しまった~!!・・・国境が。
中国が建国記念日だそうだ。

その煽りを受けて、パキスタンと中国の国境が昨日から閉まりました。

この情報は知らなかった。

普通、国境閉めますか?

閉めません、普通なら。

でも、中国です。

普通ではありません。

だから、国境閉めるのです。

それも10月5日まで。

それが中国スタンダード。

6日には人が殺到するでしょう。

たぶん、その日には抜けられそうにありません。

日曜日だってバスは休みになります。

いつ、パキスタンを抜けられるのか。

それに、私のパキスタンビザは4日に切れます。
(延長しに行かねばならない)


一体、何なんでしょう。

国境は中国だけのものではなく、

パキスタンのためでもある。

旅人のためだけではなく、

住民や経済のために必要なのだ。

そんなことはお構いないのが中国。

バス会社も、ガイドブックもそんな情報は教えてくれない。


参った。しかし、不満を言っても国家には勝てない。


というわけで、これから10日間ほどトレッキング三昧になりそうだ。


それも、また旅。


前向きに。


[2008/09/27 22:07] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
風の谷 フンザ
カラーシュ族の村から2日半、バスに揺られてカリマバードという村へ。カラコルムハイウェイのハイライトの一つとなる村だ。この地はバックパッカーには良く知られた場所で、私も10年間ずっと来てみたかった地だ。


 このカリマバードはフンザというエリアに入るため旅人には一般的にフンザと呼ばれている。フンザは「風の谷のナウシカ」の舞台となった場所だ。思えば、魔女の宅急便といい、ラピュタといい、この旅では 宮崎アニメの舞台を訪ね歩いているかのようになってしまった。

 美しい景色が広がっている。6000m7000m級の山々に囲まれているのだ。眼の前に聳え立つ雪山はどれだけの時間を見ても飽きる事がない。旅人が長く居つく理由もわかる。朝日を浴びた山々、雄大な谷は時間を忘れるほど美しいのだ。


 この地域は谷を越えるごとに違う国が形成されていた。このフンザも1945年までバルティック王国となっていたと聞いた。言語もブルシャスキー語という独自の言語を持つ。観光地でありながら、人もすれておらず皆親切だ。とても穏やかな気分にさせてくれる村人たちがいる。旅人の聖地だ。





[2008/09/27 02:14] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
深い眼のカラーシュ族
ラホールからペシャワールへ9時間、ペシャワールから車を乗り継ぐこと10時間、チトラールの町へ。そこから乗り合いバスを乗り継ぐこと2回、カラーシュ族の住むブンブレットという村に着く。

深い、深い、そして美しい谷だ。

カラーシュ族には伝説がある。アレキサンダー大王の東征時、部下に土地を与え、その末裔がカラーシュ族になったというのだ。たしかに、目の色が青かったり金髪の村人もいる。伝説が本当かは分からない。しかし、僕はそれを信じたい。

 この村は幸せな雰囲気に包まれている。心は穏やかで歌と踊りを愛する民族。ちょうど収穫の時期で黄色い民族衣装を着た女性が黄色い草原に座っている光景はそれだけで幸せな気にさせてくれる。

 少数民族の村にはタイやグアテマラ、いろいろな場所で訪れた。でもこの民族ほど深く印象的な目をした民族はいない。なぜか忘れられない眼をしている。自分が見透かされそうな深い瞳なのだ。


 この村での宿泊はカラーシュ族の民宿のようなところ。集落の中に泊まる。彼らの生活の中に宿泊することができる。夜、そこで8年前にNHKが撮ったドキュメンタリービデオを見させてもらった。まわりにはDVDを見にカラーシュ族が集まってくる。彼らのドキュメンタリーを彼らと共に見る。なんだか不思議な体験だった。

カラーシュ族は全て合わせても5000人ほど、かつてはムスリムの改宗を勧められ次々と減っていったそうだ。ドキュメンタリーを見ていて、となりのカラーシュの男が説明してくれた。ドキュメンタリーに写っていた人が今はムスリムになっている、なんて内容だ。

 カラーシュの民は文字をもたない。強い偶像崇拝もない。独自の土着宗教を持ち、独自の言葉、独自の衣装を持つ。
 カラーシュの民は歌と踊りで時代を超えて繋がっている。


 この太古からの歌声がいつまでも谷に響いてくれるよう 強く願う。
カラーシュ族


 

[2008/09/23 01:16] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
世界を眺める視点
国を考えるにあたって最も重要な要素は

人口と国土だ。

日本は大きい。狭い日本というがあくまで中国やアメリカと比べてのことだ。色のついた世界地図で見てみると日本が意外と大きいことがわかる。そして国土の多くが人が住むことができ、農耕を営むことが出来る。肥沃な大地を持っている。


そして人口、日本の人口比率こそ歪つだが、それでも一億2000万人という人口を日本は持っている。世界の60人に一人は日本人ということ。それはものすごいパワーを持つ。経済を考えても大きな国内市場が広がっていることを意味する。

国を俯瞰するのに、他に経済や交通利便、民族比率、宗教、歴史、国家対立、、、、いろいろな要素が挙げられる。しかし、重要なのは人口と国土だろう。

現在、パキスタン。
この国は異常な人口爆発の中にある。国土はそれに耐えられるだろうか。

現在パキスタンの人口は1億6000万人を超えている。
国連の推計では2050年には約3億5千万人にまで増加。約2億9千万人のインドネシアを抜き、米国に次ぐ世界第4位の人口大国となるといわれている。

中国の一人っ子政策は、批判もあるが確かに効果があった。
パキスタンは全て後手に回っている。インドもそうだ。インドは20年後には世界で最も人口の多い国になる。

人口は国の力でもあるが、食わせられなければ貧困を増すのみ。

経済は確かに重要。しかし、

地に足をつけて旅をすると『適正な国土、適正な人口。』の方が重要だと感じる。
[2008/09/18 23:54] | beer | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
インド式強制ダイエット
何か心当たりがあるかと言われても、全てが当てはまるのがインド。

空気すらが危うい。

インドを旅する誰しもが経験する 『インド式強制ダイエット』

インドを駆け抜けたのに、しっかり付いてきた。


人間食わなくても何とか生きられる。

こんなときのためにお腹のまわりに蓄えているのだな。


メタボでよかった。
[2008/09/18 23:24] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
This is India, India is still India
今日は1日インドの風を浴びた。
すべてのものが入り混じった複雑極まりない臭いのする風だ。

物売りがいれば、そこをクラクションをならしてリキシャーが通り抜ける。
チャイを飲んでいる脇で、人は糞尿し、
人が駅の構内を埋め尽くすように寝っころがっていると思えば、野良牛がそこを通る。
人がものを捨て、ヤギがそれを食べる。
ヤギが徘徊しているよこで、ヤギの首が切られていく。


インドは9年ぶりだ。
世界は急速に変わっているが、インドは未だにインドだ。

全てのものが吹っかけられ、騙す人間が表れ、本当のことがさっぱり見えない。
旅行者にとっては非常に面倒な国でもある。
街も不潔極まりないが、なにか自分の身体に近いものを感じてしまうのもインドだ。


THIS IS INDIA 


このインドの他に インドは存在しない。


昨日、デリー市内の中心で5箇所 爆破テロが起こった。
しかし、人は何も変わりない。

それをネタに旅行者を騙すことも忘れない。
デリーの営みは変わらない。


今世紀中にインドの人口は中国の人口を越すといわれる。
この国はどこへいくのか。この国が世界に何を与えるのか。




9年前の自分より、少しだけ世界を捉えることができていることに
喜びを感じている。

インドリキシャー
[2008/09/15 02:48] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
世界のどこかの旅人へ
僕が出会った旅人達へ

皆はいま、どこを旅しているのだろうか。
日本にいても、いい旅をしていると思っている。

人生が旅だというならば、人は皆、旅人だ。

ブタベスト近辺にて盗まれたものの中に書き溜めたアドレスブックがありました。
なので、僕から連絡取れません。
もし、このブログを見られたら連絡をください。

いい旅を。

[2008/09/15 02:35] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
無事です。
皆様
昨日、中途半端な文章でたくさんの人にご心配をおかけしました。


財布もパスポートも無事。
服も無事。

PCがなく文章がかけないとか、添削した文章がなくなったとか、スケッチブックが無くなったとか、世界に1つのスケッチバッグがないとか、メガネがないとか、目覚まし時計がないとか、航空券を再発行するとかいろいろとこまごまとしたことがありますが、


正直言って、旅行するにあたって何も問題がありません。



昨日はオペラを楽しみ、夜中は僕の不運を祝って20人ぐらいで飲み明かしました。
こういうとき、バカなイタリア人は最高のやつらだと思います。


今日も僕は元気です。
旅はまだまだ続きます。


予定ではこれからインド、パキスタンを抜けて、カシュガルへ。中国の状況次第で西チベットルートをあきらめ、中国ゴルムドへ。そこからラサへ。ラサからカトマンズへ。ポカラに行って、アンナプルナ登山*1.2週間トレッキングしてます。
11月頭にバンコクに飛び、ラオスへ。予定では11月中旬に帰ります。


[2008/09/11 17:07] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
残念なお知らせ
油断していました。

大事な荷物ごっそり電車のなかで盗られました。
カメラも書き溜めたスケッチも、スケッチバッグもこんぴゅたーも。

残ったのはナイフで切られ残った肩掛けのみ

・バスに乗ればいいものを夜中着を避けるため電車にしたこと。
・荷物を手にかけて、座席にくくりつけてはいたけれど枕にしておかなかったこと。
・袋をかぶせてナイフがきりにくくすること。
・部屋に一人しかいなくなった時点で起きてればよかった。

後悔はいくらでも出来る。
はっきりいって油断していた。
盗まれる可能性はしっていた。しかし、面倒になって警戒を怠った。



というわけで、このブログは終了です。

これから警察だ。
あぁあぁ。
[2008/09/10 14:25] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(5) | page top
[080906]Istanbul
 イスタンブールは交通体系が非常に悪い都市だ。地形的に丘が多く、ポルポラス海峡によって分断されていることもある。また、歴史が古く、現代社会に対応する前に都市が造り上げられたせいもある。しかし、とにかく交通体系が悪い。
地下鉄は繋がらず、少しの距離でもいくつものトラム、フラクニール、メトロ、バス、船などを乗り継ぐ必要がある。乗換えが多いために電車賃も馬鹿にならない金額になる。
もちろん近年は対策として「アクビル」という電子チップのプリペイドような仕組みを作った。これを使うと通常にチケットを買うよりも安く、乗り換えなどでは半額程度になる。市民はみなこれを使っているようだ。
ともかく、市内交通は高速バス路線の充実度と比べる驚くべきばかりの都市計画の後手ぶりだ。


 イスタンブールは「アジアとヨーロッパの交錯地」「過去と現代の交錯地」という目で見ると面白い。システムが2つ平行して動いている。自由経済で在りながら就職は親などの知り合いのコネクションを重視、イスラム国家でありながらイスラムを否定する、アラビア語から現代トルコ語を作り出し、トイレですら西洋とアラブ式が合わさったような形になっている。
 
ガラタ橋をじっくり眺めると「交錯」と言う言葉が深く刻まれる。ヨーロッパとアジアの間を人が渡り、船が通り、車が通る。コンチタンノーブルと呼ばれていた時代からこの場所は交錯する場所だったのだ。
 ガラタ橋は面白い。橋の上からところ狭しと釣竿がたらされ、海峡を通る魚を釣る。川沿いのプロムナードではサバサンドが売られている。人は川を眺めながらそれを食べる。同じ場所に様々な活動が混在し、それが循環する。近隣には市場が開かれ、人が動く。モノと人が動いている。面白い都市の形だ。

 グランバザールは世界で最も有名な商店街の一つ。アラビアのどんなスークより洗練されている。オスマン帝国の偉大さがここからも分かる。9年前に訪れた店はまだあるだろうか。探したが、広く、似たような店が多くわからない。せめて昔書いてあげた看板が残っていれば。グランドバザールの店主はニホンゴが達者だ。どこからでもニホンゴが飛んでくる。そして最後には誰が教えたか「さらばじゃ」と声を掛けられる。
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 サバサンドを食べた。ドンドルマを食べた。ハマムで垢を落とした。ソープマッサージもしてもらい、トルコ的な観光をした。しかし、イスタンブールでは私の好きなトルコには出会えるはずもない。
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こんなにも忙しく旅をするのは全て世界一周チケットとカラコラムハイウェイのせいだ。カラコラムハイウェイが閉ざされる前に、パキスタンを抜けねばならない。

旅は続く。夜行でソフィアへ。

イスタンブールよ「サラバジャ」。
[2008/09/06 19:01] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080905]Istanbul
旅は8ヶ月目を迎える。
 今日も朝からパキスタンビザと格闘。大使館受付に旅券スケジュールを持っていってもまだダメだといわれる。再び交渉。ビザ取得は大使館長とのトップとの会談で決まる。こう書いたら前時代的なようなものに聞こえるが実際そうなのだ。
 ビザのために大使館周辺で5時間時間を潰し、通常の観光など出来るはずもない。日本人はビザに対する労力、金額は他国民に比べて格段に少ないが、未だ世界はフリーパスではない。観光ポスターはWelcomeと描きながら拒絶する。理由も分からんでもないが、やはりおかしい。


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 イスラムのモスクはキリスト正教会のデザインとも似ている。今も残るブルガリア正教、ギリシャ正教のデザインに近い。これまでアラビア半島で見てきたモスク建築とはまた異なる。東ローマ帝国時代作られたアヤソフィアはキリスト教教会からイスラム教モスクへの用途変換コンバージョンと言える。いい建築は残るのだ。そのとき宗教による建築というより、その風土で培われた建築は残る。世界どの地域でもそうなっている。
 

カレーのルーが4400円する国で、カレーのルーを持っていると神様になったかのようだ。
今夜はカレー記念日だ。
[2008/09/05 18:51] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080904]Dubai → Istanbul
 アラブ人は馬鹿だ。飛行機の中でタバコを吸う。ありえない。彼は怒られて笑っていた。


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トルコはイスラム国ではない。近代トルコはイスラム色を払拭しようと試みた
建国の父ケマル・アタトゥルクが西洋化を一気に進めた。トルコでは金曜日が休みではなく、土日が休日になる。日が昇っても空港のカフェが開いている。街中のマックもKFCも開いている。女性は髪を出し、男性は帯剣をしていなければ、アラブ服すら着ていない。

国家は戦略的に宗教を払拭できるのか。イスラム国家を見て回るとそれぞれの国家戦略が面白く感じる。トルコは民主主義で自由な国だ。トルコはユーロに加入しようしているがなかなか認められない。ここまでイスラムの払拭を試みているにも関わらずだ。経済もスーパーインフレを脱し、物価も高く安定している。それでもユーロに入れない。そこにはイスラム国家というレッテルがジャマをしている。ユーロに加わり人の流入が自由になったらならば、トルコ人移民がヨーロッパ中に広がることになる。それをヨーロッパ諸国は恐れている。

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車のナンバープレート。青地にユーロの星輪が入ればユーロ圏と同じになる。

トルコ国民もその政策に対して懐疑的な人も少なくない。イスラム教を捨てても、ユーロに入れず、また民主化による経済格差が広がっている問題もある。アルゼンチンでもガウチョ文化を弾圧し国を変えた。その政策は賛否両論だ。こちらでもそうだろう。


トルコは2度目だ。トルコは人の良さが世界最高の国。特にカッパドキアより東は最高だった。祭りがあれば踊りは私を中心に踊ってくれ、催しものがあれば、市長の隣のソファー席に。テレビにインタビューされ、村人にはサイン攻めにあう。村人のTシャツや帽子には今でも私のサインが入っているはずだ。本当に日本人が好きな国民なのだ。いい出会いは書ききれないほどある。そんな国にまたゆっくり来たかった。
しかし、そうもいかない。イスタンブールに来たのはパキスタンビザを取るために。
眠い目を擦りつつ、踏ん張って日本大使館、パキスタン大使館へ。

またもや、トルコ在住日本人以外はダメと断られる。

「ちとマテ」

これはたまらん。大使館トップと直接会談。直訴。
1時間以上、パキスタンへの情熱となぜ取れないのかと涙ながらに話す。
なんと彼は浦和に住んでいたらしい。浦和が私に風を与えてくれた。浦和レッズの話で意気投合し、航空チケットのプリント持ってくれば何とかしてくれるとのことになった。通常は不可能であることだ。旅行中、何事も諦めないことが重要だ。


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 街はラマダンなど関係ないように見えたが、それでもブルーモスクの前はラマダンの祭りで賑わっていた。テントの屋台にはたくさんの人が入り、芝生の上には食事を広げて日が落ちるのを待っている。
アザーンの合図と共に一斉に夕食を取る。それはすごい勢いだ。
広場には連日催し物が開かれ、楽しい雰囲気だ。こんなラマダンならいい。
[2008/09/04 16:23] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
[080903]Dubai
ドバイの今後も楽しみだ。この街はまだまだ急速に変わりつつある。まだまだ街は完成しない。高層ビルを造るクレーンはその都市の活気のパロメーターだといえる。そのクレーンが世界から一点に集まっているかのようだ。上海ですら比にならない数のクレーンだ。
 世界の建築の最新情報を集めた雑誌「Architecture plus」を読んでもUAEのプロジェクトが目白押しだ。それも規模がとてつもない。その中にはノーマンフォスターの新しいWTCセンターであったり、OMAのRAK Gateway。都市開発でもOMAのWaterfront cityは11,800,000㎡の床を生み出す巨大プロジェクト。計画案ではあるが9.2万人の居住スペース、31万人の就業スペースを創出する。とんでもない計画状況だ。日本ではそんな空想すら出来ない。
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ドバイは暑く、とても歩ける都市ではない。よって車依存型の都市になった。ラスベガス、ロサンジェルスのような形だろうか。新市街は道路を渡るのも困難な状況になっている。
交通渋滞もひどく道路は3~5車線あっても未だ足りない。朝夕ともなれば交通は麻痺する。夜中タクシーであれば20分も掛からない距離だがバスで帰れば3時間ほどかかってしまった。現在、渋滞の解決策として鉄道が急ピッチで引かれている。インド人等の外国人労働者によって夜を徹して工事が行われている。彼らの汗によってこの都市は動き続ける。

こちらの芝生は砂地の上にホースが引かれ、そこから水を得ているだけのものだ。表面だけの緑だ。この摩天楼の下も一枚めくれば砂漠が広がっている。

 都市は歴史も風土も関係なく、経済によっても造られえるのかと当惑させられる。自分がこれまで訪ねてきた都市と大きく異なるからだ。もちろん辺鄙な場所にある港が栄えたこともある。しかし、港が機能しなくなったとたん街は廃棄された。ドバイはどうなるか。80年後石油が尽きたならば暑すぎてとても人間が住めない土地に都市は在り続けるのだろうか。都市は風土から生まれると信じる私にとってドバイはなにか人間的ではないのだ。

 ドバイに19世紀末に造られていた住居を見る。中庭を介して住居が作られている。高いタワーは風を集めるウィンドータワー。暑い地域特有の風の塔だ。塔にぶつかった風が下方に導かれ冷やされて室内に取り込まれる。
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高い天井の上方にある空気口から暑い空気が抜けていく。何もこのような住宅を現代でも作るべきだというのではない。しかし、いかにローテクでハイクオリティの建物を造るかが重要だ。世界を旅するとそんなことを思う。


シャルジャに抜け、夜中の便でイスタンブールへ。
[2008/09/03 00:54] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080902]Muscat → Dubai
ドバイは同時代の観点で見るべき場所だと考えていた。今、ドバイを見なければならないと。そのためにわざわざドバイにまで「今」来たのだ。トランジットでもこれそうなドバイに。

ドバイのその都市化のスピードには驚かされる。バスが街に近づくにつれて浮かび上がる高層ビルのシルエット。ニュードバイ地区の高層ビル群にも圧倒されるが、夜にアル・ミナ地区を訪れたときには声を失う。「まさか、ここまでとは・・・」
 

 ドバイはUAEの首長国の一つだ。ドバイといえば石油国家というイメージがあるが、ドバイは石油依存をとっくに脱している。国家の戦略は的中したが、殆んど自国民の見当たらない。ドバイの外国人割合は7,8割ほどだと言う。この国は一体アラブ国と言えるのか。40年前のドバイ人はこの国の在り様を目指したのだろうか。楽市楽座の経済政策には賛成であるが、移民を受け入れていくということはこの状況もありえるのだ。

下記、ウィキペディアより抜粋

*********
原油依存経済からの脱却の取り組みと産業の多角化を進めてゆく。その流れのうえで1981年(1985年)に開設に至った『ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)』という名の経済特区、およびナショナル・フラッグ・キャリアとしてのエミレーツ航空の開港は、国外資本や外国企業の進出とあわせて『人』と『物』の集積地としての発展を急速に促していった。[1][4][5][6][7][8] 1970年代からわずか約20年のうちに起こった変化は、都市外観のそれのみならず、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDPの伸びは30倍に達するなど、『中世から近代への急変』との表現をもって語られる激変そのものであった
、2004年の後半から続く原油高がその発展を更に後押ししている。2005年度の経済成長率は16%に達し、総数120万の民の都市となったドバイは、摩天楼の連なる幻惑的な百万都市を擁する都市国家として中東でも随一の繁栄を誇っている。[
***********


ドバイは石油を核として人を集めた。ドバイに発着する航空便にはサーチャージが掛からない。経済特区と合わせて人が集まる仕組みをきちんと作っている。歴史上、人が自由に集まれ、商業ができる都市は栄えると証明されている。

 実際に街はインド人だらけだった。少数の現地アラブ人に対して7億人のインドやパキスタン、スリランカから人が押し寄せてくるのだ。皆働き口を求めて出稼ぎ労働者だ。彼らが必死に昼夜問わず働くおかげでこの街の急速な発展が成立している。
 泊まったユースでもオーストラリア人、フランス人、ニュージーランド人とドバイに就職先を求めてやってきていた。仕事を得るのは容易いらしく、一度の訪問だけで年収800万程度の職の提供を受けていた。

 ドバイの都市化のスピードはすごいものがある。写真をみても40年前は全くの砂漠だった。道路の下にはすぐ砂地だ。そんなところにSOM設計の世界最高高さのビル(818mと言われる)が2009年を目標に建設されている。さすがに1km近いビルともなるとそのスケールが良く分からなくなる。10km先からでも見ることが出来るが、湿気でそのシルエットだけが浮き上がる。手前のビルとは遠近感の関係が良くつかめない。
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 しかし、これほどの高層ビルは必要なのか。都市が高密化しつつあるとはいえ土地はまだまだある。半分の高さのビルを2つ作ったほうが効率いいはずだ。しかし、人間、男の子と一緒で高い建物が好きなのだ。私だって人間がどこまで高いビル作れるのか知りたい。

ただ、この建物が完成してもクエートに1000m超えの建物が既に計画されており、それに対抗してドバイに1400mのビルを建設するというプロジェクトも上がっている。訳のわからない合戦の様相を呈している。

 クエートでプロジェクトを組んでいる友達に聞いたが、アラブの建築状況は異常のようだ。石油を持つ王族はその金の使い方が滅茶苦茶のようだ。どんなにお金は掛かってもいいから世界のどこにもない建物をデザインして欲しいという依頼がくるという。建設への欲求どまるところを知らない。
 クウェートの財団は近年コルビジェの100万人の都市の計画案をコルビジェ財団から購入したそうだ。彼らは砂漠に輝ける都市の計画案を実現させると言う。そんなに住む人間がいるのだろうか。まったく理解に苦しむが、現代社会にもそんな無茶苦茶な計画が進行する。
 ドバイもそうだ。世界地図を模した人工島や椰子の形をした人工島、ありとあらゆる形のビルが建ちつつある。


 一つ一つのビルに個性をつけることはいい。勝手にやればいい。しかし、スカイラインと言う意味ではよろしくない。全体性がないのだ。まとまりとしての美しさがない。市場重視、機能重視の都市計画であるがゆえに街としての成熟されたアメニティまで手が回っていないようである。雑誌にもDPI(DUBAI Investment Park)の局長が答えていたが、あくまでドバイは市場に任せているのだ。
 彼らの出来ることは交通に関してなどの機能性に関する内容とツーリズムへの対策だ。

 都市計画の全体性はないが、ドバイではデベロッパーによって人工島が次々と作られ巨大開発が行われる。そこには一定のまとまりを持った都市像が生み出されている。結局都市全体での制御は不可能なのだ。

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アル・ミナ地区の夜景

 
 ラマダン(断食月)は予想以上に辛い。比較的寛容だと思っていたドバイでさえ日が出ている間は一切飲食ができない。とてもではないが私には耐えられない。となるとコソコソと水やビスケットを口にすることになる。人前でやると警察に捕まる。学校で授業中に早弁するのをスケールアップしたようなものだ。教室が町全体に、先生が警察になったようなもの。ほんと変な戒律をつくったものだ。
[2008/09/02 00:50] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080901]Muscat
 マスカットは奇妙な地形の中に造られた。山脈のような岩山に囲まれていると思えば、砂浜も広がっている。岩盤が固いところは寄港には良い。またマスカットは防衛の拠点としてはいい場所であったろう。海は近く、岩山には砦が築かれる。今でも岩山の上には円筒形の見張り台が残っている。
しかし、この岩山が整頓された都市を制限する。マスカットは中心から広がる形ではなく、細長く伸びた形になっている。全体像が見えてこない都市だ。
 
マスカットは大きく「ルイ」「マトラ」「オールドマスカット」に別れており、これに海岸沿いの高級住宅街が加わる。どれもまとまりとして小さく、商業地であるルイの中心地は小さなバスターミナルである。とても首都とは思えない。人口が少ないのだ。人が集まることで都市が生まれるのだが、人の集積のせめぎあいがここにはなかった。マスカットには都市の核がない。
 

 暑すぎるのでこの旅最後のビーチへ。驚くことにビーチには人の姿がない。
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オマーンはイスラム国なので水着姿になってはいけないのでは?とビクビクしてしまう。5時過ぎになるとわらわらとサッカーをしに海岸に男共が集まってくる。世界中、どこを旅しても男はボールを追っている。長い砂浜の海岸でのサッカーは心地いいだろう。
ただ一つ言いたい。オマーンは海岸に来ないとサッカーが出来ないほどきちんとしたサッカー場はないのだ。この国には。人口だって少ない。そんなオマーンに「日本は苦戦するな!」

街の食堂で夕食をとっていると福田総理が出てきた。退陣したニュースだった。日本の首相はなぜコロコロと職務を放棄してしまうのか。オマーンの国王は1970年に決起して旧国王を隠居させてから絶対君主制としている。つまり40年近く絶対的なトップに君臨している。国の中には彼専用のスルタンハウスが各地に作られ、国王専用道路すらある。

彼は国内をまとめ経済を立て直した名君だが、モロッコ同様奇妙な不安感を覚える。彼の顔は全ての紙幣に印刷され、街にはいたるところに写真が飾られている。この国では彼の悪口を言うと不敬罪に問われるらしい。どんなに素晴らしい君主でも世襲制の場合、次の代まで続くとは限らない。それは歴史が証明している。権力を一つに集約させぬために民主主義という形を人類はやっと手に入れた。現国王が亡くなったらこの国の体制をどうするのだろうか。

オマーンを明日出て行く。観光資源としては特に優れたものはなかったが、いい人々と出会えたおかげで、ホスピタリティのいい国だったと思える。


明日からラマダン(断食月)が始まる。恐ろしい。
[2008/09/01 00:43] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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