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[080531] Budapest
中欧に入ってから外壁にトラバーチンを使っている住宅を多く見かける。

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新しいトラバーチンもいいが古い住宅ではだんだんと色味が抜けると共に黒ずんで歴史を感じさせる。年月を経たトラバーチンの外壁が街を落ち着かせてくれる。街並みにとっても必要とされる外壁といえる。日本だと黒ずんでいくためトラバーチンは敬遠されるが、街並みに寄与する年輪という考え方もあるのだなと思う。


 ブタペストは川を挟んでブタとペストに別れている。ウィーンやプラハの都市と比べるとペストはおしゃれに取り澄まされていない。確かに壁の漆喰が剥げているなどメンテナンスが行き届いていない建物もある。しかし、洗濯物が干されているなど人が生き生きと生活している印象を受ける。生活感のある街では自分も街の一員になれる気がする。
 プラハでは建物の頂部デザインがそれぞれ主張していると書いた。ブタペストでもドナウ川沿いはウィーンのように建物の主張が激しい。しかし、川から離れたペストでは高さもある程度揃い、屋根にも特徴を持たせず、庇の高さがある程度揃っている。街に全体性を感じることが出来る。


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※ドナウ川越しの夕焼け

 イムレ・マコヴェッツの葬祭場を見にファルカシュート墓地へ。探訪する旅をしていると実に各地でたくさんの墓地を巡ることになる。アルゼンチンのレコレッタ墓地。カイロの死者の街等。世界の墓地の形態は本当に多様だ。宗教が同じでも形態が異なるのは地域それぞれの民族的な慣習が「死」という最も原始的な出来事に強く反映されるからだろう。

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見学しにいった建築のドアは開いていなかった。
こんなことで諦めることは出来ない。マジャール語でさまざまな人と交渉した。この出来事を通じてハンガリー、東欧の国民性を垣間見ることが出来た。

セキュリティの人にお願いする。セキュリティの小屋に鍵があるのだ。5分だけでも見せてもらえないかと懇願する。ここまでわざわざ日本から来ているのだ。


ドアが開ける責任ないならば、ボスと話をしてくれるように頼んだ。交渉の末、電話してもらったがなしの礫だった。ボスは職場にはいない。電話先で彼は釣りを楽しんでいるとのことだった。そんな緊張感が伝わらないところでは私の強い意志は伝わりようがない。

 ボスに直接話せないかお願いしたが、セキュリティから室内の写真を撮って後日E-mailで送るから勘弁して欲しいとのこと。そこまで言われたら仕方がない、諦めた。

ハンガリーは職務に絶対服従、買収にも応じそうにない。いい国といえばいいのだが、ラテンの国々、西ヨーロッパとは違う体制を感じることが出来た。お堅い東欧の厳格な命令系統だ。



ブタ側の斜面に立つ一軒家の庇の下にハンガリーの民族芸術に見られる古代模様を見ることが出来る。鉄のフレームにもつけられている。この文様はイムレ・マコヴェッツ設計の教会にも引用されているとのことだ。マジャール文化に深く根ざした文様らしい。

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 文様のデザインを重要視する地域には刺繍文化が強く根ざしている。モロッコのベルベル人住居と刺繍然りだ。これらの関係性は文様の意味性や自然信仰(ないし多神教)を示唆していると思う。これを生み出した背景は何か。これから世界を旅する中で見出したいと思う。



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[2008/05/31 03:02] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080530] Spisske Phodhradie → Kosice → Budapest
 午前中にスピシュ城を見学。何もない草原の坂道を上がっていく。周囲はユネスコの条約によって建物が建てられないようにして環境を担保しているのだろうか。それとも特に制限を掛けなくても、誰も近くに建物を作りたいとは思わないのかもしれない。

廃墟となった城内たって、この城砦が機能していた頃を思い浮かべる。実際のところはこの廃墟は周囲の環境と合わせて、外から眺めたときのほうが美しい。近くの高台に座ってゆっくり青い空と白い廃墟、緑の草原を眺めていた。

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 バスを乗り継いでコシツェへ。スロヴァキア共和国の第二の都市だ。時間がなかったので中心地しか見ることが出来なかった。町の形の特徴は十字状の道路中心のカテドラル、国立劇場の配置している。旧市街の周りには環状道路があり、旧市街を中心に徐々に街が拡張されている。メインストリートのフラグナー通り(幅員34m歩測)は周囲の建物の高さ(15m程度)に比べて広すぎる気もした。しかし、中心の水路や街路樹、舗装の区分け、なにより街路樹より内側に設置された仮設のカフェスペースによって空間が保たれていた。


 コシツェ中心地の国立劇場の前には音楽に合わせて動く噴水がある。

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この都市にはあまり観光客が来ないため大道芸人も少ない。つまり街中で演奏してくれる人がいない。そんな街にあっては、機械式ではあれ音楽と動的景観があるというのは街を活気付かせてくれる。私の地元の浦和(北浦和公園)にも音楽に合わせて動く噴水がある。公園の内部なので少し意味合いが違うがいいものだ。そう考える一方で都市における大道芸人の必要性を感じることが出来た。

ブタペストに到着。ブタベストに着くと人種が変わったことに気付く。スラヴ人はアジアに近い人種である。車窓からの風景で建物は変わらないのにこの違いこそ中欧の民族問題の表れなのだろう。

 これからしっかり見ていくだろうがブタペストの第一印象はプラハと比べて黒い色をしている。排気ガスのせいなのか、それとも民族的な感覚のせいなのだろうか。沈んだ色をもっている。ただ、非常に活力のある都市だ。アジア的な、もしくはトルコのようなエネルギーを町から感じた。いろいろな活力が混在している都市なのだろうと直感した。

 ブタペストといいヨーロッパは夜景がきれいだ。夜景の統一性は街灯の白熱灯の統一感によるものが大きい。街灯がなくとも建物に付属して照明を設置する。建物にワイヤーの端部を固定して道路の頭上に街灯を設置するなど日本では許されない仕組みでライトスケープが成り立っている。

 一方で疑問のが建物のライトアップだ。ここのライトアップは良いとしても全体の統一感を考えた場合は一つの建物が目立ってはいけない。しかし、その照明の強さの調整などは街の照明を監督する人間が必要に思う。実際にいくつかの街では行っているのだろう。しかし、美しい街なのに重要文化財よりホテルの方が目立っている場合もある。こんなことを当て嵌められるほど日本はライトスケープへの意識が高くない。しかし、ヨーロッパに来るとそんなことを考えることができる。
[2008/05/30 06:28] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080529] Krakow → Spisske Phodhradie
 ヴィエリチカ(Wieliczka)へ。世界有数の岩塩採掘場で他の11つの遺産と共に初のユネスコ世界遺産として登録されている。地下空間好きには知られた場所なのだが、クラクフ近くにあるとはガイドブックを見るまで知らなかった。

 構内は思ったよりも規模が小さく残念だった。群馬県にある大谷採掘場の方が広大な空間をもっているので壮観だ。規模が小さいのは洞窟内が全て岩塩で出来ているためにトンネルの強度が弱く、構造が持たないのだろう。

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礼拝堂などもあり地下空間にしては洗練されている。(ただ、この洗練さによって地下空間が本来持つべき素朴な力強さを失わせているのだが)
 
 日中移動してスロヴァキアへ。

スピシュ城の麓の田舎町スピシュスケー・ポドフラディエに到着。実に気持ちのいい街だ。村人が笑顔で挨拶してくれる素敵な街だ。当たり前のことなのかも知れないが訪問先の歓迎ほど旅人にとって嬉しいことはない。チェコでのホスピタリティに少々嫌な思いをしていた分、気持ち良く感じられた。これだけでもこの村に来た甲斐がある。
 
世界遺産のスピシュ城は丘の上で廃墟と化している。丘の周りには建物はない。小高い丘の上、周囲は草原に囲まれている。実に絵になる風景だ。
スピシュ城を眺めながらビールを飲んだ。都市の喧騒から一時離れ、実に気持ちのいい闇の訪れだった。



[2008/05/29 06:01] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[暫定日程ver5・28]

日程・行き先はあくまで目安 ルートも逐次変更
 5/26プラハ 28クラクフ 30ブタペスト 6月2 ザグレブ3スプリット 4ドヴゥロブニク 船でイタリア・バーリへ渡る。 6ナポリ? 7トスカーナ地方周遊(フェラーラ、シエナ などなどその他)アルベロヴェッロ 13パルマノーヴァ 14 ミラノ 16コモ 18 リヒテンシュタイン18ベルン等、22リヨン 25ビルバオ 26 パリ 27ルクセンブルク 29ベルギーブリュッセル 7月1オランダロッテルダム 7月5デンマーク 

その後北欧2週間。 
※学生シーズンが始まると、全ての日程を決めないと安宿がとれなくなるので頭が痛い。

その他パンプローナ、トマト投げ等お祭りがあれば逐次参加。

7月末or8月始めにエジプトへ飛ぶ。カイロに移動し、タンザニアにフライト。2週間程度滞在。
その後1ヶ月程半中東を巡る。(ヨルダン、イスラエル、シリア、※イエメンには安全なサナーのみフライト)トルコを抜け、ブルガリア、セルビアを通り、9月半ばから後半ぐらいに陸路でウィーンへ戻る。

9月中頃 世界一周チケットでインドへ。
インドからラホールの国境からパキスタン、フンザ(間に合うか不安)を抜けて北へ。中国へ入り、チベットへ。ネパールに抜けてトレッキング。

10月末or11月始め カトマンズから飛行機でバンコクへ。ラオスに立ち寄り、飛行機にて日本へ帰国(11月ぐらい?)。※9月にいったん日本に戻って再び旅に出る可能性もあります。
[2008/05/29 04:08] | 旅のルート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080528] Krakow
 ユダヤ人の強制収容所があったアウシュビッツへ。この地に来てさすがに心が震えた。風が冷たく感じた。これまで幾つもの遺跡を見てきたが、アウシュビッツはたった65年前には機能していた遺構だ。

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ユダヤ人の強制収容所の幾つかの棟が収容所の歴史を伝える展示棟になっている。ガス室に連れて行かれる前に取られた眼鏡、靴、バックの山なども展示されている。この無機質物に様々な人の思いを見る。強制的に刈られた女性の髪も展示されていた。私にはニューヨークでも会ったイスラエル人の友達がいる。彼女がもし50年前に生まれていたら、彼女の美しい髪も刈られとられ、ここに展示されていたのだろう。やりきれない思いがした。

ただ、世界は未だに悲しみの連鎖の中にある。中東の問題は未だ全く解決されていない。民族紛争は世界中で起きている。

ユダヤ人には悲しい歴史がある。だが、こんなにもしっかりと広報できているのはお金と巨大なジャーナリズムがなせる業だ。9・11では5000人以上の人がなくなった。あの場所には巨大なモニュメントや悲惨な出来事を伝える博物館が出来る。しかし、イラク戦争で亡くなった罪のないイラク人はそれ以上の数になる。アメリカ人が行った誤爆による死者のための博物館がイラクに出来るだろうか。ベルリンにはユダヤ博物館がある。ドイツ人が自らの過ちを繰り返さないために。アメリカには原爆博物館はない(なかったと思う)。

ジャーナリズムは強い力を持っている。その国の力にもなるし、人を狂信にもする。このジャーナリズムを日本は育てているのだろうか。ロイター通信などの情報ではなく、人間が現地に飛んで見なければ情報は捻じ曲げられる。もちろん、信念のある方がたくさん海を渡っている。大きな会社に所属しない個人ジャーナリストだ。この本物のジャーナリストに後ろ盾をつけてあげられないものかと悔しく思う。

ナチスの狂信への反省は生かされているだろうか。アメリカのイラク戦争の開戦時にアメリカ国民の多数が戦争を肯定したことを考えると疑問だ。

 アウシュビッツ収容所より規模の大きいブルメナウ収容所にも訪れた。この場所で140万人が惨殺されたという。今も広大な敷地に強制収容所の建物が残っている。建物の周囲にはタンポポが咲いていた。65年前にここにいた人々も眺めていたのだろうか。ここはどんな遺跡とも違う、心震える場所だった。冷たい風が草原を駆け抜けていた。

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クラコフ市内の日本漫画(浮世絵)館へ。磯崎新氏の設計。建物自体は取り立てるものはないが、日本を離れて日本文化に触れるのはいい。自分の目がフラットになっているために、より日本人の感覚を見出すことができる。

クラコフ市街地もいい街で世界遺産にも登録されている。建物の形も特徴的で台形の形をしているものがいくつも見られる。内部がドーム状になっている建物も多く、どういう地域的変遷、目的があったのか疑問に思う。東欧的な雰囲気もクラコフに来て感じることが出来た。窓の大きさの比率だろうか、それとも装飾の少なさだろうか。銃弾の跡だろうか。

マリア教会も非常に感動した。東方のデザインが入った色調、アラビック的なストライプ、天井は青緑に塗られている。多くの黄金が使われているがゴテゴテしていない。逆に全体のバランスを保っている。素晴らしい建築だった。

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その前にある広場も広大だが、広場の中心に織物会館(sukiennice)がバランスを保っている。

(来るまで忘れていたが、ここはクラクフ出身の前衛的な芸術家の作品が飾られている。景観論争にもなった場所である。)
[2008/05/28 05:50] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080527] Prague
 プラハにはヤン・フス広場という中心広場がある。ヤン・フス広場は121m×84m(歩測)ほどなのだが、全く間延びしていない素晴らしい広場だ。ヤン・フス像が設置され周辺には教会や建物が囲んでいる。建物の用途は殆んどレストランかカフェで広場へとテラスが溢れ出している。舗装もたてものから10mほどまで違う舗装がなされており空間の区切りを作っている。交通動線もクランクさせる、駐車場を設けるなど実に豊かだ。馬車用レーンまで広場内にある。天文時計の機械仕掛けなどイベント性もある。素晴らしい広場だ。
 沿道型で発展した日本にはこういう広場が存在しないのが悔しくほどだった。

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 アドルフ・ロースのミューラー邸を見学。ラウムプラン(3次元的に構成した計画)をもってして世界に革命を与えた建物である。狭い空間でもレベルを変えて広がりを見せる。段差をつけることで空間を仕切る。天井の高さまで緻密に計算されつくしている。彼はクライアントの背の高さを考えて空間を構成したそうだ。こんな逸話もある。たった4cm天井が足りなかっただけで作り直させたという逸話だ。(記憶によれば)。彼の空間に対する哲学は徹底している。


この空間構成に加えてロースの素晴らしいインテリアデザインにはため息が出る。完全予約・ガイド付きの見学で写真を撮ることは残念なことに叶わなかった。
 ゲストブックを見ると東大教授建築家・藤森照信さんの名前とこんなメッセージが。。

「アドルフ・ロースのインテリアを撮影できて幸せでした」

と。

いくらお金を積んだのだろう。レセプションに聞くと約3万円とのこと。うーん。これならば写真集を買ったほうがよさそうだ。とりあえず図面は購入。

 
 3日続けて一緒に食事する人が見つかった。老若男女国籍問わずだ。
いい旅立ちとなった。プラハでは金を異常に消費したが楽しめた。万事良しとしたい。
[2008/05/27 04:15] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080526] Prague
 現代建築をみてまわる。O・ゲーリーのNationale-Nederlanden buildingやジャン・ヌーベルのPraha Andel等。。

 プラハは世界有数の美しい都市である。だたその美しさは様々な様式の建物が乱立して出来たものだ。それぞれの建物が競うように頂部のデザインに特徴をつけている。都市デザイン論で言えば、街並みが揃っていないといえるのかもしれない。ただ、数百年にもわたる歴史の重みがそのずれを沈殿させた。ゆっくりとゆっくりと建物が時間の重みを纏っていく。そうすると街並みが落ち着いてくる。
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 プラハはアールデコの建物も多く見ることが出きる。バロック様式で作られた建築も実に豊富で一つ一つの建物の質が非常に高い。街並みが美術館のようだ。

 プラハにはたくさんの観光スポットや美術館がある。その鑑賞チケットは国の物価に比べて非常に高い。国家予算の何割をプラハに訪れる観光客からせしめているのだろう。日本人を街中で多く見かけたが、その日本人はどれだけチェコに貢献しているのだろうか。


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夜は国立マリオネット劇場で人形劇を鑑賞。
オペラを模した人形劇だった。舞台の手前には下から操作する人形をもち。上から操作する人形の2種類で古典的な操り人形だった。
客席からは人形と人形を動かす手を見ることが出来る。現代においてはもっと細く見えない操り糸があると思うのだが白く目立つ糸を使用している。きっとこれはわざと見せているのだろう。操作する手もあえて見せているのだ。あくまで人間が人形を動かしているところを見せる。文楽は日本が誇る最高の人形劇だと思う。文楽は1つの人形を3人で動かす。真ん中の一人が顔と姿を出し、その脇の二人は黒子として細かい部分を担当する。操り手をあえて見せているのだろう。ただ、黒子には日本の精神性をみることができる。黒子はそんざいしているのに日本人は見えないことにする。心頭滅却すれば火もまた涼しの日本男児精神かもしれない。見えていても見えてないものとして扱うことが出来るのが日本人だ。

チェコの人形劇ではそうではないのだろう。見えているものは見えているものとして楽しませる。観光客向けにしているところもあったが、操り手が舞台に揚がるなど人形と人間の関係をしっかりと描写していた。


[2008/05/26 04:12] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[Beer]チェコのビール事情

 チェコのビールはピルスナーが基本。それもそのはずピルスナービールはチェコが発祥の地だからだ。1841年に発明されてから絶大な人気を得ている。それまで上面発酵酵母であったが下面発酵酵母を生み出したのだ。

このピルスナービールの製法はアメリカに持ち込まれ、バドワイザービールが造られた。チェコにもバドワイザービールがある。こちらのほうが本家本元で、ちゃんとバドワイザー オリジナルとご丁寧に書かれている。

 チェコでビールのメニューを見ると、ビールの名前の後ろに10°とか12°と一見アルコール度数に見える数字がついている。ガイドブックによればこれはバリング度といってビールが発酵する前の麦芽の糖分糖度を示しているらしい。バリング度10°はアルコール度数4~4.2%。17°であれば6~7%に相当する。バリング度12°以上は混じりけなしの麦芽100%ビールである。
 ガイドブックの補足をする。ビールにしろなんにしろアルコールを作るのは酵母である。酵母が餌となる糖分を食べて作る。この糖分=麦芽であるため麦芽の多いとアルコール度数が高くなる。ただ、麦芽がなくても糖分は作れる。他の穀物を入れて代用しているのが日本の第三のビールだ。
 また、ビール酵母が栄養と出来るアミノ酸も温度によって形態を変える。酵母が栄養に出来るアミノ酸を作るには温度を一定に保つ必要がある。高い温度で熱してしまうと酵母にとっての栄養にならないのである。このバランスがビールのアルコール度の一因ともなる。
(去年醸造したときの記憶なので、詳しくはビール会社のページをみてください。)

 なんにせよ、チェコはビールが旨い。ピルスナーだがコクがあり、芯がしっかりしている。おまけにバーで500mlで130円くらいから飲める。なんといってもコーラよりビールの方が安い国なのだ。ビール天国。


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[2008/05/26 04:08] | beer | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[建築コラム]教会の塔の地域的変遷

 中欧に来て気付くのは教会の形態が変わってきたことだ。イタリア・ローマを中心とした石の建築文化はアーチを使いこなして大空間を得た。一方でどうしてもその高さや光の取り込みに難ががあった。キリスト教は徐々に北へと伝播していった。そのとき教会は「木」の文化に出会った。ドイツ以北には木を模したような独特のリブ構造が見て取れる。森や木の形態からヒントを得た建築家がゴシック建築を生み出したと、故吉阪隆正先生がそんな文章を書いていたと思う。

それをヒントにするとこの中欧での鋭塔のデザインは南欧からロシア正教、アラブの文化が混ざった形態だと見出せる。
 単純に図説するとこんな感じになる。

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南欧で生まれた教会は屋根もそんなに鋭角ではない。徐々に北に行くほど、鋭角になっていく。ドイツのハンブルグの方まで北へ行くと殆んど針のような形態をみることが出来る。一方で、ギリシャの島々では円形の屋根がある。この地方はイコンなどを信奉するロシア正教の影響を受けている。ロシアではあのスパース・ナ・クラーヴィ聖堂を代表するようなずんぐり(むっくり)とした屋根をつけた建物がある。
 
これらの地域の中心にある中欧の教会は鋭角な部分がありその下部に少しずんぐりした形態になる。東西の建築を見るとこれは中途半端な形態に見えてこないだろうか。もちろん至極単純化してのことだ。建築は国境で形が変わるわけではなく、風土や文化・慣習の影響によるのだと思う。

この地域的な塔の形態の変遷はシルクロードを渡って日本にまで繋がっていると考えている。

ある地域で一定の様式が成り立つと、それは風土を飛び越えて伝播することになる。だけれども、様式が成立するときには風土が関与している。その思想を見出すことは面白く、その場にいなければイメージできないことだ。

以上は今ある考えをざっとまとめてみたものだ。きちんと勉強して整理したい。
[2008/05/25 04:04] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080525] Wien → Bruno → Prague

 ウィーンを抜けてチェコへ。この旅で14カ国目、私にとって通算46カ国目だ。10年前夜行列車でウィーンからベルリンに抜けるときにチェコを通過した。その夜の12時を境に日本人はビザなしで入れるようになる日だった。要するに私はビザなしでチェコを通った初めての日本人になった。


ただその日、チェコでユーレイルパスを使えないことを知らなかったため困ったことになった。けれども心やさしい車掌さんとチェコ語も英語も分からない可哀想な日本人学生の組み合わせはこういった問題を解決してくれる。そう、見逃してくれたのだ。若いときの旅には温情という祝福が与えられる。


28歳にもなるとそうもいかない。後日談になるがプラハの地下鉄にて冷酷な仕打ちをうけた。切符を26kcのところを知らずに20kc買って地下鉄に乗ってしまったのだ。待っていたのは検察官。間違っているともしらずに笑顔で見せたところ、これではダメだと700kc(約5000円)もの罰金を取られてしまった。たった6kc(40円)の値段を間違えただけでこの仕打ち。あからさまに狙われていた。地球の歩き方には古い情報で20kcだと書いてあったのに変わったそうなのだ。本当に冷酷な仕打ちをうけた。お金をもっていなさそうな格好をしているため、無銭乗車をしているとの決め付けられたのかもしれない。服装をよりよくすればよいのだろうか。



中欧でもバスが圧倒的に安い。片道の場合では値段が結果的に4倍以上違った。特急にとってしまうと予約券まで買わされるからだ。ただ今回は時間の節約のため列車を使用した。(後からひどく後悔したが)

ヨーロッパの旅を安く上げようとするならばユーロラインというバスがある。ユーレイルパスと同じように乗り放題のチケットで1ヶ月3万5千円くらいだ。バスは西欧のみならず中欧もモロッコも幅広くカバーしている。ただ、各国の国鉄が参加するレイルパスと違って、ユーロライン社1社で行っているため少々不便な点がある。現在は本数が大分増えているようだが行く先が大都市に制限されてしまう。そして、あくまでユーロ「ライン」なので近くの町に行きたくても遠回りせざるを得ない場合がある。「ネット」ではないのだ。都市を網目状に繋いでいない。今回は使用しなかったが利用価値はあったと思う。


途中Brunoという街に立ち寄った。ミース・ファンデル・ローエの傑作「トゥーゲントハット邸」を見るためだ。現在では世界遺産にも認定されている。この住宅を知らない人が見たら、ただのおんぼろ住宅だろう。建築を学んでいる以外にとって正直面白いとは思えない。けれどたくさんの人が見学に来るようで、予約が必要な(元)一般住宅。建築家にとっては霊的あらたかなという場所なのだ。

 ミースのバロセロナ・パビリオンと同時期に作られた。そこで見せたユニバーサルデザインの理論を住宅に反映させた。特徴的な十字の鉄骨フレームとRC床で壁を重力から開放する。生活空間ともあって空間はカーテンで仕切る。傾斜地の敷地をうまく使って、庭を居室に取り込むように設計している。前面ガラスもハイテクである。電動によって窓が下部に収納されるようになっていた。
この住宅は衰徴しながらも常に再生してきた住宅。私はコースが異なったので参加していないが、大学3年後期の課題はトゥーゲントハット邸の増築が課題だった。今、その課題を与えられたらどうするだろうと考えてみたが、施主の希望が分からないのでは何もしようがない。と、現実に引き戻されてしまった。
兎にも角にも建築のマスターピースをまた一つ見ることができた。


車窓から一面の菜の花畑と小さな住宅を眺めていた。美しきドナウの風景だ。

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[2008/05/25 03:54] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080524] Bratislava
 日帰りでスロヴァキアのブラティスラヴァへ。(中欧の地理が思い浮かばない方は世界地図を広げてみてください。)中欧の地理は複雑だ。スロヴァキアとスロベニアがどこにあるのか私も旅を始めるまで正直分からなかった。

ソ連崩壊以降、国が次々と分裂している。2006年にも新しい国(モンテネグロ)が誕生した。民族と文化がモザイクのように入り乱れていて、今も独立運動が行われている地域がある。この西欧とアラビアにはさまれた地の歴史背景をきちんと理解できれば世界の民族紛争なども理解が出来るかも知れないと感じた。第一次世界大戦の始まりも中欧が舞台となった。プラハやブタベストの建築を見るつもりだけだったが、ここには他にも学ぶべきものがある。

 ブラティスラヴァはスロヴァキアの首都だが小さな都市だ。建築や都市に関して特筆すべきものはない。社会主義時代の建築スタイルが残っているかと思っていたのだが、特色が色濃いものは見つからなかった。ポーランドぐらいまで行かないと社会主義の硬い精神性を表現した建物は見つからないのかも知れない。これは感覚的なものなのだが、キューバにしろ、ベトナムにしろ社会主義国(共産主義国)の国家プロジェクトとなる建築には共通する特色があるように思う。構成か形態比率がその特色を感じされるのかは分からない。私が意味するのはマッスな形態で思わず敬礼せざるを得ないような威厳を持った建築だ。建築は時代の精神を示すと思う。

 ウィーンから1時間の距離にあるブラティスラヴァも音楽が盛んな国である。今日は合唱のコンクールが行われていた。

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行く街先々でいつでも何かイベントがある。私の運がいいだけなのだろうか。日本と世界の街のお祭りの回数が同じだとしたら、お祭りに出会える回数は日本にいるときと同じはずだ。旅をすると多くのお祭りに出会うのは、運がいいだけでなく、いかに日本がお祭りの少ない都市になってしまったのかを考えさせられてしまう。

 コーラスは天使の歌声だった。お互いの声を声に合わせて一つのハーモニーを作り出す。本当に人間というのは素晴らしい。この旅で再認識させられた人間の可能性だ。


 旧東欧圏はビールの国。たらふくビールをいただいた。
※チェコにて詳しく書きたいと思います。

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※写真はスロヴァキア独自料理 Halusky bryndzou
[2008/05/24 06:36] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080523] Wien
今日は精力的に建築を見て回る。
フンデルトワッサーのゴミ焼却場やカールマルクスホフ市営住宅、郵便局、その他。


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アドルフ・ロースのアメリカンバーはわずか3.5m×7mの大きさにもかかわらずガラスを上手に利用して、落ち着きのあり、決して狭さを感じない空間を作り上げていた。素晴らしい建築だった。

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また、ガスタンクをショップと住宅に転用した建築(Gasometer)が印象に残った。

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車窓から発見して見学しに向かった。ガスタンクは4基あるが全てリノベーションされている。タンクは2,3階までが商業施設、その上に7層ほど住宅が配置されている。外観は同じだが内部の住宅プランは全て異なる。外観の窓では採光が足りないので居室への採光は内部の吹き抜けから取り入れられている。外部に新しく設置されているオフィス棟はコープ・ヒンメルブラウのものだと思われるが、デザイン状の大きなアクセントになっていた。このタンクをこのように残したのはいい仕事だと思う。


 ウィーンには数え切れないほど美術館があるが、新しくmuseum quarterのブロックが出来ていた。
2つの新しい美術館と(おそらく)古い住宅を転用して区画が作られている。人が自由に、憩える場所があった。住宅部分もアーティストインレジデンスとして利用されている。芸術の街ウィーンはこれからも芸術の中心地でありつづけるだろうと感じた。

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※広場には仮設ベンチ?が配置されていた。ビールを持ち込み市民はリラックス。


 夜はオペラを鑑賞。立見席はたったの2€で見ることが出来る。どんな人にも芸術を楽しむ権利があることをウィーンは伝えてくれているように思う。だからこそ、音楽や舞台を目指す人々はウィーンに来て、その環境を楽しみ、そして学ぶのだと思う。若い才能や音楽を楽しみ、応援する人がウィーンに集まってくる。国立オペラ座でもウィーンがこれからも芸術の中心であり続ける理由が分かった気がした。

 オペラはオーケストラと舞台の演者の歌・振り付けが一体だった。どうやって音楽と動きを合わせられるのかだろうか。リズムの取り方は私にはさっぱり分からないし、1つの楽譜に合わせてどうしてこんなにも出来るのか不思議だった。どれだけ練習すれば合わせられるのか疑問だったが、リハーサルなしでもオーケストラは合わせられるそうだ。さすがにプロフェッショナル。脱帽。
 指揮者の周りに円形に並んで弾くオーケストラは、暖かい光に包まれていた。弦を弾く姿が連なって、輪になって、まるで小宇宙のようだった。

 ちなみに演目は[Salome]気の狂った女性の恋の物語です。なぜ、あれがいまだに上演され続けているのか分からないほど奇天烈な話。
[2008/05/23 04:44] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080522] Lisboa → Wien
 ミュンヘンを経由してウィーンへ。ウィーンは緑豊かな都市。また芸術文化の中心地であるが建築には新しい動きがいくつかある。楽しみにしていた一つがDONAU CITY。

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中心市街地から東に位置するDonau川周辺を開発して出来た住宅地である。正直言って期待はずれ。寒冷地ではガラスは熱吸収の観点からエコロジーといわれるが、住宅に使用すると少々寂しいイメージをもってしまう。プログラムもいろいろ考えられているが全体の規模が少々小さいように感じた。

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 スペインに比べて静かで、大分寒い地域になった。これから北に向かうのが少々憂鬱。

[2008/05/22 04:40] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080520] Tanger → Sevilla
 モロッコを抜けてセビーリャへ。


道中たくさんの風車を見た。ドンキホーテの時代の風車ではなく、風力発電のための風車である。一つに連なる丘に100を超える風車が配置されていた。日本でも風力発電は試みられているがたった数基である場合が多い。エネルギー効率的には意味がない。効率を上げる機器をつくるための実験だといえるが、将来にわたって配置するつもりがないのならば無駄である。スペインは昔から風車の文化があった。風を捕らえるのもうまいのだろう。100を超える風車が早いスピードでその羽根を回していた。
 

 こんなに風力発電基が多いとヨーロッパ人は景観も気にするようだ。イタリアの友達が風車をどのように配置すれば街から美しく見えるか模型を作って検証していた。日本でもこのようなことは取り組まれているだろうか。


 アンダルシアの車窓にはもう一つ目立つものがある。ひまわり畑だ。たとえ向日葵油が利回りの悪い品となったとしても、旅行者のために是非続けてもらいたいものだと思う。



セビーリャには10年前一度訪れたことがある。今回セビーリャに来たのはExpo92会場をしっかり見るため、そして友達のYさんに会うためでもある。Yさんは全日本フラメンココンテストで第三位となる実力の持ち主で現在フラメンコ留学をしている。彼女は踊っているときは雰囲気がガラリと変わって実に情熱的に踊る。僕は未だ踊っている姿を実際に見たことはなく、リビングで酔っ払って寝てしまっている彼女のお茶目な面しか知らない。そう、彼女とは池袋のシェアハウスで共同生活をしているときに出会ったのだ。


 彼女とはセビーリャに来るまで連絡が取れていない。しかし、モノとモノとが引かれあう万有引力があるならば人と人とが惹かれあう万人引力があると信じている。運がよければ街でばったり出会うだろうと。だから、当然、けれど、私たちは出会うことはなかった。



 Cruz & Ortiz設計のセビーリャ駅を見学。素晴らしい駅で光の取り入れ方、反復する鉄骨のヴォールト、そして電車と道路と立体交差させる設計プログラムなど絶賛に値する。仕事を特命で受けて、特別な仕事を仕切るのも見事。ただ、周囲も合わせて設計するほどの権限は与えられていなかったのだろうか。もう少し周辺環境を整えることができるのではないだろうか。


 セビーリャはきれいなまちで公園も多い。都市インフラもしっかりしているのだが地下鉄はない。LRTは出来たが交通は十分ではなさそうだ。そのためかパリの事例で有名になっている自転車のレンタルシステムがセビーリャでも設置されていた。

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使い方は。
1、 クレジットカードナンバーをレンタルステーションにある機械に登録する。
※1年間と1週間使用のどちらかを選べる。
2、 機械から専用番号を受け取る。
専用カードを作れば、カードをICにかざすだけで使用可能。
3、 専用番号を打ち込むと、レンタルサイクルの鍵が開く。
4、 自由に街を散策(自転車専用レーンが作られている)
5、 レンタルサイクルは30分以内なら無料で使用可能。
6、 目的地の近くのステーション(どこでも可)に自分で戻す。

非常に便利なシステムだ。地下鉄やバスを作るよりよっぽど初期投資が少なく、便利でエコロジーだ。人件費もかからない。このステーションシステムは都市部であるからこそ機能する。東京で実践したいが若干道が狭すぎるかもしれない。

夜は10年前と同じ店でフラメンコを鑑賞。
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[2008/05/21 17:20] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080521] Sevilla
 エキスポ92の会場は既にオフィス街になっていた。過去の会場をオフィス街に転用していた。ただリスボンとは違って交通インフラも整えられていない。公園もメンテナンスが尾壊れていない。転用しにくいパビリオンの残骸のように残っているなど悪い面が目についた。このまま朽ち果てれば1992年の遺跡になるのだろうか。

街を挙げての一大イベントであったにも関わらず開催後のプログラムがしっかりと出来ていなかったようだ。これらの反省からリスボンはオフィスと住宅開発の新都市づくりに繋がったのだろうし、日本のお台場の都市博は「中止」という最も悪い方法を選んでしまった。

開催後のプログラムを考慮し、イベントを景気にインフラを整えるというのは常套手段だ。その開催地が都心から近く価値が高い土地であればあるほど効果がある。日本の愛知万博では郊外で開催して再び森にするというプログラムを立てた。新都市を必要としない場所ではその方法もありえるのだろうが、都市作りをしないのであれば開催自体が正直もったいない。
 
 夜はマンチェスターとチェルシーのチャンピオンズリーグ決勝戦を見た。日本ではいつも朝が辛い時間に毎年見ていた。当然ヨーロッパではちょうどいい時間に見ることができる。
ヨーロッパはサッカーがどこのバーでも見られるのかと思っていた。スペインといえどチャンピオンズリーグを見られるバーは限られていた。基本的にサッカーが好きなのではなく、オラが街のチームが好きなのだ。イギリスのチームの試合などに一般人は興味ないようだ。
試合は周囲の興奮も手伝って実に「エクサイティング」だった。


イスラム国の反動かビールをたらふくいただいた。
夜行でリスボンへ。ただ飛行機に乗るために。
[2008/05/21 06:21] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
 [旅コラム]本交換システム


 旅を続けていると活字に飢えることもある。短期の旅行であれば日本から本を持ってくればよいのだが、長期ではそうはいかない。そんなときにありがたいのが本の交換システムだ。旅行者同士、既に読んだ本を交換し合う。時にはガイドブックを交換し合う。アジアから来た人、ヨーロッパから来た人が交錯して情報を交換し合う。
 旅行者は本を大事にする。バックパッカーズや日本人宿などでは旅行者が置いていった本がいくつもある。私もそこで自分の本と交換することができる。今、持っている本は既に5回交換している。
[2008/05/21 04:38] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080521] Sevilla
 エキスポ92の会場は既にオフィス街になっていた。過去の会場をオフィス街に転用していた。ただリスボンとは違って交通インフラも整えられていない。公園もメンテナンスが尾壊れていない。転用しにくいパビリオンの残骸のように残っているなど悪い面が目についた。このまま朽ち果てれば1992年の遺跡になるのだろうか。


街を挙げての一大イベントであったにも関わらず開催後のプログラムがしっかりと出来ていなかったようだ。これらの反省からリスボンはオフィスと住宅開発の新都市づくりに繋がったのだろうし、日本のお台場の都市博は「中止」という最も悪い方法を選んでしまった。


開催後のプログラムを考慮し、イベントを景気にインフラを整えるというのは常套手段だ。その開催地が都心から近く価値が高い土地であればあるほど効果がある。日本の愛知万博では郊外で開催して再び森にするというプログラムを立てた。新都市を必要としない場所ではその方法もありえるのだろうが、都市作りをしないのであれば開催自体が正直もったいない。
 


 夜はマンチェスターとチェルシーのチャンピオンズリーグ決勝戦を見た。日本ではいつも朝が辛い時間に毎年見ていた。当然ヨーロッパではちょうどいい時間に見ることができる。
ヨーロッパはサッカーがどこのバーでも見られるのかと思っていた。スペインといえどチャンピオンズリーグを見られるバーは限られていた。基本的にサッカーが好きなのではなく、オラが街のチームが好きなのだ。イギリスのチームの試合などに一般人は興味ないようだ。
試合は周囲の興奮も手伝って実に「エクサイティング」だった。


イスラム国の反動かビールをたらふくいただいた。
夜行でリスボンへ。ただ飛行機に乗るために。
[2008/05/21 04:30] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[建築コラム]石の文化と木の文化
フラメンコは情熱的に踊る。ハイヒールで「カンカン」と地面を打ち鳴らす。硬いステージを硬い木靴で打ち鳴らす。それに対して日本の歌舞伎では素足(足袋)で舞台の上を跳ねて「ドーーン」と響く音を出す。スペインのフラメンコは鼓笛隊が出すような高く硬い音を出すのに対して、歌舞伎は和太鼓のように皮を振るわせる音を出す。フラメンコの手拍子はカスタネットを使うことから分かるように硬い音だ。

フラメンコは硬く、歌舞伎は柔らかい。スペインは石の建築で、日本は木の建築を持つ。石は硬く、木は柔らかい。音楽の関係も建築の関係も相似している。

文化は全て繋がっている。「音楽」も「建築」も全部のジャンルはその地域の「気の総体」(以前記載)で繋がっている。それぞれのジャンルは気の総体の欠片を持っている。
 
 この石の文化と木の文化の違いは言語の強いアクセント、アクセントなし。性格がキツイ、柔和なんてところまで繋がっているのかもしれない。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

[2008/05/20 17:27] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080519] Marrakech→Casablanca
 ハマムへ入ってモロッコでの垢を落とす。日本人にとっての銭湯のようなものだ。通常家にシャワーを持たないモロッコ人は週に一度くらい入って垢を落とすようだ。
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ただ、トルコのハマムのほうが間違いなく洗練されている。元々風呂に入る習慣にない地域にアラブの習慣を持ち込んできたように感じた。トルコはなんだかんだいってもアジアのセンスをも持っている。

 本当はマラケシュからフライトを取るつもりでいた。EasyjetやRyanairなど異常とも思えるぐらい安い。例えばカサブランカからマドリッドまで約6000円で飛んでいる。そこまでバスと船と電車で15時間程度15000円ほどかかる距離がこの値段だ。最も安い交通手段はもはや飛行機になりつつある。10€でスペインからイギリスまでいけるような世界だ。ユーロ圏になってお金が統一され、人の行き来は自由になった。そして格安航空券によってヨーロッパに距離の関係がなくなった。こうなるとユーロは本当に一体になる。間違いなくユーロはこれからも値上がりしていくように思う。
 日本もアジアと文化交流や本当にパートナーシップを望むならば、シンポジウムや政府の対談や交換留学制度など回りくどいことをせずにアジア版のEasyJetを作ってしまえばいい。日本から韓国、タイに5000円ぐらいでいけるとなったら若者はどんどんアジアに出て行くだろう。多くの人が動くことが何よりも大事だ。人が動けばお互いの都市が活発になる。特に25歳以下を優遇すべきだろう。これはアジアにとっていい結果をもたらすと思う。


結局、私は電車で移動することにした。世界一周券を使い切りたかったのとカサブランカを見るためだ。マラケシュへの車窓からモロッコに点在する村々を眺めることが出来た。オリーブ畑に囲まれた小さな集落は土色をしていて風景に同化していた。モスクのミナレットだけが白く塗られている。風景と調和する地域色というのは地元の土色が基本だと色彩環境で学んだことがある。実際に私が仕事でお世話になっていた環境色彩の事務所では世界中の土を集めていた。(私も世界各地で集めてくるように依頼されたが、税関で引っかかりそうだったので申し訳なくお断りしてしまった。)モロッコでは調和色といった代物ではなく、その土地の土が直接素材に使われている。マラケシュの赤い土なら赤い色、他の地方であれば少し黄色がかかった色の街並みが出来ている。素朴だが環境調和色という意味合いで言えば、泥で出来た建築は最高の事例といえる。

マラケシュではモロッコ特有のトラブルによって大荷物を持ちながらの市内観光をした。
モロッコは世界の燐灰石の約3分の2を所有している。燐は様々な化学品にとって重要な成分であり、そのお金が専制君主を支え、この腐敗した体制を続けている。
「ピラミッドやブルーモスクみたいな歴史的な建造物が現代で作れるだろうか。」という話をすることがあるだろう。しかし、作れる作れない以前に天文学的な金がかかる。前国王はそれをやった。国費を使い、国民に多大な税金を課し、巨大なモスクを作った。それがハッサン2世モスクだ。

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しかも建築デザイン的にあまり良いとは思えない。これはなぜなのだろうか。現代の粋を集めて過去に縛られた建築をしたことが原因なのだろうか。それとも単純に歴史あるものに人は敬意を払ってしまうからこそ、ブルーモスクなどに比べて見劣りしてしまうのだろうか。
このなんとも言えない空しさはコートボジアールにウフニ・ボワニによって作られたローマのサンピエトロ寺院のレプリカと一緒かもしれない。

 現国王の体制も結局同じことだ。世界の歴史で世襲制がうまくいった試しなどない。ただ彼は少なくとも一つ良いことをした。モロッコを観光立国にしようと悪質なガイドを徹底的に取り締まった。おかげで少しは旅しやすくなった。しかし、街中で彼の写真が看板に張られている。やはり異常であると感じない国はどこか狂っていることを気づいていない。彼の顔写真はお札にも使われている。
[2008/05/19 17:14] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080518] Marrakech
マラケシュは都市のダイナミズムを体現したような都市だ。ニューヨークとは違って5感に直接的なダイナミズムを感じる。何もかもぐちゃぐちゃに混ざっている。アラブ文化も西洋文化もアフリカ文化も飲み込んでいる。もしモロッコを表す都市を挙げるとしたらマラケシュをおいて他にないだろう。


 フナ広場には昨日以上の人で賑わっていた。テラスから眺めても大勢の人で全く地面が見えないほどだ。特別なお祭りがあるわけでもない。これが毎日の風景なのだ。

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日本人の学生と話した。一人はスペインに留学している学生で、私たちは日本のこと海外のこと、いろいろな話をした。彼は日本と距離を置いたことによって、日本を強く意識するようになったのかも知れない。私がかつて疑問に思っていたことと同じことを話してくれた。単純に言えば「日本人って一体何だ?」という内容だった。恥ずかしいことに未だに私は答えを見つけていない。自分のことすら分かっていない。

もう一杯飲みたいところだったが夜中12時近くになっていた。そのため彼らの宿泊先にお邪魔させてもらった。彼らは古い住宅を改装したホテル(=リヤド)に泊まっていた。リヤドはフランス人などセンスのある人たちがアラブ人の住宅を数百万で買取り、何千万も掛けて改装するそうだ。内部のインテリアはモロッコ風ではあるがハイセンスだ。外観からは分からないが、中に入ってそのインテリアの美しさを感じながらゆっくり過ごすのだそうだ。
 彼らのリヤドも実際のところ、旧市街の外れたところにある。こんなところにホテルがあるようにはとても思えない場所にだ。おそらくはじめての人は迷路に迷って辿り着けないだろう。

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 全世界殆んど共通して高級ホテルは新市街に通常作られる。ただ、本当にいいホテルは旧市街にあったりする。歴史と格式であるホテルであったり、モロッコのリヤドしかりだ。
彼らのおかげでリヤドの内部を見学させてもらうことが出来た。感謝。
[2008/05/18 04:50] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080517] Ouarzazate → Ait Ben Haddou → Marrakech
 世界遺産のクサル(要塞化された村)であるアイト・ベン・ハッドゥへ。
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この場所は映画グラドゥエーターのロケ地ともなっている。ここはモロッコに来た目的の一つ。建物の基壇部は石を積み上げ泥で固める。上部は土と藁で造られている。この廃墟のような村に今も7家族ほど住んでいる。一般住宅が世界遺産となり住民がそこに住んでいる場合、その維持管理がしばしば問題になる。この泥で出来た建築は雨が降るたびに形が多少崩れてしまう。そのためしばしば泥を上から塗りつける作業が必要となる。現代社会において住みにくくなったクサルで住民が住宅維持に消費する労力は大変なものだろう。

住民は自分の住宅内部を有料で公開している。観光客はどの家でもお金さえ出せば見ることができる。住民はこの家を見ろ見ろと交渉してくる。これをクサルの維持費として利用してもらえるならば私も良いことだと思う。しかし、それを別の用途に利用するのであれば美しいクサルは朽ちていくだろう。どれだけ政府が一般住宅でもある世界遺産をコントロールし、維持管理するのか手腕が問われる。政府が管理すれば状態は良く保たれるだろうが、人がすまなくなった住宅は生気を失う。世界中でこれは問題となっている。
 
 グランタクシーをチャーターしておいたため、そのままアトラス山脈を越えてマラケシュへ。通常お客を6人乗せるがそれを2人で利用。実に快適なドライブだった。

 マラケシュは全てが混在している街だ。雰囲気はいい。ジャマ・エル・フナ広場を散策。オレンジジュースやエスカルゴ、大道芸や音楽を楽しんでいるうちに夜が更けていった。
[2008/05/17 05:03] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080516]Melzouga→Todra→Dades→Ouarzazate
大砂丘の頂上から朝日を見た後、ラクダで街へ戻る。
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多少疲れていたが今日は一日移動の日になる。荷物を持って出発。宿の人が近くの道路まで送っていってくれた。他の街からの車も通る交差点だ。
道路の周りには何もない。ここからはヒッチハイク。炎天下の中遠くから車が来る度、手を振る、親指を立てる。何もない荒野の中、たまに来る車を待っていると感覚が研ぎ澄まされるようだ。アフリカ人が目や耳が良くなるのは当たり前だろう。

いつ乗せてくれるタクシーないし車が来るのだろう。「インシャラ-(=神のみぞ知る)」だ。

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運がいいことにドイツ人カップルが止まってくれた。彼らの行き先は自分がこれから行きたいコースと完全に一致していた。一日移動だけで終わるかと思っていたがトドラ渓谷やタデス谷をも見学することも出来た。予定より2日早くワルザザードに着いた。ラッキーな一日だ。

道中でベルベル人のカスバ(要塞、砦、城郭)をいくつも見た。泥で出来たカスバは独特の形態をしている。砂漠の光は強い。強い光はシンプルな形態を強烈に導き出す。強い光の中でキュビズムの形態は生まれる。コルビジェもカーンも強い光を求めた。
そして強い光の中では装飾はない。装飾には弱い光、そして木の文化が必要なのだろう。こんな気候の中ではアールヌーボーなどは決して生まれないはずだ。

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カスバには紋様が描かれている。この文様はベルベル文字、抽象文字だ。この紋様は住居にとって装飾ではなく記号であるように感じた。ロランバルトの記号論、シニフィアン、シニフィエの関係を思い出した。



 今日のラッキーを祝い久しぶりにビールで祝杯。イスラム圏のビールは高価だ。うるさいカラオケのあるバーで2杯も飲むと安宿の値段と変わらなくなってしまう。
[2008/05/16 06:49] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
[080515]Melzouga

 朝日の砂丘を見に宿を5時半出発で砂丘へ。砂丘へは宿から歩いていける距離だ。地盤が固い上に砂丘があるので砂丘の形はあまり変わらないそうだ。だからこそ街と砂丘がこんなにも近い。世界にも稀有な場所だ。

 少し風が強い日で風に舞う砂が斜面を滑っていく。表面の色が常に変化している。急激に流れる川のようでもある。静かなる砂丘も、砂が舞う砂漠も美しい。
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朝日を浴びた砂丘はコントラストを強くする。尾根で切り替わる光と影は砂丘ならではの風景だ。
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怖かったのはカメラが壊れないかということだった。注意はしていたが砂漠の砂は細かい粒子となっているので器具内に入ってこないか心配だった。宿に戻ると体中砂まみれ。というわけで、私は叩けば埃の出る男になってしまった。

 夕方からは砂漠ツアーへ。ラクダに乗って砂漠の真ん中で一夜を過ごすツアー。ラクダに乗るのは久しぶりだった。ラクダはあまり乗り心地のよい乗り物ではない。しかし、ラクダはおとなしく命令どおりに動き、命令があるまで地面に座って一切動かない便利な乗り物だ。ロバといいラクダといい便利で忠実な移動手段をモロッコは持っている。


 本日泊まった宿は砂漠のキャラバン。砂丘が出来るということは地盤が固い所があるのだろう。平らな場所にキャラバンが張られていた。

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布と紐と木の骨組みで出来たキャラバンは風が入らないように中庭型に配置されている。厚手の布は舞い散る砂から内部を守るだろう。テント一つにとっても工夫が見られる。人はどこにでも住めるのだ。

 砂丘にて一夜を過ごす。砂の上に座り、空を見て、周囲の静けさを感じる。ゆっくりと夜が深くなる一日だった。

[2008/05/15 06:41] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]イスラム人の逆鱗
 宿のスタッフとも交えて話していて、感じたことのエピソードを一つ。
歓談中、この宿に9度も訪れているMさんがスタッフの妹がかわいいんだという話がでた。そのとき、何も考えずに
「そうなの?じゃぁ、彼女と食事とか一緒にできるかい?」と冗談で続けると
突然スタッフが真剣な顔で怒り出した。
こちらは怒っている理由が全く分からない。

彼曰く
「妹はビッチではない。そんなことを言う人間は許せない。」と。

それまで彼はアラブの女性は美しいとか、スタイルがいい人間のことをモロッコではコーラのビンに例えてコカコーラ(ガール)というのだと軽口を話していたのでこの豹変振りにはさすがにびっくりした。こちらには侮辱するつもりなど全くなかった。

ここはイスラムの国で田舎の街である。日本人には理解は出来ないが、妹に変な噂が立ってはと兄の尊厳を掛けての怒りであった。モロッコ人は誇り高い。モロッコでは強盗殺人などではなく、その誇りを守るために殺人が起こるという。モロッコ人はあちらこちらで尊厳を守るためなのか喧嘩をしている。リッサニにくるバスの中でも喧嘩があった。どこで彼らの逆鱗に触れるか分からない。気をつけねば。誤解で殺されてはたまらない。
[2008/05/14 20:44] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080514]Melzouga
リッサニからグランタクシーで予約しておいたホテルへ。グランタクシーは6人乗りのタクシーを指す。なんてことはない。普通のセダンに前と後ろに3人ずつ詰め込んで走る乗り合いタクシーだ。ギュウギュウの車内だがモロッコでは非常に サハラ砂漠へ。

 村からすぐのところに大砂丘が見える。人が住める場所から歩いていける大砂丘がある場所は世界に他にないだろう。素晴らしい場所だ。建物もベルベル人の住居形式だ。初めて見る私にとっては印象深い形態である。歴史家いまは建築家として高名な藤森照信さんもベルベル式住居をモチーフに長野に守屋美術館(名前は再確認)を作っている。去年見学したあの形態はここから来ていたのかと一人で納得。建築家はいい意味で世界中からデザインを盗んでくる。実に参考になる。

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 この村には砂丘の他には何もない。昼間は暑く、何も出来る環境ではない。宿にいた日本人といろいろな話をする。この時期この場所にいるような日本人は実に旅行経験が豊富だ。私以外、全員首絞め強盗にあった経験のある方々だった。短期の観光の方に世界一周旅行をしていると話すと驚かれ、どうしても自分の話が多くなるが長期旅行者は実に話が早い。お互いの旅行で良かったところを語らい、お互いの行きたい旅行先リストが増えていく。旅のルートに関してもアドバイスをいただいた。感謝。

 旅行者と話していてやはりモロッコ人は疲れるという話をしていた。特に女性だとそうなのだと思う。声を掛けられて、少しでも返事をしてしまうと変な男にシツコク付きまとわれてしまうらしい。男性であれば、多少面倒でも挨拶し返せるが難しいのだろう。実際、私も物売りにしつこく付きまとわれると正直イライラするときもある。お金を1DHくれとイキナリいわれて断便利な交通手段であるということだ。電車もなく、バスも少ない南部地域では利用頻度は高くなるだろう。

ると子供に罵声を浴びせられることもある。そうやって心は擦れていく。けれど、挨拶を無視するような人間にはなりたくない。なんだかんだいってもモロッコは親日の国だ。(すくなくとも最初は)気持ちいい挨拶には笑顔で返し続けたい。

 夕方、歩いて大砂丘へ。実に美しい光景だった。

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いままで大砂丘はペルーのイカというところで見たことがあるだけだった(そこも良かったが規模が小さい)。サハラ砂漠は広大に広がっている。砂漠の風紋が旅情を掻き立てる。実に美しい風景だった。

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[2008/05/14 20:41] |  -モロッコ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080513]Fez
 本日も旧市街を探索。今日は時間にも余裕があったため、いくつもの建物の内部を見学する。建物を見る=店舗を覗くということになるので、いろいろなお土産品(おもに絨毯)を売りつけられる。ミントティーをいただきつつも猛烈なセールスを笑顔で回避するのも大変だ。実際に土産ものは良いものが多い。値段も交渉せずとも勝手に安くなっていく。ガイドと一緒にいると店はガイドにマージンを支払う必要があるため、一人の私には納得できる金額を提示してくれる。いいかなと思う品もあるのだが自分の家で利用するイメージが見つからない。買わないで出るのは大分疲れるが、いろいろなタイプの建物を見学することができた。
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 モロッコの旧市街には猫が多くいる。ただ子猫の数が成猫(大人猫)より圧倒的に多いのは何を意味するのか。若干怖い想像をしてしまう。成犬が多かったチリの真逆である。

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 夕方になるとどこからともなく広場に人が集まってくる。のんびりと広場の大道芸や叩き売りに人が集まる。人だかりに集まるのは皆男性だ。西洋化しているとはいえ、モロッコはやはりイスラム圏の国なのだ。大道芸はなかなか芸をせず、叩き売りも言葉がわからない私にとってはさっぱり面白くない。いや、私でなくても本当に面白いと思っているのだろうか。やはり暇な国なんだろうと感じてしまう。

サイコロを出目にお金を掛ける即席カジノのようなものもあるが、広場で出来るゲームも良く分からないものが多い。その中にコーラのビン釣りというものがある。釣竿にドーナツ状のワッカをつけてコーラビンに嵌めるというゲームだ。時間内にはめれば懸賞金がでると後で聞いたが、ちっとも楽しそうではないゲームだった。

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フェズでは本当に歩き続けた。正直なところ都市と人に大分疲れた。今度は自然を謳歌しにサハラ砂漠を見に行く。夜行でリッサニへ。

※フェズにて日本のクルーが撮影をしていました。テレビ朝日系列土曜日朝8時からやっている「旅サラダ」という番組らしいです。6月にモロッコを放映予定だそうです。興味のある人は是非。
[2008/05/13 20:30] |  -モロッコ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080512]Meknes→Fes
 列車でメクネスから50分程でフェズに着く。旧市街のフェズ・エル・バリは1000年の歴史を持つモロッコで一番古い都市である。この旧市街(メディナ)は「世界最大の迷宮」と呼ばれている。

 メディナに入ると狭く曲がりくねった道に商店がギュウギュウにならぶスーク(商店街)となっている。メイン通りでも幅員2mもないところもある。道案内もない、あっても通りの名前もアラビア文字でさっぱり読めない。観光用の地図は全く役に立たない。そのため、私は雇わなかったが多くの観光客はガイドを雇うことになる。


頑張ってメインの通りはなんとか理解できる。しかし、興味の赴くまま横道に入るとどこかで行き止まりとなっていて戻るハメになる。メイン通りからの横道は復員60cmしかないものもある。この細い通りにも住宅の玄関がいくつも接道しているのだから恐れいる。また通りの頭上には建物が増築されて空を遮っている。時間のあるときにgoogle earthで上空から見てみたい。1000年変わらない街並みだ。

この細い街並みでは車もバイクも通れない。荷物を運ぶには昔も今もロバが主要な運搬手段だ。

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 この世界最大の迷宮に挑んであちこち歩いた。アップダウンもあることに加え、行き止まり、人やロバとすれ違い、あちこちから飛んでくる日本語への対応などで本当に疲れる。3時間も歩くとぐったりしてしまう。広場や公園などの休むところがないのだ。しかし、現地人だったらそうは困らないだろう。モスクがあるからだ。メディナには800ものモスクがあるという。この静かで絨毯が敷かれている空間で好きに寛げるのだから公園など必要ないはずだ。観光客はお金を払ってうえで旧神学校のパティオの見学ぐらいしか出来ない。モスクの形態の意味をまざまざと思い知らされた。


 世界最大の迷宮で本当に迷った。タンジェ、メクネスと歩いたが、フェズのメディナはもっともっと広い。出発点に戻ろうとして、一度本気で迷ってしまった。方向感覚は悪くはないはずなのだが、行きたい方向に道がない。そして曲がりくねって歩かされているうちに、方向を見失ってしまう。建物が高く、道が狭いメディナ内では太陽がどちらにあるのかさえ分からない。
 
 夕方、高台から街を眺めてみた。密度の高い街並みだ。ところどころにミナレット(モスクの塔)が見える。高台に上ると見えるのに街の中では殆んど見ることが叶わないランドマークである。高台から街を眺めても誰一人としてみることは叶わない。この街に何十万人もの人間が蠢いているのは不思議な感じだ。

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 この街に来た目的の一つがタンネリと呼ばれるなめし革染色職人街に行くことであった。色とりどりの円い染色桶の写真を見たときにいつか行ってみたいと思っていた。例によって若干の見学料を支払わねばならなかったが、実に強烈な場所であった。私の腕では写真にこの色が写しきれているか分からないが、その色と形態が強烈な臭いと共に強く記憶に残っている。

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 人間が得る情報は90%近く視覚情報によるという。(だったと思う)ただ記憶される情報に関しては50%もないのではないかと思う。残りの50%以上は臭いであったり、音であったり、体全体で感じた空気だ。これこそ記憶に強く刻まれる。そして、それと似たものを再び得たときに一瞬のうちに記憶が呼び起こされる。視覚情報を写真は残すが他の感覚を置き去りにしてしまう。(以前にも記載したが)スケッチするのは視覚情報をより強く印象付けつつ、体全体で記憶する儀式なのだと私は思う。

 人と歩行に疲れてぐっすり就寝。
[2008/05/12 23:03] |  -モロッコ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]アラブ式トイレ
 モロッコにすっかり忘れていたのだが、アラビア諸国のトイレはヨーロッパとは違う。一応水洗式トイレだが自分で水を汲んで流す手動式だ。またウォシュレットでもあるのだが、これまた手動式。つまり、左手を使ってお尻をきれいにするタイプのウォシュレットである。トイレットペーパーなど使わない。インドと同じで左手は不浄の手とされ、左手は食事のとき使わないし、左手で握手もしない。小学生の言葉でいうと左手は「エンガチョ」なのだ。私も食事中に左手を使わないように努力。使ってしまうと回りから白い目で見られてしまう。


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 この手動水洗式トイレは使用後にはお尻が濡れてしまう。しかし、乾かす手段がない。ただ、乾燥した大地なのですぐ乾く。現地人は気にすることはないのだろう。ただ、スースーする薄いパンツとパジャマのような綿のズボンが重要だ。普通のパンツとジーンズだと非常に後味が悪い。しばらく気持ち悪いのだ。

 私はこの方式にあまり慣れたくもないのでトイレットペーパーを購入。いつでも紙を持ち歩く人になってしまった。
[2008/05/11 22:59] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080511]Meknes
 イスラムの朝は早い。(※スペインから-2時間だから当たり前かもしれないが。)
朝から祈りの時間を知らせる声がミナレットから鳴り響く。のんびりしたスペイン人の朝とはずいぶんと違うようだ。イスラムの人々は(理論的には)規則正しい。そのようにイスラム戒律に定められているからだ。
 無学のためイスラムが何たるかを説明できない。しかし、イスラム教は生活習慣の集合ないし、生活の規範を示したものと私なりに理解している。イスラム教は発生時のその時代、砂漠地帯の環境化でコミュニティに必要な規範を示している。イスラム教の規範は生活隅々に渡る。朝の祈りの時間も暑くなる前に早起きしなさいということなのかもしれない。

他にもフェミニストの方々はイスラム女性が顔を隠すのは、女性への冒涜だと主張する。しかし、顔を隠すのは乾燥した空気から口の周りの湿気を保つためでもある。一夫多妻制も戦争の多かった時代に未亡人となった女性を養うためにも必要な制度であったとも言える。また、アラブの女性は美しいので顔を出したままだと、男は仕事が手につかないのかもしれない。


住宅や都市の作り方においてもイスラム教は強く反映している。例えばモスクの広い中庭はギュウギュウに詰め込まれたメディナの憩いのオアシスになっている。細かい彫刻が施された窓は顔を出せない女性が家にいながら外部を覗けるように設計されたものだ。列柱立ち並ぶ薄暗い礼拝所も砂漠と太陽から身を守るためにある。宗教と都市骨格、今私が立っている風土を感じながらなぜ生まれたのかといろいろと思い浮かべる。歴史的な事実ではなく、人間が無意識に影響されて出来た形態の意味を考えてみる。


 メクネスはモロッコの古都に当たる。タンジェからバスで5時間、フェズまで1時間の距離にある。標高が500mを越える位置にあり若干寒い。朝は手袋が欲しくなるくらいだ。アフリカは暑いだろうと単純に考えていたのでギャップに驚いてしまう。寒いため現地のおじさん達も魔法使いのようなフードをして杖を持って歩いている。この魔法使いコートは温かいのだろう。車窓から見つけた羊飼いの人々も魔法使いの格好をしていた。

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 かつての穀物倉庫(Heri)を見学。今はガランドウの空間があるだけだ。ただ、現代では決して作られることのない原始的な形態はデザインとは何かを考えさせてくれる。形態が人に与えるインパクトというもの教えてくれる。様々な場所を測量しながら、空間の大きさと体感を頭と体に染み込ませた。(※染み込ませようと努力した。)
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 モロッコにはカフェは異常な数があり、いつも男共で一杯だ。何をしているのだか分からないが道を眺めている人ばかりだ。一方でレストランは少ない。あっても人はほとんど入っていない。というか、モロッコ人が食事を食べているところを見ることがない。モロッコ人は一体いつ食事をとっているのだろうか。ないし、レストランを使わないのだろうか。イスラム圏では女性は活動的に外に出るわけではないので、男性は食事の時は家を大事にしようというのだろうか。


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 スケッチは夕食時に描いたもの。土鍋で作った煮込みがモロッコの一般料理Tajine(タジン)


 それにしてもメディナ内は本当に迷路のようだ。方向感覚は悪いほうではないはずなのだが、どこをどう歩いているのだかさっぱり分からなくなる。同じような道幅が永遠と続き、曲がりくねり、最後は行き止まりだったりする。明日に行くフェズは世界最大の迷宮都市だ。一日中迷ってみるとしよう。

テーマ:異文化を楽しむ! - ジャンル:海外情報

[2008/05/11 22:51] |  -モロッコ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[暫定日程]
予定は、あくまで予定ですが、これからの予定です。

 モロッコ1週間→セビーリャ→リスボン→飛行機でウィーン、東欧を2週間ほど回る。ヨーロッパをイタリア、フランス、スイス、ドイツ、ベルギー、フィンランドというように北上しながら2ヶ月。その後、中東へ。1ヶ月程中東を巡った後(もしかしたらアフリカへも行きます。) インドへ。9月ぐらいにインドからネパール、チベット、、、、、パキスタン、、、カトマンズから飛行機でバンコクへ。ラオスに立ち寄り、飛行機にて日本へ帰国(10月か11月)。※9月にいったん日本に戻って再び旅に出る可能性もあります。
[2008/05/10 04:52] | 旅のルート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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