[080831]Muscat,Bahla,Nizwa
 交通や食事代に比べて宿が非常に高いのがオマーン。安宿と言っても5000円ほどしてしまう。食事代は一食200円程度なので大きな違いだ。交通も安い30kmほど走っても乗り合いなら150円もしない。なにか外国人就労と関係がありそうだ。
 ちなみにこちらのガソリン代は1リットル当たり40円ほど。

世界遺産のBahla Fortへ。
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現在改修中のために内部見学は不可。残念。しかし、オマーンは自国の文化遺産に対しての処置を適切に行っているようだ。
 車に乗せてくれたオマーン人に彼の村を見せてもらい、オマーン飯をご馳走になった。オマーンでも手で食事をする。イエメンもスプーンなどは一切使わなかったがイエメンはパンが中心だ。オマーンは米。ぽろぽろこぼれて食べにくい。
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 これにも慣れなくてはならない。オマーンにはインド料理店も多い。もちろん手で食べる。インド人がマサラと米を手で混ぜて口に運ぶ姿は、熟練の寿司職人の手を思わせる。手が黄金に輝いて見えるのはカレー色のせいだけではない。
 彼(ハイカル)の家は庭が広い。周りの住宅も同じだという。高級な食材は自給自足らしい。ナツメヤシや鶏、ヤギに牛。みんな食べるのだそうだ。


 オマーンには観光客が少ないせいか、皆親切にしてくれる。インド人ですらこの国ではいい人になる(笑)。ボルことも少ない。外国人が多いので英語も通じやすい。観光資源と暑さはともかくとしていい国だ。マスカットは暑い上に湿度も高い。不快指数Maxだ。
 

人口密度がひたすら小さい国では街中の都市計画など皆無だ。
[2008/08/31 00:58] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080830]Salalah,Taqah
 『砂漠の中の蜃気楼』。

オマーンの第一印象だ。
オマーンの人口は僅か210万人。国土は日本の3/4ほどあるのにだ。本来は人の住むべき土地ではなかったのだ。しかし、この国には石油がある。この石油マネーによって国民を潤している。
 この国の労働者の半数以上が外国人だ。インド人、パキスタン人、チュニジア人、、、他国から来て就労している。街を見てもインド人のほうが多いのではないか。
 オマーン人は何をしているかと言えば、食って、寝ているだけだと外国人就労者は言う。オマーン人は働かなくてお金が稼げるのか。国が補償をしてくれるわけではないらしい。外国人にオマーン滞在ビザを売ることによって生計を立てているとのこと。完全に地主と小作農の関係が出来上がっている。
 ただ、このままでオマーンはいいのだろうか。海外から人材を呼び、就労させ、自国民はのうのうと暮らす。
人間働かないと腐っていく(人のこと言えない立場だ)。自国民を仕事や教育によって育てないと、いくら石油があっても国は成り立たなくなる。国の礎は結局人間だ。他国からの就労の上に成り立つオマーンは実体のない蜃気楼だ。
 

前も後ろも、右も左も地平線。乗り合いバスは荒野の一本道をひた走る。こんな土地に石油はあったのだ。

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オマーンは地形的に不思議だ。国境から2時間ほど走ると突然緑の山々に囲まれる。草一つ生えない砂漠から突然切り替わる。当然、緑の土地には街が出来る。サラーラという街だ。とはいえサラーラは海に近く、かつて貿易の拠点ともなった。
 サラーラからタカへ。乳香の道として栄えた遺跡がある。ホール・ルーリという世界遺産にも登録されている遺跡だ。乳香はお香の一種、かつては金と同じ価値を持っていたという。この沿岸は季節風が西欧人に知られるまで海路の要となり栄えた。遺跡は突然現れたのではなく時代背景が一緒についてくる。かつての旅人のことを思う。シルクロードを通り、この海路を通り、人が動いていた。今なら自分もほんの少しだけその旅の気持ちが分かる気がする。
 
 タカの海岸は絶壁、絶景。
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遺跡までは7kmほど歩かねばならなかったが壮大な海岸と野ラクダの風景はいいものだった。実際には野ラクダではなく飼いラクダ。ただし、肥えると食べられてしまうらしい。
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夜行でうっかりマスカットへ。
[2008/08/30 00:55] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080829]Sayu’n →???(オマーン国境)
夜中発の便に乗り、イエメン国境の街シェヘンへ。
イエメンはアラブ最貧国の一つ。この国には石油が少ない。石油がないために世界情勢地図からも抹消されている。石油がないアラブ国は先進国の政治家にとって意味をなさない。この国の一人当たりの月収は50ドル未満だ。

アラブ諸国がイスラム国家であるがゆえにテロの温床となっているという大きな誤解がある。イスラム諸国は元々安全な国だ。盗みを働く人もいない(イエメンでは盗むと手を切られていた。)テロが起きるのは宗教の対立でもなんでもなく経済問題に尽きる。西欧諸国が自分の都合の良いようにアラブ諸国を線引きしたが故に様々な亀裂が起きる。
アラブ人に言わせれば、西欧諸国はある一部の人間(王族等)に特権を与え、自国民の利益よりも西欧諸国よりの政策を取っている。コーランの下、人々は平等のはずなのに自らは貧困に喘いでいる。であるからこそ、イスラムの原点に帰って国を作り直す必要があると民衆が考えるのだ。イスラム原理主義は貧困層の不満を一心に受ける。
原理主義によって石油国家の基盤が変われば西欧諸国の利権がなくなる。そのために彼らは内政干渉をする。
ここにイスラムと西欧との対立が起こる。9・11は起こるべくして起こった。世界の形が顕在化したのだ。

 ただ、イエメンはそんな世界情勢からも忘れ去れた国だ。なぜなら石油がないからだ。アラブ湾岸諸国にも加えられていない。
彼らの笑顔の行き先はどこにあるのだろうか。
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 何とか日が暮れる前にオマーンに入国。そこからの移動を諦め、親切なチュニジア人の作業小屋にて就寝。
 彼と婚約者の出会いは間違い電話からだったらしい。男女交際の難しいイスラム国でなんとロマンチックな出会いだろう。

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イエメンからオマーンへの国境越えルート

・サユーンからオマーンのサラーラへ直接抜ける国際バスがある。
・ この国際バスはサユーン・イエメニア右前の店で買えるが、人気のため買えない。
・ イエメニアの右(建物同じ)のトラのマークの店が国境の街シェヘンまでのバスチケットを売っている。ただし、バスは夜中の3時(実際には4時ぐらいに他のバスが来た)
・ バスチケットはおそらくYR1000ほどだが2000取られた。(事前には4000とふっかけられる)
・ このバスは毎日ありそうだが人気、席はない。
・ 座席の間に座ることになる。汚いが耐える。
・ 座席間にターバンで即席の背もたれを作ると少しは楽になる。(イエメン人が頭がいいと驚かれる。頭が良い日本人で良かった。)
・ しかし、現地人(たぶんエチオピア人)はダイナミックに横になっている。
・ 水は必携。いつ休みがあるか分からない。暑い。
・ 朝10時ぐらいにちゃんとした休憩あり。とにかく喰らう。喰えるときに喰えるものを。
・ 昼1時ぐらいにシェヘンに着いたら、乗り合いタクシーを捕まえて国境へ。YR200くらい。
・ 国境でスタンプを押されたら、また国境の中央地点へ車で連れて行ってもらう。
・ そこでタクシーは追い返されるのでヒッチハイク。
・ オマーン国境にてスタンプ。イエメンのお金は使えない。両替不可。
・ 再びヒッチハイクにて国境の街へ。
・ 国境の街にはレストラン、ホテル(RO10)がある。銀行はないがドルは使える。
・ 朝7時ぐらいにミニバスでサラーラ行き(RO3)がある。
GOOD LUCK!!!
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[2008/08/29 00:49] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808028]Sayu’n,Shibam,Tarim
航空券を購入してサナアからサユーンへ。
 私ほど世界一周を長期間、かつ高速で、かつ航空券を買い足しながら旅行している人はまずいない。実際にこれからの日程は非常にタイト。その移動スピードから「高速パッカー」そしてお金の使いっぷりから「リッチパッカー」と呼ばれたりする(かもしれぬ)。
けれどもタクシー等の楽チン移動手段も使うので「へたれパッカー」の称号も得ている。
しかし、いいのだ。時間を買ってこそ旅。


 砂漠の摩天楼。Shibamはいつか来てみたかった場所だ。砂漠の中にある高層住居群。周囲は崖に挟まれている。この崖は川によって削られ乾いた地形だ。この地形自体に圧倒される。機上から雄雄しい大地に立つ摩天楼の眺めたときは衝撃を受けた。
 この高層建築が建てられ始めたのは8世紀ごろ。5~8階建て、30mほどの高さがある。
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高層建築となったのは恐らく防衛が主目的。水の確保の問題から崖上には砦を造れず、低地に造る必要があった。そして住居自体で敵と戦う必要があった。集合住宅研究としては面白い対象の一つだ。
また、地盤が固く、雨が少ないため構造が泥建築でたやすく造れることもあった。高層にすることで影を多く造ることも高熱地帯では有効であったろう。
泥と藁を混ぜて泥板を作り、積み重ねる。レンガとは違う土の建築だ。
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 建築単体のシルエットは構造と精度関係から下層が若干太く、曲がっている。これが驚くことにドゥッセルドルフにあるフランク・O・ゲーリーの集合住宅群と重なる。
最古の摩天楼と現代建築のデコンストラクチャ建築が相似しているのだ。
彼もここからインスピレーションを得たのだろうか。
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 都市計画的視点からは街並み保存のため幾つかの提案が考えられる。電線、保存・改修手法、看板、周囲環境保全、、、等等。イエメン政府は国内他の世界遺産に対して後手に回っている。

 シバームは素晴らしい都市だ。しかし、残念なことに昼過ぎに街に着いたため、熱すぎて長時間滞在することが出来なかった。暑いだけならいいが、水がない。店も開いていない状態だった。もちろん建物内部見学も不可能。もう少しじっくり調査したかった。
 

 シバームに着くのが遅くなったのは、オマーンへ抜けるバスの調査をしていたためだ。バスの路線が分からず、オマーンへのバスは9月中旬までない。空路で帰るにしてもイエメンは陸の孤島だ。となると、国境の街の名前を聞き、どうやっていくのか聞き込みをしていく。街の名前を連呼しても発音が違うので伝わらない、そこでアラビア語で書いてもらい、バス会社をしらみつぶしに探していく。(面倒の嫌いな)へたれパッカーとしては避けたい作業だ。航空会社のルートなども調査しながら、かつ、安全ルートを取る。バックパッカーがあまり通らないルートはいつも面倒だ。


 サユーンで水分を補給した後Tarimへ。この街はイエメンにおけるイスラム教の中心地であった街だ。街にはモスクが36もあり、人々は白く丸いイスラム帽子を頭にのせている。パキスタン人帽子と呼びたくなる帽子だ。実際多くのパキスタン人がこの街に学びに来ているようだ。なんてことのない街だが奇妙なことに気付く。

タリムは『軍事上攻略しやすい街』だ。

 これまで山岳都市を見て、いかに防衛するかの工夫を見てきたので、タリムのように無防備な都市があるのだと妙な気持ちになったのだ。他国もイスラム社会であればこの街が攻められることはありえない。
ある人のことを思い出した。旅人の中には変な経歴を持つ人がいて、元々軍司令部にいたなんて人もいるそうだ。彼は街に何日か滞在し、高台に登って考える。一師団持っていたらどうやってこの街を制圧するかをシミレーションするのだ。頭の中で攻略し終わると、次の街へと移動するらしい。タリムは彼にかかったら1秒も持たないだろう。

一日で大量のジンジャエールと水を消費した。水は重要。
[2008/08/28 22:19] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808027]Shibam &Kawkaban,Thula
 サナアの郊外、350mの岩壁の下と上にシバームとコーカバンという街がある。二つで一つの街として機能する街だ。同時期に同じ部族によって作られ、崖上の街(コーカバン)は軍事を担当し、崖の下にあるシバームは農業と商業を担当する。崖上の街は常に敵の接近を監視し、敵が来襲したときには崖下の住民は崖上の街へと避難するのだ。この二つの街は年に一度だけ、お互いの無事を確認しあう祭りをしていたという。今でもこのお祭りは続いているそうだ。
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 実際に訪れると何ということのない街だが、崖上と崖下では多少建築の材料や様式が違うところもあり興味深い。崖上の街が軍事を担当する場合、直感的に水資源はどうなるのかと不思議に思う。崖上の街には漆喰で覆われた貯水池が造られていた。これは地下水を汲み上げるのではなく、雨水を貯めておくものと考えられる。この地方に降る雨量が2つの街の機能分離を成り立たせたのだろう。(もちろん今は水道パイプが崖下から引かれている)
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※女性の民族衣装も素晴らしい。頭に抱えているのは牛の糞を干したもの。
燃料にする。(おそらく)


 シバームからスーラへ。この一体には岩山があればそこに集落が作られている。他民族との争いを続けてきた山岳部族の村の典型的な形である。その中でもスーラの町は一見の価値がある。周囲には段々畑が広がり、丘の中腹に城壁を建設し、背後には巨大な岩山が聳え立っている。軍事上はとても攻略しにくい都市形態となっている。水の確保もコーカバンと同じ形式だ。16世紀にオスマントルコがイエメンを支配していたときもこの村は独立を保っていたとのことだ。
街の形態も街並みも素晴らしい。美しい。しかし、若干このあたりの子供たちは教育が全く行き届いておらず、落ち着いて観光することの出来ない街でもある。
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 サナアは美しい町であったが空気は汚い。これは高地で空気が薄い、緑が少ない、車の数や渋滞という問題もあるかもしれないが、車が恐ろしく古いことに尽きる。トヨタやマツダの古い車がメンテナンスもろくにされず黒煙や白煙を出して走っている。日本の車の1000倍ぐらい排気ガスを出している。美しい郊外でも道路の上は排気ガスで息をするのも嫌になる。東京の空気はきれいで美味しい。

 車会社は最新の技術を駆使して低排気ガス車を開発している。しかし、世界の空気を考えると最新技術を追うのではなく古い高排気ガス車を何とかしてくれという気になる。最新車が排気ガスが1→0・1になるより、古車の排気ガスが1000→100になるほうがいい。なにか古い車を革新的に改良する仕組みを造ってはもらえないものか。最新技術は場合によって役に立たないものだ。状況に合わせた技術提供も大事だろう。

 世界の発展途上国では日本の廃棄車が走っている。日本の会社名や幼稚園の名前がそのまま入っている車が使われている。この車を写真にとって、その会社に送ってあげたらどうだろうか。ちょっと面白い企画かもしれない。
[2008/08/27 03:29] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[0808026]Sanaa ・Wadi Dahar
 親切そうに騙そうとするイエメン人のために少々時間を喰う。こんなことには慣れっこだが人に対して誠実であろうとすると面倒なことになる。旅人は親切と出会い、意地悪に出会い、国を好きになり、嫌いになる。旅人が国の印象を語る第一声は「○○人は優かった」「○○人は最悪だった」だったりする。人が国の印象を決める、日本に訪れた外国人は総じて日本人は親切だったと答えてくれる。うれしいじゃないか。


 ワディ・ダハールへ。
周囲の崖地と一体化したような建築群が見える。丘の上に単独で立つ住居は一軒でもまさに砦だ。その中でも一際目を引くのがRock Palaceと呼ばれる住宅だ。大きな岩の上に建ち、岩と一体化して作られている。
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イエメンは他のアラブ諸国とは違う。アラブであるよりアフリカの文化のほうが色濃いのではないのか。思えば、サウジアラビアの砂漠を越えるより海峡を越えてアフリカのジプチのほうが近い。実際に交易がどれほどあったかは分からないが、人類の共通知があるのか。

 スークにてなぜかジャンビーア(短剣)を購入してしまう。ベルトつきの完全バージョン。京都に行った高校生が木刀を買ってしまう心境に近いかもしれない。しかし、このジャンビーア、どうも体にしっくりくる。日本でも脇差、行司が脇差を指すようなものだろうか。体の中心、腹の近くに収めるので自分の中心が出来たような気がするのだ。このジャンビーアが先祖代々のものであったり、戦士としての証である気持ちを考えるとその誇りをも一体としていたはずだ。「刀は武士の魂」とは言うが、ここでもジャンビーアはイエメン戦士の魂だ。
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 実際にジャンビーアつけて一日を過ごしてみると色々なことに気付く。一つは体をかがめる難しいこと。座っていても自然と背筋が伸びる。猫背矯正にはいい(かも)。
[2008/08/26 03:15] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808025]Sanaa
 サナア旧市街は世界で最も美しい都市の一つだ。都市景観として奇跡の部類に入る。何百の街見てもこれだけの印象深い景観を持つ都市は他にない。
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 イエメン建築は下層は石積み、上部はレンガで作られている。窓枠には防水のため漆喰による装飾が施されている。煤けた色のレンガと白い装飾この色の調和には人のエネルギーを感じさせる。窓に施されたステンドグラスも美しい。そして古びた木製の扉が歴史を感じさせる。

イエメン建築は美しいだけでなく機能的だ。山岳地帯の住居としての第一の機能は防衛の機能。家というよりひとつの砦と考えてもいい。安全のため人は3階以降に住んでいた。一階は家畜部屋、2階は穀物貯蔵庫となっている。平面的には広くはないが高層だ。階段が中央に設けられ、登りながら居室が連なっていく。階段の途中の扉は狭く作られ、首を下げて入ってきた侵入者の首を切るためでもある。
最上階の客間はマフラーと呼ばれる眺めの良い部屋を置かれ、住宅の格式を決定する。
美しさと機能性を持った古代からのイエメン建築住宅だ。
 この奇跡的な住宅形式を生んだのは、部族間の争いが絶えなかったこと、砂漠地帯とは違い山岳地特有の緑があったことが挙げられる。他のアラビア諸国とは全く違う文化がある。
 一日だけ、イエメン建築のホテルに泊まり内部を十分に見学した。

 街の景観に特徴を生み出しているのは街往く人々の服装にもある。山岳部族出身の誇りを持つイエメン人はジャンビーヤと呼ばれる小剣を帯剣している。一部の外国人が日本はサムライばかりで刀を持って歩いていると信じているが、イエメンでは実際に帯剣している。昔ながらの民族衣装を着た人々が世界最古の街を歩く。これが街の雰囲気を上げる相乗効果をなしている。

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 ほっぺたをカート(麻薬性のある草)でいっぱいにしているイエメン人のほっぺたはカエルのようだ。


 イエメンには反政府組織による外国人拉致の問題がある。これは中央政府に反対する部族による抗議活動としての手段だ。彼らは元々外国人が嫌いなわけではない。
 イエメンは他のアラブ諸国と違って農作物が豊かに取れる。つまり自給自足が出来る。よって部族の自立心が強くなる。イエメンはイスラム教国家だが、イスラム教が砂漠地帯で生まれえた理由が緑地のあるイエメンでは適応されない。それは部族間を越えて、イスラムの教えの下に共同体を作るという考え方が必要ないということだ。イスラム教発祥の根幹をなす理由がなくとも、イエメンがイスラム色を強くしているのは不思議なものだ。




古代の建築を見るのは、歴史に思いを馳せるためだけではない。
古代の建築には人間が持つ構築への魂がこめられている。
その魂には人間の奥深くにある心の原型がある。
心の原型は人類の形だ。
建築を見ることは人類を探ることなのだ。
[2008/08/25 22:32] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808024]Jerusalem → Amman → Sanaa
朝、エルサレムを後にする。エルサレムに向かうときは気付かなかったがあちらこちらに壁やバリケードが見える。この国は隔てられているのだ。一方でパレスチナ人の土地を奪って入植地が展開されている。エルサレムは歴史を語るが、歴史を勉強していないのだろうか。これまで大陸の歴史で同一民族の栄華が続いたことはないのだ。

 イスラエルの新興住宅地は丘の上に作られる。見た目は美しいが、違和感を感じる。これは城塞都市でなければ、街が丘の上に造られることはないからだろう。車を前提とした、新都市であればこその作り方。

 エルサレムも訳の分からない都市の作られ方をしている。あの水資源も少ない土地に巨大都市を作る必要があったのか。ユダヤ人は聖地だからと答えてしまうが、必ず何かしら理由があるはずだ。2つの谷に囲まれた要地であり、BC300年ぐらいには西の海、南北の交易地としての立地性はあっただろう。しかし、それだけでは理由にならないのがエルサレムの不可思議なところだ。
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パレスチナ人とユダヤ人との行く末を考え、やりきれない想いと共にこの国を去る。
キングフセイン橋国境を越えて、ヨルダンへ。
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3時間ほど観光資源もろくにないアンマン市街をぶらつき、空港へ。
イエメン、サナアだ。
[2008/08/24 22:29] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808023]Jerusalem
 エルサレムを見ていると建築材料が統一されているのが羨ましくも感じ、一方で日本は素材を使い過ぎという気がする。選択の自由はあるのは良いが、世界的に見ても日本の建築状況はチグハグすぎる。自ら規制を掛けて素材数を減らすのも良識ある建築家の努めかもしれない。


 本日はエルサレムを純粋観光。平和そうなキリスト教徒が聖歌を合唱しながら街を歩く。日本からのキリスト教集団も聖地を巡礼している。宗教上の伝説の地を見て彼らは何を感じるのだろう。私にとっては最後の晩餐の部屋もただの部屋だ。キリスト教徒の方は何かを感じることができるのだろうか。それとも、ただ訪れること自体に価値があるのか。私の建築巡礼と同じと考えたら理解できるが、同列にすることは失礼にあたる。宗教概念は理解できても、宗教が人の心にもたらしているものは理解が難しい。


イスラエル博物館へ。死海写生本展示館は一発屋の建築だが内部はなかなかよい。
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 ノグチイサム彫刻庭園は工事中であるが、ある種のレベルの高さを感じさせる。敷地内にはユダヤ人最盛期のエルサレムの第二神殿時代の都市模型がある。勉強になるが、よくもユダヤ人の栄華ばかりを語るものだ。イスラエルには中身の種類に対して博物館、美術館が多いように思う。自らの広報活動の重要性を十分に意識している。



本日イスラエルは安息日。エルサレムにはバスが通っていない。国家として異常な制度を強制している。街の端から端まで歩かされた。


コーラが高い。割安と感じて思わず1.5リットルボトルを買う。

当たり前だが、コーラを1.5リットルも一気に飲むべきではない。
[2008/08/23 22:21] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808022]Jerusalem
 ぐわんぐわん、ぐわんぐわん。

頭の中が混乱している。
一日に2つの異常な世界を見て、それを繋ぐ異常なシステムを目の当たりにしたからだ。
この国の形を知るほど、その形の歪さに困惑させられる。

 パレスチナ自治区(西岸地区)にあるラマンダという街へ。
イスラエルは1948年に独立を果たした。今年は建国60周年。ブッシュ大統領もイスラエルに来てお祝いの言葉を述べた。

60年。

この年月はパレスチナ人にとっては自らの土地を奪われ続けている年月とも言える。

 パレスチナ自治区はイスラエル軍による壁に囲まれている。ベルリンの壁が崩壊して、世界が解放されたように見えた後にこの壁が造られた。自治区に住む多くのパレスチナ人はこの壁を越えることが出来ない。

壁にはベルリンの壁と同様に誰が描いたのか様々な落書きがある。そこには魂の叫びが描かれている。
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[CTRL + ALT + Delete](この国を再起動しろ)
[The Wall must Fall] (この壁は必ず崩壊する)


 西岸地区にはイスラエル建国時の第一次中東戦争の避難民とその子孫で構成されている。はじめはテントしか支給されておらず、いつか自分の土地に帰れるのだろうと考えていた。しかし、60年経った今でも自分の土地に戻れない。土地を奪われたばかりか、避難キャンプから移動することすら出来なくなった。世界はチベットに目を向けているが、欧米諸国と考えられているイスラエルで人権無視、非人道的行為が日常的に行われている。

 今日は西岸地区に住むパレスチナ人に一人一人、一人ひとりの物語を聞いた。

Alba[44]
 彼は元々テルアヒブにて仕事を持って暮らしていたが湾岸戦争時より、テルアヒブには住めなくなってしまった。許可がおりず、仕事も奪われた。ただ、彼はそれまで稼いだ蓄えがあった。そのお金を使ってカナダに観光旅行ビザで入り、不法労働をし、カナダ人と結婚して永住ビザを手に入れた。この国に来たのは家族に会うためだという。
 
 彼にこの国の行く末を聞いてみた。

「これからどんどん悪くなるだろう。ここには仕事はないし、ろくな学校もない。若者は外に出られないし、彼らが犯罪に走る可能性もある。この先、自治区が良くなることはありえない。」

 この国が辿る理想の終着点は?

「パレスチナ人が自分の国を自由に動けるようになることだ。この国は元々小さい国だ。2つの国にするなんてことは馬鹿げたことだ」


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 故郷から離れた平和な世界に立って彼はそう答えてくれた。


Fares[53]
 彼は工具店を営んでいる。難民キャンプから程近い場所だ。彼の家はアマリキャンプの中にある。彼からはパレスチナの状況を聞かせてもらった。現在、ガザ地区は過去40年で最悪の状況を迎えている。たった360km2の土地に150万人が住み、4方を壁で囲まれ、国連の援助部隊すらイスラエル軍は締め出している。電気も、水も、食料も何もない。人が作り出したこの世の地獄だ。唯一協力を望めるエジプトへ人々は決死の覚悟でトンネルを掘っている。しかし、このトンネルすらイスラエル軍によって崩落させられたり、毒ガスを注入されている。食料を得ることすら出来ない。これがテルアヒブで見た繁栄の背後にあるものだろうか。

 彼は自治区で生まれた。父親がイスラエル軍に土地を奪われ、ここに逃げてきた。彼の父親はオスマントルコ時代より多くの土地を所有していたそうだ。今の国際空港の土地も彼の父親の土地の一部だった。彼はアラビア語で書かれた土地の権利証を見せてくれた。

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しかし、イスラエルによる占領の後ではただの紙切れと見なされている。


彼は生まれたときから自治区に住んでいる。今でも、父親の土地に戻りたいのかと聞いてみた。

「当たり前だよ。ただ、土地を返してくれと言っているわけじゃない。ただ自由に自分の国を歩きたいだけなんだ。コンクリートの壁で閉ざされてから私は17年間外に出ることが出来ずにいるんだ。私が危険な人間に見えるかい?一緒に暮らすべきなんだよ。私たちは。」

この国の理想像を聞いてみた。

「もちろん、スイスみたいに様々な言語、民族が混ざり合って一つの国を作るが理想だ。でも、現在の最終合意は1968年の第三次中東戦争のときのグリーンラインを確立できればいいんだ。そうすればここ(西岸地区)はとりあえず落ち着くことが出来るはずなんだ」


 現在イスラエルは国連合意に基づいた境界線を無視し、これに食い込む形で壁を作り、ユダヤ人を入植させている。はっきり言って人口密度から言っても入植させる必要など全くないにも関わらずだ。この強硬な姿勢は一体どこからくるのだろうか。平和的な解決など望んでいないかのようだ。理解に苦しまない人間がいるだろうか。


Muhammad(56)
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 彼はアマリキャンプに住んでいる。物心ついたとき、ここには何もなかったそうだ。しかし、ここに住む知識人や職人が偉大な努力を払って少しずつ少しずつ街らしくしていった。

 戦争時の一時避難のはずが何日たっても何年経っても戻れるようにはならないからだ。イスラエル軍は村々を襲い、何人かを殺害し、残る村人は何も持たずに逃げるしかなかった。キャンプには突然の悪夢にあった人々の子孫が住む。

 彼は甘物屋を営んでいる。彼は私にケーキをご馳走してくれ、拙い英語で語ってくれた。
彼の店には息子と娘の写真が飾れている。写真の息子は銃を持って精悍に構えている。彼の息子はイスラエル軍に抵抗し、そして捕縛されたそうだ。
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 彼の娘の写真はまだ若い、美しい娘の写真だった。彼女は母(彼の奥さん)と共にイスラエル軍の誤爆によってバスごと破壊されたそうだ。



 夕暮れ、厳しい検問を超えてエルサレムに戻る。ユダヤ人の祝祭日前の夕方(シャバット)であったため、黒塗りスーツに黒塗り帽子のユダヤ人が嘆きの壁の前で群れをなしていた。彼らは頭を揺らし、祈る。何人かは祈りのためにトランス状態に入っている。
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 ただでさえ異常な光景だった。これが頭を激しく混乱させた。あの牢獄の街は彼らの生活を守るために造られ、彼らの悲願を叶えたことで新たな難民を生み出した。ローマに滅ぼされた70年よりユダヤ人は離散民となった。パレスチナ人はイスラエルによって離散民となった。
現在、パレスチナに在住するパレスチナ人は約400万人、ヨルダン在住の難民が300万人、その他の国への移民や難民を含めると約940万人であるといわれる。


 この国は「恐怖」に駆られている。ホロコーストの歴史と僅か450万人という人口が恐怖を生んでいる。パレスチナ人を敵と見なし、武器を持たない敵に向かって怯えている。「恐怖」が人を異常に走らせる。
 国家予算の多くを軍隊に使い、貴重な人材に兵役を課し、街を歩けばレストランやデパートに入るのですらセキュリティチェックを受ける。明らかに過剰なセキュリティだ。必ず国が疲弊する。金銭的にも精神的にもだ。

 この国はいつまで見えない敵に怯え続けるのか。いつかイスラエルは「恐怖心」によって自ら崩壊するだろう。
[2008/08/22 23:50] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top
[0808021]Tel Aviv → Jerusalem
テルアヒブは20世紀シオニズムの異常ともいえる熱意で造り上げられた都市だ。シオニズムが作った異常の結晶はもう一つある、現代ヘブライ語だ。

 ヘブライ語は文語としては残っていたが、20世紀初期には10家族が話すのみの言語だった。それを言語研究によって復活させた。世界に散らばる全てのユダヤ人に教育し、現在では完全に日常語とした。世界では次々と言語が姿を消している。逆に10家族から1000万人近くまで普及させた言語はヘブライ語以外にはない。
ヘブライ語はアラビア文字にも似ているようでもあり、意外にも日本語のカタカナに似ていたりもする(らしい。)

言葉は歴史の過程の中で取捨選択されていくのに、逆に人工的に造られた。これまで使用されていた言語と全く異なる。ユダヤ人もよく勉強したものだが、それがどれだけ異常なことなのか理解できないのだろうか。

テルアヒブにて街歩き、現代建築巡り。現代建築はなかなか秀逸なものがある。アメリカに渡ったユダヤ人建築家も多い。イスラエル本国に仕事はなくとも、ユダヤ人マネーによってユダヤ人建築家が世界各地に華々しい作品を作っている。建築の展覧会等もテルアヒブにて行われていた。


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 エルサレムへ。街の活気はもう終わりかけていた。市内をスケッチしていると例によってアラブ人が周りに集まる。

こちらがまだ絵を描いているというのに自分の顔を「描いてくれ描いてくれ。」と。

「分かった、描いてあげるけど、コーラ一本ね。」
※ ムスリムにはビールを頼めない。

一人描き上げると次から次へと描いてくる。

「コーラはもういらん」

「じゃあ、お金を払う」
「こちらは10シェキル(300円程度)だ!」

アラブ人による似顔絵の順番争い。
猫の争い。

うほうほ、臨時収入。夕飯には十分なお金が集まった。
似顔絵も本気でやったら、旅ぐらい出来るかもしれぬ。

一級建築士、似顔絵街道まっしぐら。(泣笑)
[2008/08/21 04:33] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080820]Tel Aviv
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 イスラエルの現代建築は彫刻的なデザインが多い。

これは太陽の光が強いと言うことばかりではなく、素材が限定されていた背景があるだろう。エルサレムはエルサレムストーンと呼ばれるベージュのライムストーンが使用され、住宅も壁も石畳も全てこの素材で統一されている。ハイファも地元産の石材が使われている。ヨルダン、イスラエル、シリアの地域は丘が多く、岩盤が固い。そこから石材が取られてくる。
 素材が同じだからこそ表面の凹凸に配慮したり、全体の形態に特徴を持たせる。
また、丘の上に建築を建てる経験が多いせいか階段状の建物が多い。平地であってもこのデザインを踏襲することすらある。これもイスラエル建築の特徴だ。

 
 テルアビブは砂丘の街だった。20世紀初期にシオニストによって建設され、中東のヨーロッパと言うべき都市とまでなった。第一次世界大戦後のイギリス統治時代に計画された。テルアビブはWhite Cityと呼ばれている。街の建築が白く塗られていたからだ。ドイツでは戦時中にバウハウス建築はことごとく破壊されてしまったが、テルアビブにはドイツで学んだ建築家によるインターナショナルスタイル建築が4000棟ほど残っている。2003年には世界遺産にも登録された。
 とはいえ、これがインターナショナルスタイル建築だということが分かる人間がどれだけいるのだろうか。ほとんど補修もされず、更新もされず、残骸のように残っているものが多い。世界遺産都市だと知る人間がどれだけいるのか。ここでも都市計画等の保存運動が後手に回っているように感じる。近年ユネスコは近代建築に対してやたら世界遺産認定をしているが、現状を憂いた措置なのかもしれない。
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 中心市街地は都市計画の祖としても知られるパトリックゲデス卿が設計した。円形広場の周りにはインターナショナルスタイルの建築が立ち並んでいる。特にCesther&Mosena Thaniel設計の映画館は秀逸。現在は改装されてホテルとなっている。
 この中心広場は道路の上に立体広場が設けられ当初の面影はなくなっている。ただ、この立体広場の設計は秀逸であり、参考するに値する。
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午後にテルアヒブ大学へ。私がイスラエルに敵対する国家であったならば、はじめの爆撃は大学とするだろう。イスラエルは知識階級の富によって成り立っている国家だ。国内にいるユダヤ人は僅か450万人。東京都の人口の三分の一程度。イスラエルは人的資源の乏しい国だ。だからこそ戦争時には人的被害を極力さけるため、先制攻撃を仕掛けざるを得ない状況に陥っている。相手はエジプトだけでも7000万人、アラブ諸国を合わせれば何億人にもなる。加えてアラブの家族は子供を多くつくる。イスラエルも頑張っているが及ぶべくもない。イスラエルの貴重な人材の中の特別に優秀で貴重な人材は大学にいる。もしくは大学が生み出す。だからこそ敵だったらここを狙う。


 エジプト、ヨルダンと旅をして、数週間ぶりに見たものがある。

 「雲」だ。
[2008/08/20 04:27] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808019]Haifa → Naharal → Tel Aviv
バハーイ教の神殿、階段公園を見学してナハーラルへ。
この街を航空写真で見てから一度見てみたかった。

イスラエル人の誰もが「何でナハーラルなんて小さな町に行きたいんだい」と聞く。しかし、航空写真を見れば都市計画家は行ってみたくなる。

s-100_6548.jpg建設当時

s-100_6547.jpg現在



ナハーラルでは運良く現地ガイドを紹介してもらった。聞けば日本人でこの街に来たのは私が初めてだと言う。

ナハーラルはムシャーブ(Moshav)と呼ばれるコミュニティビレッジ。ここではそれぞれが村の中で自分自身で仕事をし、お互いの品を買って暮らす。ナハーラルはイスラエルではじめてのムシャーブだ。ナハーラルは87年前の1921年に建設された。ムシャーブは現在世界に450ほど点在する。建設当初より80家族ほどが入り、初期の20年には20世帯ほど入れ替わったが、それからは10年に1家族が入れ替わる程度だ。

現在75の農業世帯がおり、150ほどの住宅がある。人口は800人ほど、高校に集まる近隣をあわせれば1200人ほどがこの村に関わって暮らしている。

都市プランは建設当初から変わらない。この村に住む家族(ファクトリー)が平等の土地を持つことを理念としているからだ。ただ、この形態で問題がなかったわけではない。

1、住宅から最も遠い外縁に農地や畜舎があるため防衛が弱い。周辺のアラブ人などからの攻撃を受けやすく、現在でも盗まれるそうだ。

2、拡張性に乏しく、昔と同じ土地面積では十分な収入を得られないそうだ。これには現在の2つのサークル(円形道路)に加えて3つ目のサークルを作って拡張したいと行政と裁判で争っている。

 実際の街を歩くと航空写真ほどの衝撃はない。イタリアで訪れたパルマノーヴァよりプランの明確さもない。この都市は平等という理想によって作られた街。実際の都市像を意図してつくられたものではない。航空写真が良くても実際の街の景観は大したものではない。会社を辞める前に13haほどの住宅地開発に携わった。初期構想としてはいいが、航空写真のように上空から考えていなかっただろうか。もっと人間的なスケールでの詰めが必要だった。計画がそのままの形で進んでいるはずはないが、いまさらになって色々とアイディアが浮かぶ。

都市計画や建築の失敗は一生残る。姉歯ビルのように作りなおすわけにはいかないものばかり。学んでも学んでも、まだ学ぶべきことがある。
[2008/08/19 06:00] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[0808018]Amman → Jeruserem → Haifa
イスラエルへの国境を越えたらアラブ世界からヨーロッパ世界の街並みになるのかと考えていた。

そんなことはない。

エルサレムはアラブ世界の文化圏が続いている。店がごちゃごちゃとひしめくスークはイスラム占領時代から変わらない。特にアラブ人地区は西洋文化の欠片もない。

旧市街、嘆きの壁へ。多くの正統派ユダヤ人が頭を振って嘆いてる。この場所に戻るまでユダヤ人は1900年費やした。彼らの望みはかつて壁の上に存在していた神殿の再建。現代の建築技術を持ってすればたやすく再建できると思うのだが、いろいろと複雑らしい。

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正統派ユダヤ人の格好はとても変だ。どう考えてもこの服装はこの暑い地で生まれたものではない。東部ヨーロッパで生まれた慣習をイスラエルの地まで引きずっている。一度、宗教的に慣習化されると非常に厄介なことになる。髪形も異常だ。どの国であれ、そんな格好をしていたらいじめられるだろう。しかも、自分たちは「神に選ばれた民」だと言うのだ。人間が最も持ってはならない考え方、つまり「自分だけは特別」を持っている。ユダヤの悲しい歴史を観てきても、どうもこの思想だけは納得できない。神の下、人は平等ではないのだ。


バスターミナルに向かう途中。イスラエルの「怖さ」を感じた。イスラエルでは兵隊が小銃を持って街を練り歩いている。学生が制服を着て学生鞄を持つように、実に当たり前のように銃を持っている。彼らは基本2人一組でどこにでもいる。道にも、バスにもデパートの中にもだ。このシステムが怖いわけではない。銃が怖いわけでもない。

イスラエルでは18歳から3年間を徴兵制度として義務付けられている。この18歳という若さが怖い。日本の18歳に全員銃を持たせたらどうなるのか。殆んどの人間は大丈夫だろうが、中には変なのもいる。イスラエルでは街で活動する若者を監督する人間もあまりおらず、自由に散らばっている。彼らは青春を国の軍隊システムに奪われた。職業軍人でもなく、軍隊の意味を本当に理解できる年齢でもない。

たまたま19歳の兵隊に道を聞いた。彼らは銃をカチャカチャ鳴らし遊び、アラブ人の車を止めては嫌がらせをしていた。
彼らにイスラエルをどう思うかと聞かれた。

「着いたばかりで分からないよ」と答えると、

彼らは「イスラエルは最高だ」と答えた。

私が「なぜ?」と聞けば

「見ろよ、あの犬っころ」と笑って、アラブ人たちを銃で指した。


イスラエル国民は600万人超。そのうちユダヤ人は450万人程度。その他は主にパレスチナ人だ。
兵役には基本的にユダヤ人のみが着く。大人数のユダヤ人が少数のパレスチナ人を管理する構図だ。兵隊となったユダヤ人は、その優位性によって人間としての正常な考え方が欠如する。
[es]という映画を思い出す。心理学の実験で対象者が囚人服と看守服を着て仮想的に演技をする。そのうちに看守役が自分が本当の看守のように偉いと考え出すのだ。現代ではこの心理実験は禁止されている。しかし、イスラエル国内では同様の状況が起きている。

これが恐ろしいところだ。兵役を抜けたユダヤ人は一層パレスチナ人との溝を深くするだろう。防衛のための政策が国民同士を反発させる結果を招いている。

そして、兵役を終えた若者は一路インドを目指す。ガンジャを好きなだけ吸うためだ。こんな循環ではユダヤ人の唯一の武器である知性・学問の分野が衰退するだろう。このままでは何十年か後、経済によって守られた国家は破綻する。イスラエルはアラブ諸国によって解体されるのではなく、国力の低下によって崩壊する可能性がある。今日の能天気な兵隊を見てるとそう考えざるを得ない。

夕方、ハイファへ。友人の奥さんの両親が迎えてくれた。
エルサレムのバスはパレスチナ人とユダヤ人の二つのシステムが並存している。メンドクサイ。
[2008/08/18 05:56] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808017]Amman
 エジプトで取得不能だったパキスタンビザはアンマンで取れるのか。それを確認しにパキスタン大使館へ。ここでも取得不可能。全くもって不可解。日本がどれだけパキスタンにODAを投資しているのか、大使館職員は分かっているのだろうか。日本の援助に対しての各国の対応は全く意味を持たない。軍事的ではなく、平和的な圧力は成り立たないのだろうか。悲しいことに。
 

 「ノルウェイの森」。外は暑く、空気は澱み、観るべきもののないアンマンでは外出し続けることは難しい。十数度目かの本の交換によって、村上春樹作のノルウェイの森を手に入れた。この本は十代の時と、青春というべき時期を過ぎてから読むのではまるで違う本となる。自分の失われた時間、失われた自分を振り返り、どこにも届かない思いを抱く。地図が克明過ぎると地図が役に立たないように、記憶も鮮明すぎると役に立たない。記憶が薄れて、はっきりと重要なものが見えるようになったとき、人は自分が失ったものに気付くのだ。
 日本から遠く離れたアンマンで、僕が失ったものに思いを馳せた。


死海へ。死海に入る前に傷口が染みると聞いていたため、若干入るのが怖かった。(※傷だらけの王蟲が酸の海に入るのをナウシカが止めるシーンを想像してほしい)

死海では本当に浮く。白鳥が湖に浮かぶのが当然のように人間も浮く。例によって新聞を読みながらでも浮く。沈まないので水の中を歩ける。仰向けになってもうつ伏せになっても浮く。

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童心に返って、文字通り「浮きウキ」した。



 夕日が落ちるのを眺め、ビーチ付属のプールに入った。こんなにも体が水に沈むものとは思わなかった。溺れかけた。アルキメデスもびっくり。
[2008/08/17 02:15] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808016]Amman
 永遠と続くかのような砂漠地帯を駆け抜けると、突然、丘と街が現れる。いくつもの丘に住居が密集して作り上げられているのがアンマンだ。これまで観てきた都市の中でも特別不可思議な形態を持っている。
 高密度で、道路は複雑であり、交通網も都市計画もあったものではない。全てを覆い尽くすような住居だけが存在する。
 当然、道路は渋滞し、空気は澱み。非衛生の街が作られる。都市的な発展などあったものではない。一体どうしてこんな街が出来たのか。首都としては奇跡的な地形を持っている。
人口は120万人。19の丘にまたがっている。
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 周辺の砂漠地帯と違い、アンマンの付近には針葉樹が生えている。土が違い、また地下水があるのだ。そしてこの地は文明の交差点であり、また十字軍との戦いの要衝ともなる。この地形が要塞を築くのにふさわしい土地であったはずだ。
 しかし、この発展の仕方はあまりに無秩序。混沌をどころか無法、無謀。目も当てられないどころか、排気ガスで目が痛い。風が吹かない土地であったならば全市民が喘息になっていただろう。

 それに対して一つヒントを得た。パレスチナ難民の存在だ。イスラエル建国当時、つまり60年前から何十万人もの難民がこの地に移り住んだ。人口120万人のうち7割がパレスチナ避難民である。(ちなみにヨルダン全体の人口550万人、1961年より、イラクからの避難民合わせて5倍以上に人口が膨れ上がった)。アンマンの歴史は120年程度。1940年代後半でも人口はたった2万人程度しかいなかった。
避難民の存在によって都市が高密度住宅地へと強制的に変えられた。これが私の感じた都市の違和感の正体なのかもしれない。街を歩き、人と話し、見えない都市像を捉えたい。
[2008/08/16 14:35] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808015]Petra
 ぺトラ遺跡へ。
 聳え立つ崖の谷間を抜けるとエル・ハズネ神殿に着く。地形に守られた奇跡的なロケーション。建築する理由は数あれど、人間は元々構築する意志を持っている。マチュピチュもそうであったが、人間と言うのは素晴らしい立地条件を見つけたときに放っておけない。建築したくなるのだ。世界最高の敷地には大体宗教施設が造られている。エル・ハズネを始めとするぺトラの遺跡群は、強い光、乾燥した大地によって力強い単純なデザインとなっている。

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 エル・ハズネ神殿はヘレニズム文化を強く受けた建物である。一方で周辺にある王の墳墓群はその影響が見られない。どんな場所であれ、死に対しての人間の反応は、土着的な慣習を持ってくるように思う。キリスト教のお墓であっても世界中形は異なる。
 ぺトラで墳墓に使われた土着的なデザインは階段のシンボル。このシンボルによって死者が昇天させる。階段のシンボルは世界的に昇天を意味する。ピラミッド然り、ツェツェンイッツァ然りだ。面白いのは全く同じサインがモロッコのカスパやベルベル人の住居に使われていることだ。おそらくキリスト教やイスラム教成立前に遊牧民であったベドウィン民族が、統一した慣習をもって移動したことを意味している。その慣習は時代が変わっても、宗教が変わっても残り続けている。人類の記憶というのはそうそう消せない。特に原始的なイメージに関しては。

 石窟寺院と言うとインドのアジャンタやエローラが真っ先に浮かぶ。内部に多様な彫刻が掘り込まれ、奇跡的な内部空間を作っている。一方、ぺトラには内部空間は存在しない。入り口を入ったら内部に四角い空洞が残るのみ。内部に彫刻は存在しない。ニッチさえないのだ。
 これは明らかにギリシャ、ヘレニズム文化は外観に重きを置いていることを示している。外観が重要であれば石壁への彫刻的な建築は実に効率的だ。材料に事欠かず、構造的にも強い。エル・ハズネ神殿の建設にはメリットがあった。
ぺトラ遺跡群は主に紀元前2,3世紀に建てられた。外観によって権威を誇示する必要はあっても、内部空間の使用方法が宗教成立までなかったのだろう。宗教が成立すれば一般人を内部に引き入れて宗教の権威を示し、説法をする必要もある。
 外観には彫刻が残っているが顔は削られている。ガイドブックには書かれていないがイスラム教の成立後に削られた可能性もあるのではないか。

 夜、宿でインディージョーンズ最後の聖戦を見た。本来はぺトラに行く前に気分を盛り上げるために上映される。ぺトラはこの映画の舞台になっている。ヨルダン政府も世界遺産を映画のロケーションによくぞ使わせた。この映画によって世界中に遺跡が知れ渡るようになり、観光客も増えた。エジプト同様、石油がない国の戦い方がある。日本も様々な遺跡があるが、日本の物価が高いせいもあって映画にはなかなか使われない。観光化の良い点悪い点を見極めながら映画招致の作戦があってもよい。
[2008/08/15 19:09] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808014]Cairo
カイロを夜行で抜けてヌエバへ。ヨルダン行きのフェリーに乗るために。
しかし、このフェリーはひどい。料金も物価に比べて桁違いに高いばかりか出発の時間は不定期。朝10時の出発と言われたが、出発は夜の19時。結局朝から12時間待ち。

カイロのインド大使館を教訓にして、インドを世界基準にして考えるしかない。インドを基準にすればフェリーが9時間遅れたからと言って怒る必要はなくなる。(か?)

国の効率が悪いとサービスを受けるエジプト人もひどくなる。列は並ばない、横入りをする。本当にひどい。おまけにエジプト人はケンカばかり。気付けばあちらこちらで殴り合い寸前になる。周りが必死になってとめるのがエジプト流。お互いに自分が正しいと主張し、それを聞いた野次馬が勝敗を決める。こんな国が発展するわけがない。
エジプトにはアラブに必要な油田がない。エジプトは技術大国にはなりえない。よって観光立国として成り立つしかない。観光立国であるためには欧米諸国流を取り入れざるを得ず、貧困であるがゆえに、イスラム原理主義が台頭する。よって、街には警官が溢れている。
アラブ諸国の中でエジプトほど難しい立ち回りを演じている国はない。

アラブの油田は世界を複雑な状況に変貌させた。
西欧諸国はアラブの油田の安定安価供給を求めるために、アラブ国家に介入してイスラム社会を滅茶苦茶にしている。
イスラム原理主義が起こったのはイラン革命がきっかけとなったと言われる。革命の引き金になったのは、西欧諸国の庇護を受けた特権階級が貧富の差を生み出したからだ。イラン革命は欧米よりの国王を打倒し、イスラムの教えを基とした国をつくることにある。
イスラム原理主義は凶悪なテロ組織の温床のように言われるが、本来イスラムの教典に戻り、イスラム社会に平等を再び取り戻そうと言う考えを指す。要は世界に宗教対立があるわけではなく、結局は経済活動によって対立が生まれる。国家が自分の利益を主張しあい、利益を得るということはもう一方から搾取すると言う構造になっているからだ。
当然西欧諸国の搾取によって、アラブ・アフリカは存在していた。その搾取されていた国に石油があった。20世紀、国の独立を認めてもいかに欧米諸国の息のかかる政権を成立させるかに欧米は策を弄した。

これにイスラエルの問題が加わり、世界経済及び世界政治を動かす地域となっている。中東ではそれを感じる旅をしたい。

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[2008/08/14 19:05] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808013]Cairo
 やっとインドビザを取得できると思いきや、

審査官に「もう一日待て」と。

・・・「ちょっとまて。」

これにはこちらも必死で交渉。
今夜には飛行機が出ると方便をして、何とか午後にビザをゲット。インドと対するにはエネルギーが必要だ。インド滞在外交官はそのエネルギーを失わずに戦っているだろうか。


エジプト最後の夕食。
シェア飯担当のゆみさんが
私のリクエストに答えてくれて、
カツ丼を作ってくれた。

伝わらないと思うけど、
これは奇跡的なことなのだ。

[2008/08/13 18:55] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080812] black &white desert
 我らが乗っていたランドクルーザーは既に53万キロ走っている。
 道中、バスが故障する。まぁ、なんてことはない、ドライバーが必死に直す。ここでは車はたやすく壊れるが直しやすい。
 
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 日本では車は不可侵の存在になっている。もはやブラックボックスだ。壊れても一体どうしてよいのらさっぱり分からない。電気系統はもはや手の出しようがない。よって、べらぼうに高い車検費を払わされるシステムが出来上がる。

 世界で最も優れている日本製品の一つにホンダのスーパーカブが挙げられる。偽物を含めて10億台ほど世界を走っている。カブは部材が規格化されているし、取替えもたやすく、つまり修理がたやすい。

日本はパワーウィンドウから始まってABSやら機能が多い。機能が多いということはそれだけ壊れる箇所が多いということだ。各社、各車で規格が違い、交換部品も手に入りにくくなる。日本国内や欧米諸国をターゲットに考えれば新製品の開発は消費意欲を誘うため必要であろう。しかし、地球環境や第三カ国での使用を考えると車会社の戦略は正しい選択なのだろうか。プリウスなど技術革新としては必要だが、地球環境には悪い車だ。

 建築でも同じことが言える。日本のODAがインドに井戸を掘ったときに最新の機材を導入してしまい、現地の人が修理できずに意味をなさなかったことがあった。適地適材、適地技術が重要になる。

現代日本の住宅も余計な機能が付き過ぎていないだろうか。自分の家の内部がどうなっているのかさっぱり分からなくなっているのではないか。そんな状態では災害後の復興も問題になる。
 
世界を基準に眺めると、豊かに見える日本の車・住宅が危ういものに見えてくる。

[2008/08/12 05:13] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080811]black &white desert
パフレイヤ・オアシス近くの白砂漠には奇岩が立ち並ぶ幻想的な景色がある。

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夜は火を囲み、太鼓のリズムに合わせて歌を歌う。エジプト人は楽しそうに仕事をする。
こんなにも楽しそうに仕事をする日本人はいないだろう。成田からの帰路、疲れた顔のサラリーマンを見るたびにそう思う。

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夜は人もいない、音もない世界。
獏は白砂漠で夢を見るか。 
[2008/08/11 05:05] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[0808010]Cairo
 在エジプト・インド大使館もやはりインドだった。本国のように効率が悪い。どんなにIT大国になったとしても国家としては底辺に位置せざるを得ない。


 エジプトの地下鉄には痴漢が多い。

私も触られた。

というのは嘘だが、エジプトのみならずイスラム諸国を旅すると日本人女性は間違いなく不愉快な思いをする。日本人だけではなく、イスラム女性も困っている。当然、女性専用車両が出来ている。
 
 イスラム世界にこんなにも痴漢が多いのは性が抑圧されているからだ。高い結納金のせいもある。男性はおおっぴらに恋愛することもできずにいる。人間、抑圧されると当然犯罪に走る。
 日本も世界で最も痴漢が多い国の一つだ。要は日本人も抑圧されているのだ。日本男子であることが求められて育ち、現状に不満があっても実行は出来ず、頭の欲求だけが先走る。現状と欲求に大きな隔たりがあるのが犯罪を引き起こす。
 
この精神状態はなにも性的なものだけではない。
心理学的に欲求には5段階あるとマズローによって定義されている。
生理的な欲求から始まって、自己実現までの5段階だ。日本人は所属欲求すら満たされていないうちに、自己実現まで求められる。雑誌や広告に良く載っている「その仕事満足していますか?」というメッセージを見ない日はないのではないか。

 自己実現が常に求められる社会は、アイデンティティを持たない日本人には地獄だ。
 以前起きた秋葉原の無差別殺傷事件を考えてもそうだ。
 彼の犯罪は主体性を持っていないように思う。自分では自分の欲求(自己実現)が達成だけないがゆえに、犯罪に走り、他者に自分を裁いてもらうという人生の放棄だ。そんな逃避行動に巻き込まれた被害者は本当に無念だ。
 今後も現実逃避的な犯罪が増えていくだろう。それを減らすには社会的な抑圧を減らすしかない。

イスラム教の教えは所属欲を満たすことが出来る。忠実に守れば平和で平等な世界が生まれることになっている。しかし、現実はそうなってない。だからこそイスラム原理主義が台頭する。


 とはいえ今日は平和な一日。今後の予定を立て、本を読み、シチューを食べた。
[2008/08/10 04:34] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080809]Cairo
カイロには色がない。
町全体が砂で出来たような色をしている。

砂上の楼閣。
砂と共に消えてしまいそうな街だ。

建物はペンキで着色されることがほとんどない。レンガや石は砂交じり、ヨーロッパの強い茶色とは比べるべくもない。空気は排気ガスによって霞み、街はますます色を失う。

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カイロの東側にある死者の街へ。ここでは死者のために家を作る。それが集まって死者の街となる。広大な面積を持つ死者の街はミナレットから見ると異常な風景に見える。一つ一つが美しいと言うわけではないが、異質のために他の墓地とは違う世界でも稀有な場所となっている。
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エジプトの子供は自己主張する。

大人に混じっても、一歩も引くことがない。
エジプト人と夕方サッカーを楽しんだ。一つ一つのプレーに対して8歳ぐらいの子供でも大いに自己主張する。もちろんピッチの中では年は関係ない。しかし、日本ではここまで自己主張するだろうか。パスをもらえなければ、なぜパスを出さないんだと怒り、ミスをしても次は決めるぞと常に自信を持っている。男性優位のイスラム世界で育った尊厳だ。
 ボールを外に蹴りだしても、自分のボールだと主張する。はっきり言って行き過ぎている。しかし、この自信は世界と渡り合うとき、力強く彼らの背中を押すだろう。日本の男性は自信を失っている。自信を失った人間は戦えない。国際競争という中でアラブは精神的な強さを元々身につけている。
 たかだかサッカーだが、小さい頃から叩き込まれるアラブの精神力を感じた。

[2008/08/09 23:51] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080808]Cairo
 コプト教会へ。初期キリスト教の原始的な形態を見ることが出来る。エジプトにはデザインの技巧に走る前の素朴で力強い形態が残っている。構築への意思。それはカルナック神殿などの力強い柱のデザインから脈々と続いているように思う。

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 そんなエジプトは他のイスラム諸国とは建築が異なる。エジプトがイスラムの原始的な形態を保っているからだ。今日はイスラーム地区の初期寺院を見て回る。千夜一夜物語のように千のミナレットが立ち並ぶ街並みがある。

エジプトではモスクよりイスラム寺院形式が主流。イスラム寺院は完全に中庭形式。
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 中央に水場があり、外側に何層にもなる回廊が囲む。祈りの時間ではないときには、おじさんが絨毯の上でだべっていたり、寝転んでいたりする。のんびりとした空間だ。
寺院回廊部に敷かれている絨毯には反復した模様が描かれる。これは一人分のスペースとメッカの方向を示している。

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 基本的に宗教施設は方位を重要視する。キリスト協会は朝のミサのために祭壇を東に向ける。古来の祭壇は太陽と合わせ、東西を主軸として作られているものが多い。
 それに対してイスラム寺院の方位はメッカの方向を基としている。世界各地にある寺院ごとメッカに向けて祭壇を造る。つまり東西の方向に対しては無視されていることになる。
 イスラム教が宗教と言うより、共同体をどう成立させるかということに重きを置いているからだ。同じ方向を向いてお祈りをする作業が共同体意識を生む。そして、メッカが栄えるように戦略が組まれていたからだ。
 

 ダハブに旅立つ旅人へ向けて「贈る言葉」を合唱した。
 いい歌詞だと思う。
[2008/08/08 23:15] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080807]Cairo
 建築とは無縁の、超個人的な日記となる日常が続く。
 昨日日本大使館に申請していた各国へのレターを受け取る。しかし、目的としていたインド大使館のビザ申請営業時間に5分間に合わず1日長くカイロに足止めを喰らうことになる。そしてインドビザ取得には1週間掛かる。そもそもインドに行きたいわけでもない。世界一周券の都合上立ち寄るなのだ。このチケットを捨ててしまえばインドを訪問する必要もない。よって、時間節約のために旅ルートを変更することも考えなくてはならない。

 9年前、日本人の長期旅行者が1日に何かビザを取るなど、宿から出て何かすることを「1スイング」と呼んでいた。一日1スイングと言う言い方をする。当時の私はそんなだらだらした旅行者にはなるまいと思ったものだが、カイロではビザによって強制的に「沈没」させられる。人生の貴重な1週間をビザの取得のためだけに使ってよいのか。考えると悔しくなる。なんとか無駄だったと思わない1週間にしたい。

 カイロに来た目的の一つはHDKさんに髪を切ってもらうこと。このブログともリンクしているチョキチョキ日記のHDKさんだ。彼は世界を西へ。僕は東へ。偶然エジプトで出会ったのだ。うざったかった髪を切ってもらい、爽やかさ120%になった。

 髪を切ってもらいながらふと思ったことがある。
キリスト様はなぜ髪を切らなかったのか、ひげを伸ばしっぱなしだったのか。その時代でも床屋さんはいそうなものだ。髪が短くて、髭がないと威厳がなくなってしまうからだろうか。全国の美容師さんはこれに抗議し、キリスト様にふさわしい髪型を考えてもよいと思う。


路上販売には、成立しているのか不思議に思うものがたくさんある。
道端のテッシュ売りのおじさんのテッシュは売れているんだろうか。
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[2008/08/07 02:12] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080806]Cairo
 カイロには9年前に来た。10日間ほど滞在してオールドカイロ、イスラム地区、死者の街などカイロ中を熱心に見学した。イスラム圏の研究をされている方ともお会いして話を聞き、早稲田の発掘隊に混じっては吉村作治さんと世間話をしていた。思い出深い街だ。

車は排気ガスを撒き散らしながら、道路を巡る。ドライバーは常にクラクションを鳴らしている。そもそもクラクションはハンドルの中央にない。すぐに鳴らせるようにパッシングライトの位置がクラクションに改造されている。ハンドルにボタンが付いて親指で鳴らせるものすらある。
「喧騒の街」「混沌の街」カイロを一言で言うならまずこんな言葉が出てくるだろう。


ギザのピラミッドへ。ピラミッドに行くのは4度目だ。何度見ても圧倒される。何度観ても5000年前に造られたとは到底思えない。王の力も凄かったのだろうが、当時の建築家は構造から天文学等々、多岐にわたる知識を持っていた。
 ピラミッドは砂漠の真ん中にあるようなイメージがあるが実際には街のすぐそばに位置する。ピラミッドの背景に街が見える。当然、5000年前のピラミッド造成従事者も作業場から街が近くなければ熱い太陽の下、作業場に来ることすらできなかったろう。
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この学説が本当かどうかは分からないが、ピラミッドと街との間には関所のようなものがあったらしい。賃金をもらった従事者はその関所を通る。ただ関所が従事者にとって厄介だった。関所にはビールを飲める酒場が併設されていたのだ。賃金をもらっては酒場でお金を使ってしまう。賃金がピラミッドのエリアで循環する仕組みが作られていた。エジプトは「ナイルの賜物」とはいうが、ピラミッドは「ビールの賜物」なのだ。
あまり美味しくはないビールだが。
[2008/08/06 23:12] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080805]Dahab

 ダイビングの後、すぐに夜行でカイロに向かいたいが体内に残留した窒素量が多く、高地を通るバスに乗れず次の日の出発に。今日は旅の休日となった。ダハブでのんびりしても全く飽きない。ここでインドビザが取れればよいのだがそうもいかない。夜行でカイロへ向かう。

このダハブというのはのんびりするにはいい街だ。だらだらするつもりがなくても、海辺のレストランは安く、食事もゆっくり出てくる。レストランを出たからといってダイビング以外することがない。気が付けば夕暮れになり、旅人同士の話にも花が咲く。


 ダハブを離れる前に最後のシュノーケリング。ダハブを離れたらこの旅の中でビーチに行く予定はない。服を着たまま入るアラブ女性を横目に色とりどりの珊瑚を眺める。魚も珊瑚の周りを泳いでいる。

 日本の海で泳ぐとき、友達に銛(ないしヤス)で魚を捕まえることを教わった。近くの漁師に聞いて、食べられるようなら内臓を取り去って焼いて食べるのだ。キャッチ&イート。潜って魚を一心不乱に追っていると、自分のルーツが農耕民族ではなく狩猟民族だったはずだと感じる。ただ、なかなか捕まえるのは難しい。動きが早く、近寄るとすぐ逃げてしまう。ダハブは大きな魚も急いで逃げたりはしない。ヤスを手にしたら捕まえ放題だろう。ただそうなると狩猟民族の血は満足しないのかも知れない。

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photo by ken

 エジプトの夜行バスは寒い。エアコンをガンガンに掛けることこそ最高のサービスと勘違いしている。それよりも席の間隔を少しでも広くして欲しい。
[2008/08/05 00:01] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080804]Dahab
3日の夜に出発してイギリスの沈没船エステルゴルム、シナイ半島先端部に位置するラスムハンマド国立公園へ。ダハブも美しかったが透明度は25m程度。大物の魚とも出会えなかった。透明度が60mあると聞いていたため満足仕切れなかった。ラスムハンマド国立公園で満足できなければ、もう二度と紅海には来ないという気持ちで参加したのだ。

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ハルガタ、ダハブ、シャルムシェイクから紅海を潜った。時期やスポットがあったのかもしれないが、話に聞いていた美しさを体感することができなかった。運が悪いことも含めて紅海は自分が求めている海ではなかった。いつか自分の海を見つけるために、旅を続けなければならない。


 宿をクーラーなしの部屋に変えると、苦しむほど暑い。建物が日中の太陽熱を取り込んでしまっている。要は設計が悪い。本来、エジプト人が酷暑に対応した住居を持っていたのに、なぜ西洋的な空間を作る必要があるのだろうか。エアコンがある/なしで部屋の天井高さは当然変えるべきだし、熱を溜め込まないように日中は建物が日陰になるよう工夫されるべきだろう。風を通り抜けさせる工夫、風を冷風に変える工夫。世界中に気候に対する知恵がある。なぜ使えないのだろうか。
 ダハブにモデル住居を作って見せれば、皆真似することが出来るだろう。技術的にも可能だ。
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↑こんな感じのバンガローがあってもいい。



 ダハブにきて計9回潜ったがトラブルが多すぎる。いつも誰かの器材にトラブルを生じるし、4回水中事故になりかけた。信頼できるインストラクター、ダイブマスター、装備のきちんとしているダイビングショップを選ばないと楽しくないどころか、大変なことになりかねない。誠実なエジプト人には申し訳ないが、迷ったらエジプト人を信じてはダメだ。そして当然自分での厳重な事前チェックが必要だ。
  
 ちなみに紅海は蒼い。
(たまに海藻が異常発生すると海が赤変するらしい。)
[2008/08/04 21:08] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080803]Dahab

 ダハブの有名なスポットであるキャニオン、ブルーホールへ。
水中に美しい珊瑚の崖があるが、ブルーホールを有名にしているのはラクダだろう。ダイビングポイントまで人とタンクをラクダが運ぶ。エジプトのダイビングならではの光景。

ブルーホールをダイビング中に講習生の一人が急に失神してしまう。インストラクターがすぐに気付き事、危険を承知で急浮上(ダイビングで急浮上は最も避けるべきこと)。事なきを得たが、やはり水の中は怖い。バディと常に一緒に確認しながら遊泳しないと大変なことになる。
[2008/08/03 21:06] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080802]Dahab

 アドヴァンスコース講習の2日目。
水中で30mをどれぐらいの時間、どれぐらいのキック数で到達するかを確認する。このような確認は陸上でも役立つ。自分の歩数がきちんと1mで歩測できると建築の空間把握がたやすくなる。毎日通る場所に30mを事前に測れば、ちょうど30歩で歩くよう毎日トレーニングすることが可能だ。大学時代にはそんなこともやっていた。
コンパスを使って、方向をチェックする。これは山登り(アドヴェンチャーレース)で学んだが海の中でやると混乱してしまう。しっかり方向を合わせていても、どんどん上昇してしまうなど、上下の浮き沈みのコントロールがおろそかになってしまう。海の中では360°のみなず上下にも移動できるのだ。
 
講習がひと段落。やっと楽しめるEels gardenというスポットへ。砂地から頭をもたげた白いうなぎ、アナゴ?が顔を出している。ムーミンに出てくるにょろにょろが細長く、くねっとした感じの魚だ。
水中には水中にしかない景色がある。光が水面を透過して光の束となって水の中に振り注ぐ。重力はなく、地形も複雑だ。こんなところにどんな設計が考えられるだろうか。これまでに様々な建築家がそのイメージを示してきた。しかし、建築家よりも映画の中でのほうが水中都市のイメージを伝えているのではないか。一番思い出深いのはスターウォーズの中に出てくるグルガン族の水中都市。SFであるために現代の技術では実現不可能。しかし、自然とも共生した美しい都市だ。ガあの泡を模した建築は圧力にも強くデザインも理にもかなっているように思う。映画の中では泡は静電気によって固定されているので、泡を突き抜けて入ることすらこと可能だ。
現実世界にも海の中の建築を目指す動きがあるように思う。水族館にも最近高級レストランが併設されていることがある。例えばカラトラヴァ設計のバレンシア水族館もそうだった。海の中に沈めたレストランもあるし、アクリルドームの中から見る魚を見ながら食事するのは気分も盛り上がるだろう。

ダハブは建築ラッシュ。海への環境汚染が心配になる。
エジプトは観光立国である。古代遺跡などは観光局がきちんと整備しているように思うが、ダハブの管理体制はどうなっているのだろうか。日本では設計時に排水に関する負荷等や環境への配慮を全てクリアする必要だがエジプトはどうか。建築による環境負荷のみならず上下水はどうか。
ダハブの水道水は海を浄化して利用している。浄化装置が悪いのかひどく塩水だ。そんな水を使っていて水道管の腐食は進む。下水は水を浄化する草木もない。ダハブには一滴の水も降りそうに無い。こんな街で西洋の消費文化を行ってしまったら、あと何年ダハブが魅力あるビーチタウンでいられるだろうか。
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[2008/08/02 18:49] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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