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日本の未来はどうなるか

これからは個人の利益から、社会の利益を考える世代にならないといけない。
けれども世界の体制も意識も、その変化を受け入れられる状況になっていない。

これから、多くの土地が相続の名の下に分割され、古い建物への愛着も敷地への尊敬の念もなく、ただ機械的に解体され分割され更地にされていくことだろう。僕らまちづくりに関わる人間はそれを止める術を持たない。個人によって分割されるか、隣地と合同で経済的に効率のよいマンションが建つだけだ。

 この行為は僕は土地に対して、生前に建物を愛してくれた人に対して申し訳ないと思う。土地も建物も経済的な消費物ではないはずだ。多くの人は良い(と経済的に言われる)マチヅクリを求める。エコな建物を望む。でも本質的な意味での持続可能な都市など望んでいないのだ。悲しいが、これは事実だ。

 その中で僕らは頑張らなくてはいけない。権利者が許容する範囲で、それでも、より人々を幸せにする建物を。そして、これまで日本をつくってくれた先人が満足するものを。

 傲慢さは捨てる。デザインという名の自己表現も捨てる。全ては他人の為にものづくりをする。こんな気持ちでいる設計者は多くいるのに、世界はゴミを吐き出してばかりだ。他人への見栄とか、自分が正しいと思われるための行儀作法とか言う名の、旧時代の遺物。これと僕らの世代は戦わないといけない。

 既存の中で生き続けている人は、気付いていない。自分の頭が固まっていることに。
もしも、意見に相違があるなら対話すればいい、検討すれば良い。それすら、出来ない。

 原発は安全だとして、訓練も出来なかった。現在、自衛隊は訓練しようとしても東京都では反対がありすぎて訓練すら出来ない。イデオロギーの問題ではなくて、人の人命の問題だ。しかし、震災を経ても、彼らの頭は変わらない。自衛隊は忌むべきもので、存在をしてはいけないというのだ。被災地でどんなに活躍してくれたか、知らないのだろうか。まだ、代案があるならいい。しかし、頭を固めて、シュプレヒコールを叫ぶだけだ。

 時代は動いている。変わってはいけない部分もあるし、変わらないといけない部分もある。自分は正しいのか、省みることが必要だ。もちろん僕も含めて全ての人が。

 さて、僕らの未来のまちは、勝手につくられるんじゃない。一人一人が作る。一人一人の意識が変わらない限り、まちは変わらない。未来は決して良くならない。

でも伝わってほしい。もしも、自分に解決策が見つからないのであれば

新しい世代に託す勇気を。





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[2012/08/10 23:23] | 世界の未来 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
未来の話:失業問題は解決しうるのか。
 ヨーロッパ各国でもいわゆる「先進国病」の状況の一つとされる「若年層の高失業率」が問題視されている
http://www.garbagenews.net/archives/1949994.html
スペイン、ギリシャは国全体の失業率が2割を超え、かつ、25才未満の失業率はスペイン、ギリシャでは50%を超えている。イタリアはそこまで行かないがそれでも失業率は10.1%、若年層に限っては36.2% となっている。(ちなみに日本は派遣等の労働基準が違うせいもあるかもしれないが、このデータでは4.4%の失業率となっている。若年層の失業率はデータ無し)


さて、何故仕事が無くなったのか。ヨーロッパ、日本問わずだ。
(中略)→追記に記載


私が考える理由は2つ
理由(1)「グローバリズムによる地域間/個人間の世界的競争の導入」
理由(2)「テクノロジーの進歩による労働効率の上昇」

     

この理由(2)は決定的だ。
=「そもそも、世界からは仕事が少なくなっている」と 言ってもいいからだ。

 現代では中世と違って、洗濯機が回せて、パスタだって機械で捏ねられて、移動も車、郵送もメールなどでこなせるとなれば、過去に労働であった仕事はずいぶんと減っている。もちろん、新たな仕事形態や職能が産まれて来るにしろ、この世界的人口増加を考えて、仕事の減少以上に仕事を作り出せるわけがない。国の若者が全員大学を出たからと行って、全員の技術や能力が会社として必要なわけではない。

となれば、極端にそもそも、「世界中の全ての人が働く必要はない」を前提にした方がよい。

 シェアワーキングも出来ると言う意見があるかも知れないが、効率が悪く、人の取り替えが聞くような仕事は、いつかはオートメーション化される仕事だ。新しい世界を作りだす一部の人や監督する人を除けば、全員が働く必要がなくなるはずだ。

 しかし、労働は義務であり、労働の対価として金銭が支払われるとする前提があるから困っている。しかし、仕事の少なくなった未来では労働は義務と出来なくなる。

 
 緩やかに考えてみよう。アリの社会の中では、2割ほどしか正規に働いていないと言われる。彼ら8割は人間的な社会で言うと、無職であるようなものだ。しかし、残りの8割も危機的な場合に対応する要員となり、新しい食物を発見する役割を担っている。つまり彼らはアリ社会全体にとって必要な人材(アリ材?)として認識されている。


 そう、無職も社会の重要な一員であると考えても良いはずだ。



 僕らの未来には違う世界の形があるはずだ。未来には労働者年齢の人は2種類に大別される。世界を維持して発展させる職のある人と、世界のバックアップ機能を果たす(現代的には)職のない人。 この2つが世界を回すような仕組みを作り出さないといけない。

 無職の人は無能で働く意志がない、国のお荷物であると考えるのはやめよう。
働けないのは、状況のせいだと嘆くのはやめよう。

 無職の人はただ無職であるだけではない。金銭による価値観だけでは世界に不足していることを行ってもらう。もちろん、彼ら自身も世界に役立つ気持ちを持ってもらう。こんな世界を成立させる必要がある。


■そのために何をすればいいか。
 まずは社会的企業やNPOをきちんと回すところから始めたい。今の日本は明らかにNPOや社会的企業が育つ土壌にない。これはイタリアでもまだ足りていない。それは、資本主義が前提にまだあるからだろう。

【参考】
池田信夫氏blog日本にはなぜNPOが育たないのか

 
 資本主義を越えた世界を見る為には、高レベルの教育と、個々の教養、コミュニティ形成が必要になる。大学卒業者が増え、ネットや本を読んで教養が増えているが、もう一方で素の人間関係を築く能力(当たり前のことだけど)がより必要になる。
 
 いま記事を書いていて、不思議に思うけれども今こんな世界観を持って教育している人も、政治を行っている人も知らない。伝わってほしいけれど、資本主義の終わりは何も「マンハッタンを占領せよ」とかいう、ごく一部の人間を責めることではないはずだ。
 

100億人がこの狭い世界で、どう辛うじて生きるのかを世界全体としてどう共通認識をとるか。これが重要だ。





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[2012/07/10 03:42] | 世界の未来 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
未来の共同体を考える-1
ポスト・グローバリズムの世界、あるいは「縮みゆく共同体」を読んで

 世界は人の移動と同化の連続でありましたが、その度に大きな悲劇がありました。現代が過去よりも優れているので有れば、現在もその発展の途上であり、「その悲劇も同じように私たちは受けねばならない」ということになります。

ただし、悲劇を甘んじて耐え、多くの人種が混ざりあい、人が自由に行き来する究極の資本主義が成り立った後に、私たちはもっと素晴らしい世界を教授できるのでしょうか?

これが問題点だと思います。

 アフリカや中国が先進諸国と同じような教育レベルに立たない限り、同じルールで生活も商売も行うことが出来ません。世界的に白人がマイノリティになりうる中、それこそ世界がアパルトヘイト後の南アフリカの状況の様になりかねません。それも彼らは日本や白人至上主義が彼らを長年搾取し続けたのだと教育され続けています。アフリカの独立時のように、統治のたがが外れたとたん、治安が保たれなくなった結果、経済活動を麻痺させ、世界を疲弊させるように思います。
 
人は身の危険があった場合、効率的には働けませんし、他人に心を許せません。
 私たちが仲間だと思える範囲はどのくらいでしょうか。家族、親戚、同民族、宗教? また、その範囲から外部の人間を排除しうる根拠をどこに求めればいいのでしょうか? そもそも方法はあるのでしょうか?

 現在、住んでいるイタリアでは既に戦後60年代から発展よりも地域コミュニティを大事にすることを選んだ。イタリアはユーロ経済圏の劣等生になりつつあるが、それは地域を大事にするが故に、ユーロ経済圏の前提である人の移動を拒んだことにもあるように思います。

一方、経済が破綻する理由として、南のアフリカ大陸から無条件で難民のように押し寄せる移民のせいもあります。イタリアの街では夕方、駅前や講演には多くのアフリカ人やアラブ人がたむろしています。
 また、中国人への嫌悪もひどいものがあります。3日前ローマで中国人が射殺された。経済学的に言えば、閉じることは世界を逆行させますが、人はそれを越えて自分の縄張りを守る動物的な本能があるように思います。

 イタリア的な地方分権•郷土重視思考 に加え 土地への同化政策の義務づけは必要になるでしょう。簡単なところでは、一定程度のローカル言語がしゃべれないのであれば滞在許可証を発行しない、地域の会合(かつては教会が担っていた)などに参加の義務づけ等です。

 日本でも、排他主義に傾いてきているように思います。気持ちも分かりますが、思考を停止させる危険な思想だと思います。一方で無条件に受け入れるというのも不可能だと認識しているので、問題はその手法を、倫理的に、経済的に、心理学的にどう線引きするかだと思います。


そう考えると問題となっているTPPや日本の農業も経済学に従って解くよりも 縄張り論=「まち」学、まちづくり論こそ重要になってくるでしょう。自分たちがどのような街に住みたいか、どんな生活がしたいか、どんな隣人に囲まれたいか、これを考えて行くところにこそ落ち着くように思います。

 どのような形がふさわしいのか、答えは一つではありませんが、考えるヒントとなるものを探っていきたい。
[2012/01/13 23:38] | 世界の未来 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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