[080630]Brussel
 今回のヨーロッパ旅行のサブ目的にもなってきているExpo会場巡りをブリュッセルでも行った。昨日もExpo58に関する展覧会を見た。今年のブリュッセルはExpoがテーマになっているのかボザール美術館でもExpoというタイトルがついていた。

 エクスポの会場には当時の建物はATOMIUMとアメリカ館しか残っていなかった。このエキスポでの有名な建物といえばコルビジェパビリオンやCivil Engineer(Jean Van Dooselaer)があるがどちらも残されていない。Civil Engineerのデザインは現代でも輝くだろう。なくなったのは惜しい。

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かつての会場は広々とした公園となっている。

 Atomiumはその特徴的な形態から今でも有効な観光資源となっている。一番高い球体からは周辺を見渡すことが出来る。若干市街地からは遠いが、それでも展望台として十分に満足できる。
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この時代のエキスポは冷戦時代における各国のパフォーマンスも兼ねている。またアフリカ諸国が徐々に独立してきた時代でもある。エキスポが今日的に持つ意味とはずいぶん違う。

Lucien Kroll(ルシアン・クロール)設計のルーヴァン・カソリック大学医学部学生寮(Housing For The Medical Student)を見学。この建築は住民参加型デザインの古典といえる作品だ。元々1958年にパリで起こった学生運動、いわゆる5月革命がベルギーにも飛び火し、学生寮などの設計に関して学生の意見を取り込んで設計することを大学に要求したのが発端。学生はルシアン・クロールを設計者として選んだ。ルシアン・クロールは学生の意見を取り込みながら、学生寮、レストラン、幼稚園、礼拝堂などを複合した40,000㎡ほどにもなる施設を完成させた。

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 クロールの建築手法は建築家が施主に先行して、その映像を押し付けるのを注意深く避けようとしている。建築の主題や物理的な存在として作るのではなく、人々の能動的な、生活行動を重視して作り上げている。それは文書的ではなく会話的なものだという。
 この建築には曲線が多く利用されている。建築ファサードもパッチワークのようだ。有機的な建築である。住民とコラボレートして作り上げる建築は有機的なデザイン言語を使うとなぜだか収まりがいいように思う。住人の趣味は多々あろうが、固いデザインより柔らかいデザインのほうが納得できるのだろう。
 
 市庁舎の前の広場(グラン・パレス)は世界で最も美しい広場といわれている。ただ、世界で最も美しいと呼ばれる広場がいくつあるのか私は知らない。しかし、装飾の施されたファサードは確かに美しい。ベルギーの街並みは一つ一つの建物の間口が狭く、短冊状に異なるファサードが連なっている。この景観はとても心地よい。特に色や素材が協調されているわけではない。しかし、階高がある程度揃っていること、窓の形態、地区による形態の親和性などがあるために美しい街並みが出来ているのかもしれない。
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 ベルギーの地下鉄ではポップ音楽が流れている。ベルギーだけではなく他の国の地下鉄でもクラシックが流れていることもある。地下鉄のような若干暗く、寒々とした空間には音楽があったほうが安心感があるのかもしれない。もちろん、ニューヨークのように大道芸人が音楽を奏でてくれるほうがよいのではあるが。

ベルギービールを呑めるだけ飲んだ。缶で買えば80円ぐらいからベルギービールが飲める。トラピストビールはアルコール度数が強いが甘く、旨い。ビールが主食の国だ。
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ムール貝も食べた。ベルギーワッフルも食べた。小便小僧も見た。この街でやらねばならぬことは全てこなした。


[2008/06/30 06:28] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080629]Brussel
 Victor Horta(ヴィクトール・オルタ)のベルギー漫画館へ。元々は百貨店として使われていたが近年用途変換された。オルタはアール・ヌーボーの父として知られている。鉄とガラスの新時代に草花のような有機的なデザインを取り入れた。漫画館はガラスの屋根、2階部のガラスの床によって実に明るい空間を獲得していた。ガラスの床は2層に別れているが、下方のガラスにはRが付けられ、草花を模した模様が彩色されている。

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 ちなみにベルギーの漫画というとTinTinが有名。ベルギーの漫画業態は出版社、作者、脚本家、彩色家などギルドを組んで作品を作り上げるらしい。日本の作者(&アシスタント)の腕一本というよう感じではないようだ。多岐にわたる漫画原稿が紹介されている。

 オルタ自邸へ。今では世界遺産に登録されている。内部の家具や装飾は直線が排され、有機的な空間を獲得していた。彼は黄色を主とする光溢れるインテリア色彩を心見ている。これは光を効果的に表現するため、ないし真鍮の色と合わせているのかもしれない。光溢れる空間を獲得しようとしているのは、吹き抜け階段の最上部にガラスを配していることからも分かる。実に効果的に光を内部に取り込んでいた。

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ブリュッセルは他にもアール・ヌーボーの住宅が多く設計されている。外部からだが幾つか鑑賞させてもらった。そして、ブリュッセルはアール・デコ建築の聖地でもある。街歩きをすると優れた建築と出会うことが出来る。

夜はスペインとドイツの決勝。スペインが勝つべくして勝った。母国から遠く離れたベルギーで大勢のスペイン人が大きな国旗を羽織って街を練り歩いていた。一日前に夜行でマドリッドに行くべきだったかも知れない。世界で最も狂喜乱舞する街を見るために。

帰り道、うなだれるドイツ人を慰めてあげた。
[2008/06/30 05:47] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080628]Lyon → Firminy → Paris → Brussel
 リヨンから70km離れたフェルミニへ。ル・コルビジェの未完作品であったL'eglise Saint-Pierreが2006年末竣工された。この教会は「光」がテーマとなっている作品である。
建築雑誌等で植木鉢をひっくり返したような外観を見ていたが、内部の光は想像できないものだった。

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 内部に入ると星空のようにも見える無数の小さな開口部からの光(1)が飛び込んでくる。(これはロンシャン教会の開口部の光のイメージに近いかもしれない。)
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次にラ・トゥーレット修道院で見せたような側面からの着色された光(2)が目に入る。
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そして、天井からは光の大砲というべき開口部から光(3)が落ちていた。
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(1)~(3)は以前のコルビジェが獲得していた光の使い方だろう。しかし、ここからが違う。
内壁に繊維状の光が無数に流れているのに驚嘆する。この光の帯は直線的ではなく、柔らかな曲線を描く。外の状況に合わせて光の帯は強くなったり、弱くなったりする。

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私が訪れたときはちょうど雲が通るときだった。コンクリート打ち放しの壁はスクリーンとなって、浮いては沈む光の川を映していた。光が柔らかに踊る姿を観る。写真よりも映像として紹介すべき建築ではないだろうか。

この光の帯は小さな開口部から来る。それは直接的に開口部を突き抜けてくる光ではない。開口部には金属の輪が組み込まれていて、そこに反射した光が内部に入ってくるのだ。そのためにあの有機的な光が生まれる。

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この教会のプランは正方形で単純な形態を持っている。ただ追加された台形の上部(蓋)が驚嘆する光を生み出した。元々未完時には土台となる部分は作られていたが、ここまでの光が生まれるとはとても普通の人々には想定できなかったろう。
 間違いなく建築のマスターピース。コルビジェは「光」そのものを物質として取り出して見せてくれる人だと考えていた。ここでは「光」は柔らかに踊る意思を持っていると伝えてくれた。


外観に見える樋は内部側壁の間接照明を兼ねている。

 その他、周辺のコルビジェのユニテ、公営プール、運動場、文化センター等を見学。ユニテでは親切な住民に声を掛けられ、内部を見せていただいた。書籍などのお土産もいただいた。彼女はサルコジ大統領をファシズムだと罵っていた。公営住宅に住む方とパリや資本主義を代表する大統領では考え方がずいぶんと違うのだろう。


TGVでパリへ。のどかな田園風景が高速で遠ざかる。車両案内はフランス語、イタリア語、最後にちょこっと英語だ。ヨーロッパはどこでもそうだが、英語は最後に案内される。つまり、マイナーな言語として扱われている。
 

フランスのパン屋さんで買うサンドイッチはパンが違う。
旨い。
[2008/06/28 07:12] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080627]Lyon 

 Lyonの郊外L’arbeselにあるラ・トゥーレット修道院へ。ル・コルビジェが晩年に設計した宗教建築。建築学生にとっては聖地の一つといえる。宿泊の予約は取れなかったが、修復工事中であったため泊まる必要はなかったと思う。
 この建物は間違いなく傑作の一つ。外と内の全体構成もさることながら、教会内部の空間には息を失う。剥き出しのコンクリートが色のない陰と影の世界を作る。一方で側方から色のついた光が飛び込んでくる。光に色があれば、こんな色をしているのだと思わされる。
天井の傾斜も空間に寄与している。いつまでも滞在できる建築だ。

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 レンゾ・ピアノ設計の国際都市は敷地が細長く、条件が悪い。予算を抑えるためなのか、一人の建築家に広い空間を任せすぎている。プロムナードを分節して、多様な設計者を入れるプログラムを組むべきだったろう。

 リヨンはトニー・ガルニエが「工業都市」の都市像を示し、実際に集合住宅群を手がけた場所としても知られている。実際のところ住宅群自体はたいしたことはない。団地にはトニー・ガルニエ美術館がある。といっても青空美術館だ。ガルニエ設計の集合住宅の側壁にガルニエの示した都市像や他の国の理想都市像が描かれている。ガルニエ設計のラ・ムーシュ公営屠殺場なども合わせて見学。


リヨン郊外の空港に付設されたサンティアゴ・カラトラバ設計の駅(Gare De Lyon Saint Exupery)へ。鳥をメタファーとした設計である。フランス第3の都市の空の玄関口としてふさわしい風格を持っている。その構造は見れば見るほど美しく、そして理に叶っている。ブリッジを支える柱などは変形しているが樋との関係を見てもうまく収めているのが分かる。
日本の駅舎空間はどうも画一的過ぎる気がする。武蔵野線の駅はともかく新幹線の止まる主要駅な開放的な空間が得られないものかと思う。京都駅は景観論争にも発展したが、そういう意味で捉えれば一つの回答なのだと思う。また、この駅の設計では物理上必要のない空間があることは間違いない。つまりそれなりにコストもかかっている。
横浜大桟橋の設計では当初の想定予算よりも多大なコストが掛かってしまった。これは財政を圧迫したが横浜の国際港として恥ずかしくないものになっている。これを是とするか、現状の日本財政を考えて否とするかは分からない。ただ、想定した予算で出来る設計をコンペの時点で審査員は選ぶべきだし、初めから萎縮した設計をコンペ参加者に求めてはならないと思う。

 フランスの駅では朝夕に無料新聞が配られている。無料新聞といっても中身はしっかりしたものでスポーツも娯楽も、政治経済まできちんと網羅している。広告等も多くなく、どうやって発刊されているのかは不明。このように世界の政治経済が分かるような新聞を無料で市民が受け取れると、文化レベルは必ず上がる。
ちなみにヨーロッパではSUUDOKU(数独)が流行っている。無料新聞にももちろん入っている。おばちゃんも若人もせっせと数独。
[2008/06/27 07:09] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080626]Zermatt → Geneve → Lyon 
スイスには結局1週間滞在した。スイス人は本当に語学が達者だ。大体の人がイタリア語、フランス語、ドイツ語、英語と4カ国語を操る。4つの国(リヒテンシュタインも入れれば5カ国)に挟まれて位置するスイスならではだ。国の中でも主要言語が変わってくる。そして、スイス人は実に他国の人に優しい。中立国なので八方美人的な国民性を持ち合わせているのだろうか。

ジュネーブにてル・コルビジェの初期の作品クラレテ(Clarte=明るさ、光を意味する)を見学。鉄とガラスで作られた実験集合住宅で新たな時代の幕開けとなった作品。ただ修復工事がすでに終わっているかと思っていたが、未だ修復中。真っ黒なファサード、ガラスは割れ、まだまだひどい状態。近代建築はもはや古典だと思うが、その時代背景を打破しようとしたその精神・アイディアにこそ学ぶものがある。そして、時代を超えて残るものは必ずデザインも良い。(そこそこの)アイディアだけでは時代を超えない。今回、デザインを拝むことは出来なかった。しかし、その精神に触れることで少しは訪問の甲斐はある。(か?)

ちなみにコルビジェは晩年にフランス国籍を取得したが元々スイス生まれ。彼の肖像はスイスフラン紙幣に使われている。スイスでは国際的な文化人が紙幣の顔になる。日本だと誰がいるだろう。正直、樋口一葉では心もとない。黒澤明監督を紙幣にして欲しい。
 
リヨンに着き、Lyon Confluence再開発地区へ。工場や倉庫群だった場所の再開発(150ha)で住宅や商業地区、文化施設などができる。ベルリンの再開発時と同じようにあちらこちらにょきにょきとクレーンが立ち上がっていた。開発に関するインフォメーションセンターもしっかり整備されている。ビデオや展示によってどんな街が出来るのかを紹介している。

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何十年というスパンで計画するとのことだが、2012年ぐらいに一段落する。建築の目玉としてはコープ・ヒンメルブラウのMusee du Confluenceがある。その他の集合住宅も斬新なデザインばかりなので、あと3,4年後には建築見学の一大拠点になるはすだ。
詳しくはwww.lyon-confluence.fr


 ジャン・ヌーベル設計オペラハウス前のジャズで一日を終える。どこにでも音楽がある。

[2008/06/26 07:07] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080625]Zermatt
 旅を急がねばならないがツェルマットを離れられなかった。後ろ髪を引かれるどころか、腕を捕まれて引っ張られた。美しい自然を見ると再び建築・都市をフラットに興味深く見ることが出来るだろう。それもまた良しだ。

 グレイシャーパラダイス(Keine Matterhorn)展望台へ。夏でもスキーが楽しめる場所だ。ボーダーやスキー客も多い。雪山トレッカーはハーケンとザイルを持ってロープウェーを登っていた。私もスキーを借りて登りたかったが途中駅にはレンタルスキーがない。地上駅からスキー板を持っていくと、その後トレッキングが出来なくなるのだ。私のような考えを持つ人は他にもいるだろう。スイス人は一体どんな商売基準を持っているのだろうか。
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 昨日から思っていたのだがツェルマットの空気は霞んでいる。当初、湿気なのかと考えていたが、そうではない。霞の正体はなんと[サハラ砂漠からの黄砂]だった。ツェルマットの空気はヨーロッパで最も澄んでいると考えていたが、そんなことはない。温暖化現象で世界の風景が変わってきている。サハラ砂漠の進行は対岸の火事ではなく、スイスの問題としても考えられなければならない。世界気候を世界全体で考える時代なのだと改めて感じさせられた。積雪の一部は黄色い雪に変わっている。


 頂上付近で建築工事が行われていた。ヘリコプターで資材や生コンクリートをひっきりなしに運ぶ。ヘリコプターは全て空中で作業し、目にも留まらぬスピードで飛び去っていく。現場も寒中コンクリートを使っているとはいえ、この寒さでは固めるのも大変だろう。工事現場の人々に祝福を。
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今日は自らの足で出来る限りマッターホルンに近づいた。自分の持つ装備で可能な限り近づいた。視界の1/2を埋める山々は圧倒的な迫力。150年近く前に良くぞこの壁を登頂したものだ。偉大なる山を間近で眺め、久しぶりに大いなる地球に立っていることを実感した。


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ツェルマットの街中には小さくキュートな車が行き交っている。この街は道幅が狭く、坂道もあるため通常の車幅では困難だ。そのため車は特別性の大きさで作られている。トラックもバスも消防車も軍用車両すら車幅が狭く、回転しやすい設計になっている。
なにもツェルマットに限ったことではないが都市骨格に合わせてその他のツール(車等)が生み出されている。(極端に言えば)日本では消防車の入れる幅=4mに合わせて街が作られる基準になっている。法はどうあれ、なにか日本はおかしい。優秀な車会社を持つ日本がこれまで車幅の狭い消防車を普及させていなかったのは。
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日本人登山者は遠目からでもすぐ分かる。服装が違うのだ。どうしてチェック柄なのだろう。なぜスカーフが首に巻かれているのだろう。そして男性はベストを着用している。
 
[2008/06/25 06:50] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080624]Zermatt
 ゴルナート展望台へ。登山列車は日本人観光客の専用列車になっていた。頂上も日本人しかいない。けれども、ハイキングコースとなると全く出会わないのが不思議なところ。
日本人観光客は世界の幾つかの街の中の一点に存在するのだ。

山はいい。マッターホルンほどの山を望むと「人生」にあと必要なのは「ウィスキー」と「チョコ」があれば十分だという気持ちにさせられる。
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 日本ではアドベンチャーレースのチームに参加させてもらっていた。ちなみにアドベンチャーレースとは3人一組になってMTBやカヌー等を使いつつ山々のチェックポイントを通過するレースだ。そしてこのチェックポイントは道の上にあるとは限らない。地図とコンパスを駆使して時には藪の中にあるポイントを探らねばならない。当然、コースをショートカットするのも自由だ。
 アドベンチャーレースやトレイルランをツェルマット周辺で出来たら気持ちいいだろう。実際何人も走っている人、MTBで下っている人を見かけた。
ここでは素晴らしい景観が望める最高地点まで登山鉄道が連れて行ってくれる。MTBを電車に乗せることも可能だ。MTBでわざわざキツイ上りをしなくてもよいのだ。標高3000mを越える地点から標高1500mほどまで景観を楽しみながら下ることが出来る。下調べがあればMTBを借りたほうが良かった。ちなみにボリビアでは5300mの地点から1500m地点までMTBで下るツアーがある。(蛇足だが私は5600mの地点からスキーをした。)

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今日はとことん歩いた。休憩を除いて10時間ぐらい歩き続けた。しかし、体は思いのほか軽い。十分な食事、十分な睡眠があれば十分な運動が出来るのだ。

[2008/06/24 03:35] | 旅のルート | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080623]Vals → Zermatt

スイスにはグレイシャー急行という有名な登山電車がある。美しい山岳地帯を駆け抜ける路線だ。「急行」というからにはもちろん鈍行もある。もちろん私はその2等に乗り、4度乗り換えてツェルマットへ。ただ2等といっても窓の上部が半分以上開く。実に快適な景色を見られる。体が外に乗り出せる分グレイシャー急行より良いのではと勝手に思う。

 車窓からの景色は素晴らしい。ハイキングとほぼ同じ景観を車窓から眺めることが出来る。美しい緑、水、空、山に求めるものが揃っている。点在するスイスの住宅もいい。現代になってもスイスらしい住宅を保っているのはスイス人の誇りによるものなのではないだろうか。


 道中幾つかトンネルをくぐる。これが美しい。景観に実に配慮されている。
例えばこのトンネル。
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出来る限り山の斜面に合わせてトンネルの屋根を作り、柱も凹凸をつけることでその表情を消そうと試みている。山が主役であり、トンネルはそれを阻害しないようにデザインされている。

日本でトンネルが造られるとする。多くの場合、地元名産の絵や彫刻が地元のアーティストと呼ばれる人々によって取りつけられる。これは本来目指すべきデザインではない。これが出来てしまうのはゼネコンの所長さんが悪いわけではもちろんない。何処かから誰からか要請されるのだ。(きっと)
「地元名産、地元の・・・」というのは殆んど宗教に近い。デザインのよりどころがないがために、それを信仰して(直球的なデザインで)作ってしまっているのではないか。これは形而上の形、例えばディズニーのシンデレラ城を見て喜ぶ精神構造となんらかわらない。善良な人々が良かれと思って、形而上のデザインを作るのは悲しいことだ。
どの段階でこのデザインが決定されるかは実際のところわからない。しかし、地元議員と呼ばれる人々はきちんと国費を使って良い事例を学んできて欲しい。

まだ、トンネルの話はマシな方だ。橋を作るとき川の形而上の色である青に塗るなんてこともある。人工的な「青」と山の美しい「緑」が調和するわけがない。この一方で東大の篠原教授など素晴らしい土木デザインを作り出している人もいる。誰かがきちんと旗を振れば、公共デザインは必ず良い方向に向かうのだと思う。

 明日はトレッキング。カメラの三脚が山岳ストックになってくれればよいのにと思う。どこかの会社が作ってくれないものか。ほとんど売れないと思うが。

[2008/06/23 04:35] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
[080622]Zurich → Chur → Sumvitg → Vals
 結局、チューリッヒでは何もしなかった。旅の疲れはピークに達しているが一路東へ。今日はペーター・ズント-ル(Peter Zumthor)のための一日。

 Churではローマ遺跡のためのシェルター(Protective Structure for Roman Ruins)を見学。建物の内外で全く空間性が変わる。外部は黒く、色も光を持たない存在であるのに対し、内部はスリットからこぼれる光が黄色を帯びる。天井に付けられたコールテン鋼の開口部からは青い光が落ちていた。
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この建物の形態で通常の外壁や素材を使えば無味乾燥な空間になる。しかし、彼は全体を律する単純な操作をもって格別な空間を提供してくれる。予算もそんなにかかっていないだろう。惜しむらくは、見学者が外から内部を覗けるように道路沿いに大きな開口部を設けている。そこもスリット壁面とした方が良いだろうが無茶な相談だ。(内部に入るにはツーリストインフォメーションで鍵を借りて入る。)

 Sumvitgへ。山の上にある聖ベネディクト教会(Saint Benedict Chapel)を見学。
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外部の表情が遠目と近くではまるで違う。木片で出来た外壁は近隣の住宅にも見られるが、曲面のせいか違う素材のようである。
建物の敷地をズントール自身が選んだそうだ。立地も素晴らしい。この牧歌的な場所で木の葉状のプランはシンプルだ。しかし、ディティールの妙があり、素朴さよりも洗練さを感じてしまう。
 ここへはほぼハイキング気分で来なければ辿り着けない。

Vals Thermal Bathへ。ここは完璧な建物だった。地元の材料の片磨岩(へんまがんを薄く切断し(壁面は20,40,60mm程度をミックス)積層化させている。片磨岩はクウォーツのような感じで地元の住宅屋根にも使われている。

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 内部の空間性も素晴らしい。プールに入ったまま内外を行き来できるようにした動線。外部の景観をピクチャレスに取り込むようにした開口部。暗いサウナの中、天井から落とされるスポットライト。ベットに横たわりながら現代ヒーリング音楽を出来る部屋。石のボックス内の小部屋はもはや瞑想の場と呼ぶべきものになっている。天井から光を落とすスリットも全体のボリュームを消してくれる。

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 ズントール建築の何より素晴らしいところは周辺環境、ゲニウス・ロキ(土地の精霊)との調和にある。テルメ・バルスの敷地も決して周辺が全て草原というわけではなく、マンションのような建物もある。彼は外部の景色が悪いところには部屋を設け、開口部を制限し、それに合わせてリラックスチェアの角度も考慮している。(開口部の角度すら考慮している)。外部との調和、現地の素材、考え方を利用した建築は何とも言えない心地よさを感じさせてくれる。
 
 温泉に付属するホテルにて宿泊。久しぶりにシングル、それもスイスのホテル。完璧な部屋と温泉でリラックスできた。疲れていると思考が鈍る。

本日のスペイン対イタリアは実にいい試合だった。
[2008/06/22 04:34] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080621]Basel
 またもやチューリッヒから出張でバーゼルへ。朝一番でVitraへ。有名な家具工場があり、それと合わせてミュージアム、(元)消防署や工場、会議場等が著名な有名建築家によって作られている。素晴らしいことにそれが彼らにとって処女作であったり、ヨーロッパ初であったりすることだ。先見の目とデザインに対する会社の姿勢が全く違う。
 
 ザハ・ハディドの処女作となった消防署は現在はギャラリーになっていた。これは新しい消防署が市に出来たことによる。この建物はギャラリーとしても十分に機能するが、消防署であったときのほうが迫力はあっただろう。機会に恵まれるまで彼女(ザハ)自身を捻じ曲げなかった精神と、これにチャレンジさせたヴィトラ社に脱帽。
 また、アルヴァロ・シザの作品もザハの建築をリスペクトしつつ、おおらかな(しかし意味のない)キャノピーのデザインで全体プランを繋いでいた。やはりシザはいい。近くにはフラードームもあった。2009年にはSANNAとヘルツウォーク&ドムーロンの作品が竣工する。ヴィトラは建築学生にとって一大聖地になるだろう。


 昨日、見学できなかった大ホールを見学しに再びゲーテアヌムへ。
この建物は「奇跡」の部類に属する。柔らかな光、荒粗しい壁面によって遠近感、実態感を失わせた空間があるかと思えば、重量感もって迫る階段室、そして、もはや神話の世界となった大ホール。
分厚い色ガラスを彫って作られてたステンドグラスを透過してくる光は、いままで見たきたステンドグラスとは全く違う。写真ではその光の陰影が捉えられない。人間の視覚のみがそれを捉えられる。天井や壁に描かれた神秘画は情報が知識や思考を飛び越えて、感覚に直接入ってくる。人間の知覚がどうあるのかを考え抜かれている。建物の手に馴染むドアの取っ手に触れるだけでも、幸せを感じる。

 ※ちなみに大ホールの見学は2時から2時半までの30分のみ


 バーゼルではオランダ対ロシアの一戦が行われていた。オランダや周辺の国からきたオランダ人で街はオレンジに染まっていた。街はハイネケンをもったオランダ人で溢れ、笛や太鼓の音が鳴り、パレードが行われていた。発炎筒が焚かれ、オランダがバーゼルを占拠していた。他国でこの状況になるとはワールドカップでもありえないのではないだろうか。開催国が近く、近隣参加国が多いユーロだからこその光景だ。おそらくワールドカップより局所的には盛り上がっている。フーリガンのいるイングランドが出ていたら、と思うと恐ろしい。道路はビールの缶やボトルが溢れていた。今日一日でオリンピックプール何杯分のビールが消費されたのだろうか。

 この街の状況を見る限り日本の警察は対応出来ないのではないか。ヨーロッパから遠く離れているおかげで日本はなんとかワールドカップを開催できただけだろう。楽しげなパレードの一方で手を後ろで縛られた人が軍隊に連行されていた。
 
 
 とはいえ、オランダ敗北。常にオランダは期待を裏切る。
 またもやチューリッヒから出張でバーゼルへ。朝一番でVitraへ。有名な家具工場があり、それと合わせてミュージアム、(元)消防署や工場、会議場等が著名な有名建築家によって作られている。素晴らしいことにそれが彼らにとって処女作であったり、ヨーロッパ初であったりすることだ。先見の目とデザインに対する会社の姿勢が全く違う。
 
 ザハ・ハディドの処女作となった消防署は現在はギャラリーになっていた。
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これは新しい消防署が市に出来たことによる。この建物はギャラリーとしても十分に機能するが、消防署であったときのほうが迫力はあっただろう。機会に恵まれるまで彼女(ザハ)自身を捻じ曲げなかった精神と、これにチャレンジさせたヴィトラ社に脱帽。
 また、アルヴァロ・シザの作品もザハの建築をリスペクトしつつ、おおらかな(しかし意味のない)キャノピーのデザインで全体プランを繋いでいた。やはりシザはいい。

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近くにはフラードームもあった。2009年にはSANNAとヘルツウォーク&ドムーロンの作品が竣工する。ヴィトラは建築学生にとって一大聖地になるだろう。


 昨日、見学できなかった大ホールを見学しに再びゲーテアヌムへ。
この建物は「奇跡」の部類に属する。

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柔らかな光、荒粗しい壁面によって遠近感、実態感を失わせた空間があるかと思えば、重量感もって迫る階段室、そして、もはや神話の世界となった大ホール。
分厚い色ガラスを彫って作られてたステンドグラスを透過してくる光は、いままで見たきたステンドグラスとは全く違う。写真ではその光の陰影が捉えられない。人間の視覚のみがそれを捉えられる。天井や壁に描かれた神秘画は情報が知識や思考を飛び越えて、感覚に直接入ってくる。人間の知覚がどうあるのかを考え抜かれている。



建物の手に馴染むドアの取っ手に触れるだけでも、幸せを感じる。

 ※ちなみに大ホールの見学は2時から2時半までの30分のみ


 バーゼルではオランダ対ロシアの一戦が行われていた。オランダや周辺の国からきたオランダ人で街はオレンジに染まっていた。

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街はハイネケンをもったオランダ人で溢れ、笛や太鼓の音が鳴り、パレードが行われていた。発炎筒が焚かれ、オランダがバーゼルを占拠していた。他国でこの状況になるとはワールドカップでもありえないのではないだろうか。開催国が近く、近隣参加国が多いユーロだからこその光景だ。おそらくワールドカップより局所的には盛り上がっている。フーリガンのいるイングランドが出ていたら、と思うと恐ろしい。道路はビールの缶やボトルが溢れていた。今日一日でオリンピックプール何杯分のビールが消費されたのだろうか。

 この街の状況を見る限り日本の警察は対応出来ないのではないか。ヨーロッパから遠く離れているおかげで日本はなんとかワールドカップを開催できただけだろう。楽しげなパレードの一方で手を後ろで縛られた人が軍隊に連行されていた。
 
 建築鑑賞には適さない一日。群集を掻き分けヘルツウォーク&ドムーロンの建築を幾つか見学。


 
 とはいえ、オランダ敗北。常にオランダは期待を裏切る。
[2008/06/21 05:57] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080620]Milano → Basel
 ミラノからの車窓は雪を被った山々に湖、本当に美しい。建築ばかりを見ていたけれども、スイスでは山を体感しなくては。車中で旅程を変更した。
  
 バーゼルに着くとユーロカップ一色だった。日本ではワールドカップのときにこんな風にはならなかったろう。ヨーロッパ各地からユニフォームを着て街を訪れ、街は彼らに対して国、国民全体で迎えている。インフォメーションブースは各地に作られ、ボランティアの案内、屋台に、みやげ物、パブリックビューイング、とユーロカップのために街が出来上がっている。
 日本では未だサッカーは文化になっていない。

ヨーロッパを旅すると、いや、世界を旅するとサッカーがいかに愛されているスポーツなのかと感じる。どこにだって、世界遺産の街の中にだって空き地があればポールで作られたゴールがあり、街中にはボールを蹴る子供がいる。バーに行けばお気に入りのチームに熱狂し、街にはわが街のチームフラッグがはためいている。サッカーの話をすれば、大体通じる。浦和レッズを知っている人も何人か出会った。一緒にボールを蹴ることもある。ボールで心が通じ合うのだ。きっと。
ユーロカップはワールドカップよりもより近い国同士で戦う。それゆえに各国のライバル心が燃え上がっている。ユニフォームを着た人々は、駅構内でも大きな声で祖国の名を叫んでいた。

バーゼルは現代建築の宝庫となっている。ヘルツウォーク&ド・ムーロンの作品など見つつ、長年見たかったルドルフ・シュタイナー設計のゲーテアヌム(Goetheanum)へ。ここはこれまで見てきた建築の中でも格別の部類に入る。第1ゲーテアヌムが焼失した後、1928年に新たなデザインをもってオープンした。巨大な彫刻的なRC造の建物としては世界初の建物だった。

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 ルドルフ・シュタイナーは元々建築家ではなく、思想家(Philosophy of Spritual Activity、Anthroposophy=Awareness of our humanity=人智学)だった。(これを説明するには理解が足りないので、ウィキペディア等にお任せしたい。)これを表現する神秘劇の表現の場ととしてゲーテアヌムが作られた。
設計時点で当初、外部空間は土で覆い、草が生えているのが理想だとルドルフ・シュタイナーは語ったらしい。明らかに彼は内部からのデザインを意識していた。内部空間は重量のある精神性に満ちていた。ただ、敷地条件等が変更され、窓を作る必要も出てきてこのようなデザインとなった。ただ、完成したのはルドルフ・シュタイナーの死後である。当時、殆んど完成していたとはいえ、天才の考えることを理解し形にすることは難しかっただろう。

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 周辺にもゲーテアヌムの関連施設があり、ルドルフ・シュタイナーのデザインを基調に施設(住宅)が作られていた。

ユーロカップの関係でバーゼルには宿が取れず、しかたなくチューリッヒに宿を取る。移動費がかからないユーレイルパスならではの芸当。しかし、明日も戻るのが実にメンドクサイ。ちなみにユースもユーロカップのおかげで厳戒態勢。セキュリティはいるわ、アルコール厳禁などうるさい。ただ、ホテルのような(実際値段も高い)ホールにプロジェクターでサッカーが見られるのはうれしかった。

トルコが奇跡を起こした。
[2008/06/20 07:43] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080619]Como
 ジュゼッペ・テラーニのお膝元、コモへ。カサ・デル・ファッショ(Casa del fascio)、サンテリア幼稚園(Asilo d’infanzia Sant’Ella)等を見学。カサ・デル・ファッショは不可だったが、サンテリア幼稚園は内部見学許可が下りた。
コモにはイタリア合理主義建築が他にも幾つかあり、一日中、その構成比率を見て回った。玄人好みの建築である。
建築は時代の精神を表す。ムッソリーニ率いるファシスト党が全盛だったころ生まれた、合理主義建築は厳格で軍隊的な精神を持っている。

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カサ・デル・ファッショは現在、警察署として利用されていた。転用の用途としては建築が持つ厳格な精神と合っている気がする。また、テラーニが手がけた墓場もあるが、テラーニの空間性は墓場の精神性とこれまた調和している。

 惜しむらくは、テラーニが39歳でなくなってしまったことだ。彼が長生きしていれば、より多くの素晴らしい建築を残してくれただろう。

 
サンテリア幼稚園でまたもや偶然、学生時代にTAとしてお世話になっていた方とお会いした。建築を見て回っているとこういうこともあるものだ。いろいろ話を聞かせていただいた。そして、自分の無学さに再び反省した。

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(横に伸びる空間性、ドアの高さ×2が天井高さ)ドアの高さで庇も揃えられていた。)



 安宿の確保が大変になっている。ネット普及以前は朝に着けばなんとかなったものだが、現在はイージージェットなどを使って、学生が週末に飛んでくる。日程が決まっているので彼らはネット予約済みだ。よって、予約が遅れると泊まる街自体を変更しながら旅をせねばならない。
[2008/06/19 07:39] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080618]Trieste → Milano
アルド・ロッシのガララテーゼ集合住宅(Gallaratese Housing)を見学。行ってみたかった集合住宅の一つだ。よく見る建築写真では柱の後ろに子供が並び、夕日で黄色味かかった人間的な雰囲気を持っている。しかし建物は白く、時間が沈黙したような空間を持っていた。玄人好みの空間性であるが、厳格な構成を集合住宅に割り当てるのは住み手に少々犠牲を強いるような気がする。窓は真四角、柱の型、高さに合わせた単純な構成。これが公共的な建物や機能のない葬祭場などであれば良い。しかし、基本的に温かみのある空間性が求められる住宅には向いていないだろう。

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その同じ敷地に立つカルロ・アオモニーノ設計の集合住宅はアルドロッシと同じ柱の構成を残しつつも、自由な空間性を実現していた。共用部は強い色を使い、楽しい雰囲気を生み出していた。住宅のプランも多様(117プラン)だ。こちらのほうが集合住宅のあり方としては正しいはずだ。

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これが日本で出来るかと言えばなかなか難しい。予算から共用空間は極力減らすし、容積率消化を絶対とした場合、ピロティに割り当てる階はない。自由なバルコニーの形を作るのも難しい。バルコニーの容積率参入基準など日本は異常におかしな法律基準を持っている。本当になんの意味があるのかと思う。

もちろん確認申請をチェックする側としては基準がないと困るだろう。確認側はマンションデベロッパーが法スレスレぎりぎりに作るほうが悪いのだというだろう。デベロッパーも設計者も、なにより購入者がきつきつに苦しく、デザインされていない建物を望んではいない。根本の原因は何かといえば「?煩雑な手続き?労働力コスト?土地の値段」にある。
? 煩雑な手続きは設計者に過酷な労働を求め、かつそれほど意味がない。時間がかかり、コストに響く。
? 労働コストは日本はステキな国なので、皆大体同じ給料を得る。末端で働く交通整理の人も、運搬者も清掃者も十分な賃金を得ている。日本人は教育も行き届いているので一人一人のコストが高くつく。(素晴らしいことだ)
? 土地代は最悪だ。これがはっきり言って諸悪の根源だろう。土地は公有化すべきだ、ないし、土地は半額程度になるべきだろう。土地を持っているだけで金になるから、作る建物にお金を掛けれない。いい建物が人をひきつけるのではなく、場所や資産性が重要視されてしまうからだ。デベロッパーも購入費に異常なお金を投資しなければならない。デベロッパーが開発しなければ、何も使いようのない土地であってもだ。銀行が土地を担保としているというのは、千利休のお墨付きの壷に何百両も出した江戸時代と何も変わりないと司馬遼太郎も書いていた。本来、壷自体に何の価値もない。

 土地代が高いことが出発点になって、日本では同じようなマンションがいくつも建っていく。
 ただ、こんな時代がいつまでも続くわけがない。既にマンションも付加価値をつけなければ売れない時代になった。まずはセキュリティや内部の設備、そしてデザイン性だ。デザインがよいことも資産としての価値を上げると理解されてきているようだ。
 今後は人口減少に伴って、より住居販売の競争が激しくなるだろう。これからの集合住宅は面白くなるだろう。それは決してデザインだけではない。設計思想から変わってくるはずだ。
 
 集合住宅を考えるとき、忘れられない2つの集合住宅がある。
1つはベルリン郊外にあるブルーノ・タウトの馬蹄形の集合住宅。ここの中庭に立ったとき、体が震えた。住宅が連なって生み出す形態が安寧の空間を生み出すのだと感激した。
2つ目はフライブルグ郊外にある・・・集合住宅。カーシェアリングで有名な集合住宅で、共用の大工道具や大キッチン、託児所など集まって住むからこそ出来る住まい方を実践する集合住宅だった。
 
日本ではこれらのアイディアは取り入れることに加えて他にも出来ることがある。それは既存の集合住宅ストックを利用した住み替えのシステムだ。現代日本人は明らかに土地と住宅に縛られている。持ち家思想が未だ日本人の中にある。
 ただ、本当に今の20代30代が1つの住宅を購入して定住したいと考えているだろうか。これは違うはずだ。ただ単に家賃を払い続けるくらいなら、購入したほうが資産になると思うからではないだろうか。
 もし、資産として所有しつつ、住宅を住み替えられるとしたらどうだろうか。
結婚して子供のいない時期は小さな住居に住み、子供が出来たら少々大きな家に、というようにライフステージに合わせて住居を住み替えられるとしたら、喜んで引っ越すのではないだろうか。日本人は住み替えるときに大体5キロ圏内に引っ越すらしい。この住み替えのシステムは街ぐるみでの構築が求められる。
 大手マンションデベロッパーも所有するストックを使って同じことも出来るのではないだろうか。法、管理の問題があるのももちろんだが、共用部屋やアネックスなど様々な空間を貸し出すことも出来るのではないか。
 これから必ず多様な住居空間を求める時代がくる。私もデベロッパーの方、構造家、マネージメントできる方、様々な仲間を集めて挑戦してみたい。



イタリアの建物は改修中のとき、その覆いに既存の建物のファサードを転写したシートを使う。これはなかなか素晴らしいと思う。だが、広告が載っていたりするので単純に賛成はできないのだが。

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 イタリアの車はグレーの色ばかりなのだが、ミラノに来て若干シックな青い車が増えてきた。おしゃれの街だから。

[2008/06/18 06:38] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080617]Trieste & Skocianske jame(slovenia)

スロヴェニアのシェコツィアン洞窟へ。ここはヨーロッパ最大の洞窟である。
靄のかかった洞窟内は圧倒的な空間だった。最大で146mある洞窟内(平均100m)の端を歩く。眼下には45mの渓谷、見上げた天井まで60mほどある。渓谷から岩肌を削って作られた階段も感動を増幅させる。フランクロイド・ライトではないが、自然に何か「人間の手」が上手に加わったほうが感動させられるのではないだろうか。例えば巨大な渓谷に吊り橋が一本架かっていたら思わず息を呑むだろう。

シェコツィアン洞窟は旅の中での自然遺産Best10には入る。内部のライティングの配置も良く、暗く制御されていた。嬉しいことに内部は撮影が禁止されている。そのため、フラッシュもたかれることもない。立ち止まってうるさい観光客もいない。
それに対して日本はとにかく明るすぎる。サインもうるさい。「~足元にお気をつけください」「お静かに、、、」「・・・ここは~という由来、、、」「

偉大な空間を体感するという一点に敬意を払って欲しいと思う。ここは写真では収まらない。

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(とはいえ、参考にポスターの写真)

トリエステから洞窟のあるDivacaは本当に近いのだが、交通の便が良くない。スロヴェニアの交通は全て首都のリャブリャーナを基点としている。というより、旧ユーゴの国であったため幹線道路、鉄道網が東欧の交通体系に属している。
スロヴェニアは旧ユーゴの中で最も早く独立し、ユーロに加盟している。しかし、未だに東欧なのだ。

近郊の街からのバスがなく、帰りはスロヴェニアからイタリアまで歩いて国境を越えねばならなかった。(ただ、旅慣れていればヴェネチアからでも日帰りできます。この洞窟はお勧めです。)


ユーロカップのイタリア勝利にイタリア人が浮かれていた。
[2008/06/17 06:35] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080616]Ferrara → Venezia → Palmanova → Trieste
ヴェネチアではカルロ・スカルパのオリベッティギャラリーとビエンナーレ会場を見学。
ビエンナーレ会場は使われていない時期は廃墟のようであった。ただ今年の9月から2ヶ月開催されるようなので、また来ることになるだろう。ちなみにベネチアのビエンナーレは建築だけではなく、アートや音楽、ダンスなどの分野にも及んでいる。ちょうどこの時期は2週間コンテンポラリーダンスのビエンナーレが行われている。(非常に見たかったが日程合わず、かつ安宿も満杯。)
 
 
パルマノーヴァはルネサンス期に作られた要塞都市だ。計画的に作られた都市のため、実に特徴的な形態をもっている。星型の堀に囲まれ、同心円状に街がつくられている。
まず中心には直径120m程の6角形の広場がある。そこから6本の通りが外に向かって伸びている。そのうちの3つの通りが外部への門に通じている。中心は6角形だが、広場の裏手の道は9角形で、そこから外に伸びる道は合わせて18本となる。星型の堀の先端には9つの砲台が置かれていた。
 
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 この要塞都市はベネチア公国の支配下の時期、トルコからの侵略に備えて16世紀末に計画され作られた。完成までに100年近い年月がかかったそうだ。結局、この都市はオーストリアやナポレオンなど支配者が代わっていった。要塞としての機能を十二分に果たせたのかは分からない。
 
街を歩くと、いたるところから中心が見える。逆に中心に立つと町がすべて見渡せるような気がする。広場からは6つの通りの終着点まで見ることが出来る。半径500mほどの都市だ。

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計画都市のため、建物の平面はしっかり制御されている。円形(9角形)の道に合わせて建物の形が決まっており、角地は不整形の平面となる。道幅も広く2+9+2mの通りとなっている。ただ、建物の高さや色などは特に制御されていない。

パルマノーヴァは5300人程の町だ。当時の都市計画プランナーの理想(?)であっても、この土地には人は集まってこなかった。
立派な中心広場はあっても人はいない。広場にアクティビティはない。空虚な中心である。人のエネルギーと都市を制御する力が拮抗しなければいい街は出来ない。そもそも人のエネルギーが集まって街が作られる。ましてや街には立法政府や工場などの機能がないのに、街に活気があるわけがない。

・・・の中でルネサンスの理想都市の特徴として、
1、人間的なスケールがあること
2、城壁のようなもので、都市の領域、境界がはっきり示されること
3、中心に広場があって人々が集まれること
4、スケールと建築言語が統一されていること
5、都市の構造と形態が計画されていることが挙げられている。
近代の理想都市の時代のように交通が発達していなかったため、人間的なスケールがあるのは確かだ。チャンディガールやブラジリアを思い起こせばそういえるだろう。しかし、素っ気のない街だった。


一番頭にくるトイレは、アラブ式でもインド式でもない。便座のない洋式トイレだ。
[2008/06/16 06:15] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080615]Ferrara
 フェラーラは城壁に囲まれた世界遺産の都市だ。トスカーナ地方の城砦都市とは違い、平地にある。都市の拡張もしやすく、道の設計もしやすい条件下にある。近代になって再開発されやすい状況の中、丁寧に街の発展を制御している。
 城郭都市はその時代の防衛基準に沿って作られる。その時代の武器(火薬)や城攻めの仕方、篭城に耐える食料・水の確保等が防衛基準だ。都市形態を理解するにはその辺まで理解しないとならない。本当に都市や建築というのは奥深い分野だ。死ぬまでに少しは理解できるようになるだろうか。


 街を歩くと都市計画がきちんと機能していることが感じられる。車の制限や案内板、ゴミの分別処理など、きちんと整備されている。

特に都市計画が機能していると感じるのはフェラーラがイタリアには珍しい自転車の街だからだ。
中心市街地には車やスクーターはほとんど存在せず、自転車にのったイタリア人が石畳の上を漕いでいる。

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これは平地であることに加え、厳しい交通制限と城壁外に駐車する原則(駐車場が整備されている)が自転車が主要交通になっている理由だろう。また、城壁外にはグリーンベルトのように公園地帯が整備されている。

さすがはチェッカレーリ大先生のお膝元である。実際のところはどうか分からないが、有名な大学教授のお膝元だから都市計画がしっかりすることが日本であるだろうか。田中角栄元総理のお膝元ぐらいしか実現していないだろう。
[2008/06/15 02:52] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080614]Firenze → Siena → Ferrara
  世界一美しい広場といわれるカンポ広場を見学しにシエナへ。ここに来るまでカンポ広場は計画的に作られた半円形をしているのかと思っていた。しかし、広場は有機的なというか、少々変形している半円だった。周囲の建物の形に合わせ、建物も広場に合わせ広場が作られていた。

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そもそもシエナの作られ方自体がそうだ。塔の上から建物の屋根を見ると実に有機的な形をしているのが分かる。丘陵地に立つ街並みはその建設の自由度が制限される。建物で道を作り、道を作るために建物の形が決定される。
これは理想都市の考え方とは違う。しかし、行き当たりばったりでもない。目指すべき都市像を持ち、現状に合わせて作り足していくという考え方が基本にある。日本も学ぶべき方式だと思う。
 
 フィレンツェの白を基調とした街並みとは色が違う。土色、オレンジ、黄色に近い壁の色で街並みが作り上げられていた。ナポリの強い漆喰の赤や緑などの色調とはまるっきり違うトスカーナの色だ。
 シエナにはカンポ広場がその機能を120%発揮する競馬開催時にまた訪れてみたい。


 フィレンツェでもどこでも、街を歩いていると木製のドアが目に付く。実にいい仕事をしていると思う。これに加えイタリアでは新しいアパートでも木のサッシが使われている。目立たないけれども(目立たないからこそ)、これが街並みの美しさに効いている。アルミサッシだったら、こうはいかない。イタリアの職人がいてこそ、こんなにも一品生産ができるのだと羨ましく思う。

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 国際ワークショップで友達になった2人のイタリア人女性に会うためフェラーラへ。彼らは約束通りイタリアで一番美味しいパスタを食べさせてくれた。
[2008/06/14 01:47] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
 [080613]Assisi → Perugia → Firenze 
 チリで一緒にトレッキングをしたイタリア人が「トスカーナ地方はイタリアのハートだ。」と語っていたが、確かに美しい。

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 アッシジの本物の石の街並みを見てしまうと、イタリア風テーマパークショッピングセンターや~風ショッピングモールがいかに恥ずかしいことかと分かる。もちろん、日本だからといって純和風ショッピングモールを作ればよいというわけではない。いかに丁寧に保存するかが重要なのだが、それはもはや日本に存在しない。極端に言えば日本ではデザインが目指すアイデンティティを失っているのだ。
 日本だけがこんな「~風」を目指すかといえば、そんなことはない。アメリカもやっているし、他の国もそうだろう。ただ、これらの新しい~風街並みはあくまで作為的に作られたものだ。人は行ったことのない「~の国の」イメージの世界に生きることになる。知らず知らずに、本物だった世界が偽モノによって刷りかえられていく。
 マチュピチュを見て日本人が「ラピュタみたいだ!」と叫ぶことを「逆転現象」と呼んでいる。人の知ってる世界は、一体どこまでが偽のイメージで作り上げられたものなのだろうか。自分にあるイメージ世界をどれだけ正せるか、この旅のテーマだ。

 周辺には平地が広がっているが、丘陵地にのみ街並みがある。城砦としての都市の成り立ちを考えると、丘陵地にこの街並みが作られた理由が理解できる。しかし、最早その理由は存在しない。
日本は山城から平城に移り替わったときも都市のそれとは連動しなかった。山城の頃は武士といっても殆んど農民として暮らしていて、いざ戦というときだけ城に集まったためだろう。(資料がないので不確かですが)
 もはや丘陵地に住む必要がなくなっても、その街を愛し続けて都市を永らえさせたのではないだろうか。もし、日本に丘陵地に過去から続く街並みが残っていたらどうだろうか。ストックにならない木造住宅だったいうことも大きな理由だが、日本では丘陵地に敢えて住み続けないのではないだろうか。


 ペルージャはアッシジよりも規模の大きな町だがなかなか見ごたえがある街並みだった。旧市街にいくまでにきつい山を登らなければならないが、所々にエスカレータ-が設置されている。これは歩行者にはありがたい。
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 フィレンツェに来ると驚かされる。実にイタリアの都市は多様だ。かつて国が一つではなく多数の小国に別れていたとは言えこれほどまで違うとは。階高も素材も様式も街の骨格も異なる。楽しませてくれる。

それにしてもオランダは強い。
[2008/06/13 06:33] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080612]Napori → Roma → Assisi
 ナポリの人々の人格形成は街の構成によるのではないかと思う。延々と続く3mほどしかない路地に5,6階建ての住宅が立て込んでいる。地形も複雑だ。ナポリの人々はこの猥雑な環境で育つしかない。だから、あの猥雑な性格に育つのだろう。

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(偏見だが)ヒステリックなお母さんに教育されるのもその原因だろう。バスでもどこでも子供が悪さするとビシビシ殴りつけるお母さんを見かける。イタリア映画でよく見る光景だが、あれはキツイ。


 10年前、ローマはバックパッカーとしての出発点だった。あの時の旅は冒険だった。ダイナミックだったローマは今の自分には大分落ち着いて見えた。
自分にはそうでも、ユーラシアを通り抜けた旅人にはローマは格別な場所として映るだろう。シルクロードを通ってローマに辿り着いたかつての商人と同様の感激が胸にこみ上げることだろう。
「全ての道はローマに通ず。」逆に言えば自分の立っている道はパリの凱旋門や遥かインドの路地裏、北朝鮮にすら通じているのだ。ユーラシア大陸は広大だ。日本で立つ道が続くその先は所詮下関とか津軽といったところだろう。広大な大地と人々の移動をこのローマの道に想うのだ。

 ザハ・ハディドとリチャードマイヤーの美術館を見学。ザハ・ハディドさんは最近実作が本当に増えた。やっと時代が彼女に追い付いて来たのだろうか。ただし工期は遅れるようだ。見学しに行ったMaxxi美術館は工事中だった。ちなみにマドリッドで見に行った法廷は着工すらしていなかった。

イタリアの電車のトイレには常に人が入っている。何も彼はお腹を壊しているわけではない。単に切符を買っていないだけなのだ。
[2008/06/12 06:25] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080611]Napori & Capri
 カプリ島へのフェリーは通常の交通費と比べ非常に高い。観光客が使う高速フェリーならなおさらだ。ただ、ナポリの事情を考えると合点がいく。観光もマフィアのビジネスなのだ。マフィアが船と船着場を仕切っているに違いない。そうでなければフェリー会社間で価格競争が起こるに決まっているからだ。

フェリーには日本人の団体客の方が多く見られた。つまり日本人はイタリアまで来て、マフィアに資金を提供しているのだ。もちろん私もその一人だ。
 青の洞窟に入る船もそうだろう。マフィアが絡んでいるはずだ。想像が過ぎるかもしれないが、カプリ島のお金はすべてゴットファーザーに集められる。映画さながらに全ての頼みごとはゴットファーザ-を通じて行われる。(と思う。)

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 青の洞窟の近くの海水浴場でのんびりしていて気付いたことがある。青の洞窟の入場料は4€で船代が6€(Total 10€)とご丁寧に書かれている。とすれば、海水浴場から泳いで入場できるのではないか。もちろん、誰もしていなかった。マフィアを恐れてに違いない。


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 カプリ島ではカウパレードというアートイベントが行われていた。これは真っ白な牛の像が各アーティストに与えられ、それに自由にペイントを施すというものだ。なぜ、牛かと言うと、主催者曰く最も描くのに適した形態をしているからだそうだ。このアートイベントは丸の内でも行われたことがある。世界の町を旅する                                                                                                                                                                                                                                                              とこのアートイベントの残骸にたびたび出会うことになる。もちろん丸の内にも残っている。
 牛が好きな人もいれば、熊が好きな人もいるようだ。世界には牛と同様に熊にペイントを施したアートイベントが行われている。
 たぶん3年以内に中国人がこのアートイベントを真似してパンダにペイントを施すイベントが行われるだろう。そして牛だの、熊だの パンダなどの像が世界中に残されることになる。モアイ像さながらだ。しかし、1000年後の世界でこの像を見つけた未来の地球人は一体何を思うのだろうか。

 ナポリの街を再度散策。なかなか素晴らしい建築がある。名も知れない教会建築もさすがにイタリアだ。圧倒される。建築の感動が脳天を突き抜ける。街も汚いが、味がある。世界のどこにもないナポリの街並だ。



「人間はパンと水のみにて生きるにあらず」
要はたまには霞(夢)も食えということだ。
ただ、この言葉をストレートに捕らえたい。

やっぱ、肉もサラダも食わなきゃダメだ。
[2008/06/11 05:31] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080610]Alberobello → Napori 

 ナポリにはゴミが溢れている。基本原因はナポリの公営のゴミ処理場が満杯になってしまったためだ。

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ゴミ処理業は麻薬に次ぐマフィアの収入源らしく、90年代以降それは顕著になった。そして、マフィアはイタリア北部からもゴミを運びこんでいる。ナポリ郊外に不法投棄を繰り返し、有毒ガスまで発生させているとのことだ。(そういえばのどが痛い。)
 通常の業者を押しのけ、潰し、ゴミ処理業務はマフィアのものになった。郊外へゴミ処理するにはもはやマフィアに頼むしかない状況である。市当局はこの廃棄物処理マフィアと断絶しようとしたためにゴミ収集がままならなくなってしまったらしい。まったくもってイタリアらしい。

先週も廃棄物処理業にかかわる犯罪集団の情報を警察に提供した男がマフィアに殺されたとのことだ。ニュースで見るよりは大分落ち着いていたが、駅前にもゴミが詰まれていた。

 イタリアには素晴らしい観光資源があり、世界中くる観光客によって苦労せず膨大な資金を得ている。まともに働けば何も苦労することがないと思うのだが、どこでお金を浪費しているのだろうか。さっぱり理解できない。


ポンペイ遺跡へ。学生時代の旅行では遺跡のくさっぱらで昼寝をするのが好きだった。遺跡が遺跡ではなく、人の生活の場として機能していた時代を思い浮かべる。そこに自分がいたらとどうだったかと流れた月日を感じる。空は昔も今も同じ空だ。空は丸く広い。草の匂いと柔らかな風を肌で感じるのが好きだった。

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現在では遺跡の修復時には新しい修復箇所が分かるように現代の素材(ガラス・金属など)を使用するのが主流だ。これは遺跡の部分と修復箇所が混同しないようにするためだ。
遺跡は単に修復すればよいというのではなく、時の流れを感じさせてくれるように修復しなくてはならない。その意味ではメキシコのティオティワカンは全く持ってひどい事例だった。見事に、完全に修復している。そこには時間の流れなど感じさせない新建造物が出来上がっている。確かに昔の姿と同じなのだろうが、旅行者が望むものとは違うだろう。遺跡の修復一つにとっても方針が重要だ。

ナポリの街中はひどい交通渋滞。建物は高く、道は狭い。スクーターや車が人の横をすり抜けていく。ひどい街だ。

 ただし、マルガリータは旨かった。
[2008/06/10 07:56] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080609] Bali → Alberobello
 イタリアに入ると一般人の身振り手振りが俄然大きくなる。話し方も大げさだ。イタリアに着いたのだと感じさせられる。
 イタリア語には「ッチ」とか「オーネ」が語尾に付く。何かの英単語にこれらを付けて話すとイタリア語のように聞こえる。だけど、当然、イタリア人には通じない。

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 イタリア人は泥棒の国だ。盗むことがイタリア人の習慣なんだと、イタリア人が話していた。ユーロ連合内は人の行き来が自由になった。夏休みにはイタリアの学生窃盗集団がヨーロッパ中を巡るらしい。自分も気をつけねばならない。こちらの警察はあてにならないからだ。以前、ベネチアで一緒に食事をしていた方が窃盗に会いそうにあった。その後、窃盗を試みた連中は同じ店のバーで飲んでいた。店も警察も何もしてくれない。
 
 日本の警察はそんなことはありえないが、日本人は安全に強い幻想を抱いていることに不安を覚える。日本の警察は世界で最も優秀で日本人は清く正しいという安全神話だ。実際に日本は世界一安全だと思うがこれには不安を覚える。

 戦前の日本もそうだったからだ。日本の軍隊は最も強く、神様に守られている。という神話を大本営も日本国民も信じていた。日露戦争時の時から「ロシア軍の強力な戦車隊に対して、紙くず同然の戦車しか日本は持ち合わせていなかった」とノモンハンを振り返って司馬遼太郎が記述していた。その戦前の強兵神話を信じて太平洋戦争に向かった過去の日本と、日本の警察は世界で最も優秀と信じる現代日本と何が違うのだというのだろう。

 今は警察があてにならないとか、凶悪犯罪が増えているなど不安を煽るニュースが溢れ、振り子が逆に振れてきている。これもこれで不安を覚える。恐怖を生み出すニュースは結局犯罪を生む。安心と不安の情報操作が良いのかは分からないが、個人的には実際に起こっているデータを見て判断する人間でいたい。
 

 アルベロベッロではトゥルリと呼ばれる円錐屋根の住宅に宿泊した。一軒丸ごとなので本当ならば6人ぐらい泊まれる空間を独り占めすることになる。
※トゥーリストインフォメーションには宿は提供されておらず、トラベルエージェンシーで頼むと高い。結局、個人的に交渉せざるを得ない。個人邸を貸し出すことは違法行為であると聞いたが世界遺産の住宅に泊まりたい。

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 アルヴェロベッロにはトルリィのまとまったエリアがある。殆んどのトゥルリが現役で利用されている。郊外にも古いタイプのトルゥリが点在している。(こちらのほうが趣がある。)
宿泊して感じたがトルリィの中は実に快適だ。何も不自由がない。冬は暖かく、夏は涼しくなるように設計されている。(現在ではエアコンが付いているので高い天井を残さず、ロフトを作っているケースも多いようだ。)

中学校を超える子供がいるとプライバシーなどの問題が発生する可能性もあるが、日本の2DKよりましだろう。建築的に実に面白い住居形式だった。

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[2008/06/09 04:47] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080608] Budva → Cetinje → Podgorica → Bar
 
 昨日の日記の中でモンテネグロが2年前に€へと通貨を変更したと書いたが、間違えていた。モンテネグロは€発足時より€をユーロ諸国の未公認ながら通貨としている。この当時は第二期ユーゴ崩壊の時期でその後にセルビア・モンテネグロという国家連合体制をとることになる。Cetinjeの歴史博物館で働いている人に聞くことが出来た。
 展示がキリル文字の説明で全く分からなかったが、展示内容よりも国の歴史を知ることができた気がする。
 
 ちなみにキリル文字とは携帯のメールで顔文字に使う文字。
こちらの言葉で[はい]は [Дa]と書くが、
顔文字の(Д)に見えて仕方がない。
一度そう見えてしまうと街は顔文字だらけ。

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 モンテネグロの主要都市を回ってわかったのはブドゥバの特異性だ。この街だけツー利スティックパーティタウンに特化している。

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 夜行フェリーでイタリアへ。
[2008/06/08 04:38] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080607] Dubrovnik → Kotor → Budva
 非常に非効率な判断ミスをした。ドブロブニクから午後4時発フェリーで夜中にバーリに着くよりも、モンテネグロないし、アルバニアから夜行フェリーで抜けた方が良いことがわかった。高級ホテルのロビーに行けばワイアレスが無料で使えることを昨夜に意識していなかったのが敗因。時間をロスした。

 思い立ってモンテネグロへ。国境を越えてコトルへ。たくさんの国を回れば言いというわけではないが、国が違うというのはそれなりの理由がある。それなりの理由があれば、それだけの発見がある。車窓からでもそれを見て取ることが出来る。

モンテネグロは国土の多くが海に面している。入りくねった湾があり、急傾斜の岩山が海岸まで迫っている。住宅は海岸線と岩山の間のわずかばかりの場所にしかつくることが出来ない。車窓からは非常に稀有な景観を見ることができる。あまりに湾が入り組んでいるため、湾岸都市は道路を利用するよりも船が主要交通となる。車6台ぐらいしか乗せられない小さな船にバスごと乗せて、湾を突っ切る。道路の先に船が待っていいて、ひっきりなしに船が湾を往復している。

 釣りをしている人々が見られる。湾には魚がいるのだ。ドブロヴニクではあまり見られなかった光景だ。あそこの海は魚が住むにはきれい過ぎるのだろう。モンテネグロの海は岩山から栄養分が落ちてくるのだろうか、多少海も濁っているところをみると、プランクトンも多いだろう。

 コトルの城はまさに理想的な城だ。眼前には入りくねった湾があり、急傾斜の岩山に沿って城壁が作られ、頂上に城が設けられている。とてもではないが甲冑をつけて攻め入るのは不可能だろうと思わせられる。


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※頂上より

 麓の街は世界遺産に認定されている。小さいが中世の面持ちのある街だ。石畳と石造りの建物が並ぶ。コトルの石畳は若干滑りそうで使用するのは怖いが情緒がある。
石畳はヨーロッパの街並みの特徴でもあり、その地盤があってはじめて中世の街並みも生きるのだと思う。石畳が絶対ならば、人間もそれに合わせるしかない。ベビーカーも通常のではなく、ごついタイヤをつけている。ベビーカーに限って言えば、日本も都市空間を全て平らにするよりも行政がタフなベビーカーを無料で貸し出した方がはるかに経済的だろう。

 ブドゥバはパーティタウンだ。ヨーロッパ人は白浜に憧れを強く抱いている。その白浜が600m続いている。夜になるとリゾートということが良く分かる。稀にみるパーティタウンだ。屋外ディスコが出来、大きな音を立て、店が用意した半裸のねぇちゃんがストリップさながら踊り狂う。実にモラルのないリゾートだ。これこそヨーロッパの若者の理想のリゾートだろう。
 正直、驚いた。モンテネグロは落ち着いた素朴な風景が広がっていると思ったらこのギャップだ。モンテネグロにおける対外資産といえば観光資源しかないのだろうか。モンテネグロという国の雰囲気から離れた街づくりがされているのは。
しかし、ハッピーな喧騒に触れるのも街の楽しみだ。

 あと一つモンテネグロは2006年に独立を果たした国だ。正式に加盟していないが、通貨は€を使用している。つまり2006年から突然€に切り替わったことになる。たった67万人の国で独自通貨を持つことは不可能とはいえ急転直下である。クロアチアが徐々に€へ切り替わるための準備をしているというのにだ。政治経済をもっと勉強すれば、より深いことが分かってくるのだろう。勉強せねば。
[2008/06/07 18:36] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]世界遺産登録 

 世界遺産に登録されるといいことがあるか?という議論が出た。世界遺産に登録されようと日本各地躍起になっている。石見銀山も相当世界遺産に登録する前には大分苦労したようだ。

世界遺産登録の反対意見はこうだ。世界遺産登録されたことによって観光客が増えて、みやげ物屋なども増え、人もスレてその場所の雰囲気を壊してしまうという意見である。
確かにそれは一理ある。多くの旅行者(ないし旅行斡旋業者)は世界遺産偏重主義があるので多くの人間が世界遺産という名前に惹かれてしまう。実際に、のどかな漁村だった場所が世界遺産となって雰囲気が台無しになってしまった場所もある。

ただ、果たして世界遺産は必要ないのか。

そんなことはないと思う。特に経済的に支援が必要な遺跡は多い。そして、ユネスコの支援が世界遺産に登録されることによってより多く得られる。観光客の落とす入場料もそれに寄与するだろう。ただ、一方で単にお金が入れば、地元が潤えばよいというのではないと思う。
いかに遺跡の環境を保つかを、地元の方に知ってもらう仕事も重要になる。環境を保つことによって、いつまでも観光が続く場所になることを知ってもらわねばならない。
 町全体が世界遺産に登録されている場合、街の中にある住宅も世界遺産の一部だ。住民は世界遺産に住むことになる。このような場合、建物の環境をいかに担保していくか、住民への教育と及び経済的な支援が求められる。ユネスコがどこまで関与しているのかわからない。
ただ、ベトナムの世界遺産の都市フエでユネスコの協力を得て都市研究をしていた経験から言うと、ユネスコという世界的な後ろ盾が内部で活動する学者や計画者にとって重要だ。

よって、世界遺産の登録は必要とされる。これからもどんどん世界遺産は増えていく。世界遺産に登録される前からの環境担保のプログラムを発動してもらえることを期待したい。
[2008/06/06 18:33] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080606] Dubrovnik
 ドブロヴニクを後背のスルジ山から眺めた。かつてロープウェイがあったが旧ユーゴ軍に破壊されてしまっている。ドブロヴニクもクロアチア独立戦争時に多大な被害を受けた。今でこそ街中は復興しているように見えるが、山頂にある荒廃した山頂駅と若い青年の墓によって戦争を眼前に突きつけられる。

 結局、山頂に3時間ほどいた。拵えたサンドイッチとビールを持ち、のんびりと過ごした。本を読んでは、美しいアドリア海の真珠と呼ばれる街を眺める。高台からの眺めは実に絵になる。(絵にするのは大変なのだが)。本から目を離して景色を見るたびにハッとさせられる。

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感動は持続しないものであると思う。しばらくすると視覚的な感動は薄れていく。はじめの新鮮な感動を味あわないうちに写真をとるのは感動を逃すような気がする。感動しているときはしばし感動を楽しみ、感動が薄らいでから写真をとればよい。
 感動は持続しないが、再感動できるものでもある。今日、本を読んでは景色に感動することを繰り返してそう思った。

 ※ドブロヴニクは映画「魔女の宅急便」の舞台になっているそうです。興味のある方はDVDで見返して観てください。


 アドリア海は青い。深い群青色をしている。丸石のビーチから海に入ると青の中を泳いでいる気持ちになる。こんなにも青く美しいのは海中にプランクトンが少ないからだ。これは以前エーゲ海をクルーズしているときに海洋学者の方に聞いた。ビーチには海草もなく、魚もいない。意外と魚は高価だったりもする。

 のんびりとした一日だった。スパゲッティの作成分量は常に間違える。
[2008/06/06 18:06] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080605] Split → Mostar → Dubrovnik
 今日で日本を立って4ヶ月になる。4ヶ月でよくここまで回ったものだと思うが、世界は相変わらず広い。残された日数はあまりに少ない。

国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナへ。この旅で18カ国目、通算50カ国目となる。国境越えは13年前まで戦争中だったとは思えないほどあっさりしていた。スタンプを押されることも荷物チェックもなかった。元々と同じ国だったと言われれば、納得せざるを得ない。来るまで韓国と北朝鮮のような関係を想定していただけに拍子抜けした。しかし、平和になったのだ。何より嬉しいことだ。

 モスタルには戦争時の傷跡が強く残っている。
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建物には銃撃戦の後があり、街中にはいくつもの廃墟が残されていた。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの独立戦争時(というより内戦のほうがふさわしいかもしれないが)122万人の難民と20万人の死者を出した。民族紛争である。しかし、今、街は元気だ。人は元気に毎日を過ごしている。
この街にはスタイリーモストという美しい橋がある。この橋は1993年に破壊された。しかし、戦後人々の手によって造りなおされ、世界遺産として登録されている。

 当時の写真を見ると橋の周辺も完全に破壊されていた。しかし、今ではみやげ物が並ぶ観光地になっている。簡単に言うことは出来ないが、人は強いのだと感じた。

 ドブロヴニクに民宿(ソベ)を取り、旧市街へ。旧市街に着いて正直驚いた。石灰岩系の白い石が全ての建物に使われており、地面の舗装も白い。屋根はオレンジ色。城郭内は整然とした骨格が出来ていた。城郭内は無計画的にごちゃごちゃした雰囲気なのだろうと思っていたが全く違った。ここには有機的な形の城郭の中にグリット都市が形成されている。
 周囲の地形と呼応した城郭のデザイン、広場からアドリア海に続く港へ出られるようにも設計されている。見事な計画都市だ。何百もの都市を巡っても此れがあるから旅は続けねばならない。

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[2008/06/05 17:59] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080604] Split & Trogir
 スピリットは1世紀より城郭として成立してきた。軍事上重要な場所に位置し、時代時代の状況と合わせて城郭と街が発展してきた。1世紀から城壁があったが、14世紀にはオスマン・トルコの侵略に対して城壁を拡張している。スプリットはベネチアに帰属するなど、中欧が常に東西の大国の脅威に晒れていたかがわかる。博物館では過去の遺跡を残しつつ街が発展していく様子を見て取ることが出来る。

クロアチアは石の文化を持つ国だ。 一般の住宅も石が剥き出しのまま仕上げているものも多く、実に中世的な印象を受ける。

 スプリットからバスで50分ほどに位置するトロギールは中世が止まったような街だ。入植もすすんいく。しかし、そこにも元々住まう人々が多数いる。彼らは古い住宅に住み続け、毎日を営んでいる。お供とアドリア海沿岸の都市は城塞都市としての意味合いが強い。場内の建物はギュウギュウに詰め込まれている。モロッコで訪れたフェズも城郭都市であったが城壁で防御するのみだけではなく、住居と狭い道全体が防御壁としても機能している。そのため、街は拡張しつつも迷路のような都市が出来上がっている。

 スプリットでは城壁が防御壁であり、そこが破られると陥落を意味する。場内の建物はそれほど規模の大きいものではない。城郭内の建物は中庭型ではない。のんびりと憩えるモスクもない。かろうじて広場があるが、どこで人々はリラックスできるのか。都市の成り立ちが要塞であるだけに仕方がないことなのだろうか。

 中庭がないため洗濯物が干せない。屋上の空間もない。となると路地の上空しか干す空間がない。日本では日照権が叫ばれるが、こちらは物干権などが論じられたりするのだろうか。道を挟んだ建物の間にロープを通し、滑車を利用して洗濯物を干す。生活観溢れる光景である。

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これらの建物の内部を見学することができる。というのは、普通の住宅の一部屋を旅行者に貸し出している。バスから降りると普通のおばちゃんが客引きに来ている。こちらの住宅は300€ぐらいであるため、1人10€ぐらいで貸せればおばちゃんも潤うのだ。地元の普通の暮らしの垣間見ることができるのは建築家にとってはありがたいことだ。


旅を続けていると時々訳の分からない親切に出会うことがある。トラギールからの帰り、地元に住むニコラに声を掛けられた。ビールを殆んど奢ってもらい、彼の仲間と共に飲み続けた。結局そのバーにあった全ての種類(8本/人)のビールを飲んだ。

彼の父親はサラエボに住んでいた。母親はハンガリー人、彼自身はクロアチア人である。旧ユーゴこそ彼の国であったのだろう。話は戦争のことにも及んだ。彼曰く

「あの戦争は政治的な戦争であって人々の戦争ではないよ。」

「人々の民族対立など関係なかった。」

性急に進む西欧諸国システムへの流れに対して、旧ユーゴの体制を懐かしむような表現もあった。

「クロアチア人は朝から夕方まで働いて、それから馴染みのバーでゆっくりビールを飲むのが何よりも幸せなんだ。これからアメリカのように働くようになってしまったら何のために生きているのか分からなくなるよ。旧ユーゴ時代はやることが限られていて、自分の持ち時間を働けばよかった。これからは働きすぎなければならなくなるかもしれない。」と。

彼の月給は600€。西欧諸国に比べると格段に安い。これからユーロ加盟までどれほどの課題をクリアしていかねばならないのだろう。世界中どこでもそうだが、政治と人々の感覚にズレがあるのだろう。

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[2008/06/04 01:59] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[暫定日程ver6・03]

日程・行き先はあくまで目安 ルートも逐次変更
 6月4スプリット 5モスタル経由ドヴゥロブニク 7 船でイタリア・バーリへ渡る。 8マテーラ 9 アルベロベッロ 10ナポリ ゴミの状況を見に?飛ばすかも。 11 シエナ 12 アッシジ?ボローニャ  13日(金)ボローニャ→サンマリノ→フェラーラ 14フェラーラ 15フェラーラ→パルマノーヴァPALMANOVA→トリエステ 17スロヴェニア 18 ミラノ 19コモ 21 バーゼル(リハビリテーション ゲーテアヌム ビトラ ザハ消防署) 24(クール リヒテンシュタイン未定)27リヨン ラルブルッスル駅(らトゥーレット修道院) ※ビルバオ経由が可能か 29 パリ 30 ルクセンブルク(飛ばす可能性あり) 31ベルギー ブリュッセル 7月2(日)オランダロッテルダム 5日アムステルダム ※フライト? ないし ハノーバー経由 7月5 デンマーク コペンハーゲン 7月8日 オスロ  11日ストックホルム エンシェーデ(森の葬祭場) 14 ロヴァニエミ セイナッツァロ セイナヨキ  15日 16日ヘルシンキ17日 エストニア タリン(日帰り) 18日ヘルシンキ → イギリスへ 
※その他パンプローナ、トマト投げ等お祭りがあれば逐次参加。

18日~27日ロンドン滞在(CAT、コッツウェル、レッチワース日帰り)


7月末or8月始めにタンザニアへ。(カイロから往復を買う可能性あり)3週間程度滞在。

その後1ヶ月半程 中東を巡る。(ヨルダン、イスラエル、シリア、※イエメンには安全なサナーのみフライト サナーよりイスタンブールないし、イランへ)トルコを抜け、ブルガリア、セルビアを通り、9月後半ぐらいに陸路でウィーンへ戻る。
 ※ラダマンの時期と重なるので注意

10月前半 世界一周チケットでインドへ。
インドからラホールの国境からパキスタン、フンザ(間に合うか不安)を抜けて北へ。中国へ入り、チベットへ。(状況次第) ネパールに抜けてトレッキング。
 ※ネパールは11月以降がベストシーズン

11月始め カトマンズから飛行機でバンコクへ。ラオスに立ち寄り、飛行機にて日本へ帰国(11月ぐらい?)。※9月にいったん日本に戻って再び旅に出る可能性もあります。

要するに世界を回るには時間が足りなさ過ぎます。
[2008/06/03 02:10] | 旅のルート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080603] Budapest → national park Plitvicka →Split
 プリトヴィッツェ湖群国立公園へ。青やエメラルドグリーンの湖がいくつも連なる風光明媚な場所だ。南米の自然遺産のようなダイナミックさはないものの落ち着いてハイキングの出来る気持ちのいい場所だ。(一応世界遺産であるが、特に初期の世界遺産リストはヨーロッパに優遇されているといわざるを得ない)
 

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 歩行路は細い丸太を釘で打ちつけて作られている。美しい散策路である。日本であれば手すりなどを付けられてしまうかもしれない。

 日本は何でも過剰だと思う。落ちたって死なないのであれば、殆んど落ちる可能性がなければ手すりがなくとも良いだろう。それよりも景観を楽しみたい。
 階段の縁に設置された黄色い線もそうだ。黄色いテープは色覚弱者の方のためにつけられている。実際には黄色い色でなくとも白色などで輝度の変化をもたせれば十分機能する。黄色は街の美観を損ねている。
 それでも黄色いラインや黄色い歩行ブロックを使うのは、健常者がその場所に駐輪などしないようにという配慮である。余計な配慮である。変えられないのは人が黄色が禁止マークということに慣れているからだという

 安全に関わるものだけならまだいい。以前、岐阜県の国宝 犬山城に訪問したとき私は愕然とした。天守閣に上る階段は一つしかない。その階段にご丁寧にも上がり、下りという標識が上の階にも下の階にも合計4つも貼られている。なんの意味があるのだ。

 天守閣には4方向に赤字で「禁煙」と書かれた半紙が貼ってある。城の中はおろか周辺も禁煙の場所である。入り口でも厳重に注意されている。むろん立て札もこれまでにいくつも見た。

 そこで天守閣に常にいる係員に聞いてみた。

「タバコをここで吸われる方がいるんですか?」

 係員いわく「たまにうっかり吸ってしまう人もいる(と思う)」とのこと。

では次の質問。

 「では、何のために天守閣に係員がいるのですか?」

係員曰く「自分がトイレに行ってしまっていない場合もある」とのことだ。

周囲には禁煙の張り紙の他に「転落注意」や「天守閣」、「お帰り口」の張り紙がある。実にご丁寧な対応だ。そして、それほど注意を促されなければ日本人は誠実な行動が出来ないほど知性がなくなってしまったのだろうか。そんなことはないはずだ。

この問答に日本国民性の一端を見出すことができるのではないだろうか。


※※※
国立公園では大雨が降り、一時大変だった。山の天気は変わりやすい。しかし親切な旅行者に傘をお借りすることが出来た。傘を返せるように手はずを取ったが、傘は彼らの手に戻っただろうか。この場を借りてお礼を申し上げたい。「どうもありがとうございました。」
 ※※※

 スプリットに向かう道中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境あたりを通った。いくつもの住宅が無人の家と化していた。近くには地雷注意のドクロマーク入りの看板が立っていた。おそらく戦場となることを恐れて住民が逃げ出したのだろう。もしくは、自分達の民族の多数派がいる国の中心部へと移動せざるをえなかったのだろう。彼らは先祖代々その土地に住んでいた。国境あたりは民族が混在する場所だ。そこでは他民族が割と仲良くやっていたはずなのだ。しかし国の都合で国境が引かれ、自分が多数派になるか少数派になるかという運命が決定付けられる。なんと不幸なことなのだろうか。


 旧ユーゴには戦争の爪跡が現実的に残っている。そしてボスニアでは未だ紛争が続いている。
[2008/06/03 01:57] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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