スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 | page top
[080430] Coimbra → Porto
 コインブラは古くから大学の街として有名だ。5月になれば卒業シーズンとなり、リボン焼きなど学生によるイベントが行わる。その時、街は喧騒に包まれる。今はまだ嵐の前の静けさの中にある。

古い大学校舎をみて、その後現代建築探訪。この街に着くまでは全く情報はなかったが、学生やインフォメーションセンター、車窓からの発見によって幾つか見つけることが出来た。自分が持っているヨーロッパ建築マップは10年前に発刊されたもので古すぎる。新しい建築情報はうれしい悲鳴だ。昼過ぎにはこの街を出る予定でバスチケットを購入していたが、急に忙しくなってしまった。

Pollo ⅡのUniversityエリアには幾つか見事な建築があった。その中の一つがFaculdade de ciencias e Tecnorocia da universidade de coimbraである.地形と細長い敷地形状をうまく使って特徴ある建築プログラムを作っていた。その周辺の工科大のエリアにも参考になる建築を見かけた。

s-DSC_6025.jpg


s-DSC_6063.jpg


ポルトガルの建築の特徴として現代建築らしさがないという点がある。新しい建物でも現代というより近代建築理論の延長線を頑なに守ったようなデザインが多い。代表的なのがアルヴァロ・シザ、その弟子のSOUTO DE MOURAの作品。ポルトガルの基調色である「白」、原産材料である石材のある風土がそれを強く支えたのだろう。


モンデゴ川(Rio Mondego)沿いにはハノーバー万博時のポルトガル館が移築されていた。ハノーバー万博もリサイクルを意識したパビリオンが多かったため、移築が可能だったのだろう。建物は鉄骨構造、コルクの外壁に、グラスファイバーを織り込んだ布による天井で構成されている。詳細は伏せるが構造等で参考になる点がいくつかあった。



コインブラでは近年のニューアーバニズム理論のせいか、ここ何年かで川沿いの整備が進んでいるようだ。ポルトガル館の移築も関係があるのだろう。ブリッジやバー、レストラン、カヤック置き場、公園など見事に整備されていて非常に気持ちがいい。私のビアーセンサーも川沿いで飲め!!気持ちいいぞ!旨いぞ!!としきりにシグナルを出していた。
(結局時間がないため飲めなかったが)

s-D><a href=s-DSC_6140.jpg

写真はボート置き場。内部はガランドウだが、きちんと整備すればモニュメントになるという好事例。



s-DSC_6151.jpg
SC_6144.jpg" border="0" />



夕方ポルトへ移動。結局、Coimbraで会おうと思っていた友達とは会えずじまいだった。こんなこともある。

ポルトは実に素晴らしい街だ。他の人がどう思うかはともかく、自分とフィーリングが合う街というのが世の中にはあるのだろう。私は歩いて5分、一発でやられてしまった。何百と世界中の街を巡ってきたが、なかなかこんな素晴らしい街とは出会えない。旅路を急ぐために1泊の予定だったが2泊に決定。

素晴らしい街という理由の一つにポルトワインがある。 日本だとポートワインと呼ばれている。ポルトワインは1次発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止める酒精強化ワインだ。造り方はシェリー酒と似ている。ただ、彼女がポートワインを頼んだからといって何かを意味するわけでは決してない。きっと彼女は「通」なだけだろう。甘い口当たりは食前酒にぴったりだ。このポルトワインの工場が美しい世界遺産の街並みの対岸に30以上並んでいる。なんと素晴らしいことか。 夕方、素晴らしい夕焼けと街を見ながらポルトワインをグラス一杯注文した。こういう一杯があるから旅は続けられるのだ。

s-100_4248.jpg

スポンサーサイト
[2008/04/30 19:10] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080429] Sintra → Coimbra
 リスボンから1時間ほど離れた世界遺産の街Sintraへ。アラビックなお城がある観光地だ。ここには現代建築はない。一日平凡に観光を楽しんだ。ゴールデンウィークに入ったのだろう、日本人をチラホラ見かけた。久しぶりに日本のスケジュール感覚を思い出した。

s-100_4235.jpg




シントラには現代建築がないとは言え、建築に携わる仕事をしていると古い建物の建築構造にも興味が沸く。シントラの中心部にある王宮(離宮)には36mの天井高を持つ台所がある。興味深い形態である。内部に調理の熱がこもらず良いのであろうが、どうしてこの形態にしたのか分からない。おそらく煤けて随分汚くなっていたはずだ。煙突を別途つけたほうが効率良いはずで内部空間の機能のためだとは思えない。外観を特徴付けるためのデザインだったのだろうか。外部景観は実にチャーミングだ。

s-DSC_5988.jpg




 
車窓から建物を見ながらリスボンへと戻る。リスボン周辺には集合住宅が多く見られる。一軒屋はほとんど見かけない。加えていわゆる現代的な、ガラスで覆われたようなオフィスビルなどほとんど見かけない。商店などはほぼ集合住宅の一階部分におかれているだけで十分なのだろう。よって、マッスな形態をした集合住宅郡が丘陵地に見渡す限り建ち並んでいる。

以前勤めていた事務所で集合住宅の企画、基本設計、実施設計など、集合住宅に関わる仕事を主に担当させていただいた。特殊なところではマンションのデザイン監修、某社マンシいョンのデザインガイドライン作成、マンションのデザイン評価などがある。これらは実際の設計をするわけではない。集合住宅の骨格を理解し整理し、価値を付加させる業務である。(もちろんボスや上司の監督の下、端っこのほうで作業しているわけで大きな声で仕事したとは言えません)しかし、これらの経験は建物を見るときに整理をしながら観ることが出来るようにしてくれたように思う。

 他にもあると思いますが、思いついたところでリスボン周辺の集合住宅の特徴を箇条書きにすると
・ 強い光と寒暖の激しさが形態の中心にある
・ 都市に対しては道路との関係によりファサードやでデザインが決定されている。
・ 西日に対する窓際のシャッターの設置(様々な形態あり)
・ 方位に対するデザインの優位性は見られない。
・ 道幅に合わせた開口部
・ ファサードを特徴付けるバルコニー位置(3階以降で付加されることが多い。階毎にデザイン変化
・ バルコニー鉄柵のデザイン(アールヌーボー系)
・ バルコニーにデザインされた花壇(ないし住民によるポッド)
・ 同色のレンガ屋根
・ 頂部の屋根裏部屋のデザイン
・ 白を基調とした色調。
・ 薄いパステルカラーによる変化。
・ 壁際の洗濯物干し

こんなところが挙げられる。きっと誰かが世界の集合住宅の特徴を整理してまとめているはず。日本に帰ったら、しっかりと勉強したいと思う。


夜、ファドを聴きに行く。ファドは通常ポルトガルギター(12弦)とギターの二人とボーカルの3人で奏でる。リスボンでは女性ボーカルのファドが有名だがコインブラでは男性のボーカルが一般的である。ファドはリスボンでもギターのみ聴いたのだが、哀愁があって僕は好きだ。ポルトガルは太陽の国だと思っていたので哀愁の音楽だとは思っていなかった。というのは(私独自の)理論上、太陽と哀愁は一緒に存在しえないからだ。実はポルトガル、北大西洋気流のせいか、意外と寒い。建物も古びている。大航海時代からいろいろな敗北も味わっている。だからポルトガルには哀愁がある。単純に解くとそういうことだ。こんな背景により、哀愁漂うファドが生まれたのだと勝手に定義している。

s-100_4243.jpg



昨日の日記に南米では通常トイレに紙を流せないと書いた。ただ、これからのエコロジーの時代には大と小と紙を分別して利用するようになるかもしれない。肥料として使うにはアンモニアは有害だ。紙も特殊な紙を使えば別だが効率が悪い。やはり3つに分別して肥料、廃棄、焼却用燃料とするトイレが出来るのではないか。そんなことをふと思った。
[2008/04/29 18:56] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080428] Lisbon
 長い旅では全てのガイドブックは重くて持ちきれない。こちらでも英語版は手に入るが日本語のほうが読みやすい。日本で用意しておいたガイドブックをリスボンの中央郵便局留めに送ってもらった。他にも緊急支援物資など受け取り、本当に助かった。ヨーロッパを旅する準備は整った。

 Belem地区を中心に建築を観て回る。残念だが月曜日は美術館や遺跡などしまってしまうところが多く、ほとんど内部に入れなかった。日曜日は商店が閉まってしまうし、土曜日は安宿がなくなる場合もある。曜日を考えて行動しなければ。

s-100_4232.jpg
s-100_4233.jpg



 舗装のタイルが素晴らしい。ブラジルでもそうだったが、考えてみればこれはポルトガルの文化である。そしてモザイクの発祥はイスラムからだ。文化が伝播している。

s-100_4228.jpg


遠く昔のことを考える。人が動き、人が伝え、文化が少しずつ伝わっていく。だからこそ土地が近いほど文化が近く、まとまったところで文化圏ができる。現代はデコラネィティブだ。情報が一瞬のうちに伝播し、マックように各地で発生する。この状況はたかだかこの2,30年間の話だ。改めて面白い時代に生きているのだなと感じる。



 ポルトガルもブラジルも言葉は同じだが、ポルトガルに来ると英語が大体通じる。ヨーロッパに来たのだなと感じる。片言のポルトガル語を話せば大抵英語で返ってくる。ブラジルでは辛うじて片言会話を図れたつもりだったが、私のポルトガル語はとても聞けたものではなかったのだろう。


また、ヨーロッパ(先進国)に来たなと感じるのはトイレに行ったときだ。見事に吸い込まれていくトイレットペーパーに感動してしまう。

南米(後進国)ではトイレットペーパーはトイレに流せない。常に備え付けのゴミ箱が入れる必要がある。ヨーロッパに来て初めてトイレに入った時は紙を流してよいものか分からず、おっかなびっくりしながら少量流してみるという涙ぐましいことをした。

日本に来てウォシュレットを初めて体感するラテン人やインド人はどんな気持ちを味わうのだろうか。
[2008/04/28 01:46] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080427] Risbon
 飛行機の中、隣の席の女の子が建築学科の学生だった。ポルトガルの建築コースの課題はどうも固いお題のようだった。学生なんだからもっと自由に設計すればよいじゃぁないかと二人でエスキス。課題の趣旨は読み込めなかったが、楽しい時間を過ごせた。

 南米からヨーロッパ。ポルトガルのリスボンへ。旅を始めて9カ国目、私にとっては通算43カ国目だ。リスボンは空港から市内が近いこともあって全体的にはこじんまりした印象を受けた。起伏もあり、アラビアの影響を受けた城塞都市であったせいか道は複雑だ。道が曲がりくねり、それに合わせて建物が建てられている。シークエンスが楽しい街だ。

 住宅もアラビアの影響を受けたセラミックタイルで出来たものが見受けられる。また、最上階の部屋も特徴的だ。これらがリスボンの街並みを印象深いものにしている。


 リスボンの目的であるカラトラバ設計のオリエント駅へ。実に美しく理にかなっている構造だった。鳥の筋肉繊維や動きが形になったかのような印象を受けた。この周辺は元々98年のリスボンエキスポの会場でありそれを機に一気に開発された。エキスポ時に作られた恒常的なパビリオンは健在だ。とくにセシル・バルモンド設計のポルトガル館の構造には驚かされる。日本で出来るかは別としてコンクリートでこんな空間がつくれるとは。本で存在を知ってはいたが、改めて構造の奥深さと楽しさを実感させられる。ここは構造建築家のオンパレードだ。

s-DSC_5683.jpg


s-DSC_5704.jpg


 日本のエキスポ(愛知地球博)では、エキスポが終了した後は自然に戻すことをコンセプトにしていた。しかし、こちらではエキスポが終わった後は見事な週末空間+住宅地が作られていた。それぞれが質が高く、マンションの設計に多く関わっていた自分としては実に参考になる。

s-DSC_5746.jpg

※住宅地区

s-DSC_5732.jpg

※床まである窓の前の壁ごと動く。詳細を観てみたい。

ひとつ日本の状況と決定的に違うことがある。高密度のマンション地区であるとどうしても駐車場が問題になる。地下に埋めればお金がかかる。機械式も面倒であるし維持費が高い。青空駐車場で作ってしまうと、殺風景な中庭、外構になってしまう。こちらでは駐車場を公共空間である道路が担保している。道路と街路樹をうまく設計して駐車スペースを作り出している。中庭も歩車共存道路にし、かつ舗装をポルトガル石でモザイク模様をつくっているため殺風景な印象を全く受けない。日本では公共空間と私有空間が断絶されているため、これが出来ない。これが決定的な違いだ。

ヨーロッパは夜が長い。夜の9時まで日が照っている。観光も長くできるのがありがたい。
[2008/04/27 06:27] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080426] Rio De Janeiro
 フィリップの自転車を借りてビーチ沿いを風切って走る。実に気持ちの良いサイクリングだ。今日は土曜日。多くの人々がビーチに集まってきている。ビーチでのんびりする人、バレーボールを楽しむ人、ランニングをする人、歩く人などそれぞれだが長い長いビーチがそれを可能にしている。日曜日には土曜日の倍の人が集まるそうだ。そのため海岸沿いの道路も封鎖され歩行者専用になると聞いた。本当に人々に愛されているビーチだ。

s-DSC_5600.jpg


 リオの中心にある国立公園へ。有名な丘の上のキリスト像もこの国立公園の中に位置している。不可思議な地形のため都市部の中心に自然が残されている。これはリオの大きな特徴といえる。

一方で貧民街が都市に近い丘陵地に形成されている。移動手段のない坂を自力で上がり下って生活しているた。不法占拠とはいえ決してよい暮らしではない。イパネマビーチから見える丘の斜面には生活の灯りが集まって不思議な夜景をつくっている。

空港と長距離ターミナルの間には巨大なスラム地区(Favela)が形成されている。一部の場所ではゴミが処理されずに積み上げられている場所もあり、車に乗っていても臭ってくる。ブラジルの経済状況は非常に良くなってきているが、富めるものと貧しいものとが完全に乖離している状況がある。
 

ローカルの人々が集まる場所を転々としながらフェイオジャータ(黒豆と豚肉の煮込み料理)を食べる。ブラジルの代表的な料理で週末に食べる習慣がある。

s-DSC_5635.jpg


締めはアサイー(Acai)とココナッツジュース。昨日のシェラスコから始まりブラジルで食べたかったものを全て平らげることが出来た。胃袋を満足させてヨーロッパへ旅立つ。


最後は友達に車で空港まで送っていってもらった。

「いい旅を!アミーゴ!!」

大きな声を残して車は去っていく。


おうとも。アミーゴ。いつかまた会おう。

[2008/04/26 06:25] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080425] Sao Paolo → Rio De Janeiro
 南米のスタート地点であり、ゴールでもあるリオデジャネイロへ。世界一周チケットのせいでずいぶん効率の悪い回り方をしたものだ。しかし、一度行ったことのある街というのは安心感がある。それに今度は友達が待っている。

 今夜はチリでの一緒にトレッキングをしたフィリップの家に泊めてもらうことになっている。同じく南米を旅して回っている若いオーストラリア人夫妻とコパカバーナビーチでランデブー。最後の夜、最後のシェラスコ、お腹に入りきらないほど肉を食べる。友達と食べる夕食はやはり旨い。

フィリップはリオに長く住んでるだけに夜遊びスポットもよく熟知している。彼の車でいざLAPA(リオの中心地)のナイトクラブへ。実にいい空間だ。ナイトクラブが集約される通りも良いし、少し古びた建物の空間も味わい深い。中では生バンドの音に合わせて皆がサンバを、サルサを踊っている。みんなが純粋に音楽を楽しんでいる。「音」を「楽」しむ、これが音楽。音楽を通して空間と人が一体になる。

s-100_4191.jpg


踊りの基本はペアダンス。ボニータ(ブラジル人の女性※かわいいの意)に教えてもらうが、どうもリズムの取り方が分からず、ペアダンスで怒られてばかり。なかなか難しい。
一人で踊るサンバの方もどうもカズダンスの延長線から抜け出せない。自分のサンバが正しいのか最後までわからなかった。
 
 夜は更けていく。店が最高に盛り上がるのは夜の2時過ぎ。僕らが店を出たのは夜中の4時過ぎだ。

今日はフライデーナイト。そりゃ時間の感覚もおかしくなる。
[2008/04/25 06:20] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]旅人それぞれ
 日本人宿には様々な人が集まってくる。学生のいない時期には特に濃い人々が集まる。元気に毎日観光だけしているというような人は少ない。

・ 情報帳を読みに来ている人
日本人宿には情報帳という旅行者同士でノートを介して情報を交換するシステムがある。これが非常に詳細に詳しく書かれているため、ガイドブックを持たない旅行者にとってはありがたい存在だ。ガイドブックには載っていない貴重な情報もあり助かる。世界中どこに行っても情報帳に名前を見る有名人もいる。

・ 治療を受けに来ている人
ブラジルでは歯の矯正や目の手術など高額な医療費がかかるものが安く出来る。例えばレーシックの手術は片眼6万円だそうだ。日系人の病院で診察をうけることが出来るので日本語で安心して受けられるそうだ。私はちょっと怖くも感じるが、旅行+治療で安く上がるのだからお得といえばお得。タイも治療は有名だ。もうすこし、調べてみたいところだ。

・ 地図を作る人
お会いしたことはないが、南米の情報を細かい字と地図でA1大ポスターにまとめた通称富永地図を作った人。コロコロと写真をまわしながら正確に街の地図をつくり、かわいいイラストをつけているグレネコさん。彼らの地図は南米の日本人宿なら大抵見つかる。

・ 蝶の採集に来ている人
ブラジルはアマゾンがあり、蝶の種類も豊富らしい。今では違法だが、以前は取り放題だったらしい。

・ スプレーアートを描きに来ている人
日本では落書きのようなものが多いが、サンパウロにはしっかりと時間をかけ手完成させている見事なストリートアートが多く観られる。中には美術館に展示されるような人のものもチラホラ。彼は現地の人と混じって土日に夜な夜な繰り出しているとのこと。はじめ、溶け込むまでに全財産を取られてしまうなどの困難を乗り越え、自由な夜を送っていることだろう。

・ 音楽を学びにきている人
ブラジル音楽は非常によい。こんな人がいるのは当たり前だろう。こういうひとがいると夜が楽しい。

・ 何をやっているんだか分からない人
何ヶ月も宿にいるのだが、何をやっているのかサッパリわからない。実によくわからない。特におじさんだったりすると本当に良く分からないが長くドミトリーに住んでいるだけで伝説になる場合もある。

私は建築を見に来ている人。これは特殊な部類に入るのだろうか。
[2008/04/24 06:17] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080424] Sao Paolo
 次のヨーロッパでの旅へ向けて身辺整理の日。溜まったスケッチブックや冬服などを日本に送る。ブラジルでは意外と面倒な作業になった。

3ヶ月伸びっぱなしだった髪を切りに床屋へも行った。イカツイおじさんが豪快に髪を切ってくれた。思えばここはシェラスコの国だった。牛肉を切るようにおじさんは髪を切る。バサバサと落ちていく自分の髪を見ながら、僕は「まな板の牛肉」の気分になった。

 買い物もした。服が徐々に擦り切れてきたからだ。服が徐々にぼろぼろになっていくのを見るのは、少年期以来ではないだろうか。

 
例によって高台へ。サンパウロには観光用タワーはないが最も高いビルの屋上に上った。屋上から見るサンパウロは雑然としていた。サンパウロの人口は1500万人といわれている。
世界でもこんなにも密度が高く、高層化され、かつ雑然としている都市はここだけではないだろうか。道が直線的でないことに加え、地形も丘陵地を含んでいるため建物が折り重なるような景観となっている。東京よりも密度が高いように感じた。

s-100_4118.jpg

s-100_4141.jpg



 日本移民博物館へ。先人の苦労とその努力、ブラジルへの貢献に感銘を覚える。また、先代の皇后様の歌会で読まれた歌が実によかった。移民の方も実に喜んだろう。高い知性をもち、民衆に慕われる天皇家は実に素晴らしい仕事をされている。

 「移民きみら 辿りきたりし 遠き道に イペーの花は 幾たび咲きし」
※ イペーの花とはブラジルにおける桜みたいなもの

 一方で、現在では多くの日系人が日本に渡ってきている。25万人ほどといわれている。私は以前ブラジル人の家族に日本語を教える機会を得た。日本語があまり喋れずとも二音には仕事などがたくさんある。1980年代には多くの日系人が海を渡ったそうだ。100年前とは逆の状況が起こっている。1999年には15億ドルほど日本からブラジルへ送金をしていると書かれていた。日系人にとって祖国という感覚はどういうものなのだろう。


 夜は1ヶ月ぶりに日本人の旅行者と豪華飯。とんかつカレー。夢のタッグ。
[2008/04/24 06:07] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
[080423] Sao Paolo
 夜行バスでサンパウロへ到着。日本人街に宿を取る。日本人街は世界でロサンジェルスとサンパウロしか存在しない。しかし、ロサンジェルスはその分散的な都市骨格のせいか最早日本人街とはいえないと感じている。となると、サンパウロは世界唯一の日本人街といえるかもしれない。ラーメンも人造ラーメンではなく天然ものだ。日本人街、万歳。
s-100_4036.jpg




 ただ、日本人街の常ではあるが、だんだんと華僑に侵食されつつあるのではないだろうか。貴重な街並みであるだけに少し心配である。

 また、サンパウロではマンションの周囲は鉄柵で囲まれ、ガードマンがいる。住区の入り口は門で閉鎖されているところもあった。

s-100_4033.jpg


こういった住区もあるのだ。日本でもカメラを住宅地に取り入れるところもある。こういった閉鎖型住宅地もそのうち出来てくるのではないか。


 サンパウロに来た目的はこれまたオスカー・ニーマイヤーのラテンアメリカ記念公園を見るためである。その大きさ、形態が本当に必要なのかはわからないが実に心に残る建築であった。


 
 サンパウロ近代美術館へ。非常にダイナミックかつストレートな建築である。ピロティが70Mも飛ばされている。日本では不可能だろう。丹下先生もびっくりである。そして、なによりピロティを作る必要が全くない。景観を作り出しているわけでも、広場を作りたいわけでもない。おまけに2,3階展示室から地下展示室に移動するのに全員EVを使わなければならない。なんのためのピロティだか分からない。しかし、心にガツンと来る形態だった。

s-100_4096.jpg

[2008/04/23 08:27] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[旅コラム]時計を持たない大人達

 「今何時?」とよく聞かれる。これは私だけではなく、全ての旅行者が聞かれることだと思う。
 旅行では安い腕時計をしているあ、日本であまり時計をすることはない。日本では携帯を持っていることもあるが、正確に表示してくれる時計がどこにでもあるからだ。日本は実に時間に厳しい国である。
 
 南米諸国、発展途上国ではよく時間を聞かれる。皆、時計を持っていないのだ。偏見だが、時間を気にする機会などあまりないのではないだろうか。インドに行ったとき、電車が2時間3時間遅れるのを何度も経験して時計を持っていることが馬鹿らしくなったことがある。そんな時間を気にしていたら精神が持たないのかもしれない。

そんな国だからだろうか、街には時計はほとんど見かけない。見かけても信用できないといったほうが正しいかもしれない。ブラジルは中進国だが南米だ。おかげで私はサマータイムが終わったことも気づかず1日を過ごしてしまった。

それでも支障がないのも南米だ。
[2008/04/23 06:14] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080422] Ouro preto
 夜行バスでOuro pretoへ。このオーロプレートという街は1750~1850年に建設されたコロニアル都市だ。世界遺産にも登録されている。もともと鉱山採掘のための都市として建設された。よって、丘陵地に建設されている都市である。

 丘陵地における街の景観のポイントは屋根であるように感じる。屋根の色がある程度揃っているだけでも見事な景観を得ることができる。オーロプレートも茶色い瓦で全ての住宅、教会の屋根が作られていた。ガソリンスタンドの屋根すら同じ瓦であった。

s-100_4020.jpg

s-100_4075.jpg

 
 日本にも同じように統一された屋根の街並みがある。記憶に強く残っているのは能登半島の黒い屋根だ。今では地震によって少し崩壊してしまったかもしれないが、実に美しい。他にもたくさん事例はある。昔からの習慣で作られたのではなく景観を作り出す運動によって屋根の色が統一された事例もある。伊豆半島の松崎町では市長の鶴の一言で屋根の色をウコン色に統一している。なんでも伊豆半島のコートダジュールだそうだ。コンセプトは分からないが、統一してよかったように思える。
 
 日本では屋根の色は自由に決められる。素材は同じでも塗装を変えればいいからだ。しかし、なぜ日本には青色の屋根が多いのだろうか。青色というのは基本的に自然界に存在しない色なのだそうだ。高台から森の中に青い屋根を見かけたら、色合いがどうも気持ちが悪く感じるのではないだろうか。日本の不思議だ。

 
 近くの鉱山にも行ってみた。インディージョーンズさながらトロッコに乗って地下空間へ。ボリビアのポトシなどの鉱山と違って整然とした構内であった。広い採掘場が形成され、その空間を保つように巨大な柱が何本も残されていた。建築は何もないところに空間を作り出すが、ここでは逆の行為が行われる。プラスではなくマイナスの造作だ。

 彫った部分が空間になり、残した部分が柱になる。空間に静かな、けれど強い力が満ちているように感じた。
[2008/04/22 08:23] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080421] Brasilia
 ブラジリアはブラジルを代表する2人の建築家オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタによって計画された歴史を持たない首都だ。この都市を空から眺めると鳥が羽を広げているような形態をしている。ブラジリアはまだ年月を重ねていないにも関わらず世界遺産に登録されている。ブラジリアを訪れることは今回のブラジル旅行の目的の一つだった。

 ブラジリアは近代都市計画理論、つまりスーパーブロックは近隣住区論、ゾーニングシステムなど当時革新的な理論をつぎ込んで作られた計画都市である。このような計画都市では他にル・コルビジェの手によるインド・チャンディガールが有名だ。しかし、近代都市計画理論はジェーン・ジェイコブス「アメリカ大都市の生と死」の著書に代表されるように80年代以降徹底的に批判された。チャンディガールは確かにインドの密度や身体感覚、生活水準等により理論通りの街と評価をすることが難しい。しかし、ブラジリアはいくつかの評論家が批判するよりも機能しているように思えた。


ゾーニングはされていても全ての建築をコントロールできるわけではない。そのため、都市空間の密度は高くはない。しかし、バスステーションを中心とした交通システムやブラジルの車所有率のことを考慮すれば生活するのには十分である。それにブラジリアは首都機能を第一の目的としている。ここには都市臭さや人間臭さはあまりない。その生活密度を強く考慮する必要はない。


 
 朝からドン・ボスコ寺院や幾つかの建築。中心部の国会議事堂(Palacio do Congresso National、カテドラル・メトロポリターナ(Catedral Metropolitana)などを精力的にみて回る。それぞれの建築の精度は決して高くない。ただ、都市スケールで捕らえたとき、直感に実に響くのである。オスカー・ニーマイヤーは心に映った形をそのまま建築にしているように思える。彼は彫刻家のような建築家だ。そしてその形態の持つ意味も機能も納得させられてしまう。ぐぅの音も出ない。

 特に感心させられたのは建築を作るときの地形の操作である。カテドラル・メトロポリターナは周囲を水盤で囲み、エントランスは少し離れたところにスロープを設けている。国会議事堂も周囲を掘り下げ一階部分を地階に配している。都市全体の地形もよく考えられている。国会議事堂のある三権広場周辺を最も低い位置に配し、東西に貫く公園からの都市景観軸を作っている。

s-100_4021.jpg
s-100_4022.jpg



 本日はたまたまブラジリア建設48周年で大きなお祭りがあった。なぜ48周年という中途半端な時期に祝うのかというと、BRASILIAの真ん中にあるAとSを4,8と読み替えるとBR48ILIAと読めるというシャレからきている。もし、こんな大きな祭りを毎年しているとしたらブラジルという国を手放しで褒めるしかない。

s-100_4018.jpg


 どれだけ大きなお祭りかというと、国会議事堂や教会のある中心部の都市公園に音楽ステージは10つぐらい設置される。FUJI ROCK(日本で夏に行われる音楽の祭典)のような感じだ。あちこちでJazzやロック、テクノ、サンバetc様々な音楽や踊りが奏でられる。加えて航空ショーやサッカー、バレーや気球、果ては戦車まで出るので軽くFUJI ROCKの規模を超える。スポンサーがつくにしろ、一体どんな国家予算の使い方なのだろうか。

素晴らしいお金の使い方である。



 日本の場合、行政がやるお祝いなど伝統音楽やら地元の小学校のステージなど清く正しい祭事にしようとする。これでは若者は心から楽しめないだろう。これではお祭りが本当に盛り上がるわけはない。若い人がなんだかんだいっても最も活力があるはずだ。若い人と取り込むことによって強い活力が生まれる。お祭りがそもそも清く正しいわけがない。

 その分こちらでは子供へのアトラクションも含めて、全て飲み込んでいる。屋台もけちけち硬いこと言わず、一般の人がお祭りを楽しみながら家から用意してきたと思われるコーラや食べ物をあちらこちらで売っている。どんな形にしろお祭りに参加する人が増えるほど、祭りは盛り上がるものだ。

 もう一つ書きたいことがある。こういった祝日で都市内に何十万という人が集まれる空間があるということは素晴らしいことだ。万が一日本がワールドカップで優勝しても集まるべき場所は存在しないのではないだろうか思っても東京の中心、皇居も基本的に閉鎖されている。

 去年、浦和がアジアチャンピオンズリーグで優勝したとき私は狂喜した。とにかく、浦和レッズサポーターが集まる酒場「力」に向かった。そこは上から下からビールが掛けられる騒ぎだったが、ふと思えばそこはあくまで小さな商店通りである。さいたま市が何か市民に提供しているような場所ではない。せめて市役所前に巨大モニターが設置されて、そこに行けば楽しめるというような環境を作って欲しかった。自分の街を寂しく思った。
 このエピソードで何がいいたいかというと、都市空間には人が集まるべき場所が常にあることが大事だと思うのです。
[2008/04/21 08:14] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]ウェイターがカッコいい
 日本であると一部の場所を例外としてウェイターとかウェイトレスというと学生のバイトだったり、主婦のおばさんだったりすることがほとんどだ。別にそのバイトをしたいわけではなく、単純にたまたまそのウェイターというバイトであることが多いだろう。一方アメリカなどの欧米諸国は若いスタッフが多く、これまたチップ稼ぎのバイトであることが多い。もちろんある種チップがたくさんもらえるようなレストランだと、おばあちゃんになってもウェイトレスをしていることだってある。

 僕が言いたいことはたった一つだ。アルゼンチンのウェイターはカッコいい。子供の憧れる職業No.1かと思うくらいカッコいい。最も格好良く見えるのは40歳ぐらいの男性だろうか、その立ち振る舞い、歩き方、話し方、どれをとってもプロフェッショナルである。ここではチップ制度がわずらわしいとは思えない。気に入ったウェイターには喜んで彼自身にあげたくなるのだ。もちろん素晴らしいウェイターはチップをもらうことを匂わせることなど微塵もない。実に素晴らしい。

世界各地を回れどアルゼンチンほど一般的に洗練されている場所を私は他に知らない。腰につけるエプロン(?)も牛革であったりと、実にソソル。素晴らしきウェイターに会うと食事も旨い。食事はウェイターによっても美味しくなるのだ。
 
[2008/04/21 08:10] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080420] Buenos Aires→Brasilia
 ローカルバスで空港へ。ブラジリアまでの飛行機をインターネットにて購入した。バスで行くより1万5000円ほど高くつく。しかしバスだと60時間ぐらいかかる行程が乗り換え含め7時間ほどで済む。(実際には空港に行くこと、飛行機が乗り遅れたり、へんなおじさんに足止めされたり14時間ほどかかった)。南米は実に広い。


長期旅行者の常であるが、ついお金の心配ばかりしてしまうものだ。自分の予算は全て含め一日70ドル。移動費やヨーロッパ滞在費を含めてだ。となると安く収めなくてはならない南米ではお金を使うわけにはいかない。非常に悩んだ。加えて旅の途中で飛行機に乗ると旅がリセットされてしまうような恐怖感があって常にバスを利用していた。しかし、今回は26日にはブラジルを経つ。そのため飛行機を選んだ。時間を節約してその分いろいろ見たい。


 1年を超える長い旅をしている人はお金のことを考え出す。そうするとどこにも動けなくなるのだ。旅の目的は旅を続けることではなく、旅によって様々な発見をすることにある。私は決して「沈没」しない(一つの街にとどまって動かなくなること)。常に転がる石でありたい。

 夜中12時半過ぎに宿に到着。ブラジリアはブラジルの有名建築家オスカー・ニーマイヤーとその師でもあるルイ・コスタの手による都市プランがなされている。非常に明快なゾーニングシステムがなされており、よってホテルもゾーン分けされている。ホテルのゾーンは中心部にある。ただし中心地のホテルは限られているだけに非常に値段が高い。さすがに独占商売といかず、ニーマイヤーの知らぬところかPosadasといわれる民宿が住宅街につくられているようだ。

(※PoSadasは中心から少し離れたところにあるようでしたが正確な場所が分からなかったので探しませんでした。宿に着いたのは夜中の12時半。ブラジリアは比較的安全だといえど全財産をもって夜中に歩きたくはありません。ガイドブックには民宿は載せていないようで困ります。)

 移動を省略する日であったはずなのに、移動に疲れる一日だった。
[2008/04/20 08:12] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]コーラ都市伝説

 旅をしているとコーラを飲む機会がどうしても多くなる。日本では滅多にコーラを飲まないのにだ。水や緑茶が出てこないせいもある。コーラが比較的安いせいもある。これは全ての旅行者に共通して言えることだと思う。

 世界中を旅行すると世界中のコーラを飲むことになる。そこで不思議に思うのがコーラの味がそれぞれの国で違うのである。一般的に暖かい国ほど甘く、炭酸が少ない。これはそれぞれの国の人の味覚に合わせているのであろうか。
 自分の中では一つの回答を得ている。それは暖かい国だとコーラの温度も少し暖かくなり甘味を感じやすくなるということ。炭酸が少ないのも温度が高いせいでない水分中の気泡が抜けやすくなるからだと考える。インドなどで飲む瓶詰めコーラは瓶詰めの精度が低く、単純に炭酸が抜けているのだと考えられる。
 コーラの味が異なるというのは昔日本のコーラビンの裏についている三角と四角のマークの違いで「辛口」と「甘口」に別れていると噂されたような都市伝説ではないだろうか。
 とはいえ、感覚的にはコーラの味は世界各国で異なる。これは事実のようである。
[2008/04/19 14:10] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080419] Buenos Aires
 またしてもスケッチブックがなくなっていることに気づく。「人のスケッチブックを盗んでどうするんだ。」と思うが、そんなことはない。自分がどこかで忘れたか落としたのだ。なくしたのはこれまた、ぎっしりと詰め込んだ水彩用スケッチブックだった。描き終わりかけだったので痛い。これで南米での1ヶ月にわたる旅行のスケッチをほぼ全て失くした。スケッチを自分の思い出=記憶とするならば、自分の旅行の思い出を消去されたと同じことになる。しかし、僕は不思議とあまり喪失感を感じていない。僕にとってスケッチしたものが記憶媒体そのものではなくて、スケッチすること自体が記憶をするための儀式だからだ。スケッチされたもの=スケッチブックは記憶を呼び起こしやすくはするが、スケッチをすることによって既に体の中に風景や音が染み込んでいるのだ。とすれば、スケッチブックがなくなったことによって人に見せられないし、自分でも読み返すことはできないが大した問題ではないのだ。と妙な説明を自分にして慰める。

しかし、あぁ、残念だ。せめて写真に残して置けばよかった。

どんなに自分を納得させようとしても失くすには惜しい、ということで一縷の望みをかけて再びクシェット邸のあるラ・プラタへ。たぶん写真を撮ったときに置き忘れたのだ。
置き忘れたと思われる場所では見つからなかった。誰かに拾われたのだろう。確信を持って言えるが拾ってすぐに捨てられるような代物ではない。それなりの質と量がある。おもしろがって誰かが家に持って帰ったのだと思う。住所も書いていないので戻ってくることはない。
 ただ、こんな風に考えればちょっとは気が救われる。拾った人が15歳くらいの少年だったとする。彼は旅の日付と様々な町や氷河、山々のスケッチを見て「いつか旅をしてみたい」とか思うかも知れない。彼が旅をする中で成長したり、誰かと出会ったり、もしかしたら建築に興味を持つかもしれない。僕が失くした偶然によって、スケッチブックが少年の世界をなんらかの形で広げるのだ。もしかしたらビールのスケッチによって「飲んだくれ」になるかもしれないが。

s-100_3897.jpg



 ブエノスアイレスには紹介すべきレコレータ墓地やカミニートなどの場所があるが4年前に全て回っている。私は人の名前などすぐに忘れてしまうが建築空間に関しては記憶が良いらしい。街歩くと4年前に行ったレストランや以前と同じ落書きなども発見することが出来た。そのため一縷の望みをかけて昼の時間をスケッチブック探索に使うことが出来た。2日間通常の観光地に結局どこにも行っていない。

夜は世界的にも有名な地元チーム・ボカジュニアーズのサッカー試合観戦。一番安い席を購入しスタジアムへ。ボカを応援する地元民がいるバックスタンドだ。
バックスタンド通路に入って思うのは、まず「臭い」ということ。ハーフタイムにトイレに行くのがめんどくさいので階段がある通路で用を足す人間が多いのだ。階段は小便の流れる滝となる。その臭いが残っているのである。
日本でサッカー観戦していると、攻撃システムの話やオフサイドなどを独り言で語る解説おじさんがいる。アルゼンチンでは解説おじさんはいない。皆、聞くに堪えない単純な単語を吐いている。大体が「馬鹿!」とか「F×××」とスペイン語で叫んでいる。少し長くなっても「お前の母ちゃんでべそ」等の罵り言葉であろう。

サッカーの内容はというと体同士のぶつかりが実に激しい。日本ではファウルになりそうなものがファウルにならない。高校のときの先生がJリーグの審判をしていた。南米でも笛を吹いたことがあるそうで授業中にその話をしてくれた。南米ではなかなかファウルを取ってくれないので選手はタックルを受けて転んでよいか倒れる前に審判にアイコンタクトを取るそうだ。
選手「倒れてもいいか、ファウルとってくれるよな」
審判「わかった。ファウルを取る。安心して倒れろ」
そういう会話が一瞬のうちに交わされてるようだ。なかなか選手は大変である。

 再び観客を見ると実に激しい。歌を歌い、叫び、跳ねる。全員が跳ねるのでスタジアムが一種の生き物のように動く。ただ、建築に携わる私としてはちょっと怖くなったりする。というのも、以前スタジアムがこの飛び跳ねのせいで崩壊したことがあるからだ。物体には全て固有周期がある。その周期が観客のジャンプの周期と合致して共鳴してしまうと、恐ろしいモーメント力が端部に発生してしまう。構造は大丈夫なのだろうか。
 
応援は確かにすごいが、わがホームタウンチーム浦和レッズサポーターも負けてはいない。スタジアム全体ということを考えれば、浦和の方がすごいかもしれない。ただサッカー評論家の金子さんがコラムに書いていたように、勝っていても負けていても応援をし続けているのはサッカーを見るより応援が主になっている感はある。
(※浦和レッズのホームゲームを見ていない方は是非スタジアムに来てみて欲しいと思います。ただ、応援して本当に楽しくなるにはそのチームが本当に好きならないといけません。歌を大声で歌えないと気持ちよくないですし、回りの人と一体となって初めてトランス状態のような心地の良い感覚を得られるからです。)

 ボカが得点するとスタジアムは歓喜に包まれる。歓びの声がこだまする。人は喜ぶと回りに感化させる気を発するのだと思う。この歓びの波動が全て人々から発せられ体が身震いするほどの共感を得る。これはさすがにスタジアムならではだ。

s-100_3957.jpg


 
試合はボカが一度は追い付かれつつも、追加点で勝利。最後の方はボカの応援歌が一層激しくなっていた。思えばサッカースタジアムというのは現代におけるコロッセオのようなものかもしれない。ボカが弱いチームをやっつける。3万人を前にした公開処刑だ。政治状況も悪い中、人々の関心をそらす格好の道具なのかもしれない。

試合が終わった後は気持ち良く、力の限り相手チームサポーターを罵る。まず放送できない汚い言葉を発する。罵る姿、仕草にも間違いなくモザイクが必要。ボカのサポーターがいる立ち見席では、試合後30分以上外には出られない。なぜなら相手サポーターがいたら間違いなく乱闘になるからだ。30分勝利に酔いしれ、残り5分ぐらいは外に出られないことへの不満の叫びを警官に向けて発している。

今日のボカサポーターが飲むビールは最高に旨いだろう。もちろん僕のも旨かった。
[2008/04/19 12:42] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080418] Buenos Aires
 飛行機が遅れて夜中の2時にブエノスアイレスに到着。
宿を取っていなかったため、4年前のガイドブックを使って電話をする。聞いて見ると4年前は40ペソであったホテルが180ペソに値上がりしている。ペソの価値が下がっているとは言えど、正直全く検討がつかない値上がりである。シングルに泊まる予定だったが結局、ドミトリーに泊まることにした。空港バスに乗っていざ宿へ。着いてみるとあるべき場所にホテルがない。電話は通じるのに、ホテルの住所が違うのだ。さすが「地球の迷い方」である。夜中で大きな荷物をもって一人でいるのはさすがにヤバイ。あわてて人がいるところに出て、電話。事なきを得てホステルに到着。お金を節約するためとは言え、古いガイドブックで宿を探そうとするのは考え物である。

 今日はルコルビジェ設計のクシェット邸へ。昨日の北部の火事でブエノスアイレスの街中が真っ白である。この火事は報道されないが、北部の農家と政府との対立が原因のようだ。人為的な火事のようである。そんな政治状況などに興味のない旅行者にとっては実に迷惑な話である。誰として利を得ない人為火災である。
s-100_3846.jpg


 そんな余波もあって急行バスも電車も止まり、結局クシェット邸に着くのが遅く、内部を見ることが叶わなかった。

建築巡礼という言葉がある。著名な建築を訪れてそこから何かを学べるはずだという宗教じみた言葉だ。実際にそれに近いことを自分もしている。ある建築を評論するには当然その建築を見なければ説得性はないが、見たからといって必ずしもデザイン力が上がるわけでない。評論家でもない建築家や建築学生がそれでも建築を訪れるのはある種の宗教といってもよい。僕もその一人である。雑誌で読んだ場所を訪れるのは観光客がピラミッドを訪れるのと同じ感覚とも言える。ただ宗教と割り切るのであれば、何かを学び取るためでなくともイスラム教徒がメッカを訪れるのと同じように、有名建築にはある種の霊的なものが存在すると信じて訪れることが出来るはずである。要するに有名建築を訪れば霊的に自分を感化してくれるだろうという神話を信じることが出来るのだ。というわけで、クシェット邸の内部を見られなくとも、満足すること出来るはずである。と自分をごまかして納得する。(本当は内部が見たかった。泣)

s-100_3868.jpg


 夜はタンゴを見ながら食事。以前書いたように、ブエノスアイレスでみるタンゴは完璧なるタンゴだ。その街にふさわしい音楽/踊りをみることで、その街をより理解することができる。

 タンゴは繋いだ手と腰にまわした手はほとんど動かない。つまり上半身はほとんど動かない。ご存知のように足を絡ませながらくるくると回りつつ、ところどころで決めポーズをとる。ほとんどの人はそのくるくると動く足さばきに目がいく。しかし、ペアダンスをちょっとかじった僕としては繋いだ手の方に興味が沸くのである。

 ペアダンスは一人での踊りとは違い、二人で一つの重心をつくる。重心を作る行為は16分の1でもずれると気持ちが悪い。このタイミングを合わせるためにはアイコンタクトでもなく、足の動きでもなく手をつかう。きっとタンゴダンサーも観客には分からなくとも手でたくさんの会話をしているはずである。素人の自分でもそうなのだから、プロの彼らにとっては夕食に何を食べたかとか、昨日のテレビ番組の内容すら伝えているかもしれない。ともかく、この手の平での会話がペアダンスにとって非常に大事なのである。

s-100_3879.jpg


 
 食事にたっぷりとお金を使う。それこそブエノスアイレスでしたかったことだ。ヨーロッパでは極貧生活が待っている。南米ではリッチに過ごしたい。
[2008/04/18 14:02] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
[旅コラム]似顔絵

 たまに待ち時間を持て余して街中で人の顔をスケッチする。私はもともと人の顔にひどく興味があるらしい。つい人の顔をジロジロみてしまう。ジロジロ観られる人にとっては気持ち悪くてしかたないだろう。だから、こっそりジロジロみる。

人の顔をスケッチしていると、それぞれの国の顔の特徴がつかめてくる。おかげでどこの国の人かということを、少しばかり他の人より見分けることができる。
 顔の特徴をつかむということは、それぞれの顔の箇所を抽象化して整理することである。今で言うアバターのように人の顔をパーツに分けることである。自分の頭の中にパーツが整理できれば、似顔絵を描くときにはそれを組み合わせて描けばいい。これである程度人の顔に似せることが出来る(はずである)。

s-100_3123.jpg



s-100_3125.jpg

ただ、これでは実際の人の似顔絵を描くときには役に立たないように感じる。
街往く人々の顔スケッチをしているため、それを見た旅行者から似顔絵を頼まれることがある。これには困る。似顔絵は難しい。人の顔は単純に抽象化されたパーツよりもっと特徴的な一部分があるのである。それは目だったり鼻だったり輪郭だったりする。もっといえば笑った顔だったり、しかめっ面のほうがその人らしさが滲みでていたりするものだ。似顔絵にはこの「らしさ」が一番重要なようである。自分には未ださっぱり分からないが、きっとそうなのだと思う。

この特徴を理解できず、しかも一回きりで書かないといけない場合は時間がかかる。絵コンテなどのように時間をかけるわけにもいかず、その道具もない。中途半端に描き始めるしかなく、中途半端な実写/抽象をしなくてはならない。要するに下手っぴぃな似顔絵を描かざるを得ないのだ。(自分の画力がないのだが)
 
とはいえ特徴的な部分をがんばって捉えて、そこを集中的に書く。特徴的な部分がずれると全く顔が同じように見えない。



大抵の場合は失敗するが、一回描くとその人の特徴が分かってくるものだ。この特徴を絵として抽象化できるとよい。3,4回練習が必要だがいったん抽象化すると漫画のように、大量生産することが出来る。その人自身が似ていると思うかどうかは分からない。しかし、僕はその絵に対象者そのものを感じることができる。



揺れるバスの中で書いたのでひどく字が汚いが、これはメール交換時のプレゼントとして送ったものである。ちなみに、このゴードン君はすでに大量生産の状況に入っている。

s-100_3842.jpg


 そんなことをしているため、街中の似顔絵士を尊敬の眼差しで眺めている。
[2008/04/17 08:14] | 旅コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080417] El Calafate
 ロス・グラシア国立公園へ。ここはペリト・モレノ氷河など巨大氷河を抱える国立公園だ。日本でパタゴニアを夢想していた頃は氷河を見ることが目的だったが、いつのまにか氷河上でのトレッキングが目的になっていた。個人での氷河散策は許可されていないため、値段は張ったがツアーに申し込んだ。
 
 はじめに展望台から氷河を眺める。シャトルバスで展望台の近くまで来るせいか、トレスパイネでグレイ氷河を始めて発見した時ほどの感動はない。しかし、グレイ氷河と比べて圧倒的な大きさだ。そして、より近くで眺めることが出来る。横幅で700m以上ある巨大氷河である。氷河というものがなぜこんなにも心を打つのか分からない。ただ圧倒的な力を持った風景を見ると、地球に立っているのだと直感する。地球に生かされている自分が存在するのだと。

s-100_3829.jpg


世界を旅しているというより、地球の上を小さな自分が動いているという感覚になる。「世界」は人間が存在していて、初めて存在する空間である。人間の存在することを許さない空間にこそ「地球」を感じるのかもしれない。
 それにしても旅は人をロマンチストにするらしい。日記を読み返して照れくさくなった。建築旅行を離れてしばらく経つとどうも感傷的になる。18歳の頃の日記のようだ。旅を始めて2ヶ月半、旅人にはそういう時期も「なぜか」あるらしい。以前、長期旅行者からそんな話を聞いたのを思い出した。


 氷河の上をアイゼンを履いて歩いていく。自分の近くを眺めても氷河の大きさは皆目検討がつかない。離れたところを歩く人を見て初めてその巨大さを知ることができる。科学的になぜこの高さ・大きさになったのかは学ぶことは出来る。しかし、納得しがたいものがある。

 近くによって見ると氷河はその青さを増す。水の溜まったクレパスは信じられないほど青い。クレパスの奥にいくほど青くなる。バヌアツにあるリリー・ブルーホールの青さにも驚いたが、こちらも負けてはいない。周りが白い氷である分、その青さは際立っていた。


s-100_3831.jpg



 帰りの船の中、氷河入りのウイスキーがツアー参加者に配られる。実に小気味良いサービスだ。片手に持ったグラスの中には氷河の欠片が入っている。船の後尾から遠ざかる氷河を眺めつつ、氷河の欠片の音を聞く。Good bye Patagonia.またいつか訪れたい大地だ。

 夜、11日間も一緒にいたオーストラリア人やW-circuitを達成した仲間と最後の食事を楽しむ。夜にはブエノスアイレスへのフライトがある。旅人には別れは付きものだが今ではメールやSNSなどの現代のツールがある。彼らの旅を今後楽しむことが出来る。便利な時代になったものである。
[2008/04/17 08:03] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[旅コラム]Face book
続きを読む
[2008/04/17 08:03] | 旅の装備品 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
[080416] Puerto Natales → El Calafate
朝、スケッチブックが1冊無いことに気づく。メモがてらスケッチを100枚ほど描いていた一冊であっただけ痛い。旅の持ち物で何よりも大事なのは描きあげたスケッチだ。スケッチブックの裏表紙に自分の住所と懸賞金(100ドル)を記載しておいたので、運がよければ手元に届くだろう。

バスに乗ってカラファテに向かう。W circuitで一緒だった仲間もいる。徐々に昇ってくる朝日を浴びながらバスは砂利道を進んでいく。

 チリからアルゼンチンに抜けるルートは本当に簡単だった。チェックもなにもなく、メンドーサ/サンティアゴ間とはチェックの厳しさがまるっきり違っていた。楽チンである。

 今日は次の日の準備やブエノスアイレスへのフライトなどの雑務に追われて終了。街中には何もない。あせって観光することすら出来ない。
[2008/04/16 08:55] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[都市コラム]都市計画家の歩き方2

街での歩き方を以前書いたが、中米や南米などのグリッド形状の都市を歩くときにはもう一つルールがある。それはジグザグに歩くこと。ジグザグに曲がりながら歩くことでいろいろな通りの景色を見ることが出来る。骨格をよく理解していない都市でも実行するので、たまに道に迷ってしまう。

例えば「A通りを3ブロックまっすぐ進んだ後、右に曲がりB通りを5ブロック行けば目的地に着くよ」と教えてもらう。しかし、これをジグザグと楽しそうなものを探しながら歩くと、結局道のりが分からなくなってしまうものだ。実に建築家ルールはメンドクサイ。

尊敬する吉阪隆正先生は、街をいろいろな角度から見るためにカニ歩きしたり、後ろ向きで歩くことを学生に推奨された。実にへんてこな歩き方のルールがあるものだ。
[2008/04/16 02:48] | 建築・都市コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080415]Torres del paine national park(fifth day)
 3本の岩峰にかかる朝日を見るために、夜中から再び山を登る。地面が凍っていて登りにくかった。
 朝日を浴びたトレス・デル・パイネは美しかった。本当に。パタゴニアに来て本当に良かった。

s-100_3815.jpg



 夜は4泊5日のW circuitを達成した仲間と共にビッグディナー。明日からはそれぞれ別々の場所へと旅立っていく。これが旅人の常ではあるからこそ、その瞬間を楽しんだ。 

[2008/04/15 08:46] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
[080414]Torres del paine national park(fourth day)
 今日は最も長い日になる。暗がりの中から出発だ。天候も良く、歩いていて気持ちがいい。景色も美しい。我が人生最高のトレッキングだ。

 予定よりも早くルートを越えていく。雪の中を掻き分けて最終キャンプ地へ。雪が降り積もる中のキャンプ設営。時間はまだ3時半。キャンプ地から45分のところにあるトレス・デル・パイネの展望所までに間に合うかもしれない。
 朝から9時間歩き続けているにも関わらず心が躍る。

「待っていろ!お前を見るため4日間も歩き続けてきたのだ!」

 急な坂道、周りは雪と岩だけだ。足を滑らせながらも、体は前に進んでいく。

s-100_3786.jpg



「あぁ、もう少しだ。」

 辿り着いて見上げる3本の岩峰は静かに大きくその存在を示していた。ついにやり遂げた。この旅でこんなにも達成感を感じたことはあっただろうか。ただ美しいものをみて感動するのではなく、自分で獲得する景色だ。長い間忘れていた達成感だ。自分が設計に関わった竣工物件を見たときの感動には遠く及ばないが、人生には時々達成感が必要だ。達成感の無い仕事、人生など考えられない。出会った旅人と交換した本の中に中島らも氏の本があった。彼のエッセイの中に「人生=生きた年数×時間の重量」だと書かれている。彼は時間の重量は充実度とも言い換えられるとも述べている。もし充実度が達成感と置き換えられるのならば、達成感のない人生など皆無に等しいのかもしれない。私がしているような旅では達成感などほとんど得られないだろう。旅はあくまでもレクリエーションの範疇にある。達成感を得る場所は仕事にこそある。達成感を得られる仕事(建築)を選んで本当に良かった。日々は辛いが、喜びと達成感は他では味わえない。

 標高が高く、空が一層輝いていた。オゾン層も薄いのだろう。
[2008/04/14 08:42] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080413]Torres del paine national park(third day)
 今日はフランセス谷を突き抜けるルート。どれだけ険しい状況なのか、出発前には検討がつかない。すでに天候が悪くなるオフシーズンに入っている。そのため、この時期にはトレッカーがほとんどいない。テントを張って泊まるトレッカーは僕らのパーティを除いて3,4グループだろうか。

s-100_3744.jpg

 
 1時間もすると谷は雪で一面覆われていた。靴を凍える雪に晒しながら歩いていく。風は強かったが今日も晴れている。なにも恐れることはない。

s-100_3769.jpg


 山頂は美しかった。この美しい景色の中でカップラーメンを食べる。山の中で食べるカップラーメンはなんと美味しいことか。食べている映像をビデオに撮ったらそのままCMに使えるぐらいの美しい光景の中で食べた。「山とラーメン」最高の組み合わせだ。フランス語で言えば「マリアージュ」といったところだろうか。

s-100_3759.jpg


 私が勝手に決めた感動の法則がある。感動=「対象×天候×体調」である。どんなに観る「対象」が良くても「天候」や自分の「体調」が良くなければ「感動」できない。
観る対象がそんなに有名なところでなくても、天候が奇跡的に素晴らしければ心を大きく揺さぶられる。
私の場合はペルーのチチカカ湖の近くにあるウマヨ湖だった。そこには近くに遺跡があるがあまり有名な場所ではない。ウマヨ湖はカルデラ湖で、湖の真ん中に平らな大地がある。私が訪れたときは曇っていたが、雲の切れ間から奇跡的に真ん中の台地に光が落ちていた。台地は切り取られた神への祭壇のようだった。僕は感動した。感動を通り越して僕は笑った。気が触れたように僕は笑った。人は感動しすぎると笑ってしまうことを僕は初めて知った。奇跡的な天候がなければ僕はこんなにも感動しなかっただろう。天候は感動に非常に重要な要素なのだ。 

 こんなに晴れるとは思ってもいなかった。今回のトレッキングにはスケッチブックを持ていかなかった。本当に後悔した。カメラではこの壮大なパノラマのごく一部分しか切り取るだけだ。スケッチブック、できれば朱印帳(通称パタパタスケッチ/屏風閉じになっていて横に長く描ける。)をもってくれば360°のパノラマを自分の中に入れることが出来たはずなのに。

 夜は満点の星空。ミルキーウェイが空に横たわる。あちらこちら衛星が動いていくのが見える。南十字星ももちろん輝いていた。空が光っていた。
[2008/04/13 08:39] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080412]Torres del paine national park(second day)
 空は信じられないほど晴れていた。灰色に閉ざされた厚い雲が晴れ渡ることは決してないと思っていた4月のパタゴニアでだ。南米旅行では運に見放されていたが、この日のために遅れてパタゴニアに着いたのかもしれない。
 
 皆、この素晴らしき天候喜び、再びグレイ氷河を楽しむ。おかげで出発が遅れてしまった。このパーティは随分とのんびりしている。日本人の私はどうも時間が気になってしまう。パーティの構成はアメリカ人{女}、ドイツ人(男)、オーストラリア(男)、ブラジル人(男)、日本人(私)の5人だ。それぞれ個人旅行をしていてブラジル人以外は8ヶ月の長期旅行者である。全員25歳以上で一度働いており、しかもラテンな人がいなかった。そのせいで大きな時間の遅れは無かったが、日本人以外は時間を守らないのが常である。

 気持ちよく晴れたパイネ国立公園は歩くその瞬間瞬間がハイライトだ。世界最高のトレッキングルートの一つに数えられる。世界中のトレッカーが憧れるのも無理はない。

s-100_3734.jpg



 夜、キャンプ場にて山の上の方から雷のような轟音が聞こえる。次の日に気づいたが山の上にある氷河が崩落している音だった。音は山々を反響してテントに届く。次の日が楽しみな夜だった。
[2008/04/12 08:35] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080411]Torres del paine national park(first day)

 朝からバスに乗ってトレス・パイネ国立公園へ。4泊5日のトレッキングだ。これまでの5日間ほど青空を見ておらず天候に不安が残る。非常に憂鬱な出発である。どれだけ寒いのか、どれだけ厳しいのか皆目検討が付かない。
  天気予報を確認しても「晴れ」と「曇り」と「雨」のマークが一つの絵記号になって示されている。何かの冗談なのかもしれないが、それだけ天気が読めない場所なのだ。

 1日目、僕らのパーティは一路グレイ氷河を目指して歩いた。
s-100_3707.jpg


流れてくる氷河を遠くから発見したときはハッとした。灰色の湖の中に驚くほど青い氷山が浮かんでいる。白くはないのだ。青い氷だ。この青さは長年に渡って固められた密度によるものらしい。それを知らなかった僕はただただ感動するばかりだった。

 近くによって見てみると氷山は信じられないほど大きい。その青さも間近で見るとその青さを増す。稚拙な例えだが、冷蔵庫の奥にある保冷容器の青さだ。もしくはアイス「ガリガリ君」ソーダ味の内側に入っている氷の部分の青さだ。あまりいいたとえが思いつかないが、とにかく青かった。
 (たぶんグレイ氷河はアル・ゴア氏が出ていた不都合な真実で紹介された氷河だと思います。)
 途中途中、雨が土砂降りのように降ってきた。体はずぶぬれ。そのかわり雨によって崩れ落ちる氷山を見ることが出来た。山々に轟く氷河の崩落だ。崩れ落ちる前に「ビキビキ」「ギギギ」という氷河にひびが入る音が聞こえる。少しして、大崩落が見れる。100m近くはなれていたが轟音が遅れて聞こえた。湖には強い波が起こり、こちらに迫ってくる。パタゴニアで見たかった光景だ。

s-100_3721.jpg



何とか山小屋で服を乾かすことが出来たが、氷河からの冷たい風を浴びて寝られないほど夜は寒かった。
[2008/04/11 08:23] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080410]Puerto Montt → Puerto Natales(NAVIMAG)

 昼過ぎに目的地のプエルトナタレスにようやく着いた。多くの友達が出来て楽しかったが、正直なところNavimagは340ドルも出して3日間も乗る船ではない。この船には他の旅行者の勧めで乗船した。多くの人の情報によって自分の旅が作り上げられるが、それぞれの情報には個人的な思い入れがある。大体は良い思い出だ。となれば、自分が通った道のりを良く紹介するのは至極当然なのだ。
 
 デッキから降りるとそこはパタゴニア。遠く南米の南の果てだ。バックパックを背負った旅人が一斉に街に降り立つ。皆、心を躍らせている。私も大きなリュックを背負って町へと歩みだした。
s-100_3690.jpg



街の風は冷たい。犬も丸くなっていた。
s-100_3694.jpg


 今回の目的ではパタゴニアの更に南の果て、世界最南端の町「ウシュアイア」に行くことだった。となれば、あまり残された日にちはない。しかし、ここはチリで最も有名なトレッキングの名所「トレス・デル・パイネ国立公園」がある場所だ。当初1,2日程度のトレッキングと思っていたが、結局4泊5日のトレッキングをすることした。トレッキング仲間を集め、出会ってから5分で心は決まった。パイネ国立公園で最も有名なW circuitに挑戦することにした。
 仲間が集まったのは夕方4時。まだテントも寝袋も食料も何も持っていない。街をかけずり回って準備をする。
 結局、テントや寝袋が揃ったのは夜の10時。それから各人が次の日からのトレッキングに向けて準備をする。トマトをスライスしたり、サンドイッチを作ったり、いくらでも準備することはある。

 明日からのトレッキングに向けて、天候を心配しながら就寝。
[2008/04/10 08:16] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
[080409]Puerto Montt → Puerto Natales(NAVIMAG)

 天気が良くなってきた。朝まだ揺れは残っていたが外の光に思わず心が躍る。デッキから遠くに雪を被ったパタゴニアの山々が見える。ついにパタゴニアに来たのだ。
 黒いパンに粉砂糖を振り掛けたような山々だ。
s-100_3641.jpg

s-100_3649.jpg



 途中、この地方にわずかに住むPuerto Edenにこの貨物船が物資を届けていた。港もなく、小さな船で海上で物資を渡す。外部とは切り離された世界だ。30年ほど前まで、この地方の原住民が昔ながらの生活をしていたそうだ。驚くべきことにみな魚かアザラシなどの肉しか食べず暮らしていたそうだ。しかも、この極寒の中、裸で生活している映像が残されていた。パタゴニアとは「大きな足」という語源から来ている。原住民の大きな足跡を見てそう名づけられたそうだ。今では、この地方に180人ほどだけ住んでいるらしいが、もはや昔の暮らし方ではない。

s-100_3660.jpg


 夜はトランプにお酒、ビンゴゲーム。本当に修学旅行のような旅である。他にすることがない。時間があったので自分のこれまでの文章を添削してみた。自分で読んでもひどく読みづらかった。今後努力はしますが、なにぶん旅行中です。読みづらさをお許しください。
[2008/04/09 08:00] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
[080408]Puerto Montt → Puerto Natales(NAVIMAG)
 朝から天気が悪い。周りは海と雲しか見えない。貴重な一日なのにもったいない。昼過ぎから海峡を越えていく、操舵室ではなにやらコンパスなどを使って慎重に進路を進んでいく。湾に浮かぶ幾つもの島々を眺めることができる。
s-100_3655.jpg


船の中では1日に何度かプログラムがある。朝食後の今日の見所案内。昼過ぎのカルチャー紹介。映画は3時と夜9時の2本。1本は若きチェ・ゲバラの南米旅行を描いた「モーターサイクル・ダイアリー」。1度見た映画だが南米を旅してから観ると、見覚えのある景色が何度も出てくる。周りの観光客もそういう感じだろう。この船に乗っている人たちは平均でも2ヶ月以上の期間の旅行者だ。

 夜からは半島を避けるため外洋へ。激しい揺れのため酔い止め薬を飲んで早めに就寝。激しい揺れだ。バスより飛行機より高いお金を払ってこの揺れとは恐れ入る。高波が船を襲っていた。
[2008/04/08 07:58] | 世界一周旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。