がある。商店街の裏手には小さな戸建て店舗が多く、全壊まで行かずとも、1階天井近くまで浸水した焦点や住宅も多かった。
 現在であれば、被災者への住宅を組み合わせて共同住宅として建て替えることで、地権者は今なら被災者への再建援助費や義援金等を合わせて再建することができる。土地の所有者にも同じ地域に住まい続けたい被災者にも街にもメリットがある。
 復興まちづくり会社をコーディネーター及び事業主とし、共同化する地権者•被災者両方の要望を取り入れたコーポラティブハウスを建設する。

② 定期借地方式による未利用地(駐車場)の利用
 復興まちづくり会社が定期借地方式によって借り上げ、被災者の長期住まいとなるコーポラティブ戸建て住宅を建設する。被災者が中心市街地に住まうことが出来るようになると共に、土地所有者も駐車場ほどの収入はなくとも、定地借地方式であるために住宅内の居住者の有無に関わらず、土地の所有者は復興まちづくり会社から安定した収入が得られる。


<住み続けられる>

③ 住み替えられる賃貸住宅の運営
 信託を街に住まい続ける権利ととらえ被災者復興住宅を所有ではなく、賃貸とするというのはどうだろうか。
ライフステージに併せて一軒家からシルバーハウス、高齢者施設まで住み替えられる仕組みがあれば、将来の住まいに安心し、まちに住み続けられるだろう。
<賑わいのある商業 >
④ コミュニティビジネスを育てる。
 商店街に面した1階は、商業施設を誘導設置する。仮に商店主が店を畳んでも、街で商業を始めたいという市民に優先的に貸し出す。たとえば一定期間はコミュニティビジネスベースで育てることもよいだろう。街の高齢者へのお惣菜を届ける等のビジネスはニーズが高まるだろう。

<歩きたくなるまちづくり>
⑤ 拠点となる復興公園を
公的な護岸整備に併せ、中瀬に残る民地を中瀬の外に誘導し、既存公園部分と合わせて公園(メモリアルパーク)を整備する。存在自体を震災の記憶となるよう整備するとともに、萬画館と含め、市民運営による中瀬全体の企画管理も託していく

⑥ 街中散策道の連結
 石巻商店街の良さは雰囲気のよい小さな小道にもあった。まちづくりの過程の中で、気持ちのよい通り抜け道を設置し、それに沿った地区では建て替え時に通り抜けを連結させ回遊を誘発する。当然、通り抜け沿いには小さな飲み屋さんなど、通り抜け道に併せた商業を最適配置することで街を楽しく歩ける街に変えていく。

<安心して住めるまちづくり>
⑦ 日和山•羽黒山への避難路整備
1000年確率に備えた避難路の整備を行う。そのためには津波や地震のみならず、地滑りや氾濫のハザードマップの重ね合わせを行い、危険度を明示し、生活者の健康状態も併せて避難を可能か住民個人単位で考えることことも重要となる避難路を整備することにより、中心市街地での建設可能区域の拡大を目指す。
 災害のリスクのある地区では共同化した建物は一時的な防災拠点となるよう一定程度の備蓄などを義務づけ、大震災時に備えることでまちなか居住のリスクを最小限にする。

⑧ 小規模モビリティの導入
 歩いて気持ちよい街を目指し、車買い物客を呼び込むのではなく、小型のバスを導入して歩行者を支援する。中心市街地を中心に2、3kmの範囲で補助的に運行することもが有効だろう。
 これらのモビリティは2~3年程度は低燃費バンなどで運行するが、将来的には電気自動車などで対応できるようになる。IT技術の活用などによってオンディマンドの乗り合いタクシーのような仕組みも出来る可能性もある。参考事例として、安曇野市のあづみん等が挙げられる。
 石巻市では商店街で購入すれば駐車料金が無料になるように提携している駐車場もある。先述のモビリティも商店街で購入すれば無料に乗車できるという仕組みでもよいだろう。


***
これも4月に書いて、5月に追記メモしていたが、どこにも掲載する予定がなくなったため、ここに記載。図案は省略
[2011/06/08 20:06] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
石巻中瀬の復興計画案メモ
中瀬エリア:復興まちづくり市民事業の拠点をつくる

■人々の交錯の場であった中瀬
 石巻は平安時代の終わりごろからは平泉と北上川舟運で結ばれその外湊であったとも考えられていることから、古代•中世から交通の結節点としての役割も担っていた。○○年頃からは国道398号が東西の通り道であることから、現在でも多くの人々が行き交う交通の結節点であった。 
 石ノ森章太郎氏が中瀬をニューヨークのマンハッタン島に見立てた『マンガッタン島構想』により、平成13年には中心市街地活性化の目玉として石ノ森萬画館が建設された。UFOのようなユニークな建物と石ノ森氏の全面的な協力による展示品は県内外から多くの観光客を石巻の中心市街地集めた。また、萬画館は自主的なイベントを数多く行うことによって地元の方にとっても開かれた市民の場になっていた。
 一方で中瀬には民地も○敷地ほどあり、民間所有者によって駐車場とレストランがつくられた。市も観光客のために萬画館のすぐ対岸に観光バス停車場を整備した。これらは萬画館利用者には至極便利である一方で、来館者が中心市街地にお金を落とすことなく石巻を去ってしまうという構造もつくっていた。
 このような状況の中、大震災が起こった。

■復興のシンボルとなる中瀬
 いつの時代でも残るのは自然風景や地形であり、過去と同じように未来もこの中瀬が石巻の中心に位置するだろう。中瀬は市民に開かれた場として石巻の復興のシンボルとなりえる。
 震災によって70cm~1m程度地盤面が下がった。今後起こりえる津波と氾濫の危険度及び堤防の再建コストを考えると、民地の住宅利用は原則禁止し、中瀬を全面的に公的整備することが現実的な選択になるだろう。

 一方で公共建築である石ノ森萬画館と石巻ハリストス正教会が被害に遭いつつも奇跡的に残った。石ノ森萬画館は1階が土産物屋であり2階が展示場という建築形態であったために貴重な展示品や所蔵品の多くが無事であった。
 この石ノ森萬画館とハリストス正教会という公共施設を復興の手がかりにして、周辺の整備と併せて公的事業中心に中瀬の公園化を計る。

 市民の活動の中心となる中瀬での市民事業は以下が想定できる

事業①「まちづくり会社による石ノ森萬画館の発展的運営」
 震災以前もまちづくり会社まんぼうによって運営されていた。これを発展させ、1階は国内外の漫画家に協力してもらい暫定的な復興応援ミュージアムとする。1階の映像室や3階を活用し震災津波被害や石巻の復興の様子を伝える暫定の復興ミュージアムとする。等を市民の手によって運営活用することにより市民事業へのモチベーションを生み出すことが出来る。

事業②「民間基金を活用したハリストス正教会の再建」
石巻ハリストス正教会は正教会としては日本最古の木造建物である。この建物は明治13年に新田町(現千石町)に建築され、そこから昭和55年に移築されて来た。移転には当時総事業費で2,442万円の費用がかかった。しかし、建築単体の事業であり、関心の高さから海外の正キリスト教会の寄付金や民間基金を活用した市民事業として再建することができるだろう。

事業③『市民による管理』
 公的な護岸整備に併せ、中瀬に○○軒残る民地を公的に買い上げ、既存公園部分と合わせて公園(メモリアルパーク)を整備する。存在自体を震災の記憶となるよう整備するとともに、萬画館と含め、市民運営による中瀬全体の企画管理も託していく。

事業④まちづくりのプラットフォームをつくる 
 まちの中心で自分たちの街の像を共有しながら考えていくことが重要である。そのためにはヨーロッパの各都市で行われているように、誰もが集まれる場所に街全体の大きな模型を置くことが有効だ。まずは仮設でよいので復興ミュージアム(仮)を設営する。ここではまち全体の巨大模型を前にしながら、全ての市民がまちづくりの状況を常に把握しつつ、そこで一緒にまちづくりを討論できる。このようなハード的なまちづくりのプラットフォームをつくることも市民事業を支える土台となる。

※ 設計は国際的なコンペを行うこと。ただし、建築家ではなくマンガ家を対象にコンペを行うことがマンガッタン計画にふさわしい。

 中瀬の整備は事業方式で言えば護岸整備と併せた土地の買い上げと公的整備による復興といえる。しかし、重要なのはこれらを『市民事業の動機を高めながらすすめること』『復興にむけた市民に情報を提供し、共有し、意見を反映させられる場をつくること』『将来的に市民によって運営されること』である。そうすることで単なる箱もの建設や公共事業ではなく、段階的に市民の意思を取りこみ増幅させる場として中瀬を本当の意味での公共的な場として利用されるだろう。


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以上、別途 提案されることがなくなったため、提案議論の足がかりとして。
[2011/06/08 20:00] | 震災復興 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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